ベランダのプチトマトが台風で大量に落とされてしまったことを母が悲しそうにしていて胸が潰れそうになったのだけれど、

その緑色の粒たちがあまりに宝石めいて死んでいたもので、考えてしまった。

「食べる」だなんて前提を伴わなければ、もしかしたらプチトマトの全盛期はこの“青の時代”なのではないか、なんて想わなくもない。だって、あまりに美しい。もちろんそれは、「落ちた」とか「堕ちた」とか「墜ちた」みたいな昭和の文豪めいた刹那的な色気が介在している可能性もあるのだけれど、

否応なしに、美しく見えているのだから仕方があるまい。

ちなみに母は、緑色の実がいつ赤くなるのかと、10分おきにベランダにチェックしに行っては、「まだ赤くならない!」とやり続けていた。

赤くなれ、赤くなれ、と願われるその果実のあまりの緑さに、奇跡のような神秘性を感じるのです。