#9 Dream | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

ジョン・レノンが9という数字に強い思い入れを抱き、これを自分の一生を支配するナンバーと捉えていたことは有名な話だ。例えば、誕生日が10月9日。幼少期に暮らしていた場所がリヴァプールのニューキャッスル・ロード9番地。ヨーコと出会ったのが11月9日。そして、愛息ショーンの誕生日も自分と同じ10月9日、等々。ジョンと9を結びつけるエピソードには事欠かない。なお、彼の命日12月8日は、リヴァプール時間(もしくは日本時間)だと12月9日になる。

9にこだわりを持つ者は、ジョンだけではない。特に日本人の場合、9という数字には、善かれ悪しかれ、特別な感情を抱く者が多いのではなかろうか。それは言うまでも無く、憲法9条という世界でも稀な「非戦条項」を持つことの誇らしさ、もしくは嫌悪感、もしくはその両方が入り混じったアンビバレンスな感情に由来するものだろう。

そして、昨99日(9のゾロ目!)、早朝5時前に、フォーク・ゲリラの歌姫、大木晴子さんの歌声がラジオ(NHK「ラジオ深夜便」)から軽やかに流れた。45年ぶりに歌う中川五郎さんの「うた」。素朴なギターの爪弾きに乗せて、優しく語りかけるように歌われたそれは、まさに、世界中のケガ人を「駆けて行って抱き上げ」ようとする者だけが持つしなやかな義侠心で充ち満ちているように思えた。

「誰だって人を殺すのはいやだし、殺されるのもいやなはず。その原点に立って、平和を育むことができれば。話せば分かり合えると私は信じているんです。バカみたいに」と柔らかな声で話す晴子さん。その言葉に深く共感し、何度も頷きながら、再び9という数字のことを考える。1989年暮れ、ベルリンの壁崩壊後のドイツでレナード・バーンスタインが指揮を執って演奏した曲は、ベートーヴェンの交響曲第9番であった。そこから遡ること20年、1969年7月19日、新宿西口広場は数千人の機動隊員に占拠され「通路」となった。さらに遡ること24年、1945年8月9日、米軍によるジェノサイドの決行――。9という数字には、平和と破滅の2つのイメージが共存しているようだ、と書くと数秘術めいてしまうだろうか。

※ 未推敲につき、後日加筆修正の予定。
(甚だ不十分な文章ですが、放送直後に浮かんだイメージから遠ざかる可能性があるため、加筆修正はやめました。)

◆晴子さんが出演したNHK「ラジオ深夜便」は、10月6日までパソコンで聴くことができます。
http://www.nhk.or.jp/shinyabin/doga/16.html