オラマゲネ、ハニー。一度も見た事ありませんけど、インパクトのあるCMで、思わず検索とかしてみたりして。そんな事とは関係なく、ワタクシ慢性的に体調が不良。そねここ二年ほど、体調万全向かう所敵なし、っていう状態になった記憶がございません。
まずは朝決まってやってくる寝起きアレルギー。花粉とか関係なく、朝起きるとくしゃみ鼻水が襲ってくる。つまり目が覚めている以上くしゃみと鼻水が止まらないのだ。それは大袈裟だが、大袈裟でもない所もあって、酷い時には一日中鼻で息が出来ません。
ですので来たな、と思ったら迷わず鼻炎のクスリです。まぁ、コレも空腹の時に飲むとどうも副作用がキツイのですけど、ナントカ収まるので助かってます。しかも、一日二回服用のところ、朝飲めば二日か三日は持つのでそちら方面でも助かってます。
まぁ、それと関係あると言えば関係あるんですけど、加えてほぼ慢性的な胸焼けに悩まされております。酸っぱいもが込み上げてくるあの不快感が、どうもちょくちょく顔を出す。ちょっと逆流性ナントカを疑ってみるが如く、デス。それも、鼻炎のクスリがスースーするヤツで、それがちょっと拍車をかけているようなかけていないような。
でもコイツはサクロン、といってもどうも効き目がなく、泣き寝入りです。ただ、胸焼けといえばやはり甘いものを食べてなるのが普通。なので、先日オッ来たな、という時に塩をなめてみた。甘いのがなんかしてこうなると思っているから、しょっぱいで撃退。
してみたらコレがまた更に込み上げてくるモノに拍車をかけまして。見事失敗に終わったわけです。そもそも禁煙が健康面に影響を与えるとしたら、この慢性的な胸焼けに効果があるんじゃないかと思ってたんですけど、全然治る気配はなし。しかも、最近嫌な事に気がつきまして。
どうも、空腹というか、ちょっと口寂しいなんか退屈なんで食べたいな、という時にそういう症状が出てくるようで。という事はですよ、あたしゃノベツマクナシ何かを食べていないといけない、のではないかと。確かに、胸焼け来たな、というのってだいたい同じ時間で、ご飯の時間もだいたい同じ時間。そして、食べると収まる。
そうするとデスよ、私の一日は食べる、歯を磨く、寝る、しかなくなっちゃうじゃないですか(笑)。歯磨きだけはね、もう取り憑かれたようにやってますんで、最近は歯痛にはだいぶ強くなったんですけど、コレがなんというか、複雑な心境になってしまいますのね。
まぁ、運動しろ、って事ですよ。それが一番の健康法ですよ。仕事しなさいってね、外の空気吸えよ、と。
さて、もうすっかり何の話をしていたんだか、ですが心のろれつが回りきってないのは事実。そこでまぁ、自重しつつも、そういう心の欠けた世界を慰める音楽に身を寄せたりとか寄せなかったりとか。まぁ、コレこそ自己満足のブログではないかとも思うのですが、それもまた何か誰かの役に立てば、という事を思ったりとか思わなかったりとか。
そもそも、こういうフレーズから、話はディープな世界に入っていたのね。
僕の心は「何か」が欠けているから
無意識に人を傷つけてしまうんだ
澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。 fra-for (2001)
実はこの曲、ここが大きなターニングポイントになっていまして、ここを境に、実は冥界から戻ってくるのね。というのも、曲を聴いてくれるとわかるんだけど、ここまではとても醜い自分をさらけ出すんだけど、この次の歌詞で様相は変わる。
でも こんな僕にもまだ誰かの心の強く
刻める「何か」が与えられているとしたら
ずいぶんと前に、ニートに仕事を、という話をした時に、これからの公共事業は無理矢理ダムを造ったり橋を造ったりせず、もっと個人が活躍出来る無理のないニートでも出来るような仕事に金を使ったら、という話をした事があって。その時に、結局なんの特技も何もない人はどうするの?というコメントをもらった。まぁ、家でテレビを見てその感想に予算を着ければ、という答えを返して、実はずっと前に求職中に似たような仕事をハローワークで斡旋された事があったんだけどそれは別の話で。
自分は生きているだけでなんの特色も、特技もないんだよなぁ、という人でも、誰かを前にしてその人の心に何かを刻める事が出来た時に、初めて生きている意味があるんじゃないか。逆に生きているという事は、そういうやって誰かに何かを与えるというか、影響する事じゃないのか、という事を希望として提示しているんだよね。
つまりずっと最初のウチに話した村上龍氏のJMMで言っていた、欠落感が起業家をかき立てる何かに繋がっている要素だ、という話とも繋がってくるんだけど、その欠けている心こそ、生へと大きくドライブさせる大事な要素だと、そういう風にも考えられるのよ。
実はそのことをもっと如実に語っているのが、同じfra-forの曲で「宙の淵」というのがある。
生まれ来るだけ罪になると
嘆く君はとてもかわいいから
僕はずっと君のそばにいるよ
宙の淵 fra-for (2001)
この僕と君の距離感はとても秀逸で、同志のようで、でも僕の方が君を包んであげているようで。コレは私の印象というか、アルバムを通して聴いた感じなんだけど、君の方がずっとしっかりしているんだけど、危なっかしくて、僕の方は儚そうでスゴクリアリスト。現実をイヤだイヤだと思いながら、しっかり毎日をやり過ごせている。つまり、うまくお互いを補完し合っている関係にあるような気がするのね。
究極、人の存在理由は生きる事で、生きる事は死ぬ事に繋がっている。産まれてきた以上、死ぬ間際まで生き続けないといけないんだけど、生きる続ける事は苦しみ続ける事なんだよね。
怒濤の轟音で終わるこの曲の最後に、そのことがそっと唄われる。
どうせいつか焼かれ
この体も灰になるなら
使って使って使って使って使って使って
使い切って棄てるさ・・・
ただ、欠けた心を抱えた者の、コレは唯一の希望のような気がするのね。それにそれほど朗らかな希望じゃないと思うのよ。ちょっと烏滸がましい言い方かも知れないけど、欠けた心を自覚した時点で、ものすごく痛みを感じたり、痛みに敏感になったり、とにかくしんどくなるんだけど、その代わりというか引き替えに、見えなければ良かったものが見えるようになるんだよね。それがまた痛みを増幅させるんだけど、この間の話で、一歩踏み込む、というのはそういう所に原因があるんだよ。
さっきも言ったようにね、こういう話にオチがあろうと無かろうと、話をするという所に意味があって、それがたまたま読んだ人の何かになればいいんだと思うのよ。ただ希望はそこで止まっている。もしコレを読んで儚さに拍車がかかって、無残な答えを下す引き金になる事だってあるわけで。そこはもう祈るしかないし、だったらしなきゃいいのに、なんだけど、希望がある以上、しないわけにはいかないのも事実なんだよね。
まぁ、そういうギャンブルみたいな希望の話を、もう少し。
なんてね、最近歯磨き粉を換えたらキュッキュッと音がするようになったんだよね、って言ってみました。寝る前には必ず歯磨き、と心がけていたらいつの間にか、歯を磨いたら寝ても良し、になっちゃって、いつも昼寝をしてしまう。そういうなんだか良く分からないルーム・ルールみたいなモノが、これまたやっかいなんだよね、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。