暴行を受けた女子は、心も体も半分殺されているようなもの。
上原美優さんは、すでに、2度も自殺未遂事件をおこしている。
高校生の時に、2人組に暴行を受けた被害者なのに
次の日学校側に退学にされている。
他人の自由を奪うことが一番悪いことなんだ。
もちろん、命を奪うことが一番悪いことだけど、命を奪うとは、これからも生きるという自由を奪ったということだ。
レイプするとは、他人が自分の意思で好きな異性を選んで愛の生殖行為をする自由を奪ったということだ。他人の人間としての尊厳を暴力で奪い、
他人の体と心を傷付け、将来、幸せな恋愛と結婚を経験するジャマをしたことでもあるし、レイプされた女性は、自殺する割合やうつ病になる率が高いので
心も体も半分以上殺したようなもの。殺人に匹敵する罪です。
上原美優さんは、自殺願望体質になってしまっていた。
芸能界に入って、親に別荘を買ってあげたいと言って、一生懸命嫌な番組にも出て
仕事をやっても、給料は15万円。
母親も死んでしまって、親孝行の機会を逃した。
それでも給料は15万円。
むなしくなって、独立するか、給料を値上げしてもらう方法を相談しようと眞鍋かをりに連絡をとろうとするが、会ってもらえず。
好きだった元暴走族リーダーは、有名人を殴って目立ってしまったので
イメージが傷つくからという理由で別れさせられた。
しょこたんと同じ番組に出ても、「同じ雑草捜索プロジェクトチームとして、、。」とコメントしたら「いやいや、チームじゃないから。」としょこたんに言われるし、
いろんな辛い事が重なって、なにもかも嫌になって、自殺願望がぶり返してきたのだろう。
高校生の時に、暴行されたことが心と体の傷になって、長生きできない人になったのではないか。
~~~~~~~
上原美優さん衝撃自殺の裏に見え隠れする「関東連合と島田紳助」の影
- 日刊サイゾー(PC)
http://www.cyzo.com/2011/06/post_7488.html
5月12日に都内の自宅マンションで首つり自殺をした"貧乏アイドル"の上原美優。自殺の原因をめぐっては諸説入り乱れたが、いまだに真相は分かっていない。ただ関係者、知人の多くが明かすように、情緒不安定だったことだけは確かなようだ。
それでも腑に落ちない部分は枚挙にいとまがなく、テレビ関係者の間では「二人の男」の存在がささやかれている。一人はすでに一部で報じられている通り、あの市川海老蔵暴行事件の当事者だった元関東連合リーダーの石元太一容疑者だ。石元容疑者は、東京・新宿の歌舞伎町で知人男性に暴行してケガをさせたとして、今月20日までに、警視庁に逮捕された。
「上原の自殺から約1週間後でしょう。何か彼女の死と関係があるのかと思いましたよ」とは警視庁詰めの一般紙社会部記者。自殺と逮捕の関係は明らかではないが、確かに調べると二人の関係については、報道されているものと真相はかなり違った。
上原と石元は昨年破局したと一部で伝えられたが、これは海老蔵事件直後に、石元が上原サイドに気を使ったためだった。あのとき石元は「彼女に迷惑掛かるとヤバイから、別れたことにして構いません」と上原の事務所に話していたのだ。
だが、実際に別れたのは「今年2月ごろ、いや連絡を取っていたという点だけを見れば、上原が自殺する1~2週間前までは何らかの形でつながっていたはず」と事情通は語る。しかも、石元逮捕時に発覚したのは「石元がモデルの藤井リナと交際していたこと」(同事情通)だった。さらに「石元とリナが付き合い始めたのは最近のこと。上原さんはこの事実を知って、かなりショックだったんじゃないかな。だって男っぽい性格の石元は、上原さんの好みでしたからね」と芸能関係者は振り返る。
上原は相当、石元に入れ込んでいたようだが、このことが不幸にも芸能界で上原が敬遠される理由となった。ある芸能プロ幹部の証言。
「みんな、『上原の周りは危ない人が多いからあまり親しくならない方がいいよ』と言って避けていました。だから彼女は、芸能界で女優やタレントの友達がなかなかできなかったんじゃないかな。その彼女の心のすき間に食い込んできたのが、あの大物芸人である島田紳助だったんです」
紳助はかなり上原のことを気に入っていたらしく、番組にも積極的に登用していた。上原にとっても悪い話ではなかった。
「周囲が警戒して近づいてこないのに、紳助は接近してくる。二人が親しい仲に発展していったことは、テレビ界では有名でした」(テレビ関係者)
