4月21日幸運をよぶ三毛猫虎吉画像
私が人生を諦めて、
自分一個の幸不幸などは
どうでもよいと悟って以来、
少なくとも人生は、
私にやさしくしてくれるようになった。
ヘルマン・ヘッセ
(19~20世紀ドイツの小説家・詩人、
ノーベル文学賞受賞者、1877~1962)
『ゲルトルート』
『人生を諦める』と聞くと、どこかこうアンニュイというか、暗い印象を受けるが、それは間違った解釈だ。その次の言葉がポイントで、『自分一個の幸不幸はどうでもいいと悟った』ということは、
ブッダが言うところの
『罪=執着』
という実態について真正面から目を向けたということ。
あるいは、
『諸法無我(しょほうむが)。それすなわち、全ての物は、自分の物ではないという悟りである。』(超訳)
という、ブッダが見た悟りの境地と同じ位置に来たということになる。だとしたら、アンニュイでも鬱でも何でもない。
本当に悟りを開いたのだ。
そういう人は、求めない。外部要因にこうであるべきだと要求をしないので、それは当然、見える世界が全て、自分の思い通りになるということなのである。
何しろ、『思い通りに行かず、絶え間なく流動変化している』ことが、この世の在るべき姿なのだ。それをそもそも、自分の思い通りにしようとしていた時点で、そこにはエゴ(わがまま)があった。つまり、
人生がやさしくしてくれるようになった
のではない。
人生が何であるかを悟った
のだ。
私が人生を諦めて、自分一個の幸不幸などはどうでもよいと悟って以来 ...
より
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「私が人生を諦めて」
とは、修羅場を経験して
煩悩がなくなる
つまり解脱する
というような気がします
私自身は、人生を諦めてはいませんが
人の心を諦めて期待することはなくなって
裏切られても当たり前で
人生が楽になりました
人の心を期待しないのは
ある意味幸せな人生だと思います
病気でどん底を味わったことと引き換えに
人を当てにしない生き方ができて
心の平安を得たのかもしれません
by三つ葉に囲まれて幸せなモデル猫の虎吉さん
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