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1 始めに

英国やフランスは、日本同様の自由民主主義先進国であって、防衛費の大きさもほぼ同じくらいであることから、日本の今後の防衛政策を考えるに当たって、英国やフランスの防衛政策の動向には関心を持ってしかるべきでしょう。今回はフランスの新防衛政策をご紹介したいと思います。


2 フランス軍の憂うべき現況

「・・・戦車“ルクレール”346台のうち、稼働可能な状態にあるのは142台だけで、ヘリコプター“プーマ”のうち飛行可能なのは半数以下であることが分かった。今年4月にはフランス特殊部隊がソマリアの海賊に拉致されたフランスの豪華ヨットを救出し称賛されたが、・・・特殊部隊の隊員を 乗せた護衛艦2隻はエンジンが故障し、海賊を追いかけた対潜哨戒機「アトランティック2」もエンジンの故障でイエメンに緊急着陸していた。2002年には予算不足でフランス軍ヘリコプター戦力の50%、空軍戦力の 40%、海軍戦力の50%<が>運用でき<ない状態に陥った。>・・・」( http://www.chosunonline.com/article/20080612000054 。6月13日アクセス)

 「・・・フランスは1997年から2015年まで、3段階に分けて国防改革を推進している。第1段階(1997‐2002年)では、まず兵力を削減し、徴兵制の代わりに志願兵制を導入する措置を取った。ところが、新型武器を 導入するための国防予算増額はままならず、新型兵器の導入はもちろん、既にある武器の維持にも困難を来たすようになったのだ。短期間の無理な兵力削減 (50万人→35万人)で歩兵の戦闘力が大きく損なわれ、志願兵制導入による人件費増加のため戦力増強もさらに難しくなった。・・・」( http://www.chosunonline.com/article/20080612000055

6月13日アクセス)


フランスは、冷戦終焉後、防衛政策の切り替えに適切性を欠いたために、フランス軍はこのような憂うべき状況に陥ってしまったわけです。

(朝鮮日報を引用しなければならないことが残念でなりません。日本の主要メディアがいかに防衛問題に関心がないか、お分かりいただけるでしょう。)


3 フランスの新防衛政策

当然、何とかしなければならない、ということになります。こういう背景の下、フランスのサルコジ政権は、以下のような新しい防衛政策を打ち出しました。

 

まず、在来型の軍事的脅威は隅に押しやられ、疫病、テロ、サイバー戦争、ミサイル攻撃、といった複雑なグローバル化した諸脅威が主役に躍り出ました。


 アフリカ等の旧フランス植民地30数カ国と結んでいる二国間同盟条約は見直しないし廃止され、この種二国間同盟条約に基づく、独裁者等のための怪しげな軍事活動よりもEU諸国やNATO諸国、あるいはアフリカ連合(African Union)諸国との多国間共同作戦が重視されます。

 そして、サルコジ大統領は、NATOの加盟国の増大とNATOのコソボやアフガニスタン等における平和維持活動の実施を踏まえ、就任早々、EU独自の防衛・安全保障政策及び能力の形成と平行してフランスをNATOの統合軍事機構へ復帰させる意向を表明していましたが、それが公式の政策となりました。ただし、フランスの核戦力はNATOの統合軍事機構へ供出されず、平時においてすら、フランス軍が外国の将校の指揮下に恒久的に入ることはない、としています。また、今後6~7年かけて現在330,000人のフランス軍の総兵力が54,000人削減されます。こうしたことによる人件費等の削減によって、2008年現在で300億ユーロ(GDPの2.3%)であるフランスの国防費の総額は物価上昇分を除いて2012年まで据え置かれ、その後2014年まで年率1%ずつ増やされるだけですが、そのうちの装備調達経費は、現在の毎年155億ユーロが2009年から2020年の各年は180億ユーロへと6%以上増額され、スパイ衛星、巡航ミサイル、輸送手段に重点的に費やされることになっています。また、軍の諜報活動は一本化され、諜報経費は倍増されます。なお、28億ユーロかかるとされる二隻目の原子力空母を建造するかどうかの決定は2011年まで延ばされ、そのほかの大規模な調達プログラムも延期されたり規模を縮小されたりする可能性があります。


 (以上 http://www.nytimes.com/2008/06/17/world/europe/17france.html?ref=world&pagewanted=print

http://www.ft.com/cms/s/0/90a29448-3bcb-11dd-9cb2-0000779fd2ac.html    (どちらも6月17日アクセス)による。)

4 終わりに

日本は、冷戦終焉後も第二次冷戦以前の骨董品的防衛政策を「堅持」して現在に至っているところ、以上ご紹介したフランスの新しい防衛政策は、私が思い描いている日本のあるべき防衛政策とほぼ同じです。

