夜中に近くの公園に巨大絵を描いた。

ナスカの地上絵は果たしてどう描かれたのか!?というミステリに心をざわつかせたことが昔あったけどらいまならわかる。締切に追い詰められた人が夢遊病者のように散歩に出掛けて描いたんだと思う。あくまで仮説だけどね。

もっと大きいの描きたい。あと、真上から見たい。見れない。


超じいちゃん子だった。

 

じいちゃんが亡くなったとき、「冷凍庫にある、じいちゃんの干し柿はいつ食べればいいんだろう」と心配になった。毎年、作って送ってくれてたのだ。で、1年かけてゆっくり食べてた。でも、今あるうちで最後なのだ。その、最後のやつを、どう食べ終わればいい?最後のひとつを、どんな気分で食べるのか?

 

結局、いつどう食べたかは覚えてない。

 

。。。

 

うちのパパはなんだかんだ、発泡酒、第3のビールを毎日ごくごく飲んでいた。安いからだ。たまに現場から「ちゃんとしたビール」をもらって帰って、パパにあげると喜んだ。パパはなんなら常夏の国で生活したいと思うひとで、だからかドライとかオリオンビールが好きなタイプだった。ギター1本で家族を養っていたパパに、せめて毎日上等なビールを飲ませてあげたかったなといまさら思ったりはする。2人でライブをやった帰り道、車でコンビニに寄ってビールを買うのはお気に入りの習慣だった。そのときは、上等なのを飲んだ。でも、音楽室でふたりでドラフトワンなんかで乾杯した思い出も、いい感じの思い出だ。鹿児島出身のせいか、途中からは焼酎になる。

 

そんなパパが天国にスタジオを移したとき、ビール好きだったパパのためにたくさんのビールが贈られた。パパは自分の本なんかの中でもビール好きを書いていたから、ビーラーであるのは有名なことだった。で、パパへのプレゼントであるビールとはいえ、パパは死んでるわけで、飲むのは遺族の我々ということになる。で、このビール、冷やしたまま、まだ飲めてない。かれこれ3年である。なのに、飲めてないのである。こうなってくると、もう、神聖なビールという気がして、いつ飲む?という感じになる。

 

この前、朗読リュズタンの衣装デザインを手掛けた時、母にも縫製などを相当手伝ってもらった。この千穐楽の後だったかは、確かふたりで一本飲んだ。なんだか、然るべきタイミングという気がしたのだ。

 

さあ、次はいつか。そろそろ、ビールの賞味期限も気になり出す。

 

だがしかし、これにも最後の一本という熾烈な瞬間がある。

 

「パパ関連のビールをいつ飲もうかと思ってる日々」のを締めくくる瞬間を、自分は決められるのか。そのときの気持ちに耐えられるのか。

 

そんなどうでもいいことに悩む。

 

。。。。。

 

仕事に集中しすぎて、いきなり、日本語が喋れなくなる。「してきてくれた」か「してくれてきた」がわからなくなって瞬時に混乱して日常で言葉を噛む、みたいなことが多い。疲れているのだと思う。締め切りたちが迫りくる。三國志と、おぼんろ本公演と、後一本。描かないといけない絵もたくさんあるし、決断しないといけないこともたくさんある。


劇団員と会った。基本、会議は好きじゃないので、この日もそういう類ではなく、なんか、会って、公演に際しての自分の気持ちを共有、みたいなところ。さひがしさんの誕生日プレゼントを渡そうと思って洋服に絵を描こうとしたのだけど、めぐみさんのプレゼントを渡していなかった(9月なので、この時期に会う予定がなかった)ことを思い出し、2人分用意することに。迫り来る締切の恐怖をほんの少しだけしまいこみ、作業。やっぱり、好きな人のプレゼントを創るのが一番幸せな時間な気がする。



おぼんろ。
タイトルを発表する都合で、この日までに決めてください。という脅しを受けた。数ヶ月前にプロットもタイトルも提出してはいたけれど、直前で悩む。数ヶ月前に自分とは気持ちが違ったりする物だ。結局、土壇場でそれまでと8割くらい内容を変えたタイトルを出した。
 

