日韓併合
「谷沢永一氏(文学博士)」
「日韓併合は、世界中の国々に賛成されたうえでのことだった。それに至るまでにはロシアのコリア占領を阻止するための日清、日露戦争での日本の勝利というプロセスがある。
日露戦争の勝利でコリアにおけるロシアの影響力を排除した日本はコリアを保護国にする。保護というのは、支配したのではないし併合でも占領でもない。清国や欧米列挙もこれに進んで同意した。
日本も保護は一時的な措置であって、やがてコリアに主権の回復をさせるつもりであった。とくにコリア総統府の初代統監である明治政府の元勲・伊藤博文はその意向が強かった。
ところがこの伊藤博文をテロリストの安重根が暗殺したことで多くの日本人が怒った。コリアの人々も日本の怒りに怯え、コリアの最大政党・一進会がみずから日韓併合を持ち出した
。それでも日本は国際世論を尊重してアメリカ、イギリスに同意を求めた。アメリカは”コリア半島は日本のものである(セオドオ・ルーズベルト)”と賛成、イギリスも外務大臣が歓迎声明で応えてくれた。日本はさらにフランス、ドイツ、イタリア、ロシア、清国などにも了承を得てからやっと日韓併合に踏み切った。
国際的にも日韓併合は正当性があったということです。
併合後に日本は”日本語”を強要したとか、”創氏改名”で日本人名を名乗ることを強制してなどといった論もあるが、それらはいわれなき捏造である。
日本語を押し付けた
どころか、教育レベルを引き上げるために義務教育を導入し、ほとんど使われていなかったハングルを日本の総統府が普及させて識字率を一気に高めた。
創始改名
にしても
日本国籍を取得して、日本名を名乗ることの利点にコリアの人たちが気付いた。自由に日本へ行って仕事ができるし、移住もできるからである。
日本による韓国併合を俯瞰的に見ると、これによって実際の利を得たのがコリア、つまり、韓国の側である。経済的には日本側の完全な持ち出し、つまり赤字で、これは当時の日本の植民地に共通して言えることだった。
欧米列強が植民地を収奪と搾取の場にしていたのとは違って、その逆のことをしていたのが実態である。
世界史始まって以来、強国は小国を植民地に必ずするもの。そんなことがありえなかった国はない。だからそれは世界史・人類史の流れだと言える。コリアにしても過去千回にも達する侵略を受けた。そもうち三回は日本からである。そのほかは全部、北から、つまりシナからである。
そのなかで日本がどれだけ相対的に紳士的な対応をとってきたかを見るべきである。植民地を持った国が悪いと言うのであれば、歴史に残っているヨーロッパ諸国、アメリカ、シナ全部の国を抹殺しなければならない。
だからといって占領国の人に横柄な態度をとることを好まない。が”卑屈になるなど”は言語同断、もっての外と言いたいのだ。
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「渡部 昇一氏(上智大学教授)」
シナの皇帝から王の位をもらっていたころは朝鮮は奪われるだけだったけれど、日本に位をもらってからは、日本の膨大なインフラが投入されるようになった。アメリカの対ハワイ(※1)、イギリスのミャンマー(※2)とは本質的に違う。謝罪どころか感謝されてもいい政策がたくさんある。
(※1)日本が日清戦争で以外に強かったのを知ったアメリカは、日本人移民が既に入っていたハワイを先に取ってしまえと、日清戦争の三年後いきなり軍事介入を行い、ハワイ王朝の女王を退位させて王朝を潰してしまった。フィリピンでも同じことをやっています。
(※2)イギリスは1886年(明治19年)ビルマを征服した。そのときにビルマの国王と王紀はセイロンに連れて行かれて、その後どうなったかわからない。一説によると王子たちは皆殺しにして、王女たちは兵隊にみんなくれてやったという。同じころマダカスカルでフランスも同様のことをやっている。こういうのを”言い逃れが一切できない侵略行為”という。
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「渡部 昇一氏(上智大学教授)」
当時のコリアの人々は日本人と一体となって戦い、特攻隊の兵士になった人々も大勢いた。日本人もコリアの人々もこうしたことを忘れてしまっては困る。
昭和20年8月、日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏すると、当時の朝鮮総督・阿部信行大将と、朝鮮の司令官上月良夫中将の二人は、日本は降伏するのだから朝鮮総統府から日章旗を降ろさなければならない、代わりに太極旗をたてさせようじゃないかと相談した。それで韓国人の有志を呼んで、自治権を与え、”君達の旗を揚げるように”と挙げさせた。
