軍事情報◎◎【第7講】 軍事革命とスペイン ◎◎ | 日本のお姉さん

軍事情報◎◎【第7講】 軍事革命とスペイン ◎◎

軍事情報◎◎【第7講】 軍事革命とスペイン ◎◎
孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外国語大学・スペイン語非常勤講師
米田 富彦
http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html

今回は、前回の後半になりますが、スペイン軍事史の有する16世紀の軍事革命の実例紹介、そして、その中心に位置する人物であり西洋軍事史に名だたるゴンサーロ・フェルナンデス・デ・コルドバ将軍に関する事績に触れたいと思います。しかし・・・その前に、単純・短絡的・一般的に考えられている“革命”という事象についてかみ砕いて理解しておきたいのです。

即ち、フランス革命、ロシア革命のような“社会階級の打破”、“下克上”、“人民の解放”などのイメージで条件反射的に捉えられてしまうような、所謂、日本の学校教育で教えてくれるような革命(受験世界史、受験日本史というようなものでの意味)とか、特定政治思想団体が願望し目的とするような実力行
使をも根底にしている革命(レジーム・チェンジ)とは、本当は革命という幅広くも深長な事象の中の部分集合にしか過ぎません。また、支那の歴史(支那的政治思想の特殊性としても)で出てくる禅定放伐に代表される易姓革命とも、少し意味的に趣が異なっています。

今回、“革命”の構造(ストラクチャー)と体系(システム)をあなたが知ること、即ち、革命の有する原理を弁えることは、兵法の観点からすれば、他人よりも「兵は詭道なり」の本質に通じることであり、詭道の使用たる「虚実の操作」につながることであり、あなたご自身が日常的に能動的な立場で“革命”を使用できるようにさせるものです。

あなたは、常人よりも戦いのプロフェッショナル志向であると思いますし、“ド素人のヘタレ”というアマチュア相手に悦に入るような低次元なことを何よりも蔑視し、嫌っていると思います。ここから、あなたは、仕掛ける立場をマスターすると同時に、仕掛けられた場合、“返し技”=反撃の方法論を弁えなければならないのです。

これについては、孫子塾
http://sonshi.jp/sub70.html の“バックナンバー”・「想定外の事象に対する孫子の考え方」(2006.10.25号)に塾長の佐野寿龍先生からの詳しい解説がありますので是非ご覧ください。あなたが“革命”という言葉に注意を払い、それを身近なもの(違和感なきもの)、そして自分の
ものにすることが出来れば、類似の言葉、即ち、“革新”、“改革”というような言葉に対しても騙されなくなってきます。
そして・・・今度は、自分が相手を騙せる(悪い表現かも知れませんが)ようになってきます。

要するに、この機会にあなたは、胡散臭い政治家(政党は問いません)、訳の分からない運動家や活動家(何でメシを食っているか・・・正体を突き止めると面白いと思います)とそれらが組織する公的・私的団体(NPOや企業も含めて)、下心いっぱい・色気たっぷりのマスコミ、頭が良くて良識の権化であるような気がする大学教授や権威者の立場と条件(要するに、雇用先や役職名で信用・判断してはなりません)を振り回す者たち、商業ベース第一の商人たち・・・ 決して彼らに“革命”という事柄を「恃んだり」、「他人まかせ」で済ませてはならないということです。

あなたが“革命”の主人公となり、実際に革命の操作が可能となり、現状を変えることが実現するような基礎を醸成していただきたいと願っています。

6.軍事革命とスペイン

(1)スペインの将星とスペイン文学

“革命”なる事象についての理解を促すために、“軍事”における事象とはほど遠いような意外な感覚のする“文学”における事象と比較して、その原理原則的なところを観察して行きたいと思います。

先ずは、日本では、英文学、仏文学、独文学、露文学などと比べるとまだまだ少数派の故に層が薄く、その学術団体や研究者に見劣りがしたり、また何となく胡散臭くも思われ、アカデミックにはあまり注目されることもなく、本格的研究は本当はこれからではないのか・・・という感じがする“スペイン文学”を・・・馴染みよくするために、ここでは例にとって説明を行いたいと思います。

■コルドバ将軍

16世紀に登場するスペイン軍の将星たちは、所謂、「軍事革命」を体現させた先駆者でありました。その中で、陸戦において最も注目されるのが、グラン・カピタン(GRAN CAPITAN:英語で表現すると“グレート・キャプテン”=“大総帥”の意)ことゴンサーロ・フェルナンデス・デ・コルドバ将軍(1453-1515)
です。

