こんにちは(*^-^*)
大阪なにわインナーチャイルドカードセラピストのおちゃ♪です☆
今回は、『☆本当の私はパパが大好きでした (ノ- `*)・°・ ☆』の第3回目(*^-^*)
おちゃが25歳の時、母が突然天国に旅立ってしまった頃までのお話です。
このお話は続きものですので、はじめて読んで下さる方は『☆本当の私はパパが大好きでした (ノ- `*)・°・ ①☆』から読んで下さいませ(b^-゜)
こちらからよろしくです♪
→第①回目☆
→第②回目☆
前回は、幼い頃からを思い出しながら書きましたが、長かった上に内容が内容で、読んでいてしんどくなった方もおられたかもしれません。
ごめんなさい💦
あとでふと思ったのですが書いている時、とても辛かった当時の私ではなく、
今ここにいる現在の私が、当時の場面にいて客観的に父を見つめながら書いているって感じがしました。
何年か前までの父を嫌い憎んでいた時の私は、父を許せないという頑なな感情に囚われていました。
今はそれを忘れたり封印したというのではなく、自分は被害者だと思っていた意識をいつの間にか手放せていたという感じです。
忘れはしないです💦
でも、そのとてもしんどくて辛かった感情から自由になりました。
苦しみから解放され、何より自分が一番楽になりました。
そしてしんどかった感情が抜けた隙間に、封印して感じれなかった父への感謝や愛おしい気持ちが入ってきて今の私がいます。
そうなるまでに本当に長い年月がかかりました。
第1話目に少し書いていますが父が脳梗塞になった事は大きかったです。
その後本当に苦しみから解放されるまで、何か特別な方法があったわけではありません。
ただ今思うと、本当に自分と向き合いたくなり、自分の為にたくさんの時間を持つ事を許したことが始まりだったと思います。
自分が自分をどう思い、どう扱っているのかもイヤと言うほど知りました。
幼い頃の感情も何度か蘇ってきたりもしました。
そんな頃から、神様やガイドさん、もしかしたらご先祖様がちょっとずつ私にヒントをくれ出したような気がします。
言葉が聞こえるとかいう訳ではなく、何となく〇〇をしてみよう、何となくこんな気がすると思わせてくれるヒントに気付いたって感じかな~。
それから私の心に変化が出てきたように思います。
前回読んで下さった方は気付かれたかと思いますが、父がおじいちゃんを嫌い、私が父を嫌うという連鎖。
嫌った原因が共通している所もあります。
おじいちゃんがそのまた上の曽祖父を嫌っていたかは分かりませんが、おじいちゃんからは連鎖しています。
人の性質とか遺伝的なものの連鎖とは思えなくて、
寂しさや、自分は愛されていないという心の連鎖のような気がします。
私が父を嫌う事から解放され出した時、その連鎖がほどけてきたと思える出来事がありました。
父のおじいちゃんへの心の変化です。
その事は次々回以降に書きます。
今の私から当時の父を客観的に観た時、
「何故、父は母や私達にそんな態度をとってしまったのだろう。」
「何故、とんでもない事や無茶な事をしたのだろう。」
そう思い、私が父をみたとき、
父がとても弱い子どものように見え、寂しくて、コワくて、不安で、自分で自分をどうする事も出来ず、悲鳴を上げているような気がしました。
「なんでもっと自分のことをみてくれへんねん!」
「なんでもっと愛してくれへんねん!」
「なんで分かってくれようとせず、責めてばっかりやねん!」
「なんで認めてくれへんねん!ホメてくれへんねん!」
「ホントはもっと甘えたいんや!」
母を殴りながら、たくさんのなんで、なんでとそんな叫びが聴こえてくる気がしました。
自分で自分をさらに傷つけているようにも見えました。
また父の男としての部分が、どうしようもない自分が妻である1人の女性を傷つけ幸せに出来ていないのが辛くて逃げていたようにも思います。
私達がある程度成長した頃から、私は母に何度も父と別れたらと言いました。
でも母は別れませんでした。
別れてからの生活の不安ももちろんあったと思うのですが、
子どもである私には分からない、男と女というもの、夫婦というもの、魂同士の絆、母性、
もしかしたら母にも、弱く寂しい子どもを父の中に見ていたのかもしれません。