しばらくしてアメリカ軍がソウルに進駐してきたが、”コリアは戦争中に日本と一緒に闘っていたではないか。旗を降ろせ”となり、再び日章旗がソウルの空にひらめいた。約1ヶ月後にアメリカの軍政が布かれ、今度は星条旗が翻ることになる。
韓国は日本から独立したのではない。アメリカの軍政から三年後に独立しているから韓国人が「日本の植民地支配から独立した」というのは事実ではない。
昭和25年の3月5日、ワシントン・プレスセンターで国務長官のアチソンが、「アメリカの極東における防衛ラインは、アリューシャン列島から日本列島、沖縄、に至る線である」と言ってしまった。韓国はアメリカの防衛ラインに入っていない旨発言したわけである。これを聞いたソ連のスターリンが敏感に反応し、「アメリカはコリアを捨てた。日本もアメリカもいないのだから、これは日露戦争以来の絶好の機会である」と”金日成の南進”にゴーサインをだしたとされているが、おそらく的をえていると思われる。
慌てたアメリカが”ソ連の南下を阻止するため”に朝鮮に出兵したのが昭和25年の”朝鮮戦争”。そこでアメリカはやっと日本が明治時代以降にこの朝鮮半島でやってきたことの真の意味に気付く。日本がロシアの南下侵攻を警戒し、清国と二国間で、朝鮮半島に兵を投入する際には相談しあおうと協定したのに、一方的に清国がそれを反古にして派兵してきて日清戦争になった。またロシアが朝鮮半島の北部に軍港を築き、さらに南への野心を剥き出しにしたことが日露戦争を誘発した。
朝鮮戦争を通じてアメリカは、日本のやってきた戦争というものが、”侵略ではなく自衛のための生存をかけた戦い”であることを知った。これを契機に対日観が好転し、直ちに日本の占領を放棄し、独立させる方向に政策も転換していくのである。
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「Voice Octorber,2008」
・異なる社会がぶつかると、より優れた効率的な社会のほうに同化される(自由主義経済学者のハイエク)⇒当時の韓国が日本に同化されるのは仕方が無い(真中)
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加藤三之輔(カネミ倉庫会長)
さて韓国の金玉均はじめ、日本側に協力していた連中の流れが、まだあります。日本軍に対する尊敬心を、腹の中では非常にもっています。私の会社の職員の三男坊が、韓国の陸軍大学の教官をこの間までやっていた。38度戦や部隊の案内などしてもらった。彼が言うには、前線の優秀な連隊長や旅団長クラスになると、日本軍に対する敬意が非常に強い。彼らは「日本軍は不敗だ」と言う。そんなこと言ってもしょうがないじゃないか、日本軍は負けたのだと言うと、あれは政府が負けたので、日本軍が負けたのではない。日本軍は全部玉砕したが、降参して旗立てて負けた部隊は一つもない。わが韓国軍の根本は、朴大統領が正式な士官学校を創設
して以来、今村閣下の精神をそのまま受け継いでおり、模範とすべきは旧日本軍だ。戦争になったらどんなになっても負けない。と言う。びっくりするようなことを聞きました。
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日韓問題を論じる場合、韓国は「政治的な次元の主張」が突出している。もう少し「知識的な側面」が欲しい所であるが、キム・ワンソプ氏とオ・ソンファ氏の「正論2002年12月号」における次の発言を参考にして欲しい。
呉 善花(オ・ソンファ)氏(評論家)の見解
・「日本の東アジア進出は、西洋帝国主義の侵略とはちがって搾取と収奪が目的ではなく、革命と近代精神を伝播しょうとの意図が前提になっている。日本帝国は朝鮮と台湾の民衆を搾取する旧体制を精算し、近代的な法の統治を実現させた。その結果、日本が統治する地域の住民は文明の洗礼を受け、より人間らしい暮らしを享受できたのである」
これは戦後の韓国人が教えられてきた歴史認識を全面的に否定するものです。日本統治時代については、「すべて日本が悪かった。日本のせいで韓国は塗炭の苦しみを味わわされた」というのが”韓国人の常識”です。それを金さんは、日本の植民地になっていなければ韓国の近代化はあり得なかったと、全面的に日本の植民地時代を評価している。韓国人特有の感情論をしりぞけて、非常に冷静に客観的に書かれていることに私はまず感心しました。
日本統治時代を、知識的な側面と政治的な側面で肯定的に評価したことは、韓国人の反日感情と日本人の自虐的歴史認識の双方を引っくり返すものだと思います。今までも「日本は韓国で悪いこともしたけれど、良いこともした」というような中間的な、折衷的な意見がなかったわけではありません。ところが金さんはそうしたバランスに”配慮”せず、ほぼ全面的に日本の統治時代を評価している。このことを改めて評価したいと思います。