コルドバ将軍は、アンダルシア出身、対ポルトガル作戦(ポルトガル王がカスティリア王国の王位を求めイサベル一世の継承について軍事介入したことから、カスティリア王国内の内戦を呈した)、グラナダ攻城作戦(レコンキスタ最後のイスラム勢帰討作戦=グラナダ王国の滅亡)で活躍。イタリア・キャンペー
ンでは“大活躍”後、その後の処理政策からフェルナンド二世国王と対立し、不遇な晩年を過ごしました。軍人の逸材にはよく起こる政治の実権を握る者との不仲から不幸になるパターンです。コルドバ将軍は、スペイン軍事史のみならず、西洋軍事史にその名を残す将星でありますが、かのスペイン文学の最高
峰と言われるミゲル・デ・セルバンテス著の『ドン・キホーテ』の作品中にもその偉人なりが紹介される程の“いくさ人”であり、もし、日本でのことならば、軍神となられ神社に祀られていたことでありましょう。

ちなみに、スペインでは「大総帥の勘定書」(”Las cuentas del Gran Capitan ラス・クエンタス・グラン・カピタン=法外な勘定書、でたらめな収支計算という意味)という言葉があります。何も役所や企業でやっているような小賢しい、才気走った水増し・架空請求でバックを狙ったりするような“ネコババ的わるさ”が行われていた訳ではありません(しかし・・・昨今の不正請求など、日本はまだまだ“盗み”に相当する罪は軽微です。が、所変われば、手首を切り落とされる刑罰になりましょう。それよりも、善良な国民や社員の誠意を窃盗していることが、一体、どんな“罰”に相当し“刑”がなされるというのでしょう。きっちり本人や関係者に因果応報の“魂で始末”を付けさせることは難しいものなのか、そうでないのか・・・興味深いところです)。

そもそも、16世紀にもなると、戦争とは、貴族階級出身でそれなりの人物がやる”Conductor militar”、即ち、“軍事指揮者(オーケストラ指揮者ならぬ・・・です)”が、生起する戦争を総合的に管理運営し問題解決していたのです。

それだけ当時になると戦争の様態が変化(よって、“戦闘思想”の変化、即ち、軍事システムも考慮する必要があります。また、政治システムの変化・経済システムの変化は、同時観察が注意するべき点になります)して来ていました。
これも時代の変わり目の特徴でありましょう。この“軍事指揮者”とは、即ち、外交(停戦交渉、条約締結)、軍の編制・編成、戦闘の指揮、兵員の募集、兵士への給与支払い、インテリジェンス、兵站・・・などの“システム”を統合管理する“戦略家”であり、国王から戦争(一つの“キャンペーン”になりましょう)を任されていたのです。人物的な器量も能力(教養にせよ外国語にせよ)もそれなりであったことでありましょう。

アントニオ・マルティネス・テイクシドー他著『戦争術百科総攬』(この文献
紹介は、戦略研究学会『年報戦略研究第一号』芙蓉書房出版、2003にあります
のでご覧ください)には、次のようなコラム(Antonio Martinez Teixido, Jose
Romero Serrano, Jose Luis Calvo Albero”Enciclopedia del Arte de la
Guerra”, Barcelona Editorial Planeta,2001 p.137)があります(翻訳は著
者):

「数ある宮廷謀略術の中から誕生した一つの木の実があり、市井の人々にかじられ、その知恵が広まりを見せた。それは、フェルナンド・カトリック王御自らが1506年にゴンサーロ・フェルナンデス・デ・コルドバ公に対してお求めになられた勘定書についての請求とコルドバ公が作成なされた領収書にまつわる
事績である。(以下要点を記す)

* パイク、シャベル、つるはしに対して1億ドゥカドを
* 火薬と弾丸に対して10万ドゥカドを
* 戦場に散らばっている敵兵の戦死体が発する悪臭から我が兵士たちを守る ため、香水を含ませた手袋に対して10万ドゥカドを
* 陣没者の供養に対して300万ドゥカドを
* 諜報工作員に対して70万494ドゥカドを、そして・・・
* この度、一つの王国をプレゼントされた国王様が、昨日、お求めになられていた勘定書に関するお言葉を拝聴いたしましたる私めの我慢に対して10万ドゥカドを

(※ドゥカド:16世紀までのスペインの金貨。英語読みはダカッド)」

「勘定書、レジの前にて譲り合い」のようなけちくさいサラリーマン川柳が聞こえて来そうな日常生活ですが、上記のような“会話”こそ・・・やることをやる頼りになる男とそのような一癖も二癖もある男を使いこなせる海千山千の上官の“会話”・・・というものかも知れません。

『ドン・キホーテ』には、このようなスペインの将星コルドバ将軍の記述が出て来ますが、当時の軍事を知ることのできる格好の資料でもあります。
何せ著者セルバンテスは軍人であったのですから。

少し話しは逸れますが・・・ここで、スペインとスペイン文学の名誉の為に付け加えておきたいのです。関西地方での悪い表現である“パチモン”とか“パッチモン”(他の表現では“バッタもん”)屋のような印象を受ける激安の殿堂は、ここで出てくるスペイン文学の作品名を使用しています。
日本人全体が受け取る印象は、それなりにマイナー(安っぽくなる)になってしまいます。

しかし、その反対ですが、元々は、安かろう悪かろうなものでも日本人が抱くカタカナ外来語=欧米系ブランド品や一流品のようなイメージを利用して宣伝すれば、誤魔化し(偽装)が効いてきます。漢字表記で済むところをカタカナで表記したり、ローマ字転写の際に本来の発音とは少し違った綴りに直して印
象を操作するところは、インテリジェンスに興味のある方なら関心を持たれるテーマです。

