高崎線全駅間歩き1(大宮-熊谷) その2・市街地に埋もれる中山道 | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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その1からの続き

-上尾(9:00発)-北上尾(9:26着・9:37発)-桶川(10:13着・10:25発)-北本(11:26着・11:40発)-

 

 


北上尾までの駅間も中山道を歩きます。
左の写真のような看板がなければ、ここが中山道であることも、宿場であることも分かりません。
周囲の風景も、中心市街地を抜けると都市近郊の県道とまったく変わらない気がします。

街道時代は、宿場や町を出てしまえば田畑が続いていたんだろうから、
そこで違いを見いだすのは難しいのかもしれないですけど。




北上尾駅に着きました。
この駅は、JRに変わって間もない昭和63年に開業した駅です。

 

 

 

ホームは2面2線です。
ベンチで休憩していると、駅の隣にある高校から部活動のかけ声がきこえてきました。




次の桶川駅までは、線路の西側を歩いてみたいと思います。
このあたりは駅前から住宅地が広がっています。




線路から500メートルほど離れた市道を北へ向かいます。
こちらは普通の市道ですが、沿道風景は中山道と大きな違いはありません。
確かに、こちらの方が若干道幅が広く、民家の敷地もややゆとりがありそうにも見えますが。




桶川市に入りました。
市民ホールや駅前公園を左手に、綺麗に整備された駅前通りを桶川駅に向かいます。

ここまでまだ15kmも歩いていないはずですが、なんだかちょっと疲れてきました。
風景にもう少しアクセントが欲しいと思うところですが、
今日歩く距離を考えると、あんまり派手に線路から外れて歩くこともできません。




桶川駅に着きました。
西口と東口でずいぶん雰囲気が違っていました。
写真は東口ですが、西口はペデストリアンデッキが駅と大型商業施設を結んでいました。




このパターンの看板も、ちょっと前までよく見かけましたよね。
いつの間に無くなってしまったのやら。

ちなみに気象庁の天気予報によると、明日は雨が降るらしいのですが…。




桶川駅も大宮駅より先に開業した駅のひとつです。

写真付き駅名標も、桶川駅開業130周年を期にリニューアルされました。
紅花畑に立ってるゆるキャラは桶川市のマスコット「オケちゃん」です。
桶川市は、かつて国内有数の紅花生産を誇っていたんだそうです。

今でも市の郊外には紅花畑が点在しているそうですが、
まだ花は咲いてないだろうし、距離的にも今日はちょっと無理か。




 東口に出てみると、雰囲気は一変しました。
一気に30年くらいタイムスリップしたような雰囲気でした。




まもなく中山道に合流しました。
このあたりが桶川宿の中心だったようです。

江戸を朝出発した旅人は、この桶川あたりで最初の宿を求めることが多かったそうです。
桶川宿は、紅花をはじめとした農産物集積地の役割も果たし、
江戸中期には人口1400人あまり、旅籠が36軒が建ち並ぶ宿場町だったそうです。

都市化された上尾宿とは異なり、宿場町の雰囲気を残す建物も何軒か残っていました。
それ以外の建物も、ちょっと年季を感じる建物が多かったような気がします。




市街地を抜けると、またこれまでの雰囲気に戻りました。

黙々と歩き続けて、北本市に入りました。
さらに進むと、大規模な道路工事が行われていました。
おそらく圏央道の工事現場のはずですが、肝心の道路が見えませんでした。
空中写真を見る限り、このあたりは掘割を掘って、その下に道路を通しているようです。
この区間は今年度中に開業する予定だそうですが、地上から見るとそんな感じがしない…。




さらに進むと「北本宿」の碑と、その解説が書かれた案内板が立っていました

実は、現在「鴻巣宿」と呼ばれる宿場は、旧中仙道時代までこのあたりにあったそうです。
ところが、江戸時代に中山道を整備した際、「鴻巣宿」は現在地に移転しました。
その後、当地は本宿(元宿)村と呼ばれ、明治期に北本宿村と改められたそうです。
村名に北がついた理由は、京王線の南大沢と同じ理由といわれています。
(明治期、同郡内に同名の村が存在したため)

北本は、宿場由来の地名といわれていますが、
「本宿」という村名に「北」がくっついて、その後「宿」が抜けて北本になったわけで、
「北本」という宿場が中山道に存在したことは一度もないようです。

とはいえ、この碑文では中山道に「北本」宿という宿場があったように読めてしまいますよね。
地域名(旧村名)としては間違えてないから、特に修正とかしてないんだと思いますが、
やっぱり紛らわしい。


昔を伝える建物はほとんど残っていませんが、
右写真のように、街道時代の名残を感じられる場所もありました。




北本駅に着きました。
戦前にはすでに開業していた駅ですが、
周辺の雰囲気は北上尾駅と似ているような気がしました。

 

 

 

ホームは2面3線です。

高崎線で古くから存在する駅の多くはこのスタイルです。

ここからは「あるもの」を見に行くために、中山道から大きく外れて歩くことにします。
住宅地とロードサイド店ばかりが続く風景から抜け出すことができるでしょうか。




西口を出て、駅前から続く広い道を西へ向かいます。
付近には市役所や文化センターもあるそうですが、今日は静まりかえっていました。




駅から離れるにつれて、周辺の風景も少しずつ変わってきました。
この先に待ち受ける景色は、一体何でしょうか。

その3へ続く



上尾駅から北本駅先までのGPSログです(1/80,000)。
街道筋も駅周辺以外は比較的単調な景色が続きます。
「街道を歩く」という縛りがないのであれば、
時間が許す限り線路から外れて歩くと、見る風景にアクセントが生まれるのかもしれません。