・何故韓国は植民地支配を許してしまったのか、許してしまった自分たちの弱点は何だったのかと省みる姿勢はまったくない。
・朝鮮半島に住んでいた日韓の古老を尋ねて聞き書きしたのが「生活者の日本統治時代」です。彼らは自分たちの周囲の日本人は「みな良い人たちばかりで、ひどい日本人がいたことは戦後になって知った」というんです。これは統治時代の「生活者」として接した日本人の実像を、戦後反日教育を施されたことで、「公的」には悪しき日本人として語らざるを得なくなったということだと私は推測しています。
・実際三・一独立運動を機に日本はその統治の方法をより韓国の庶民意識に合うものへと変えていきました。その意味で日本は賢明だったし、柔軟に統治を行ったと言える。逆に日本は武力に頼らなくても十分統治できるほど、韓国の庶民が日本の統治を事実上認めていて、生活が安定していた証拠だと思います。私達は日本統治時代の全般にわたって、日本人と韓国人の間に「良き関係」のあったことを知るべきです。金さんの「親日派のための弁明」はそのことについてよく掘り下げ、さらに日本の植民地時代がなければ韓国の近代化はなかったと断言している。こうした歴史に対するフェアな見方が私の後の世代に出てきたことに、少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、私は感動しているわけです。金さんもかっての私のように反日教育を受け、「反日」が自明の韓国人だったはずですが、なぜそれが変わったのでしょうか?
・言論弾圧しているような国から、どんな創造的な発想や文化が生まれるというのでしょう。韓国の未来性をいうなら、歴史認識であれ何であれ、誰もが自由に自分の考えを主張できる開放性の獲得こそ、第一の問題だと思います。実際、歴史認識を披露した本のせいで、金さんも事実上の出国禁止処分を受けたりしたわけでしょう。
・私は金さんの書かれたことが言論の自由、学問の自由を超えているとは思いません。あらかじめ「反日」という答えが用意されている世界に自由な学問、自由な言論は成り立ちません。
・日本の問題を言うなら、戦前の日本を糾弾したくてたまらない日本の左翼活動家たちが、韓国の反日感情(国是)に同調、火に油を注いでさらなる反日を煽っている。残念ながら日本の政治指導者はその火消しをするのではなく、謝罪をすれば問題が解決すると思っているように見えます。それが逆効果でしかなく、問題の先送りにしかすぎないことになぜ気が付かないのか。
・韓国を対等の存在と認めるのなら、問題を先送りするだけの謝罪ではなく、自らの主張をきちんと投げかけるべきです。
植民地統治下で祖国を防衛したのは庶民である
。(呉 善花氏)
韓国の教科書では、民衆はいかにひどい弾圧を受けたか、それにけっして屈することなくいかに勇敢に闘ったか、戦後の解放を勝ち取るまでの間、いかに徹底して植民地政策に対する自主救国運動を展開し続けたか、というように、激しい抵抗と闘争によって韓国人はがんばってきたと書かれている。もし、本当にそれだけ激しい闘争があったのならば、韓国全土には常時強力な軍事支配が布かれ、人々の生活のすみずみまでが監視状態におかれて行動の自由を奪われたはずである。
そんな事実はまったくなかった。大多数の人々がとりたてた抵抗をすることなく、比較的よく統治の秩序に従ったのが事実である。そこで重要なことは、そうすることによってこそ、祖国は防衛されたということである。大多数の庶民たちがそのようにしてうまく統治され、またうまい統治を引き出すことによって、祖国は守られたのである。外国で反日独立運動を展開した一部の者たちが守ったものではまったくない。
韓国の知識人たちは、祖国を奪い返すために政治的に闘うというテーマがあることは知っていても、政治的国家の主権が奪われている状態で、いかに祖国を防衛するかというテーマがあるとは思っていない。しかし、韓国庶民たちはうまく統治されることをもって、立派に祖国を防衛したのである。祖国とは政治的国家の主権のことではなく、国土、郷土、習慣、文化などと人々の日常生活の総体である。政治的国家の主権がない状態で、人々は自らの手で祖国を守るため、そのように身を処したのである。
韓国の知識人たちは、植民地時代には全般的に平穏な日常生活がほぼ確保されていて、穏やかで平和な日本人生活者との親密な交流のあったことを、率直かつ堂々とみとめなくてはならない。植民地統治下にあった韓国庶民は、平穏無事な普通の生活が基本的に阻害されない限り、あえて反日独立運動の旗を掲げて統治者と闘うことなく、統治秩序に整然と従って生きる道を選んだのである。そして日米開戦となり、朝鮮半島にも危機が訪れたことによって、家族や郷土の生活を守るために日本人と同じように日本の戦時政策に協力していった。こうした韓国人庶民の生き方を、誇りを持って積極的に肯定しなくてはならない。