はたして、上原の自殺に紳助の胸中は......。
それにしても上原にとっては過酷な状況だっただろう。なにせ海老蔵暴行事件のダーティーなイメージが付いてしまうため、石元とは涙を飲んで別れることになり、業界内では紳助との関係を怪しまれる。そうした背景が警戒されるあまり、業界内で孤立していく......。上原の死の真相は、そんなところにも関係があるのかもしれない。
(文=大手スポーツ紙記者X)
~~~~~~~~~~~~~
概要 [編集]
「貧乏アイドル」として貧しい家庭でのエピソードを明るく話し、プラチナムプロダクションの看板タレントの一角までに成長するも、芸能界デビューまでの道のりは波乱万丈の人生であり、その後も死亡が確認されるまで波乱万丈の人生を送っていた。
誕生から高校進学まで [編集]
1987年5月2日、10人兄妹(4男6女)の末っ子として誕生。本名の睦美(むつみ)は六女に因んで付けられた。この時父親は55歳、母親は43歳だった。
大家族であるため家計は苦しかった。「下着が足りずノーパンで通学した」「種子島宇宙センターでのロケット打ち上げ時には振動で家が揺れるため、家族全員で家具を支えた」などのエピソードがある[2]。
独断で鹿児島県鹿児島市の私立高校に進学を決め、鹿児島に在住の姉の家に身を寄せ、自ら学費を稼ぎながら通学していた[2]。入学時に制服を購入する金が無く、卒業した中学校の品を着用していた。そのせいかクラスから浮いてしまい、学費目的のアルバイトも「夜働いている」「遊びまくっている」など事実無根の噂が立つようになる。そんな上原に目をつけた、高校の女子生徒達の仲間である2人組の男に下校中に襲われる被害に逢う。この事を「二度と思い出したくない最悪の出来事」と語っている[2]。翌日に高校を退学処分となる。
高校中退から芸能界デビューまで [編集]
見かねた姉の勧めによりレディースから抜けようとするも、他のメンバーから袋叩きに遭うなど叶わなかった。やがて姉によるメンバーへの必死の説得により脱退を許され、直後に上京する。芸能事務所の面接を受けた際、前述のリンチで傷だらけの顔を見た面接官は驚いたが、結果は合格であった。[要出典]
デビュー以降 [編集]
2006年、桜井ひな、藤崎まやと共にフォーミュラ・ニッポン「ディレクシブレーシングガールズ」としてレースクイーンデビューをするが、チームの突然の撤退により第5戦までで活動終了する。
2007年、「sabraブロガール選手権」出場。その後ブランクを経て「種子島出身の貧乏アイドル」として人気に火が付く。
2007年のクリスマス(当時20歳)、恋人に振られた寂しさから睡眠薬自殺を図ったが一命を取り止めた[2]。
2008年夏頃からテレビのバラエティ番組にも多数出演するようになった。
2009年5月には自叙伝である『10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、イケナイ少女だったんでしょうか?』が出版される。「泣きながら書いた[2]」という父や母にも黙っていた体験を綴っている。
しかし、その母親が2010年3月29日、心筋梗塞で他界。本人は仕事で最期を看取れなかったものの、家族全員で揃って葬儀を終えたが、彼女のショックは大きく以後精神的に不安定な様子が見られたという[3]。
自殺 [編集]
2011年5月11日23時頃、東京都目黒区のマンション自室で交際中の一般男性と過ごしていたが、「2時間程1人にして欲しい」と彼を外出させたという。その後、外出先の男性の携帯に死をほのめかすメールがあり、折り返し電話をかけても彼女が出なかったため男性が上原宅に向かったところ、自室のドアにスカーフとベルトで首を吊っており、5月12日午前3時37分に病院で死亡が確認された。24歳没。葬儀は本人の地元の種子島で5月15日に行われた。 遺書はなく所持品の手帳に「お母さんが死んで辛い。このままのスタイル
で仕事して先行きどうなるか」というメモが残されていたという[4][5]。父親は種子島の実家で取材に応じ、死の前日午前中に彼女が「もう種子島に帰りたい、お母さんのところに行きたい」と電話をかけてきたため、慰めつつ故郷に帰ってくる様促したところ同日夜間には元気を取り戻したかのような電話を再びかけてきていたことを明かした[6]。上原の遺体は遺族により、フェリーで故郷種子島に搬送された[7]。通夜は14日の午後6時30分から行われ、葬儀は親族・近親者のみの密葬で行われ、芸能関係者の参列・供花は辞退した[8]。
