もう、人生のすべてがビョードロのためにあるぜ、みたいな毎日が開始してる。芝居は呼吸みたいに当たり前のものだけれど、呼吸が簡単なものだとは思っていない。なにひとつ、公演の成功を楽観視できる要素なんて持ち合わせていないのに、俺らはどこまでも自信満々だ。たかだか2718人動員できない俺らが、将来コクーンに行けるわけもないし、歴史に残る作品を創るどころか、意味のある作品を創ることもできるわけがない。できない奴らなら、とっとと消えちまえばいい。芸術劇場で野田さんに会った。尊敬をしてるけど、会うと、チリチリした気持ちになる。あんまりチリチリしたからヤケになって繰り返したズタボロ一代記で、いまの俺ができた。チリチリしてていいんだと思う。エウリピデスもシェイクスピアもドストエフスキーも野田秀樹も人間だ。当たり前のことに気付かない奴が多い。俺は負ける気はない。
 
砂漠を運んで帰った。博物館の帰り。電車に砂漠を持ち込んだら、なんだかそれだけでアートだった。しかも酔っ払いが電車の床に眠ってて、インスタレーション電車を作ってしまった。俺の顔は涙が書いてあるし。

博物館は、やってよかった。本当に。
時期的には、4月10日現在、本来ならば台本が書きあがっているくらいの予定だったわけで、いくら芸術劇場とは言え、「今回の企画はお断りさせてもらおう」と言うのが、普通だった。だけど、逃げたくなかった。意味のない話が、俺の人生に舞い込んでくるわけがないもの。考えてみたらここ最近、仕事を断ったことは一度もない。そして、全部、次の何かにつながっている。神様は俺の腕利きマネージャーだ。そう信じることにしたわけ。だから、寄ってくる人は全員頼るし、助けを求められたら求める。騙してくるやつなんていない。いたとしたら、それは騙されることが必要だったわけ。

芸術劇場の企画は、とりえずパイプが手に入ればいい、だから、やることに意味がある、すぐにできる一人芝居か何かをやればいい、と言うつもりで、引き受けていた。でも、フォトシアターをやってるとき、忘れもしない夜の花園神社、境内で凍えながら、メグと倫ちゃんに頼んだ。

「勝負をしたい」

本当に、どうしたのかと自分でも驚くけど、ものすごく闘いたかった。みんな優しいから、俺らが何かをするって言うと応援してくれるし、参加押してくれる。嬉しい言葉もかけてくれる。だから、ある意味何をやってもよかったのも事実だった。でも、そんなリスクのないことはしたくなかった。どんなにちいさなイベントだろうと、自分で誇れないものになんか参加したくない。

本当のことを言えば、1月に三人分の一人芝居と、自分の一人芝居、さらには三人芝居一本をやって、2月にはワークショップもあるし、本公演の情報をもろもろ求められ、そしてフォトシアターの稽古と執筆がさしはさまり、もう、何が何だかわからないほどに忙しくって気が狂いそうだった。だけど、それだけに、4月は気が狂う価値があるほどのことをやらないのなら、もう嫌だ、と思ったのだった。

ゴべリンドンのフライヤーを読み返したら、自分で書いてた。
「この公演が終わった後に誰か死んだとしても、アリだと思える公演にする」
みたいなこと。

博物館準備は、くたばるかと思った。
展示も経験なんかないから厄介で、パニックになるし、なにより時間もないし、いんなの予定もなかなか合わないしで体は悲鳴を上げてたけれど、それでも嬉しかった。芸術劇場は大人の巣窟だ。綺麗な演劇の王国だ。乞食劇団おぼんろが、おんぼろ舟で乗り込むってんだから、気合も入るってもんだ。そしたら、気が付いたらフライヤー創ってて、アニメなんて作ってて、『ゆめみるふぃーゆ』の物語りに、更なるパイ生地の層を増やしていて(新しい場面を加筆した、と言う意味。ご来館いただけなかった方すみません)、稽古はガッツリだった。メンバーのチームワークを高めるうえでもすごく重要な時間だったと思う。

動員をみたら驚いた。全部で5回やったのだけれど、笑えるほどに右肩上がり。予約の時点ではスカスカだったものだから心配していたというのに、あの狭い展示室に、なんと合計250人くらいが遊びにきたようだ。

展示室で、気が付いたら『ズタボロ一代記』を披露していた自分もいた。

なんだか、最近様子が変である。

この変なまま、ビョードロに突入させてもらう。


絶対どうか、楽しみにしてほしい。

チケット発売日までと10日。