韓国は、この圧倒的多数の庶民たちの祖国への思いを引き継ぐ意志をもって再出発し、植民地コンプレックスを断ち切っていかなくてはならない。いずれにしても、植民地コンプレックスを終らせない限り、日韓和解への道は開かれない。
とくに教養もなく素朴な田舎人として生きてきた私の母たちが、なんのてらいもなく感じたまもの「日本および日本人へのよき印象」を語るのはなぜなのか。そこにはなんらの植民地コンプレックスはなく、ただ自分達の体験をとおしての率直な日本人観、日本観があるだけだからなのである。
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キム・ワンソプ氏
(作家・評論家)
・植民地時代に自分が接した日本人は良い人だったのにもかかわらず、戦後の韓国ではそうした「私的」な語りが「反日という”国是”」のために自己抑制されてしまった。
・歴史的な事実関係を調べ、文献や資料を集めれば集めるほど、韓日の歴史に関してそれまで持っていた自分の知識はなんと浅はかだったのかという憤り、歴史教育の名のもとに人間をここまで騙していいのかという怒りを感じました。
・2001(平成13)年の日本の歴史教科書をめぐっての騒動が一つのきっかけになったとは言えるでしょう。韓国側があまりにも自己中心的でショービニズム(国粋主義)であることに疑問を感じたのは事実です。
・今回の来日についても、韓国には日本の歴史教科書の歪曲を批判する教科書運動本部という団体があって、私が9月28日に東京で「新しい歴史教科書をつくる会」の主催するシンポジウムに出ることを知った彼らが、私の参加を阻止するために韓国の法務部に出国禁止要請をしてということを韓国の新聞で知りました。彼らがそういう行動をとったのが18日、私が出国したのが19日ですから、もしかしたら出国できなかったかも知れない。
・外国に通じ大韓民国に対し危害をおよぼすというのが「外患罪」ですから、呉さんのいわれるように、「親日派のための弁明」に書いた主張がそれに当るということなのでしょう。この罪は「外患誘致」の場合最高で死刑ということになっている。
・ちょうど私は、日朝首脳会談の行われた9月17日は韓国にいたのですが、新聞の論調などを見ると、「日朝平壌宣言」の内容から1965年の日韓基本条約は無効だという主張がありました。北が新たな謝罪と補償を得るなら、われわれも植民地時代のことをもう一度日本に謝罪させて、賠償をもらわなければならないというのです。日本の今までの偽善的対応では結局こういう意見が出てくるのを抑えられない。所詮一時しのぎにすぎず、問題は終らないということになるのです。
・日本は明治維新以降、多くの偉業をなしとげ、日本だけではなく人類の歴史にも多大な貢献をした国だ。このような輝かしい歴史を持つ日本が一度、戦争に負けたため自分達の歴史に自負心が持てず、自らを虐げているのは悲しいことである。
現在の日本の問題は謝罪と反省が足りないということにあるのではなく、過去に対する精算があまりにも行き過ぎたことにある。日本サイドの謝罪と反省の繰り返しが韓国側の歪曲を増幅させ固定化させている面もある。日本が堂々たる自主独立国家になるためには、何よりも歴史に対する自負心を回復することだ。
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石原慎太郎(作家・東京都知事
)
日本の韓国統治の問題。あれは合法的にやって、しかも世界が是として、べつに外国から文句が出たものではない。しかも、韓国、朝鮮人が自分達で選んだ道である。
その判断を、ある意味で冷静に評価したのは韓国の朴大統領
だった。私も何度かお目にかかった。ある時、向こうの閣僚とお酒を飲んでいて、みんな日本語が上手い連中で、日本への不満もあるからいろいろ言い出した。朴さんは雰囲気が険悪になりかけたとき「まあまあ」と座を制して、「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私達の先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとは言わないけれど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価している。
朴さんは「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がその言い例ですよ」と言う。