■セルバンテスと『ドン・キホーテ』

では、話しに戻って・・・あなたに騎士道小説『ドン・キホーテ』の著者と作品について少し紹介しておきましょう。

『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスは、小説家として有名で、シェイクスピアや徳川家康と死亡時期が同じです。しかし・・セルバンテスは、れっきとしたスペイン軍の元軍人で、イタリア戦線に従軍(ナポリで入隊)していました。彼は、16世紀から17世紀にかけて生きたスペインの“戦国人”とも言えましょう。そして、軍事史上、世紀の大海戦、そして、キリスト教世界とイスラム教世界の“血闘”となった“レパントの海戦(1571)”では、左手を火縄銃で負傷し、一生障害の残る“傷痍軍人”になりました。

その後、本国へと地中海を海路帰還の途中、イスラム系海賊(“バーバリー”)に拉致され、収容所で5年の歳月を過ごしました。この収容所での生活は、正々堂々としたものであり、収容所長(ハンガリー人のイスラム教徒。また、英語で“レネゲイド”というキリスト教棄教者の存在は本当は日本史においても注目しておかねばなりません)から一目おかれました。また、セルバンテス自身、イスラム教への改宗の誘惑(自分を見失う危険)にも逢ったことでしょうし、このようなことが後の創作活動に影響しているのかもしれません。幸いにも、本国の修道会が身代金を支払ってくれたので帰国が叶ったのでした。帰国後は、無敵艦隊の兵站担当として勤務します。そして、無敵艦隊の壊滅で職を失い、その後、徴税吏になるも、税金を預けた銀行が破産してしまい、背負った多額の負債が返せないところからセビリアで投獄されてしまいます。しかし、この牢獄で『ドン・キホーテ』の着想を得たのです。言うなれば、緊張と不安がつきまとう波乱に富んだ一生ですが、このような人生経験が、小説に置き換えられ、文字に残ることで、時は流れても人々に受け継がれて行く名作を生み出しているのです。

この『ドン・キホーテ』の興味深いところは、その根底が観念論対唯物論、リアル世界対ヴァーチャル世界という対立矛盾の弁証法(所謂、易経や仏教の発想で言えば、万物流転の原理原則であり、ま、“空”を云う根本とは、対立矛盾からの弁証法的運動である=“陰陽合一”、“諸行無常”です)が話しの基礎的な哲学になっており、当時流行した騎士道小説の全くの爆笑パロディ作品となっていながら、政治(哲学・思想)、軍事、軍事史、戦略、戦術、国際政治、地政学...に関する記述(社会科学系)に溢れています。

(ちなみに、実質的構成員が約15名足らずでセルバンテスの名称を標榜しつつ、スペインの研究をもっぱら行っているような団体も存在していますが、よく見れば実力は明らかです。本格的な学術的アプローチはまだまだですので、読者の皆さんには、スペイン文学とは、一つの穴場にもなっています。)

あなたの中でも、政治思想に興味をお持ちの方は、マキアベッリの『君主論』(他の作品も含めて)の政治思想をシンクロさせて、騎士道小説『ドン・キホーテ』を分析するのも興味深いと思います。このマキアベッリの『君主論』ですが、理想像としてスペイン王国(特にアラゴン王国のフェルナンド二世。
“グラン・カピタン”の上司)についての記述があり、当時のイタリアは、スペインを無視することが出来ない状況でもあり、用いる言語(スペイン語とイタリア語)もロマンス語の故に近似性がありますから、セルバンテスは、軍人としてイタリア滞在中にマキアベッリの作品にどこかで直接、間接を問わず、触れた(作品の中身を吸収した)ことがあるのか...とも考えられます。

また、あなたの中で、さらに興味のある方にとっては、『ドン・キホーテ』の主人公アロンソ・キハーノの思考と行動を・・・日露戦争以降から敗戦までの日本の政治指導、戦争指導を行う人の立場に置き換えて、哲学的にアプローチすると、何か“革命的な”方法論や指針と出会ったり、異なった史的観点を得ることが可能と思われます。

『ドン・キホーテ』は、当時、流行していた騎士道小説(当時の文盲率と一般の人々の教養レベルおよび客観的思考力の総和から、この荒唐無稽と現在では思われる騎士道小説の内容が現実と混同されて、読んで、あるいは字の読める者から読み聞かせてもらったことで、気分が高揚し、この手の“大陸浪”た
ちが、かのアメリカ大陸で数々の“偉業”に貢献しています。騎士道小説とは、戦う男たちの士気、不撓不屈の精神力に寄与していたのです)のパロディで当時の人々に“笑い”をもたらしました。

