前日の中村勘三郎さんの死をどう受け止めていいやら、分からないままに三軒茶屋にあるシアタートラムに来ました。

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堤真一さんと千葉哲也さんの小川絵梨子さんの翻訳・演出による二人芝居「TOPDOG/UNDERDOG(トップドッグ/アンダードッグ)」を見るためです。
(ネタバレありますので、未見の方注意)

原作はスーザン=ロリ・パークスの戯曲。2002年にこの作品で、アフリカ系アメリカ人女性作家として初めてピューリッツァー賞(戯曲部門)に輝き、12年にはトニー賞ミュージカル作品リバイバル賞を受賞した「ボーギーとベス」の台本、映画脚本ではスパイク・リー監督の「ガール6」、ハル・ベリー出演の「彼らの目は神を見ていた」(TV映画)などがあるそうです。(パンフより)

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TOPDOGとは勝者、 UNDERDOGとは敗者。幼い頃両親に捨てられ、水道も止められ、トイレも缶で済ますような狭いボロアパートに住むアフリカ系アメリカ人の兄弟、ご存知大統領の名をもつ兄リンカーン(千葉哲也)とその暗殺者の名をもつ弟ブース(堤真一)。父親が冗談でつけたものだ。

30代後半の兄リンカーンは、遊園地で顔を白塗りし、暗殺者されるリンカーン大統領に扮し、後ろから客が撃つ。そんな暗殺ショーでわずかに稼いでいる。以前はトランプ賭博スリーカードモンテのディラーとして稼いでいたのに、相棒が殺され、足を洗い、今は弟のアパートに身を寄せてる。

5歳下の弟ブースは万引きの常習者。働く気などなく、スリーカードを口上とともに練習しながら、兄のようなトランプディラーを夢見、あとは恋人グレースとの復縁を考えている。

賢明に働こうとしてる兄だが、リストラされそうだ。弟は、今度は自分を相棒にスリーカードモンテをやればいいと、お気楽だ。兄は状況に苛立ちながらもカードに触れてしまう。そして弟は来ない恋人を部屋で待ち、兄は職をついに失い、何かが崩れていく…


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見終わって、この戯曲がとてもよく出来ていることが分かります。
トップドッグ/アンダードッグというのは、勝者/敗者、勝ち組/負け組のようなものだけでなく、五十歩/百歩、目糞/鼻糞の類までというか、そういうレベルでしか、優劣のつけられない兄弟の話だ。

二人には財産がある。ブースには、母親が家を出るときに託したストッキングでグルグルに包んだもの。リンカーンには、その後父親が家を出るときに渡したもの。どちらも自分だけに預けたという。兄はすでに使ってしまったが、弟はどんなことがあっても使わない。

勝者という言葉からは、程遠い底辺でもがいている兄弟。親から捨てられ、それからどれだけ、二人で肩寄せ合い生きてきたことか。でもそんななかでも、いやそれだからこそ、愛憎が入り乱れる。どちらが家族のことを知っていたか。どちらが親に愛されていたか。どちらが幸せか。

堤真一さんは口先ばかりで盗み以外は満足な事ができず、兄に甘えるばかりの弟ブース。身体ばかり大きくなって、親に捨てられた11歳から、全く成長しない男を無邪気に演じます。盗みをする知恵はあるようで、スリーカードモンテが詐欺である事も認識できてない。彼女に体よくあしらわれいるのも分かってない。でも自分は、要領よく生きており、一攫千金できる男で、兄の元女房だって満足させてやった。

そんな弟を支えてきた兄リンカーンの千葉哲也さん。忸怩たるものを抱えてる複雑な兄を演じてます。言葉を飲み込んで、弟をみる目がやるせない。かつてはトランプ賭博のディラーとして、負けた事がないという自負もある。しかしその世界に踏み止まることはできなかった。勝負からおり、女房に逃げられ、顔を白塗りにする屈辱にも耐え、生きながらえている。それは何も現実を分かってない弟には自分が必要だから。

冴えないけど優しい賢兄と馬鹿だけど憎めない愚弟。でも余りにも底辺の世界で、どちらが賢で、愚か曖昧になり、兄が庇護者であることをやめ、根拠なく明日を妄想した弟が現実をみるとき、二人の世界が崩れる。あっけなく、リンカーン大統領が暗殺されるように。


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翻訳もしている演出の小川絵梨子さんは、人種差別やアメリカの社会問題が作品のテーマなら、黒人の演出家と俳優さんで上演すればいい、「日本の文化で育った私たちがこの作品をやる場合、戯曲の核心となるものは兄弟の普遍的な葛藤と確執、加えて愛情だと私は考えていて、それが際立つ芝居づくりをすべきだと思う。それは、翻訳の段階から意識したことですし」とおっしゃっております。(パンフより)

特に原作でスラングが飛び交う弟のセリフなどは無理に訳さず、シンプルな言葉にしたそうですが、お陰で日本人が演じても違和感がなく、普遍的な兄と弟の世界に入り込むことが、出来ました。

外国の戯曲は、様々に伏線があっても、それがきちんと収斂されていく。優れたものほど、そういう構造がしっかりしています。その辺りが良くできていて、兄弟の愛憎から、社会問題的テーマもしっかりと浮き上がったように思います。自分の問題に引き寄せられるというか。まあ日本人には、人種というより格差としての差別や社会問題に思えますが。格差のなかに、人種も含まれれば何とか想像できるかな。

兄弟の不幸のなかには、両親の不在があり、そこには否応なく抜け出せない貧困がある。米国のような貧困は、日本では想像できるものではないといいますが、それは原作や演出の意図とは違うかもしれませが、ああ、この閉塞感は、外国の話だとは安心できないや、ということです。

とは言え、これは小さい劇場で、堤真一さんと千葉哲也さんの本当に兄弟のようなスリリングなやり取り、愛と確執を楽しむ?ものです。

ん、いい戯曲でした。翻訳が読みたいなあ。

やりきれない話ですが、勘三郎さんのこともあり、こんないい芝居が見られてるのが嬉しくて涙ぐんでしまいました。親に捨てられ、成長が止まったブースに比べ、親がいたのに成長しないピーターパンのような、中年チルドレンの私は幸なんでしょう。(増える中年高年チルドレン→http://seikatsusoken.jp/pdf/RN_20121129.pdf

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そういえば、昔シャネルズが、顔を黒く塗って歌っておりましたが、それをみた米国の方に、白人が黒く塗ると差別にあたるときき、今のノッチが黒塗りでオバマを真似てるとちょっとドキドキするのですが…。

それにアンクル・トムの小屋に感動していたところ、そういう白人に媚びる黒人は侮蔑の対象ときき、日本人は差別をするのも、されるのも鈍感なであるな~と思い、マイケル・ジャクソンをみるたびに、いまの差別問題とはどうなっているのか、思うだけは思っていたのですが、ドウナンデショ?

「おい、めたぼっち、芝居が見られるだけで幸せものだよ」と
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