渡部惣樹著『日米衝突の根源』(草思社)反米、嫌米層はもちろん、親米者にも必見の書 | 日本のお姉さん

渡部惣樹著『日米衝突の根源』(草思社)反米、嫌米層はもちろん、親米者にも必見の書

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成24(2012)年 4月4日(水曜日)
通巻第3611号    <前日発行>
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(読者の声1)改めて渡部惣樹著『日米衝突の根源』(草思社)を読み、これは反米、嫌米層はもちろん、親米者にも必見の書だと思います。
この本のP397に次のような記述があります。
「ボストン周辺の名家は、アジア貿易で稼ぎ出した利益を惜しみなく高等教育機関に拠出しています。ハーバード、エール、プリンストン。こうした有名な大学には支那貿易で得た巨富の一部が注ぎ込まれました。その利益のほとんどがアヘン密売から得られたものです」
最近、これらの大学への中国人留学生が急増しています。彼らはそこが中国民族の膏血を搾って築かれたインフラであることを知っているのでしょうか?
支那人にも必読の本です。

さてこの本のP452に次の記述があります。
「(セオドア)ルーズベルトは、アメリカ社会のリーダーたるべき最優秀人種WASP衰退の原因は、戦いの心、死を恐れない勇気を喪失したことにあると考えていました。戦いの場は、凶暴な自然がどこまでも広がり、“野蛮な”インディアンが跋扈する西部が提供していました。しかしその西部は1890年に喪失しています。もはやアメリカ人魂の発露を要求される舞台は国内から消えてしまったのです。だからこそ、アメリカン・エリートは劣等な移民たちのもたらした腐敗に染まってしまったのです。」
(引用止め)

セオドアは日露戦争の戦後処理を仲介したことで日本人には好意的に受け止められています。新渡戸稲造の《武士道》を高く評価したことでも知られています。
セオドアの先祖はオランダ系の新教徒の名門一族(ニューヨーク・ニッカーボッカー)です。
セオドアはハーバード大で、上流階級子弟だけがメンバーの排他的学生組織ポーセリアン・クラブに加入を認められました。
エール大学のスカル・アンド・ボーンズはブッシュ大統領がメンバーだったことで我々の人口にも膾炙していますがそれと類似の組織です。
セオドアは「コロンビア大学で、ジョン・バーゲス教授から法学を学んでいます。
ハワイ共和国大統領ドールに、アジア人排斥の仕掛けを盛り込んだ憲法の立案をアドバイスした気鋭の学者です」(P400)。

「移民の急増によって必然的に引き起こされた異文化との接触は、アメリカの若いエリートの心に、“アメリカ人とは何か”の問いを否応なしに突きつけることになりました。ルーズベルトが母国の歴史に強い関心を持ち、北方ゲルマン民族が築いてきた先祖の生き方を学べば学ぶほど、優秀であるはずのゲルマン民族が劣性民族であるはずのケルト人(アイルランド人)やアフリカ人種(黒人)に圧倒される現実に悩まされることになりました。この悩みは(ハーバード)大学全体を覆っていました」(P398~9)

百年以上前の異国の若きエリート層、指導者予備軍のこんな意識は驚くばかりで想像外なものです。
何て偏狭な考えだと思いますが、セオドアはじつに真剣なのです。彼らの思想空間は特異なものだったということはよく踏まえておくべきです。
セオドアはマハンの著作《海上権力史論》(1890年)に「まさに我が意を得たりの思いでした。」(P416)

「ルーズベルトがここ(ハワイの戦略的重要性)で警戒している外国とは日本のことでした」(P415)

アメリカがハワイを併合したのは1898年でした。セオドアはその時海軍次官の要職にあってハワイ併合を対日警戒の立場から実行したのでした。当時日本海軍の増強は急速でした。「臥薪嘗胆」の標語を掲げての対露戦略の真っ最中だったのです。
しかしアメリカは単純にそうは受け止めていなかったのです。自国への脅威を感じていたのです。アメリカは日本人の思想空間を理解していません。ここに日本の対米外交(政府・外務省だけでなく海軍も含め)の不在と蹉跌を思いますし、国家存亡すれすれの大破滅をきたす萌芽が見えます。