もちろん、日本が米国から自立を果たさない限り、そんなものは絵に描いた餅ですが・・。

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<ys>

太田様直々に恐縮です。

でも、子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

>「来たれり」でも間違いではないのでは? 「また」の有無も本質的な問題ではないでしょう。それを言ったのではなく、「うれしからずや」 ではなくて  「楽しからずや」ではなかったでしょうかと言っただけです。

「楽しい」と「嬉しい」は意味が同じとはいえないでしょう。

別段問題にしているわけではありませんが。一応気になったので。


<太田>

あはは。気がつかなかった。おっしゃるとおりですね。


<読者KT>

お久しぶりです。こんにちは、太田先生、覚えていらっしゃいますでしょうか。昨年、つい嬉しくて、勢いでメールを送った者です。いつも携帯でコラムを読んでいます。コラム#2720で「朋」という字が、そのよ

うな意味をもっているんだなあとまた一つ学ぶことができました。

今、自分は前にメールを送ってからすぐに、家を出まして、全て一人でやろうと、もがいています。この「引きこもった」国をどうしたら「独立」させられるか、ということを目的とするには、スキルが全く無い自分には、まだまだ色々足りないです。 今このような事を書きましたが、思い詰めてはおりません。

これからも面白いコラムを楽しみにしています。初めてコラムを読んでから、ずっと自分の中の世界が変わった(広がった)ままです。どうしょうもなく儚いです。若造が知ったふうなことを書きましたが、ありがとうございます。先生の「バランス感覚」と「志しの高さ」を尊敬します。

では、また。


<ライサ>

太田様、コラム#2720での解説わざわざありがとうございます。例えば、ごく単純にして、昔も今も、 高校卒業生が2人いた。方や能力80、方や100とすると平均は90となります。昔も今も同じ能力だと仮定すると、昔は2人のうちの100の方が大学に入った。すると大学での平均は100となる。しかし今は2人が入ると大学での平均は90となる。だから必然的に今のほうが、「大学生の平均的学力が低下しているということになってしまう」ということでしょうか。


<太田>

お示しのように、大学進学率だけでも結論は同じになるわけですが、私が申し上げたのは少子化も勘案し、「昔は高校卒業生が4人いたが今は2人しかいない。昔の4人は、能力70、80、90、100とすると平均は85であるところ、今の2人は、能力80、90で平均は同じ85となると仮定します。昔は4人のうちの100の1人だけが大学に入ったので大学での平均は100。今は2人とも大学に入るので平均は85となる。だから必然的に今のほうが、「大学生の平均的学力が低下しているということになってしまう」ということです。

 

<ライサ>

太田さんの時代に比べて、

>中学生の「平均IQ的な平均的学力」が低下していない可能性は一概に否定できません。「」をつけた部分の意味が良く分からないのですが、

これは読み替えると、「中学生の中の平均的IQ の人の平均的学力が低下していない可能性は一概に否定できません」=つまり低下している可能性がある、と言う意味でしょうか。


<太田>

神永氏のおっしゃる「学力」が、「IQ」と相関度の高いものであるとするならば、それが低下していない可能性がある、と言ったつもりです。


<ライサ>

太田さんは「・・・・低下していない可能性は一概に否定できません・・・・」回りくどい言い方ですが、私は理解が間違っているといけないので、(IQと学力の点に関しては)、上に質問をさせていただきましたが、上手く逃げているなーと思いました。さすがに、こういう議論?的な物には必ず逃げを打って有って、さすがキャリアが有る、(オッと元キャリア官僚だった!)と思います。


<太田>

私は逃げを打ったつもりはないのですが、表現が回りくど過ぎたかもしれませんね。


<FUKO>

ライサさんとダブってしまうかもしれませんが…。

学力とは知識の量を指すのか、思考・創造力(IQ)を指すのか、このどちらともを含めたものか、それともどちらとも違うのか?という疑問です。知識の量は確実に減っていると思います。数学で言えば偏角や複素数平面などは現在高校では教えられていません 他の教科もその傾向です。

 世界史・日本史については一概にそうは言えないかもしれません。例えば「トゥサン=ルヴェルチュール」は最近になって重要さが認識され、教科書に載り始めたと聞いています。) 思考力(創造力)については…分かりません。太田氏にご教授願いたいと思います。

(学習指導要領  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%A6%81%E9%A0%98


学力が低下しているとすれば、その理由はコラム2313で太田氏が述べた、「日本の属国化~日本人の家畜化~思考能力の低下」によるものであるという主張に強く共感しています。特に軍事的脅威がない、徴兵義務がないということが若者を堕落させていると思うのでしょうがどうでしょうか。それに加えて、子供の権利は保護される一方で、課される義務が伴っていない事も若者の劣化を促していると考えます。


<ライサ>

 FUKO 様も言及していらっしゃるように「・・・学力とは知識の量を指すのか、思考・創造力(IQ)を指すのか、このどちらともを含めたものか、それともどちらとも違うのか?という疑問です・・・」。どうも、これが引っかかっていて、すっきりしません。