一方、スペイン文学には、ピカレスク小説というものがあります。成立も『ドン・キホーテ』と同じぐらいの時代です。大体は、得体の知れない胡散臭い輩が野心にたぎったドス黒い自己実現を目指し、いろいろな謀略、策謀、策術を巡らせて最終的に社会的地位・名誉・財産を手に入れるというエポック社の「人生ゲーム」的でサクセス・ストーリー的な流れの小説です。一人称の告白形式の文体が特徴を作っています。騎士道小説が主人公にイケ面で高貴な出自、周辺の脇役にも美人のお姫様などが登場する“理想”を主体にしてヴァーチャルな面白さを出しているのに対し、ピカレスク小説とは、主人公や脇役が騎士道小説のものとは逆・反対にしてある分、それだけ“現実”が主体になり、リアルな面白さを出しています。ちなみに、ピカレスク小説の最高峰、作者不詳
『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』は、岩波文庫版のものが入手可能ですが、サイトではグーテンベルク21(
http://www.gutenberg21.co.jp/lazarillo.htm で315円でダウンロード出来ます)が最も手に入れやすいと思います。

この『ドン・キホーテ』や『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』に見られるパロディ精神、そしてピカレスクというスペイン文学独特の批評精神が、かのデイズニー作品の逆のパロディになっている「シュレック」の三部作、日本ではアニメ「かいけつゾロリ」(こちらは上記スペイン文学の『ドン・キホーテ』のパロディとも言えるものです)において見ることが可能です。これは興味深い点でありましょう。また、これらの小説、“笑い”という言葉と同時に、なんとなく面白い表現になりますが、もし、黒いのではなく、“白いトラウマ”、
“明るいトラウマ”と言ったものがあるのなら・・・そのような雰囲気を持っている点が魅力でありましょう。


ここで、あなたに思考していただきたいことがあります。
この世界文学史上に特筆されるべき事項である名作、そして新ジャンルの創出となった『ドン・キホーテ』も『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』の共通するところは一体、何であるのか...即ち、何故、インパクトを読者が受けたのか、何故、文学史に名を残したのか、ということを考えてみてください。
そして、ここから、スペイン文学の特殊性を述べるとしたら・・・どのようなことが言えるのか・・・を考えてみてください。

実は・・・その答えとは・・・それは、文学という事象においての「革命性」にあるのです。“革命”であったからこそ、世間に注目され、インパクトを以て受け入れられ、一つのジャンルを形成し、後の世にもその原理が受け継がれ発展させられ、文学史にその名を刻み込まれているのです。言わば、この「文学革命」とか「革命的文学改革」のようなところを軍事に置き換えてみると,,,
それが「軍事革命」とか「革命的軍事改革(RMA)」にも共通する原理となるのです。


(2)“革命”とは一体何か

では、“革命”の解説を始めましょう。
先ず、大和詞で表現しますと、世の中にある物事は、大なり小なり全て“成り立ち”というものを持っています。この“成り立ち”を難しく漢語で表現し直すなら“構造”(ストラクチャー)という言葉になります。この成り立っている一つの物事=構造とは、単に孤独に存在しているのではありません。必ず“他に成り立っている物事”(複数以上)と、お互いに何らかの“関係”を有しているのです。そして、この関係を構築しているところから、何かの“働き”を持っています。

そして、他の成り立ち(複数です)と関係をもって、そして、何かの働きをしていること、即ち、ここでは、それぞれの働きをもっている成り立ちの一つ一つが“ひとまとまり”の集合というものを形成している...ということがイメ
ージできると思います。これを大和詞で表現すると“しくみ”という言葉になります。この“しくみ”を難しく漢語で表現し直すなら“体系(システム)”という言葉になるのです。


例えば...人間の脳、器官、臓器、骨、血、体液にはそれぞれ構造があります。
しかし、個々では、存在していません。実は、一個の身体という体系になっているのです。よって、足の小指でも踏みつけてへし折ったり、刃物や銃撃によって切断・破壊すると当事者は戦闘意欲がなくなったり、以降、冷静な思考は難しくなるでしょうし、何よりも、夜なんぞよく眠れなくなります...神経でつながっているが故の激痛のために...そして、痛いのは...生きている証拠です。


“構造(ストラクチャー)”は、“体系(システム)”を形成しています。
これについては分かりました。そして、体系は、実際の使用において “経済性”を求めるのです。即ち、人は楽と効率性と努力への報いを求めるものです。
ここから“慣用”というものを生じるのです。“慣用”...兵器の改変には慣熟訓練があり、得意戦術や組織の慣行は捨てがたく、既存組織は、改編を厭うものです。軍事史では、戦いが騎兵部隊から機甲部隊へ、戦艦中心から航空母艦中心になって行く際、軍の組織を観察すると興味深いものがあります。

では、軍事を例にして、“革命”という言葉の意義を解明したいと思います。

先ず、特定の戦いが生起する際、兵器、技術、編制・編成、兵站、戦闘教義などの「その時までの既成・既存の軍事事象」が存在しています。そして、軍事事象とは、自らの“戦いの構造(難しくラテン語的に表現するとstructura belli: ストルクトゥラ・ベッリ)”を有するものであり、そこから“戦いの体系(systema belli:システマ・ベッリ)”を構成しており、それの実際の使用において、“戦いの慣用(norma belli:ノルマ・ベッリ)”を生じてさせています。

