アンチ現代医療 | 鬼川の日誌

 アンチ現代医療

  アンチ現代医療の様々


  ホメオパシーにしろ、マクロビオテックにしろこんなものが
 よく受け入れられるなと驚くのが常識ではあるが、しかし
 それだけ現代医療に種々の問題があり、根深い不信がある
 ことから、藁をもすがるという心境の人たちが沢山いることを
 示している。

  先日も効果や安全性がいまだ未確認にもかかわらず、
 数百万円もの費用を掛けた安易な「肝細胞治療」が行われ
 ていることに、学会が注意を喚起したという記事が新聞に
 載っていた。

  マウスの実験では注射した肝細胞が肺の血管に詰まって
 3分の1が死んだという結果が出ているなど、問題が多い。
 しかし「研究結果を待てない患者もいる」として、患者側の
 「少しでもよくなるなら」という淡い期待に付け込んで、医は
 算術を地で行くような医者、施設が10箇所もあったという。

  こうした例にも見られる、「先端科学」的医療に対する
 不信も当然あるのだろう。いまの世の中金儲けのためなら
 人の命などお構いなしという連中がどの世界でもごろごろ
 いる。それは自分で見極めるしかない。

  こうした世界に嫌気がさしている場合とか、もっと根っこに
 「現代物質文明」に対する漠然とした批判とかを持っていた
 としても、オカルトの世界からの批判に同調するようでは
 本末転倒である。

  ホメオパシーの場合、「体と心と霊(!)」の3本立てで
 人間を考えるとしているし、マクロビオテックも根っこは
 日本神道である。全くとんでもない。
 よく何者なのかを勉強して欲しいものだ。

   *

  先日このブログでマクロビオテックの問題点について幕内
 さんの『粗食生活のすすめ』という本からの引用を中心にして、
 紹介した。そこで彼は「マクロビオテックの普及団体の合宿に
 参加し」、異様な体験をしたことを記している。

  彼が見たのは肌がどす黒くなり、がりがりにやせ細り、生理
 もなくなっているような悲惨な若い女性たちである。
 しかしこれは外からの感覚で彼女らはそれで健康になったと
 思い込んでおり、マクロビの実践がまだ足りないと自分を責め
 ているらしいのである。

  いったいこれはどういうことなのだろう?
 たかが健康法、食事法の実践なのにほとんど死ぬ寸前まで
 行くというのは、どう見てもおかしい。
 しかし当人たちは最初のうち健康になったと実感しているから、
 異常を異常と認識できなくなっている。
 彼女らはもう信仰の領域に入ってしまっているようだ。  

    *

  関係している人たちに話を聞くと彼(女)らはその中で結構
 安住しているらしいのだ。
 「中に誠実にやろうとしている人たちは必ずいるので、そういう
 人たちと希望を持ってやっていけばそれでいいではないか」
 というのである。

  どういう団体でも同じなのだが、各々「拒食症や過食症」
 そしていろいろよく分からない難病に悩んだりしている人たちが
 同じ釜の飯を食い(食わず)、同じ目的(健康になる)に
 向かって励ましあいながら進むとき、そこには連帯感が生
 まれるし、仲間意識が育まれる。

  こういった仲間はとても大切なものになるのだろう。
 往々にして彼(女)らはこれまで信頼できる仲間がいなかった
 だろうから、余計に大切な居場所になる。安らぐ場所になる。
 これはかのオウムの信者の場合も同じである。

  その中には「まじめに希望を持って」マクロビを実践している
 人たちも当然いるのだろう。またマクロビの実践を競い合う心
 も芽生えるものだろう。これがやせ細りながらなおかつそれを
 続ける気持ちの支えになるようだ。

  確かに最初は健康状態がよくなったとしても、しかし励まし
 あって極端な食生活を続けた結果、ガリガリにやせ細り、女性
 としての体を失い、最悪の場合命を落とすこともあるような
 食事法が、「まじめに希望を持ってやっていけばそれでいい」
 といって済まされるのだろうか?

  もし誘い込んだ人がまじめに実践し、その結果ガリガリに
 やせ細り死んでしまったとしても、
マクロビの「悪い部分」を認識
 できなかったその人の責任であり、その人の不幸だったのだと
 
いっていられるのだろうか?

   *

  ごく一部の人だろうとは言えどうして健康を求める食事法で
 死ななければならないのか?また自分の子供を栄養失調に
 するような母親がなぜ生み出されるのだろう?
 (まさか「健康になるためなら死んでもいい」というたちの悪い
  パラドックスの世界?)