>知識の量は確実に減っていると思います。数学で言えば偏角や複素数平面などは現在高校では教えられていません。(FUKO)


FUKO様とこの点は意見を異にします。つまり、知識とは何か(哲学的意味の知識ではなく)いわゆる一般的な知識、それも、この教育上で言う知識の事ですが、これは時代によって必要な知識が異なります。端的に言えば、何も戦前戦後を比較する必要は無いのですが、わかりやすいと思って書きます。戦前と戦後では知識と見なすべき内容が随分違います。学校教育の中で、例えば、宇宙に関することとか、コンピューター、携帯電話、考古学上の新しい歴史的事実等々、今だからこそ分る情報に基づく知識等は、戦前の人々の中には有るはずがありません。それらを比較して戦前の人は知識の量が少ないとは言えません。

しかし、逆に戦前の人が普通に持っていた知識例えば、当時最先端脱兎頃の科学的知識、歴史的見方や伝統的な行動様式、童歌や、川柳、諺や、言い伝え等々当時の人々が日常生活において普通と見なしていた様な(この場合正しいとか間違っているとかは問題になりません、それは現代においても同じだからです)知識は、どうひいき目に見ても現代人である我々は、量としては少ないでしょう。何故、携帯等と伝統的な物とを持ち出しているかと言われれば、それはつまり、現代の学校においても、あらたまった教育として教えるのではなく、一般的知識として携帯の意義や様々な側面を教えていると思うからです。他の物もそうやって、教えているのではないでしょうか。それと同じく過去の人々は生活の中、小学校中学校・・・・・で無意識に教わった物もたくさんあるはずです。段々論点がずれていってしまうのが、自分に取って悲しいので(能力の無さが)。すっきりと言い切ってしまうと、学校での知識と言った場合の内容が異なっているから、一概に、少ないとか多いとかは言えないのではないかと言うことです。


<無蔵>

--学力は本当に必要か--

私の知り合いが予備校講師をしておりまして、この間、講師の方々とお話させていただきました。

大学入学に関しては少子化の時代ゆえ、学生のレベルが落ちることは当然なのですが、興味深かったのは出来る生徒と出来ない生徒の分布状況が変わってきているということでした。

ご存知のように昔は横軸に点数、縦軸にその点を取った生徒の人数のグラフを描くと大抵、正規分布になるのが普通でした。つまり、真ん中辺りが一番高い山となり、高得点や低い点になるにしたがってなだらかに低くなるというものです。こういうテストの分布状況と同様のことが学力全般に言えるものだったと思います。ところが、現在ではごく少数の出来る生徒(これは昔と同じ)とほとんど出来ない生徒の大群になってしまって山は低い点数のところにあるようです。

(こういう研究があれば良いのですが...。)

 先生方の感覚としてはIQは決して低下しているわけではないが、学習というものに関心を示さなくなってるのが原因のようです。大学出てもリストラされる状況では当然と言えば当然かもしれません。

この分布以上に厄介なのは安定した職業が減ってしまった結果、理系の出来る生徒がほとんど医学部狙いになってしまって、医学部以外の理系のレベルが想像以上に低下している可能性があるということです。

例えば数学オリンピックに出場したような生徒が医学部に行ってしまうのは象徴的な例ではないかと思います。

太田先生はIQが高ければ後からの勉強でも何とかなるとお考えかもしれませんが理数系には臨界期が存在すると言われ、どんなに素質のある生徒でも15歳ぐらいまでにまともなトレーニングを受けなければ大成することがないと言われているのはご存知だろうと思います。それはピアノや言語の習得と同じような部分があると思うのです。 とはいえ、欧米がそうであるように国民全員の学力が高い必要はなく、ごく少数の突出したエリートがいれば十分なのかもしれません。

数学のフィールズ賞を取った広中平祐氏も日本の教育は凡人向けでアメリカはエリート向きと仰ってましたし、フランスでも中学ぐらいで日本の大学でやる距離空間を勉強させ、出来る生徒だけがどんどん伸びるという教育を行っています。結局、凡人は社会適応力、サバイバル能力、体力、覇気が一番大事なのかもしれません。今、日本人に最も欠けている能力ではないでしょうか。


<太田>

コラム#2716で、「基礎学力も重要だが、これからの時代、もっと重要なのは創造力だ、ということなのかもしれません。少なくともこの両者は二律背反関係にある、とは言えないように思います。」と申し上げたところですが、日本は、平均的基礎学力の回復を図ることは断念し、エリートの創造力を涵養する教育に徹するべきだ、というご主張のように受け止めました。

仮にそのようなご主張を是とした場合、日本は工業力や、その基礎となっている匠の伝統を放擲せざるをえなくなるのではないか、果たしてそれでよいのか、という問題が第一点の論点、そして、現在の日本のエリート教育が米国等のそれに比べて遜色のある点はどこで、どうすればその是正が図れるのか、が第二点の論点になると思います。

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