一方、“革命(revolutio:レウォルーティオ)”という言葉の原義は、“転がし返す”、“巻き返す”です。要するに、この言葉の意図するところは、規範的な事象=「現状維持(相手の主導権の流れの中に居る状態)」に対するアンチテーゼの発想、即ち、「現状打破(自分の主導権の流れに転じること)」を通じ、次の段階への発展、即ち、弁証法的運動=問題解決を言うもの...と考えられるのです。ここから、軍事革命というものは、既成・既存の“戦いの構造(structura belli)”、“戦いの体系(systema belli)”から出来ている
“戦いの慣用(norma belli)”(心理的な常法・表)という静的な状態を“打破”して、“新しい戦いの体系”・“新しい戦いの慣用”(心理的な奇・裏)を創出することにより、一つの動的状態へ移行させる運動を意味するものと考えられましょう。これをハード面で行う、ソフト面で行う、ハード・ソフト両面で行う(時間差の有無にも注意)という方法を創出するところは、知識だけでは済まないので、必ず知恵が必要になります。決断の勇気やり抜く精神力も必要です。よって、革命とは、通常よりも脳を何倍にも活用するという知的行為に他ならないことが分かります。


軍事革命とは...軍事の有する歴史そのものの形態を変容させることであり、その時の軍事史を平面的次元(同じ背丈でいると自分のことも相手のことも分かったものではありません)から立体的次元(視点が増えてより客観思考になります。二次元とは、三次元があってこそ、初めて二次元であると認識できる
ものです)へと発達・進化させることでもあり、軍事事象の進化そのものを意味するものとも考えられるのです。

では、“戦いの構造(structura belli)”、“戦いの体系(sistema belli)“、”戦いの慣用(norma belli)“の打破とは、何か...ここで少し考えてみたいと思います。それは...要するに、自分と相手との”力“の不均整を創り出し、安定の状態から不安定の状態に移行させることです。即ち、必然的に自分と相手との間には”非対称性“が出現して来ます。この力の不均斉、即ち、非対象性とは、時と所と当事者(天地人)において相手よりも優勢な状態、即ち、”強者の立場“をもたらすものであり、必然的に戦いでの勝利を担保するものとなって来ます。これを...その時、その場で限定して相手に強制して押し切れば...弱者が強者に勝つ(局所優勢により)ことが可能となります。
また、”意外性“も加わると奇襲になって来ます。(お笑いとは、言語での”意外性“に重点が置かれているものです。比較考察すると興味深いと思います。)


(3)当時の軍事革命の意義

スペインは、イタリア戦で当時欧州最強の誉れのあった重装騎兵団とスイス傭兵団からなるフランス軍を“チェリニョーラの戦い”で、それまでの「白兵主体の戦い」を「火器主体の戦い」へと“戦いの革命”を起こしました。その後、長槍兵の密集方陣をスイス傭兵団に習いつつ、その周囲を銃兵で囲んで強化し、“動く城”(イスパノ・イタリア流兵法と言われます)の如き、全周攻撃・防御共に優れたスペイン方陣=テルシオ:“Tercio”(1534)へと進化させ、スペイン陸軍は、“無敵陸軍”として欧州を席巻したのです。

元来、スペイン軍の精強さは、レコンキスタを戦い抜いて来たことにより、郷土単位で兵員の補充・訓練という兵站組織が早くから成立していたことにもあります。この“スペイン方陣=テルシオ”がスペインからの独立戦争を行ったオランダのナッサウ公マウリッツ、ドイツ三十年戦争ではスペイン軍のライバルとなるスウェーデンのグスタフ・アドルフ王、テルシオを屠ったフランスのテュレンヌ将軍などにより“機動”が加味・継承・改良(フランコ・オランダ流兵法と言われます。

そして、“方陣”は、歩兵、騎兵、砲兵に整理され、それを混合して動的に用いるようになります)され、後には、プロイセンのフリードリヒ大王が受け継ぎ発展、フランスのギベールによって整理され、ナポレオンによって完成・昇華されて、約250年の年月をかけつつ近代陸軍に至るのです。この欧州が数回にもわたる軍事革命を経験しつつ激動していた約250年間、日本は徳川幕藩体制で武力闘争は生じていなかったのです。江戸期の日本は、西洋の軍事革命とは遠いところにいました。それが、明治維新以降、たかだか10分の1の年月で近代陸軍になって行ったのですから、明治を創った方々が侍であったことも考えると、さすがは戦闘プロフェッショナルというところでしょうか。


また、時代が下るにつれ、軍事上の改革が従来の欧州社会での階級社会変革の一因ともなり、時代の経過と共に「軍」が「国王」から「国民」のものとなって行ったことは、「国家と国家意識」の成熟と正比例して行ったことでもあり、このことは注意しなければなりません。