「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よく出来るな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。主席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して、答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」
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二宮清純(スポーツジャーナリスト
)諸君2003年3月
・サッカーにおけるゴールを「奪う」、あるいは敵陣を「襲う」という行為において、農耕民族である日本人は狩猟民族である欧米の風上には立てない。体内に染み付いたDNAからして違う。しかし田を耕し、種を蒔き、作物を「育てる」という行為は不得手ではない。そこに活路があると思っている。→日本が台湾、朝鮮に進出した時もまさにこのやり方であった。侵略よりも同化政策である。
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柿谷 勲夫 軍事評論家・元防衛大学校教授
正論 平成15年5月号
・我国と朝鮮は、併合(明治43年8月)したのであって、我国が朝鮮を侵略したのではない。
・我国との併合を望んだ朝鮮人も少なからずおり、日韓併合条約は合法的に締結された。明治43年8月30日付大阪毎日新聞は、「人心平穏」との見出しを掲げて「29日併合条約発表せらるると同時に京城各警察署及び各分署15ヶ所に掲示板を新設して詔勅及び条約全文を掲示し成るべく速に一般人民に時局問題の解決を知悉せしむることとしたるが一般人心は平穏にして別に変調を見ず」と報じている。
・欧米諸国は、アジアやアフリカを支配して多くの資源を持ち去ったが、我国は朝鮮に膨大な資本を投入した。
・大東亜戦争は、朝鮮人は日本国民として、内地人と一緒に、米英蘭支などと戦った。
・戦前、職を求め、内地に来た朝鮮人は少なくない。戦時下、内地人も朝鮮人も日本国民として、国民徴用令に基づき徴用された。これを拉致や強制連行と称するのは、見当違いも甚だしく、為にする論議である。
・戦後、多くの朝鮮人が、朝鮮に帰った。北朝鮮に戻った人が、不幸にも地獄の苦しみを味わっているのである。
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黄 文雄 評論家
正論 平成15年6月号
「日韓併合」と言われるものの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の合邦だった。
国家財政破綻に直面した李朝にとり、残された生存の道は、二つしかなかった。清国の属国から朝鮮省に昇格し、大清帝国に編入されるか、あるいは日本と合邦するかだ。結果的には日韓合邦は最良の選択だったといえる。当時の列国もすべて賛成しただけでなく、半島と利害関係の深かったロシアや清国でさえ異議を申し立てていない。強国志向だった当時の近代国民国家としての「国のかたち」としては、「同君合邦国家」が時代の主流だった。
オーストリア・ハンガリー、スウェーデン・ノルウエー、さらにチェコ・スロバキアなどがそうである。後のユーゴスラビアにしてもそうだった。ヨーロッパや中近東、ラテンアメリカにおける合邦国家の離合集散の事例を挙げれば枚挙に暇がない。このような同君合邦国家をすべて「植民地理論」で片付けるのは、歴史捏造というほかない。
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「WILL 11月号 平成18年度」
Q:「日韓併合条約は日本帝国主義の一方的な圧力によって締結された。大韓帝国皇帝の印璽がなかったから無効だ」
A:たとえ「平等合邦」ではないなど双方に賛否両論あったとしても、万国が承認したことなのです。反対すべきだった清、ロシアでさえ承認しましたし、抗議声明もなかった。
皇帝の印璽については、皇帝は名目的存在なので行政権限はありませんでした。当時の行政権は韓国の内閣首相にあったのですから、皇帝の印璽は必要のないものでした。
Q:「皇民化教育は民族の伝統や文化を無視し、ときには破壊した民族浄化政策だ」
A:皇民化はリンカーンの功績以上の階級・奴隷解放運動です。半島にはカースト制度があったといっても過言ではない。賎民の奴隷、芸人、巫医、巫女、白丁などの階級支配からの解放だったのです。
皇民化政策は「国民化政策」と同義です。近代国民国家の国民化、近代化運動と見るべきです。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/nikkanheigo1.html
まだ、記事は続くので自分で読みに行ってください。↑