今回は公演の概要に関しては制作と製作委員会にほとんど全て任せてしまった。お金や運営のことは正直、本来まったく興味がないもので、繰り返される話し合いはそれなりに苦痛だった。なので、素直に、今回はただただ物語を描いて演出して出演することに集中させてもらおうかなとおもう。とは言っても主宰ではあるから責任は持つけれど。悩んだところで結局は大人の事情を気にしないといけない物事と向き合うと、どうやら自分はジャンプ力が落ちる。跳んで翔ぶことが、自分にだけできることなのだとしたら、そっちに専念したい。

 

。。。。

目がかゆい。でも、ものもらいのような、結膜炎?のような症状がすぐに現れるようになってしまった昨今、触っちゃだめだ!と自分を制している。花粉症なんだろうか?

 

まぶたとうまくいってない日々。目は口ほどにものを言ってしまうんだから、気をつけないとだ。余計なことを言わないように、目を口止めしないと。

 

。。。

 

前に、大阪土産のみたらし団子みたいなのを稽古場に差し入れしたら評判が良かった。実際、すごくおいしかった。鹿児島にはじゃんぼ餅というのがある。みたらしってすごいよな。僕ら年間、みたらしを口にする機会が何回くらいあるのだろう。生クリームとかとは合わないんだろうか?考えてしまう。

 



喧嘩などを見てどっちに味方をするべきか、と悩むときは、弱い方、と決めとくのがいいと思う。強いほうは味方なんかいなくてもそのまま勝つけど、弱い方は死んじゃうかも知れないからね。

 

悪いものは罰さないと!という人がいるけど、その考えはたぶん、悪い。僕らきっと、何も傷つけない方法を考えた方がいいと思う。悪いことをした人に、それは悪いことだとぞと伝えることは大切だけど、殴って教えた方がいい、てのはなんか違うよ。

 



3月1日

仕事帰りに締切があったので渋谷の駅前に座って台本を書いていたら男の人に声をかけられた。熊本から1週間ほど東京に遊びにきていて、人と会うはずだったけれどドタキャンされた、相手はコールセンターのバイトを入れてしまってた、今日は女の子とご飯だと、家に泊めてもらっている友人に宣言して出かけてきたから気まずい、などと話し続ける。いつまで経っても隣からいなくならないので、こちらも色々尋ねる。こちらのことも尋ねられる。パソコンを覗き込まれ台本も読まれる。台本の続きを描きたい。だがしかし埒があく気配が全くしないので、「飲みに行く?」と言ったら「そうなったらめっちゃ嬉しい!」と言われ、「コンビニでもいい!」とも言われ、そのあと2時間、ふたりでお酒を飲みながら渋谷の町を歩いた。「締切大丈夫スか!?」と心配された。いや、大丈夫じゃないんだけど。一本飲み終わったので解散しようと思ったら、「あの、あの、もう一本お願いします!」と柔道家みたいな頼まれ方をしたので、次のコンビニを探す。あんまり詳しくない渋谷の案内もした。彼がその日、表参道で、インスタグラマーが勧めていた美容院で髪を切ったことや、父親は学校の教頭先生であることなど様々なことを知ったし、池袋と新宿と渋谷と調布の都会度を数値で教えて欲しいと言われ試みたし、FC東京の最近の状況についても教わったりした。経堂は素晴らしい町だとも力説された。

 

締切やばい。

 



3月5日

本読みの日だ。長かった。会ったことない俳優さんたちのことを調べ、想像し、描きあげた。劇団公演の時は、仲間へのラブレターという気持ちで筆がノることも多いけど、今回は、これから会う相手へのラブレター、好きになってみせるぞという、言うなればタイミング的にはちんぷんかんぷんな告白という今のラブレターだ。妙な緊張感があった。

 

ようやくだ。本人の声で聴ける!!その期待と高揚が、なんだかそのまま緊張になったりもする。大事な現場、いよいよな瞬間の前って何をしたらいいのかわからなくてずるずるしがちだ。