a.. 上の兄弟が既にそれぞれ家庭を持ち子供がいるため人数が多すぎて実家に一度に集まることが不可能なため10人全員が顔を合わせることがなかった、というエピソードも度々語っているが、2010年3月に母が急死した際に初めて全員が集合し記念撮影をしたという[9]。上原本人の急死時には兄弟や従兄弟のうち8人が上京して彼女の遺体を引き取った[10]。
b.. 目標とするグラビアアイドルは事務所の先輩。7番目の姉(兄妹の上から7番目)はミス種子島に選ばれた[要出典]。
c.. 好きになる男性のタイプは「顔」が全てで、今まで一目ぼれして2人と付き合ったが、その後は「人間、顔ではない」と気づき、子供がたくさん欲しい(自分が10人兄妹なのでそれより多い11人授かりたいと語っていた[2])。また、2010年12月の雑誌には「大家族を支えてくれるような、いいパパになりそうな人」「ちゃんと尊敬できて、大黒柱になってくれる人」とされている[11]。
d.. 2010年2月28日には東京マラソン2010に参加。しかし悪天候と故障している足による影響で意識を失い、スタートから25km地点でリタイヤした。上原はレース前に、「“ゴールさえすればいい”とちゃらいことを言っていた西尾には負けたくない」と西尾由佳理(日本テレビアナウンサー)を挑発する発言をするが西尾は完走し、美優はリタイアという結果となった[12]。
e.. 眞鍋かをりと仲が良く、美優のブログに眞鍋と飲んでいる様子が掲載されていた。また、上原は「眞鍋姐さんは時には美優のために涙を流してくれる」、眞鍋は「平和ボケの私には美優の気持ちは分かってあげられないが、こういう人が幸せになってほしい」などと互いのブログで発言している[要出典]。2011年5月12日の『情報プレゼンター とくダネ!』で上原の自殺の第一報が報
じられた際、直前に訃報を伝えられたという眞鍋は番組開始前から落涙しており、番組中でもかねてより上原から悩み相談をうけていたことなどを涙ながらに語った。また、死亡する1ヶ月ほど前に上原から「会いたい」というメールが来たがスケジュールが合わず会えなかったことを話した。放送中眞鍋は涙をこらえられず、小さな声で「ゴメンね」と囁いた。[要出典]
f.. その他、楽しんご、加護亜依、青島あきな、里田まい、中川翔子、優木まおみ、ほしのあきら等の親交のあったタレント達も自身のブログで追悼コメントを出し無念の想いを綴った[13][出典無効]。小森純はインタビューやブログで「あの笑顔が忘れられない」「もっと話を聞いてあげれば良かった」などと語った[14]漫画家の浜田ブリトニーは「初めて仲良くしてくれた芸能人だった」「美優ちゃん、大好きだよ」とコメントを出した[15]。
g.. 放送日が死去以後になった出演番組は、他の回への差し替えや出演部分の大幅なカットなどが行われたものもあった。
a.. 日本テレビは『金曜スーパープライム』「世界☆ドリームワーク ? カラダを使って稼ぐぞSP ?」を死去の翌日の2011年5月13日に放送した際、上原の出演シーンをカッ
トしたが、カットできなかった部分では顔にボカシを入れたため、ネット上で「まるで犯罪者扱いだ」との非難の声が上がっている[16][17]。これについて日本テレビは「まだ亡くなって日が浅かったため、ご遺族や関係者のお気持ちを考え、割愛させてもらいました。」と述べている[18]。しかし、5月27日放送の「ギネス世界記録の美女100人」では、ボカシをかけずに放送、番組冒頭に5月5日に収録したものであることと、冥福を祈る旨のテロップを出した[19]。
b.. 一方、「お断り」は出たものの、そのまま放送された番組もあった。
a.. TBSが2011年4月26日に収録した『飛び出せ!科学くん』は大幅なカットも差し替えもなく、同系列全国ネットにて5月14日に予定通り放送された。同放送終了後には、上原の出演部分に関するコメントの静止画を、約5秒間表示した。同様のコメントは、番組サイトにも掲載されている[20]。
b.. 朝日放送が2011年5月4日に収録した『ビーバップ!ハイヒール』でも、2011年5月26日放送分については差し替えもなくそのまま放送された。
c.. 中京テレビで準レギュラーを務めていた『幸せの黄色い仔犬』では2011年6月4日の放送終了後に、上原の静止画を、約5秒間表示した。