  そうした結果が生み出されるのはなぜなのか?
 やはり何かおかしな食事法でなければ命を落とすようなことは
 ありえないではないか?
 しかも今の世の中で栄養失調で死ぬなんて。
 命まで行かなくとも普通の女性としての身体を失うようなことに
 なぜなるのか?
 これは不審だとどうして考えられないのだろうか?
 
  現代医療でも医療ミスはあるし、死ぬ人もいるのだと問題を
 相対化するのが一つの逃げ道のようだ。
 しかし出発点は現代医療の矛盾点で、それを克服するという
 のがこうした食事法や健康法ではなかったのか?

  「似たようなものだ」ではお題目と違うではないのか?

   *

  どんな逃げ口上を使おうと、創始者桜沢の「人類は穀物食
 動物だ」という根本の考え方がおかしい以上、結局栄養不足の
 体になるのは必然なのだ。

  桜沢は人間の歯の構造などからそう結論しているのだそう
 だが人間には穀物をすりつぶす臼歯だけでなく犬歯も切歯
 もある。
 そもそも人類が穀物を造り始めたのはわずか1万年ちょっと前に
 農耕を始めてからのことに過ぎない。人類が二足歩行を始めて
 からでも、300~400万年という膨大な時間が経っている。

  桜沢はそれまでいったい人類は何を食べてきたというのだうか?
 彼らは「青汁だけで生きている人がいる」という伝説を真に受け
 たり、草食動物は草だけで生きているから、人間も生きられる
 はずだとか、驚くような非常識を披露して恥じない。
 人間と草食動物との体の構造の違い、頭脳の違いを無視して
 何も考えず動物並みに生きていたいのだろうか?

  人類はその土地で手に入るあらゆる物を食べて生き延びて
 きたのだ。 狩が主な手段の場所では獣肉を、そして木の実や
 根菜、野生の穀類もあればそれを、そして海辺では魚と貝と
 海草とあらゆるものを食ってきた。

  そして明らかに、火の使用と、石器の使用が始まり、狩猟 
 によって動物性タンパク質を効率的に取れるようになってから、
 人類の脳は急速に発達してきた。

  脳だけでなく体のあらゆる部分を形作っている主原料は
 タンパク質である。そしてより効率的に身体と脳の原料になる
 のは動物性のタンパク質である。
 例え肉の取りすぎは問題であったとしても、「動物性食品は
 すべて血を汚す」などという恐ろしい非常識を吹聴する
 マクロビの連中は、人間の心(脳)と身体を崩壊に導く伝道師
 というべきだろう。

  「貝塚」や古代の遺跡は人間が何を食ってきたかを明白に
 証明しているではないか。青森の三内丸山遺跡の縄文人は
 マクロビの連中の話を聞いたとしたらせせら笑うに違いない。
 人類は基本的に雑食である。

    *

  確かに健康法上からでなくても、欧米人のように肉を今のよう
 に食っていたのでは将来、来るであろう食糧危機に対応できなく
 なるかもしれないとかいう問題もあり、肉を食いすぎている
 弊害はいろんな点から指摘できるのは明らかだ。

  だからといって玄米菜食にすればいいなどというのは全く
 一面的なのだ。がりがりに痩せ、肌が黒ずみ、生理さえなくなる
 ような悲惨の状態がどうして健康なのだろう。
 この明らかな異常を異常と認識できなくなるのは、精神構造が
 歪んでしまっているとしか言いようがない。
 
  極端な食事のせいで、必要な栄養分が頭脳に行かなくなって
 いるので精神的にも平衡を欠き、落ち着きのない不安定になって
 いるのではないだろうか?動物性食品を全くとらない場合、脳に
 必要な栄養素が欠ける為「ウツ」に陥り易いとも言われている。

  (「タンパク質は神経栄養因子として働き、脳神経細胞間の
 ネットワークをつくる・・これが不足すると、いつまでも嫌な記憶が
 グルグルと回って抜け出せなくなり・・頭の切り替えが出来
 なくなる」という話もある。)

  単に栄養が足りないでは済まなくなるのだ。人格自体が崩壊し
 かねないのだから、恐ろしい。
 
  彼らが根はまじめに現代医療の矛盾を解決しようと思って
 いたのかもしれないが、志が正しいところから出発していた
 としても、現実におかしな結論になっている以上、その最初の
 志からそれが正当化されるわけではない。
 オウムの場合も、普通に生活している人たちよりも遥かに
 まじめに現代社会の矛盾を感じ、優秀な頭脳を持ち、悩んだ
 人たちが最悪の事件を起こしたのだ。 

  志が正当なら、まじめにやっているのならそれでいいとは
 行かないのだ。これは当たり前のことではないだろうか。