高崎線全駅間歩き1(大宮-熊谷) その1・鉄道の街と上尾の珍店舗 | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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今回の全駅間歩きは高崎線です。
3月の「いすみ鉄道」以来ずっと地方路線を歩いていたので、
今月、来月あたりは都市近郊を歩いてみようと思います。

高崎線は、大宮から高崎までを結ぶ路線です。
上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄と中山道に沿って進み、
熊谷では秩父鉄道と接続し、終点の高崎では信越本線と上越線を分けています。
高崎線のルーツは非常に古く、1883年に上野-熊谷間で開通した日本鉄道まで遡ります。
実は、高崎線は大宮以北の東北本線よりも先に開業しているのです。
今回は、最初期に開業した大宮-熊谷間を歩きます。

…もっとも、大宮駅は日本鉄道の開業当初、まだありませんでしたが。

高崎線は関東平野の中央部を走り抜けるため、高低差はほとんどありません。
飯田線の地獄のような(ちょっと大袈裟ですけど)アップダウンに堪えて、
アップダウンの無い路線を選んだわけじゃないですよ。

ええ、誓って。


[そのほかの高崎線・上越線全駅間歩きはこちらから]
高崎線その2(熊谷-本庄早稲田)
高崎線・上越線(本庄-新前橋-前橋)
上越線+吾妻線(新前橋-渋川-中之条)
上越線その3(渋川-土合)
上越線その4(土合-越後中里)

上越線その5(越後中里-長岡)

上越線番外編(越後湯沢-ガーラ湯沢)



5月23日(土)  天気:晴れ  歩行区間:大宮-熊谷
大宮(6:40発)-宮原(7:34着・7:50発)-上尾(8:46着)-

 



今日のスタート駅は大宮駅です。
大宮駅は、今年で開業130周年を迎えるそうです。
1月に埼京線全駅間歩きで来た時は賑わっていた駅前も、
この時間はまだひっそりとしています。

 

 

 

大宮駅はJRの地上部分だけでも11番線まであり、

そのほかに新幹線が3面6線、埼京線・川越線で2面4線、

それに加えて東武野田線とニューシャトルのホームがある大ターミナルです。




あの飯田線全駅間歩きから3週間弱。
足のまめのかさぶたはまだ破れていません。
まめ自体は2~3日足を休めれば痛まなくなるものなんですが、
いったん大きなまめを作ると、かさぶたが破れるまでに時間がかかります。

さらに爪の裏で内出血を起こして、親指の爪が真っ黒になってしまいました。
こっちも痛みは引いてたのですが、このブログを書き始める直前に、爪がとれました。
小指で何度かやってるのですが、その何倍もの大きさの爪がパカッと剥がれると少しびっくりします。

今回もアップダウンこそありませんが、結構な距離を歩くことになります。
足へのダメージがちょっと気になります。




準備体操を終えたら、全駅間歩きスタートです。 
まだ人通りが少ない大宮の市街地を北へ向かいます。

大宮は言わずと知れた「鉄道の街」。
ガードレールにも新幹線が走っています。




この道は、鉄道博物館へのプロムナードとして位置づけられています。
駅から5分ほど歩けば、右手に大宮車両センターが見えてきます。
プロムナードということもあって、沿道の敷地の一部を使って
鉄道車両の静態保存も行われています。

この日は大宮車両センターの一般公開イベントが行われる日だったようで、
こんな時間からファンが長い行列を作っていました。
やはり目当ては、鉄道部品なんでしょうか。

いやはやお疲れ様です。




ニューシャトルの鉄道博物館駅に着きました。
駅と鉄道博物館は直結していますが、鉄道博物館はまだ開いていませんでした。




道路の向かいに鉄道用の信号機が立っていました。
もちろん、こんなところに線路なんて通っているはずないのですが…。

よく見ると、信号機の隣の建物に鉄道グッズの販売店が入居してました。
電線が伸びているということは、営業中は点灯しているのでしょうか。


道路を突き当たりまで進むと、今度は右の建物が見えてきました。
建物には普通使わないカラーリング…というより、何かにそっくりですよね。

実は、ここには3年ほど前まで「大宮大成鉄道村」というスーパー銭湯がありました。
写真の建物は「お泊まり処 寝台特急北斗星」という宿泊施設だったそうで、
外観(塗装含む)も室内もブルートレイン風に象られていたそうです。
建物をよく見ると、テールランプとヘッドマークが外された跡が残っています。

この建物は今も別テナントのスーパー銭湯として使用されていますが、
残念ながら鉄道色は薄くなってしまったようです。

鉄道色が濃いうちに行っておきたかったなぁ。




川越線の線路を越えて、さらに北へ進みます。




宮原駅目指して、線路沿いをさらに進みます。
今日は土曜日ですが、駅に向かう学生が結構いました。
 
 


最初の途中駅、宮原駅に着きました。

 

 

 

ホームは2面4線です。
平日ほどではないはずですが、東京方面に向かうホームは混雑していました。




都心方面では希少な存在になりつつあるこのタイプの接近表示も、
高崎線では結構残っていました。

もちろん、すぐ近くには新型の電光掲示板も設置されているのですが。




宮原駅からは旧中山道を歩きます。
主要な街道だけあってか、沿道には地域の神社が鎮座しています。
右の加茂神社もそのひとつで、加茂宮という旧村名の由来となった神社なんだそうです。

宮原という地名は付近の旧村名「加茂宮」と「吉野原」の合成地名なんだそうです。
旧村名はどちらも近くを走るニューシャトルの駅名に使用されていますが、
新線の駅名に旧村名が使用されるのは珍しいケースのような気が。




小学校の脇には、こんな大木もありました。
「宮原小学校のセンダン」と呼ばれているそうで。




上尾市に入りました。
神社やら大木やら、旧街道筋をにおわせるアイテムはあるのですが、
ず~っと住宅地が続くので、本当にこの道が旧中山道なのかちょっと不安でした。
「中山道」と書かれた道しるべが現れて、ようやく安心しました。


そして、上尾の中心市街が近くなったあたりで、
あの看板を目にしました。



いやぁ、一気に目が覚めましたよ。


「バ・バア」に某子ども用品店を彷彿とさせるネーミングですよ。
字体も某子ども用品店のそれとそっくりです(実は微妙に違うらしいんですけど)。
これは写真に収めておかなきゃいけませんね。

実際に入った人の感想をネットで見てみると、
確かに店員の年齢は少し高めなんだそうですが、
「ババア」なんて言えない美人がそろっているんだとか。


 

上尾宿が近づくと、古い民家もちらほら見かけるようになりました。
といっても、沿道に建ち並ぶ建物のほとんどは近代的な建物です。
「ここが中山道だ」と思って歩いていないと、宿場街に入ったとは感じられません。

駅が近づくと、新しく背の高い建物が建ち並ぶようになって、
旧街道という雰囲気はますます無くなってしまいました。

右写真のあたりが、上尾宿の中心だったらしいのですが。




上尾駅に着きました。
実は、上尾駅は新幹線が止まる熊谷駅や高崎駅よりも乗降客が多いんだそうです。

 

 

 

ホームは2面3線です。

ここまでの歩行距離は9km弱。
まだ全行程の4分の1にも届きません。
一休みしたら、次の駅へ向かいたいと思います。

その2へ続く


 
大宮駅から上尾駅までのGPSログです(1/80,000)。
今回は宮原駅の先で旧中山道(県道164号線)に合流しましたが、
この道は、北浦和駅付近からずっと東北本線・高崎線の線路と併走しています。