 

のちに親友になるとしても、まずは初めまして。不思議だ。

 

3月6日

稽古初日は素敵だった。本読みは何か答え合わせめいてもいたし、これから何をするべきかをザクッと頭に浮かべた。

 

昨日、到着直前に稽古場近くで迷子。雨も強まり途方に暮れ、屈辱的だし申し訳はないけれどスタッフに電話して助けを求めるしかないかと思ったところで、横断歩道の向こうに巨大な男性を発見。執筆中何度となく写真や動画を見倒したから、あぁ、わかる、俺にはわかるぞ、おそらくアレは...出演者の一人である郷本直也さんである。信号が変わるのを待ち、助けを求めた。

 

「場所、わかりますか」

 

なんてことだろう。最初の一言がこれだなんて。しかもずぶ濡れで半泣きだ。嘘みたいに優しい直也さんは王子様のようなエスコート力で導いてくださり、どうにか到着できたのだった。

 

8月7日

稽古はごりごりと前進してみてる。俳優たちとは結婚を前提にお見合いというか交際を深めている感覚で、「あ、あなたそんな人なの??」と、言うなれば一番楽しい時期なのかも知れない。もちろん、一番ドキドキする時期でもある。

 

まずは頭の中にあるものを吐き出して共有して、物語をみんなの遊び場にしたいという気持ち。キャストはもちろん、スタッフがすごすぎて好きすぎてどうしたものかと、嬉しさにのたうちまわる。

 

稽古を終え、その後の打ち合わせを終えた帰り道、道端で体育座りをしているスーツ姿の女性がいた。周りの人が誰も立ち止まらないので妙だなと思って声をかけたら「大丈夫、大丈夫。」というから、ああ良かったと思って顔を見たら血だらけだった。「ごめんなさい、ごめん、えー、どうしよ・・・ごめん〜」謝り続ける彼女。・・・その気持ち、とてもよくわかる。怪我をするのって気まずい。結局、救急車は呼ばないことにして、落ち着くまで一緒にいて家まで送って行ったのだけれど、何があったのかは分からずじまいだった。お姉さまは、「あなたは、いい子!なんていい子なの〜!」と歌舞伎俳優のように見栄を切って(本当に)家の中に入っていかれた。元気になったようで良かった。

 


雪降った。3月の雪。


悲しい出来事がそれなりに重なりますね。

まあ無理もない、そもそも、僕らそういう構造でつくられている生き物だし、そんな世界設定だから。なんて思うけど、でも、悲しいもんは悲しい。

 

だけれどどうか、あなたが幸せでありますようにと心から願います。そうすることが、自分の幸せだからです。

 

どうか今日もあなたが少しでもたくさん嬉しい気持ちになれますように。


てはじめに、まず、あったかい飲み物でも飲んでくださいね。

 

またやってしまった。前回の投稿をして「ここからは頻繁にブログを」と思い日々の文章を書き始めたのだが、投稿せぬままに溜まってしまった。ヴィンテージになればなるほど気安く手を出しにくくなるのはワインも文章もそうだ。でも、かと言って廃棄もなんだ、と、リアルタイムで公開すれば「フレッシュだね」とちやほやされるはずだった文章たちを、「今更!?」と迫害が待っていそうな場に投げる。かわいそう。



生まれてきたからには「友達100人できるかな」と言うモチベーションはなんだかんだあるのだと思う。


実際問題、何人いるんだろう?友達。


現代人アーーーチストとしては「僕には友達なんかいない」というニヒルな雰囲気を醸し出したいところだけれど、残念なことに夥しい数いる気がする。友達であることを示す免状や証明書がある話ではないけれど、一方的にであれ、「このひとは友達」とすぐに思ってしまうところが自分にはある。小さい頃からそうな気がする。友達だと思っている仕事の相手に馴れ馴れしくして「友達かよ」と言われてガーンとなったこともある。

 