一方、スペイン海軍は、当時、海戦史上、約二千年間変化のなかった内海・沿岸部で敵艦船に切り込み白兵戦(ボーディング)を展開する沿岸型海軍=”ブラウン・ウオーター・ネイヴィー“最後の大海戦となった“レパントの海戦”で、ガレー船主体の艦隊で勝利を収めた後、イギリスの海賊行為に対抗する上で、帆船主体の“ブルー・ウオーター・ネイヴィー”たる外洋型海軍へと改変を進めて行きました。

スペイン海軍は、“無敵海軍・アルマダ(Armada)”として有名ですが、“無敵陸軍・テルシオ”と共に「スペインの覇権に貢献」したのです。


16世紀スペインの軍事革命は、政治戦略と直結して進展し、その果実を獲得して行ったのですが、スペイン陸軍は、オランダやフランスの機動主体の戦術、即ち、歩兵・騎兵・砲兵の混合戦術による陸戦面での軍事革命により崩壊しました。

スペイン海軍は、イギリスの舷側砲を備えた帆走艦主体の艦隊による海戦面での軍事革命によって没落しました(この後、ボーディングが見られるのは、アメリカからスペインへの「宝船」を待ち受ける海賊たちの戦闘において
になりました)。

スペイン陸海軍は、自らの軍事革命に対抗した敵対勢力の軍事革命によって打ち破られて行くのです。相手から仕掛けられた軍事革命をらせん的に発展させれば、スペインには再び覇権が巡って来たかも分かりません。が、さらなる軍事革命が不可能であったことが国家の没落につながっていると考えられましょう。何故なら、軍事とはその国の有する総力の和であるからです。


(4)革命的兵器としての「火器」のインパクト

ここでは、『ドン・キホーテ』に見られる当時の火器に対するインパクトについて触れておきましょう。

“レパントの海戦”で左腕に火縄銃の銃撃を受け、後遺症に苦しんだ作者のセルバンテスは、レコンキスタの英雄エル・シッド(本名ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール。キャメロン・ディアスと名字が同じですが関係ありません。
エル・シッドは、エルがスペイン語の男性単数定冠詞で、英語でいうthe。
シッドは、アラビア語で主人を意味します。岩波文庫で『わがシッドの歌』が購入可。これはスペイン文学の最古の作品。中世スペイン語で書かれています。

エル・シッドは、スペインの騎士の鏡であり、『エル・シッドの歌』は、武勲詩の決定作になっています。人物、文学作品の両方ともにスペイン人の誇りでもあります)のような武闘階級による誇りを持った“騎士対騎士”の戦いが消滅して行った時代に生きていました。

この銃の登場で、“誰でも簡単に”参加できるようになった戦いについて『ドン・キホーテ』の中の主人公の台詞に興味深い記述がありますので、ここに引用(翻訳は著者)して解説を加えておきたいと思います。

即ち、「悪魔の手になる発明品」とか「下賤なるヘタレ者の腕一つが勇ましきもののふの命を奪う...」などと言った記述です。社会階層も低い当時の歩兵が礼儀・伝統・誇りも弁えず、高貴な騎士を簡単に打ち倒すことに自らの戦いの美学が傷つけられ、火器には許しがたいものを感じつつ、しかし、新しい兵器と戦闘様式には逆らえずに滅び去る誇りある者としての最後の雄叫びに聞こえるものがあります。

スペインも日本も高位の社会階級に属していた武闘専門階級の者たちには、銃に対しては上述のような気持ちは共通していたようです。作中、旧い理想の権化とも言える“騎士ドン・キホーテ”は、新時代の現実を暗示する風車に真正面から戦いを挑み、投げ飛ばされ気絶し、笑いを誘います。しかし、実際の戦闘では、戦いの結果とは、存在の消滅=死を意味します。


旧時代を新時代で粉砕し、騎士階級を戦場から抹殺したのが他ならぬ“無敵スペイン軍”でありますが、皮肉にも騎士階級の没落を起こさしめたスペインで、騎士道小説『ドン・キホーテ』が成功を収めたのでした。セルバンテス存命中は、テルシオとアルマダがまだまだ猛威を振るっており、スペイン軍事史上、最高潮の時代であったことは興味深い事実でありましょう。


(5)軍事革命の日欧比較

ここででは、日欧の軍事的な同時代性を見ておきたいと思います。

1.“チェリニョーラの戦い”:この戦いは、コルドバ将軍が1503年4月28日、フランス王シャルル8世のイタリア・キャンペーンを継承したルイ12世によるナポリ争奪(ナポリ王国はスペイン王朝系)を巡り発生したものでした。イタ
リア・ナポリのチェリニョーラ(かのハンニバルによる包囲殲滅戦の手本“カンナエの戦い”のあった近辺に所在)で、当時普及を始めた遠戦用の個人携帯火器である火縄銃と障害物・塹壕を備えた陣地とを効果的に組み合わせた“防御”戦闘を展開し、当時、欧州最強の誉れ高かったフランス軍重装騎兵と最も勇猛と定評のあったスイス傭兵団(スイスは、国土が山間地域で農業に適さず、住民の多くは生活の手段に傭兵として活躍。ハリバルドと呼ばれる鎌付き槍、後には刺突用長槍を持った歩兵が方陣を組み果敢な白兵突撃や対騎兵戦
闘で勇名を馳せていました。かの「アルプスの少女ハイジ」でも、おじいさんが元傭兵であったことを述べるシーンは知られています)を撃滅、ここから世界軍事史上のレベルで「革命」を起したと考えられているものです。