また、母が戦争で父を亡くし殆ど父親を知らずに育った事も影響していたのかもしれません。
私がコワかった父に反抗できるようになった頃から、父とケンカして何日も口をきかなかった時が何度もありました。
すると母は必ずと言っていい程、何日かするとこう言いました。
「もうそろそろパパと喋ってあげたら?寂しそうやで・・」って。
父と母の間に入ってケンカになった時でもです。
母は父が家庭にもっと愛情を感じたら外に目を向けないようになってくれるのではと、よく私達子どもを父とかよわせるようにもしました。
母に何かを相談するとすぐパパに言ってみたらとか、2人でご飯食べにいって話したら?って仕向けるんです。
その時私はイヤやったんですけどね(笑)
父とは何となく一線をひいてしまい甘えるの苦手やったし(→o←)ゞ
その頃にはもう父は、商売はしてなくてサラリーマンになってました。
もともと新聞販売店は会社組織で、販売店を取り仕切る小さな会社の役員になりました。
家も、もともと住んでいた所の近くの一戸建てに引っ越しました。
そして、このお話で初めて登場しますが我が家に愛犬が家族の一員になってました。
叔母の所で生まれたヨークシャテリアのポンタです♡♡
我が家に来た頃の赤ちゃんの時のポンタです♪
時々おちゃのブログに登場してます( ´艸`) (笑)
母は、ポンタを3人目の子どもだと言ってとても可愛がっていました。
父が相変わらずだった事や、私達が成長して手が離れ、商売もしなくなって寂しかった母にはポンタは本当に癒しだったと思います(*^-^*)
それから母は習い事をしたり、お友達と出掛ける機会も増え、母なりに楽しく過ごしてるようでした。
そんな母でしたが、私によく父の愚痴を言いました。
子供にそんな事まで話すか?って話まで(T_T)
私はそれがスゴくイヤで、よくこんな事を母に言ってました。
「普通の母と娘の会話がでけへんの?なんでそんな話ばっかりすんの?だからパパと別れたらええやんか。」って。
母があるお友達を信頼して聞いて貰った後、他の人に話された事がショックだったようで、
それからは私に愚痴るのが多くなりました。
それで母とケンカになって険悪な状態が続いたことも・・・。
そんな中、私が25歳の時母が突然天国に旅立ってしまったのです。
急性心不全でした。
母はたまに心臓がおかしいと自覚はあったものの、市販の薬でおさまっていたので大した事はないと思っていました。
なので、病院にもかかっていませんでした。
私達家族が心配で病院にいくよう何度も言ってので、50歳代になったし何日か後に父と人間ドックを予約していたのですが、間に合いませんでした。
その日母はお友達と夜食事に出かけ、帰って着替えながら父に行ってきたお店の話を楽しそうにしてました。
それからすぐに突然の母との別れがきました。
その時私は母とケンカの真っ最中であまり口をきいていませんでした。
父の事とは別に私がどうしても受け入れられなかった事があったのです。
大切な存在を亡くされている方は、経験あると思いますが、
もっとああしてやれば良かった、何故こうしなかったのだろうと後悔する気持ちが溢れてきます。
母が突然目の前からいなくなってしまった悲しさ、辛さ、寂しさ、
どれだけストレスを抱えていただろう母を思いやれず、優しくなかった自分を責めて許せない気持ち、
そして、父を責める気持ち、
母が亡くなってから何年もの間、私はその思いでとても苦しむ毎日を送ることになります。
次回続きですが、今振り返っても一番苦しかった7年間の事を書きたいと思います。
そして、その次に父を嫌う私の頑なな感情がほどけていくお話に繋がっていきます。
よろしかったら引き続きお付き合い下さい(*^-^*)
今回の幼い頃のおちゃとパパの写真です( ´艸`)
パパの顔はクマさんと飴ちゃんでちょっと目かくし(*v.v)。
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読んで下さってありがとうございます♪
それではまた、
ごきげんよう(*^^*)☆
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