。。。。


初めて出会うひとのプロフィールはインターネットで調べすぎないようにしてる。会話しながら知っていくのが幸せだから。今回は座組が大きくて、稽古も、有能な演出助手により無駄のない分散稽古が組まれてた。さらには、感染症予防もしっかりしていて、マスク着用稽古!飲み会禁止!であった。とても理にかなった素晴らしい現場だったけれど、共演者との交流をもっとしたかったと、座組が解散する直前のいま、思ってはいたりする。

 

これは昨今おぼんろであっても決して変わらぬ事実で、現場中、仲間たちとぐだぐだ語らう時間というのはほとんどない。学生時代のように、やたらとお酒を飲んだりする非効率極まりない演劇活動が懐かしく感じもするけれど、そんなことしてる場合じゃないのも事実だ。創りあげたいもののクオリティが上がってしまったが故に、暇さえあれば準備に費やしたくなってしまった。

 

。。。

2月1日

劇場入り。草月ホールの場所がうろ覚えで間違ってカナダ大使館に入って「楽屋口どこですか?」と聞いて警備の人たちに警戒された。

 

結構ちゃんと、警棒のようなものチラチラ見せつけられ怖いくらいに警戒されて、「あー、今回の共演者のみんな、そんなに人気なのか」などと思ってた。



劇場入りの翌日から本番という強行気味なスケジュールだが、場当たりが全て終わった。演出助手の青地洋とがとてもがんばってくれた。洋は、数年前にポップンマッシュルームチキン野郎という劇団にゲスト出演したときに会って以来の再会。嬉しい。どんな哀しみも、喉元過ぎさせて熱さを温もりと言い換えて大切にする僕らのたくましさに感謝する。ポップンでの思い出を、自分は一生大切にしていくと思ってる。


2月4日

千穐楽。伝えたいことは作品で伝えたように思うので無粋な追記は避けたいと思いつつ。参加してよかった。答えがわからないという答えがわかってしまった後の時代に生まれた僕らは、間違っているかもしれない戦いを恐れてる。考えないことの方が潔く美しいかとも思う。間違った戦いが人を傷つけるかもしれないことも知っているから。信じるものを信じたい。そして間違いたくない。そうビクビクしながらも、守るべきものを守るために命をかけていたい。そこに危険が潜む。物語という凶器を振り回す職業の自分たちにとって、目を背けてはいけない堂々巡りな問い。



出会いに感謝。ひとつの共演が永遠の縁になることもある。大切にしていきたい。



打ち合わせのときに、会社に呼ばれることが増えた。のだけど、こんなとき気になるのが、恥ずかしいんだけど「飲み物出るのかなあ」てことだ。極めて控えめな集中力しか所持していない自覚はあって、座って話し合うのがそれなりにちゃんと苦手で、落ち着かないからいろいろと飲んだりしてしまいがちだ。なので、コーヒーやお茶及び炭酸水を携えていたいのだけど、これらを用意してくださっていることがよくある。そんなときは買ってきたものをサッとカバンに隠す。でも、用意されてるだろうと思って買っていかないでいくと、用意されていないこともある。まさか「飲み物出ますか?」と先に聞くわけにもいかない。「ミーティング※飲み物付き!」と書いてあるといいなぁ、書いてたら変でおもしろいなあ、なんて思いながらミーティングに向かうなう。

 

。。。。

 

母に、「木綿豆腐を買ってこい」

と言われた。

木綿ね?

木綿よ。

おーけー、木綿。

 

5分後、絹を買ってしまった。

 

わからないだろうか。

耳で聞くと、木綿のほうが「ざらざらしてそう」とちゃんと思うのだ。

 

だけど、スーパーの棚には

「もめん」「絹ごし」

 

とおいてある。なんとなく、「もめん」のほうがツルツルしている気がしてしまうんだ。

 

。。。。

 

削除されるためだけに送られてくるダイレクトメールたちのかなしさによりそいたい。


。。。。

壊れかけた古い自転車を自転車屋に持って行き「捨てるのは悲しいからどうしても直して欲しい」と言って、叱られたことがある。もう限界を越えてるものを無理矢理長引かせる方が残酷で可哀想なことだ、と。そのときは自転車屋のおじさんにムカッ腹をたてて泣いたけど、でもなんかわかってもいる。


