我が心のロング・バケイション | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

AFTER THE GOLD RUSH-A LONG VACATION 「A LONG VACATION」の30周年記念盤が、来年3月に発売になるという報せを聞いた時、何の驚きも感動もなく、むしろ、「またか」と呆れ、かつ、白けた気持ちが体の内側からムクムクと湧きあがってきたことを、まずは告白しておく。そして、ぼくは、このアルバムに関する、極めてネガティブなトーンの文章を書き始めたのだが、800字程書いたところで、どうにも書き進むことができなくなった。理由は簡単だ。それは、自分自身を否定するようなことだから。そんなことはできない、断じて。

 

1981年春、発売されたばかりのこのアルバムを、忘れもしない、仙台の新星堂で、YMOの「BGM」と一緒に買った。何の自慢にもならないが、恐らく当時の中学生の中では、最も早く大瀧詠一を認識していた少年ではなかったか。1月にFMで放送された大瀧版「さらばシベリア鉄道」は、それこそテープが擦り切れるほど聴いていたし、前年の80年秋、ダディ竹千代が“教えてくれた”「Blue Valentine's Day」は、今に至るも、我が心の名曲であり続けている。

 

ロング・バケイションがいかに斬新で、衝撃的であったかを、今の中学生や高校生に伝えるのは、とても難しいような気がする。もしかしたら、彼らの耳には、退屈で、古臭い、一昔前の歌謡曲のように聴こえるかもしれない。でも、これほど、カラフルで、洗練され、日本的湿感とは無縁の「都会の音楽」を、それまでぼくは聴いたことがなかった。そして、ロング・バケイション以前と以後では、日本の音楽シーンも大きく変わった。歌謡フォークの衰退、さらに、シティ・ポップスという新たな“歌謡曲”の台頭は、このアルバム以降、顕著になった傾向だ。

 

さて、大瀧氏には、彼を「師匠」と仰ぐ熱狂的ファン、いわゆる「ナイアガラー」が多数おり、彼らは、師匠譲りのマニアックで学究的な音楽観を持っている。その音楽知識の深さには感心するが、個人的にはあまり好きなタイプの人種ではない。時に、極端なマニア気質が鼻に付き、廃盤レコードと一緒にミシミシとスクラップしてやりたい気分になることさえある。――そう、分かってるさ。それが近親憎悪だってことはね。

 

だから、ぼくは、ロング・バケイションを一旦否定しようとして、その愚に気付き、そして「踏み絵」を前に身が竦んでしまった隠れキリシタンのように、何一つ書くことができなくなってしまったのだ。素直になろう。15歳の頃のように。そうすれば、ぼくは、21世紀の少年たちに自信を持ってこのアルバムを差し出すことができる。「POPSなら、すべてここにある」と言いながら。