敵の最善の得意戦術は、重装騎兵による機動突撃と傭兵団(パイク兵:長槍を振るう兵士)による白兵突貫でした。コルドバ将軍は、敵の有する最善の得意戦術への対抗策として巧妙な“防御戦闘”を仕掛けたのです。それは、故意に弱勢を見せて欺き、敵の得意戦術を誘引し、それを障害物と塹壕で封じ、機動が鈍るところを火縄銃の弾幕によって撃滅したのです。ここは、目に見えるハード面の火縄銃・障害物・塹壕にばかり関心が傾くものですが、実は目に見えないところ、即ち、かなり知性に相当するソフト面の「詭道」(弱勢の提示。
視覚や風評によるインテリジェンスの操作)が実践された結果でもありました。
この戦いの本質は、ハード・ソフトの両面を弁証法的に止揚した対抗策の構築とその実践に潜んでいるのです。

また、この戦いは、戦闘開始後程なく、フランス軍司令官ヌムール公ら主だった指揮官らが銃撃で斃れ、フランス軍は指揮統率面では計り知れないダメージを受ました。特に火器の戦闘効率においては、それまでの遠戦兵器であるボウガン、弓矢は、体に刺さるだけのものでしたが、銃弾は肉体そのものを三次元で破壊する機能(復元不可)があり、この殺傷力における「革命的」変化こそが注目されるところなのです。

この戦いは、全体的には消極的に見える防御戦闘の展開としか見えません。が、クラウゼヴィッツの『戦争論』に展開される攻撃・防御に関する理論の好例、即ち、敵戦力の撃滅を「防御」において実施する“攻勢防御”となっています。そして、この戦いは、軍事史上、歩兵が騎兵を戦場の主役の座から葬り去った“革命性”も指摘されるのです。

当時の歩兵は、集団の方陣を構成するもので、中世の騎士の台頭によって廃れていた往時のギリシアのファランクスやローマのレギオン等、古典戦闘様式の“再興(これがルネッサンス)”であり、“ルネッサンス(時代を示す名称として)”の戦いの登場であったのです。この72年後、日本軍事史において“革命性”の指摘される織田信長の“長篠の合戦”が実施されました。


2.長篠の合戦:この戦いは、日本軍事史上、火器を最初に組織的に戦場に導入し、その後の戦闘の様相に革命を与えたとされる戦いです。1575(天正3)年5月28日、織田信長と徳川家康の連合軍が、武田勝頼指揮の戦国最強を誇る“武田騎馬軍団”(その存在の有無は議論されるようになりました)を設楽原(現愛知県新城市、別名、あるみ原)にて「殲滅」したものです。

戦国最強の騎馬軍団の機動突撃を「馬防柵」と「堀」を構えた陣地で制止しつつ、三千丁の火縄銃を三段打ちに構えて、段の交代ごとに一斉射撃を行わせる戦法(これも議論されるようになりました)で撃滅し、以降の戦国合戦の様相を一変させてしまったものです。

武田軍の有能な部隊指揮官は、殆ど突撃時に銃弾に斃れ、事後、武田軍の組織運営に重大な影響を及ぼし、ついに武田家滅亡へと繋がっています。武田勝頼は、常勝を誇る勇将であること、また、伝統的名誉・面子を継承・重視する側近らに囲まれていることを踏まえて、戦闘前から「織田軍とは、一蹴が簡単な弱敵で、織田信長自身、武田軍の勇猛さを大変恐れている」という情報が織田信長によって操作されており、戦いに積極的で一気呵成に勝利を掴もうとする武田側の“突撃”へと誘引されていたことが判明して来ています。

織田信長は、ハード面の鉄砲と馬防柵の効用に期待するばかりではなく、ソフト面での謀略工作を含め、「詭道」となる状況作為を同時に効果的に実施し、万全の態勢で待ち受け一回の戦闘で短時間内に敵の重心を消去すること、
即ち、部隊指揮官の殺傷を実現し戦闘効率=殺傷率の劇的変化を敵に強制したのでした。ここに“長篠の合戦”の有する“革命性”が存在しているのです。


(6)両戦闘の相似性・共通性

“長篠の合戦”と“チェリニョーラの戦い”を軍事的観点から見つめ直すと、全く偶然とは考えられない相似性や共通性が以下の通り見出せます:


1.新しい戦争の創出

戦闘効率の劇的な変化をもたらし、敵の対抗能力を著しく低下させることを、“火器”という当時台頭しつつあった兵器に着目し、それを活用することで、「新しい時代」の「新しい戦争」のパターンを創り出し、それを敵に強制し、結果を政治的効果へとつなげて行った。