物や命、活動、人との関係、どんなに尊きものにも、与えられた時間があり、終わりがある。そこに生まれるのは、別れだ。すべてのものは変化していくし、そうあるべきだ。とすれば、いつまでも同じ世界にいれないのは当たり前のこと。しっかり悲しみながらも、不幸ではない感情で受け入れられるようでいたい。受け入れられないものを受け入れられるようになるために、物語を創っていくのだと思う。それは、鉛筆で曖昧にデッサンの線を描き倒して、どうにか正しい清書すべき正しい一本を探ろうとするのに似てる。


。。。


チクッた奴がボコされる世界なんて嫌だ。中学校じゃないんだから。人間誰しも後ろめたいこととか、自分だけの秘密にしておきたいことはたくさんあるし、あっても仕方ないとは思う。でも、「世間様に恥ずかしいことはするんじゃないよ」という昭和っぽい言葉はなるほど然りで、人の口に戸は立てられない。「神様」とか「極楽浄土」という制度はそういう意味でじょうずに機能していたのでしょうね。神様なんてとっくに死んじゃったこの国で、僕たちはどう生きてくか。自分なりの神様にすこしは緊張しながら生きていたい。汚いところがあっても人間だもの、なんて開き直りはどうかしないでいれたらいいな、と、ちゃんと汚いところがある身としてそう思う。


執筆とトレーニングと打ち合わせに明け暮れてる。


三國志のために改めて明治座の下見に行ったり、台本も、改稿、改稿。スタッフやプロデューサーとの打ち合わせも重ねる。二千年前の中国という、時代も地理も離れた場所に思いを馳せるのは不思議。三國志にまつわる研究ってまだまだ現在進行形で、いまだに新たな遺跡が見つかってしまったりしているそう。だけど、当時の人の心だけはやっぱり、永遠にわかんないのが不思議。なにか書物があったとしても、それが本人の嘘じゃない心なのかはわからない。だってきっと、本人だって自分の本心なんてわからない。そう思うと、いま僕やあなたの中にある気持ちや心っていうのは本当に、いまここにしかないんだな。数千年後のひとには想像もできない自分であると思いながら、数千年前のひとびとの心の中を勝手に想像する。

。。。。

おぼんろ第24回本公演も情報をいよいよ色々と解禁する。とてもやりたいと思える物語を考えることができていて、まだ劇団員にも話していないのだけど話すのが楽しみ。絶対にウケなさそうな、美しくともなんともない世界に僕らはどう目を凝らせるのだろうかと、怒られるかもと思いながら心を決めた。初めましての出演者にも会ってきた。よかった。公演のテーマカラーも決めてみた。


良き時間を過ごせますように。

なんであれ、あなたの幸せを願っています。

ほんとだよ。


突然ブログなんて書いたらなんだよ、と思われるかもと言う心配もあるのだけれど、実に、本当、何一つ大した意図はない。予定が色々と入り乱れていて、バラエティパックな日々を過ごしているのはいいんだけど、常に締め切りに追われていると、「空き時間」がなくなってしまう。脳内が常に、「暇があるならば台本書かなくちゃ」て状態だからだ。稽古中でもあるから「自主稽古したい」と言う欲望もある。「身体づくりしたいな」てのもある。

 

そう、こうなってくると、プライベートめいた時間が極限までなくなってくる。なんで、その代わりというか、話し相手を求めるような塩梅で、こうやって、あれこれと書いてみる。ツイッターの方が気軽だったのはもうとうの昔で、あまりに呟くだけの言葉は呟きにくい今日この頃。それに、散らかしの海から陸へと上がってきた末原拓馬ですからね、どうでもいいものを散らばらせる力はあるけれど、物事の大事な部分を厳選して引き算して140文字に収めていくと言う才能があんまりない。

 