それにしてもアメリカ指導層の意識 ーゲルマン民族はもっとも優秀であり、他人種・他民族と常に戦っていなければ魂は失われるー はきわめて特異です。いったいどんな「魂」なんでしょう。
思うに「アメリカ人」といってみたところの正体が自分たちで掴みきれなかったのでしょう。掴もうにもそういうものが無かったのでそれを見つけようと必死だったのでしょう。
冒頭引用文の終わりにある“劣等な移民たち”とは中国人や日本人の黄色人種、そしてケルト人(アイルランド人=カソリック教徒)、黒人のことです。
こうした他人種、他民族への排他性と攻撃性、それにともなう領土=勢力拡張欲はゲルマン民族の宿痾なのだとつくづく思います。
日本人はそんなものを持ち合わせていません。古来その必要も必然性も無く、遺伝子内にそんな宿痾は刻まれなかったからです。

しかし19世紀後半以降彼らがアジアまで勢力を伸ばし日本に接触して来たことで、絶えず我が領土、我が人的資源、我が金融財産資産を奪われ続けることになったのです。これが我が日本の宿痾です。
人間個人で見れば他者を攻撃せず、清く正しく生きているのですから美徳と申せますが、凶暴な生存競争を掻い潜らなければならない国際社会では膏肓に入る病です。
(有楽生)


(宮崎正弘のコメント)渡部さんはカナダ在住ですが、つい一月初旬まで日本にいました。高山正之さんと一緒に食事したり、西尾幹二先生主催の「路の会」でも講演して貰いました。が、渡部さんは条件付きTPP賛成でした。
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(読者の声4)前号への感想です。戦前、何故米国が親米的な日本を攻撃したのか、という米国の戦争動機の解明は日本人にとって非常に重要です。しかしこれほど大きな事実なのに戦後60年、殆ど論じられてきませんでした。
わたしは、米国の戦争動機は、あくまでも極東政策としての支那満洲狙いであったと考えています。指導者の個人的な好き嫌いのレベルではないと思います。
米国のアジア政策の起源は1899年のジョン・ヘイ国務長官の「支那満洲門戸開放機会均等」宣言に見られます。米国はハワイを併合しフィリピンを植民地化し次の標的は支那満洲でした。
だから日露戦争の講和会議でも南満州鉄道の権益を日本に斡旋しました。そして直後鉄道王ハリマンがこれを買収しようとしたところ日本政府が拒否しました。すると米国の対日政策は一転反日にかわり、これは1949年(1945年ではない)の支那の完全共産化まで続きました。
米国の満洲への執着は1931年の満洲国不承認宣言に明らかです。
また1945年のヤルタ会議でも、ルーズベルトはスターリンに莫大な代償を与える代わりに満洲の代理占領と蒋介石への移管を求めました。ルーズベルトは蒋介石を米国の傀儡と見ていたのです。スターリンは代償を得ると二つ返事で承諾し、実際にはその後違約して満洲を毛沢東にわたしてしまいます。
なおこの時の代償が、帝政ロシアの支那利権、日本の固有の領土、90万トンに上る兵器、武器、弾薬などでした。いずれも米国の腹の痛まない他国の領土や権益でした。このためルーズベルトはヤルタ会議の帰途、侍医に「安い買い物をした」と言ったのです。
しかし1949年、国共内戦で蒋介石が敗北すると、米国は支那全土の拠点から追い出されました。マッカーサーは「支那の共産化と喪失は、米国太平洋政策百年の最大の失敗であった」と総括しています。米国の対日戦争の目的は日本の占領ではなく、あくまでも支那満洲支配の邪魔者を排除することでした。
支那満洲が失われると日本占領はもはや意味がなくなり、却って米国の負担になったので、1950年ダレスが来日して吉田首相に再軍備を要請しました。また再軍備しやすいようにサンフランシスコ条約で日本を独立させました。
マッカーサーの更迭と彼の米国議会における日本自衛戦争論も早く日本に自衛させ、米国が手を引くと言う米国の対日政策の延長戦上にあったのです。
米国の再軍備要請を、丁度朝鮮戦争が起こった時期なので、朝鮮戦争のためと考える人がいますが、朝鮮戦争が起こらなくても米国は自衛させたでしょう。
なお吉田さんが独立は歓迎しましたが再軍備には反対したのは、新日本軍10万人が朝鮮戦争に国連軍名目で突っ込まれることを防ぐためと言われています。
吉田首相は占領憲法や経済復興などの詭弁を弄してダレスに抵抗しました。
おかげで日本は血を流すことなく朝鮮戦争の戦争特需だけを享受できました。外交がより少ない犠牲で大きな成果を上げることとしたら、吉田さんのこの時期の戦後外交は天才的であったと言ってよいでしょう。
 (東海子)