2.強敵による最強の得意戦術で敗北の経験

コルドバ将軍の場合:イタリア・キャンペーンでの“セミナーラの戦い(1495.6.21)”において、当時、最強と言われたフランス軍重装騎兵と勇猛に鳴り響くスイス傭兵団に一方的に撃破されたことがある。

織田信長の場合:武田信玄の西上途中の軍勢を迎撃するべく、同盟者の徳川家康が直面した“三方ケ原の合戦(1572.12..22)”で、援軍を派遣したが、“戦いの名人”と言われていた武田信玄指揮下の”集団組織戦闘と騎馬軍団”に完璧に撃破されたことがある。(注意点として敗北は派遣した援軍であり、本人の直接的経験ではない。しかし、派遣部隊の司令官は討死)


3.敵の得意戦術の分析

コルドバ将軍も織田信長も、この惨敗経験から敵の得意戦術の長所・短所を研究、分析し両面思考で対抗策を構築した。即ち、定法通りに“力”と“力”で決戦を行うのではなく、敵の長所が短所となるよう、兵法で云う「詭道」を以って対抗している。これは、得意技なるが故にそれに執着する人の心理を逆手に取るものある。兵法的には「其の愛する所」を奪うことになるが、詳しくは、
ttp://sonshi.jp/sub70.html のバックナンバー(2006.11.7)を参照。


4.総合性という特徴

二つの戦いは、銃兵の果たした役割ばかりが注目されるが、実際には、銃兵が機能を十二分に発揮することが可能となるように、現在の「工兵」に相当する職務を兵士たちに実施させ、障害物の設置や塹壕(堀)などの陣地構築を行い、有効に「地の利」をはじめ、様々な条件を組み合わせて、「総合的」思考から戦いを演出して敵を撃滅している。


5.二人の司令官の立場と条件

二人とも、目的達成のためには、一方的な敗北を喫した強敵と決戦が避けられない「立場」に置かれていた。そして、目に見えないところに存在している「彼我に横たわる偽りの無い実質的戦闘力の不均斉」、特に“質”に関わる“非対称性”の克服が「条件」となっていた。


6.“非対称戦”での対抗策

二人とも兵数的な問題よりも、実質的な戦闘力の非対称性が内包された戦いを受忍せざるを得ない立場に置かれていたので、条件的には“弱者”であった。
即ち、これから行わんとする戦いは、実質的には“非対称戦”になり、戦う以上は勝たねばならなかった。この対抗策を戦略的観点から観察すると:


○兵力比が五分五分の場合に対処する正攻法=「戦争方式:”guerra (WAR)”」
では挑まず
○彼我の兵力比の非対称性を基準として、「詭道」を実施し、彼我の兵力比を逆転させる非対称戦=「ゲリラ方式:“guerrilla (GUERRILLA)”」で対抗する


という手段を用いているのです。これは、「正の思考」=”WARの思考“の敵を「奇の思考」、即ち、「非対称戦の思考」=”GUERRILLAの思考“という両面思考で形勢逆転を実践しているのです。(しかし、織田信長は、”長篠の合戦“では、「詭道」だけに依存せず、武田軍の約3倍に相当する”兵数“を揃え、勝利に万全の態勢で臨んでいます。)

この語源面は、戦略研究学会ホームページ(
http://www.j-sss.org/ )から、ニューズレターバックナンバー(”WAR and Guerrilla 語源考“)をご覧ください。


条件的に先手が打てる強者をよく観察して、自らの実質的戦闘力を弁え、効果的に対抗することが、後手に回らざるを得ない弱者の戦略なのです。“チェリニョーラの戦い“にせよ”長篠の合戦“にせよ、共に、顕在的には地味で消極的な陣地を構えた防御戦闘のみに偏向しているような感じは否めません。
しかし、潜在的には、非対称戦を基礎とした「攻勢防御」を仕掛けていたのでした。
次回は、この“チェリニョーラの戦い”と“長篠の合戦”を結びつける意外史と“非対称戦”、即ち、“ゲリラ戦”について見て行きたいと思います。

(つづく)
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この考え方を実生活で利用して、会社で使いたいです。

いつも、上司の言いなりになっているから。書類作成の時、

いつも後でわたしのアイデアの方がよかったと分かるのだ。

もっと上の上司に「説明が足らない!手前味噌だ!」と

怒られちゃうのだが、わたしの上司は自分が直させたから

わたしが怒られているのを、忘れているのか

知らん振りしている。あの時、もっと抵抗すればよかったと、

いつも悔やまれる。会社のおじさんたちは、自分の意見が

最高だと思っているから、女性の意見をちっとも聞いて

くれない。言うとおりにしないと、チョ~機嫌が悪くなり、

まるでわたしがダメで強情な社員のような目で見る。自分の

せいでわたしが怒られていても、助けない。たぶん、本当に

忘れているんだわ。by日本のお姉さん