さっそく脱線するけど、「お洒落は引き算」て、本当にそう思いながら、その教えをとことんまで無視をして生きてしまってる。厚着、重ね着!今日も実に6枚重ねてる。寒がりなのだ。まあ、「お洒落は足し算」と思っていると言うよりは「お洒落は我慢」を遂行できていないとも言える。

 

オシャレと言えば、年末の紀伊國屋と京都でやった公演『ピアフとコクトーへのオマージュ』と言うのがあったのだけれど、そこで、スタイリスト(イブサンローラン勤務!)とヘアメイクのスタッフに「お!古着っすね!」と服装を褒められた。違うのである。中学校の頃から着ている服をまだ着ていたのである。そう伝えたら「物持ちいい!!」と更に褒められた。断固、褒めてこようとするタフさだ。優しく明るいスタッフに随分と救われた現場だった。服については、実際、新しい服なんて全然買わない代わりに、全然古い服を捨てないので、僕のタンスの中は地層よろしく、多彩な時間軸でミルフィーユされてる。僕には断捨離欲がない。何もかもが時空を超えて入り混じっている感じが、いいのだ。

 

さあ、どうだ、例によって、ここまで書いて何一つ大切なことが書かれていない。暇だから書かれた暇文だ。気分転換文。

 

・・・・・・・・・・・

 

「ロッカールームに眠る僕らの知らない戦争」と言う、2月の頭に出る舞台の稽古に通っている。

 

本番をやるのは草月ホール。ちょっとだけ因縁があって、もう何年も前に『純情ロマンチカ』と言う舞台の演出をしていて、その本番をやる予定だったのがこの劇場だったのだ。「だったのだ」と言うのは、この時、我々はとことんまで稽古をしていて、それはそれは素晴らしいものを作り上げたぞ!とキャストやスタッフと「おっしゃぁぁぁぁぁ!!劇場でまた会おうぜ!!!」と別れた数時間後に電話がかかってきて、そう、公演中止が知らされたのだ。その時はポカーンと、それなりの絶望に抱き竦められ、我が子を拐われたような痛みを胸に差し込まれた。でも、今になれば、いい体験だった。その現場を経て、僕は僕がどう言う人間なのかを知ることができたと言う、「鏡」のような現場だった。未来に続く仲間も得た。

 

あー、また脱線してしまったが、そう、稽古なう、の日々だ。これ、タイトルが長い。ついこの前、稽古場で、「ロカボって略してるからいいけど、『コインロッカーに眠る僕らの知らない戦争』て名前は覚えにくいよ」と言ってしまいみんなから総攻撃を受けた。コインロッカーじゃない。ロッカールームだ。しかもロカボじゃなくてロカ僕、と略すのが主流らしい。

 

ロカボってのは、体にいい感じの食べ物の総称らしい、じゃあロカボはなんの略?ってことも話題になった。みんな知ってる?

 

・・・・・・

この公演の脚本演出家は、オフィスインベーダーのなるせゆうせい氏。歳は少し離れているので学内で絡んだことはなかったけれど、早稲田大学の先輩だ。僕は『ハンサム落語』『ディアボリック・ラヴァーズ』と言う作品に出演したことがあって、その後、なるせさんが総合演出を務める『イムリ』と言う作品の脚本・演出をやらせてもらった。それすら随分昔で、今回は久しぶりにご一緒する。

 

久しぶりに連絡が来たのは何年か前で、僕がカンボジア に井戸と学校を作る「ジュロコロ基金」を始めた時だった。理由も告げられずに会おうと言われ、なんだか嬉しいなあ、なんて思って会いにいった。そこで自分は初めて、なるせさんが世界をどうにかしようと、芝居以外にも様々な活動を何年ものあいだ続けていることを知る。普段はアニメや漫画原作もののスペシャリストといったなるせさんだが、彼の、原作ものではないオリジナル映画や舞台が、メッセージ性の強い良作だと言うことは風の噂で聞いたことがあった。そう、彼は、持ち前のおちゃらけ気質と、高い知能、胡散臭いけど童顔で愛嬌のある持ち前のルックスなんかを用いてポップエンターテイメント界の中枢に潜り込みながら、だからこそ届く方法と手段を持って、世界のための物語を創り出して送り出す、策士だったようなのだ。いや、これは、わからない、別に本人がそう言ったわけではない。なにせ、小学生男性のような無邪気さを持った男でありつつ、それなりにシャイな男だ。色々推測してみないとからっきしわからない。推測なので、結局わからないんだが。

 

で、昨年、いつだったかに連絡が来て、公演のオファーだった、と言う感じだ。公演出演の馴れ初め、以上!


出会ってから何年も経った人ってのは楽しい。感性や考え方が似てるわけではないのかもしれないけれど、お互い、長であり、脚本演出家であり、他の人とはなかなかできない会話ができたりする。良い。

 

ハンサム落語の稽古帰りになるせさんが渋谷で蕎麦をご馳走してくれたのを覚えてる。『イムリ』の打ち合わせの後は東中野の居酒屋で、後、なんだっけな、荻窪でお寿司のランチをご馳走になったことがある。あれはイムリの衣装の打ち合わせの時か。ジュロコロ基金の時は、ピザ。けっこうな回数じゃん・・・人と食事に滅多にいかない自分としては驚きだ。



そんななるせさんは、毎朝マヌカハニーを小匙いっぱい摂取しているらしい。なんか似合わなくて面白い。


おぼんろ大阪公演があった。稽古がハシゴで、フラフラだったけれど、4人で稽古をするのが楽しかった。

みんな忙しくて公演でもないとなかなか会えない我々である。臆さず、どんどん、小さくても良いから公演とかやりたいな、と思ったりした。

大阪でもたくさんの方が参加してくださり、嬉しかった。全国を回りたいな。

『語り部たちの夢隠し』。半分現実、本文物語というような不思議な空間でした。


 


電車で、隣に座った男の人がものすごい勢いで「しみチョコ」をむさぼり食べてる。主食にするのはあんま良くない気がする。


。。。

3月30日

駅の売店で「開店○周年!お楽しみ袋を販売します!」とお兄さんが大きな声で宣伝していた。棚には、いくつかのお菓子が入れられたビニール袋が並んでいた。とっても心配になった。売れなかったらどうしよう......。前日に一生懸命作業をしたみなさんの顔を想像した。今日の閉店後「幾つ売れた!?」とワクワクしながら結果を報告し合うみなさんの姿も想像した。


数時間後にまたそこを通りがかった。お楽しみ袋は一向に減っていなかった。補充してるのかな?とも思ったけど、とにかく、棚には満杯のお楽しみ袋が並んでいた。


買った。ポテチといちご味のしみチョコと、えんどう豆スナックと黒烏龍茶が入っていた。300円。


ふだんは買わないものたちだ。

楽しもう、楽しもう。


。。。。

最終稽古が終わりいよいよ劇場入りだ。散髪をした。


前回切ったときは、前の散髪から5ヶ月ぶりだったもので、「今後はこまめに来るよ!」と宣言して店を出た。人前に出ることを商いにしているのである、自身のメンテナンスは仕事のうちだった。


そして今回。4ヶ月ぶりだった。もう、ほんと、もう。


本番前に髪が伸び切っているとやはりすこし気になる。不精な感じはべつにいいけど、不潔な感じはアウトな気がすると言う自分なりの価値観もある。


で、「髪切ってきていい?」と演出家とヘアメイクさんに確認する。「え?切らなくていいんじゃない?いつもボサボサじゃん」と返ってくる。いや、しかし、芝居中に髪の毛で前が見えないのである。いくらなんでもそれは...と話し、「長さは変えなくていいので量をすいてきてもらって」と指示を受けた。


で、切ったんだが、それなりに切った気がする。長さは変えないで、と美容師に伝えたのだけど、結構、短くなった気もする。


元には戻せない。演出家になんと言われるか。怒られるんじゃないか。ドキドキしながら、劇場入りする。


。。。

今日もあなたが元気でありますように。

2月になった。うわぁ