軍事情報別冊 (スペイン&ラテンアメリカ講座 (4))
日本のお姉さんの意見。↓(下の方にスペイン講座 (4))
時代が変わっても変わらないものとは、宇宙や
大自然の法則や人間の感情です。
愛、思いやり、怒り、憎しみ、公正と差別、正義と悪などの
心から出てくるものは変わらないのです。
人間の心には、美しいものや正しいものを良いものだと
認める心と、不正や暴虐を悪いものだと判断する心が
備わっている。ただ価値観は、時代や地域によって
変わってくると思います。どの価値観が正しいのかは
人間の良心に照らし合わせて一番しっくりくるものが
正しいのではないかと思うのです。
わたしはクリスチャンなので聖書の価値観や基準が
一番正しいと信じるし、内容を読むと人間の良心に
しっくりきている。聖書の言葉はいつの時代にも変化は無い。
地球のできかたについての記事読んでみるも、ちゃんと
理論的で正しい。神さまは存在すると信じています。
神さまの言葉と呼ばれる聖書も道徳の話が書いてある本と
言うより、イスラエル民族を通して神さまが人類に語りかけて
おられる手紙のようなもので、世界の歴史や未来の予言や
今後の神さまの計画まできちんと書かれている。ただ、
神さまに興味がない人には未来の予言を教えることは、
豚に真珠を投げるような無駄なことなのだと思います。
人間は時代によって、影響を受ける。価値観まで変わっていく。
日本が南下してきて領土を広げようとするロシアに挑戦して
戦争で勝つまでは、世界中の人は有色人種が白人に
勝てるわけがないと考えていた。
また、日本がアジアで西洋の国々に挑戦して、アジア人の
独立を促すまでは、アジアは国ではなくて西洋人たちが
ケーキのように切りわける単なる未開の地域という認識だった。
アジア人が西洋人に支配されることを嫌がっているなどと
西洋人には考えもつかないことで、°土人は劣っている
のだから支配されて当たり前だという認識だった。
西洋人たちは、船で航海中に出会った他国の船は
攻撃して乗っ取るのが当たり前。
黒人は奴隷として売り買いするのが当たり前だった。
日本人は、日本近海ではイギリス、オランダ、スペイン、
ポルトガルに対して海賊行為を禁じた。
日本人の方が西洋人よりもずっと正しい基準を持っていたのだ。
日本人は、西洋人がシナ人や黒人を奴隷として日本の港に
持ち込むのを見て、抵抗を感じ、時々、西洋人の船から
奴隷を取り上げて解放していたのだ。
また、秀吉は九州の自称キリシタン大名が敵の陣地から
連れてきた捕虜を西洋人の持ち込む火薬の樽と交換する
ことを嫌った。アメリカが日本人移民を不当にしいたげることにも
日本人はやりきれない怒りを感じていた。また、日露戦争で
勝利した時に得た正当な代価としての満州での鉄道の利権を
最大限に生かして、資源のない日本が西洋の植民地になる
ことを防ぐために、大陸に資源を求め、必死に満州を開発した。
その結果、満州は本土である日本よりも発展した土地となった。
その満州をシナ人の土地だとする蒋介石と、
シナでの覇権を狙うアメリカの共同作戦と、ソ連やソ連の手下の
シナ人のコミンテルン(共産党の組織)などの工作の結果、
日本はアメリカと戦争をすることになったのです。
歴史というのは、続いているので、現代から逆にたどっていくと
わかりやすい。日本はずっと頑張ってきたのです。
ロシアや西洋の植民地になるのは、絶対に避けたかったから
必死だったのです。今の日本人は、日本の歴史上、一番
最低な状態になっていると思うのです。アメリカに支配されて
いても、経済的に豊かになっている間はよかったが、今や
アメリカは、アフガニスタンに出かけてアルカイダの巣窟を
つぶすだけでは飽き足らず、いろんな理由をつけてイラクにも
攻め込んでいった。そして予想どおり貧乏になってしまった。
それだけではなく、危ないクジやらいいクジやらを詰め込んだ
おかしな宝くじを世界中に売り出して、世界中の銀行を貧乏に
して、自分たちの信用も失った。アメリカは金融業で儲けて
いる国なので、今はドルの価値を抑えて、アメリカの経済を
立て直そうとしている最中。
北朝鮮に対しても核をもったままで、日本人を拉致して
工作員用の日本語教師として奴隷として抱え込んだ
ままでいいからテロ国家として認めないことに決め、
日本に対しては
「決して忘れない。」と言うだけ。
もう、日本はアメリカに捨てられている。
アメリカは、自分のことで必死なのだ。
このアメリカに日本の安全を守ってもらっていると思っている
日本人はまぬけだと思う。核を持った国にはアメリカは
やさしくなるのだ。日本も核を持てはアメリカはもっと
やさしくなるのではないか。最初は反対するかもしれないが。
北朝鮮も、核をもったとたんに、核を放棄しないままで、
古い核関連施設をアメリカに出してもらった金で爆破して
世界に公開していた。アメリカは自分に都合がいいと思う
ことをやっているだけだ。日本は軍隊も核もなく、無力だから
アメリカのすることをすべて容認してアメリカの援護をする
しかない。なぜか?日本は軍隊ももたない弱い国で
アメリカの保護国状態だから、とことんアメリカに利用されて
軽く扱われているからだ。では、日本はどうしたいのか。
このままアメリカが衰退していくのに付き合って一緒に衰退
しますか。それとも、自前の軍隊を持って、アメリカの同盟国と
しての保護は名目上受けておくが、実は独自に日本を守れる
だけの力はつけておくか。いつアメリカが衰退してEUが派遣を
とっても、素早く動けるだけの独立国としての意地と根性を
持っていることができるか。このままアメリカが衰退して、
名目上の保護すら期待できなくなり、周りの核保有国が
軍事力をちらつかせて恫喝してきても、無理難題を吹っ掛けて
きても、日本はそんな外国の軍隊の圧力を弾き飛ばせるだけ
の軍事的な力を持っておけるのか。
アメリカは日本を武装させたら、日本の中に巣くう
反日媚中の連中に日本の政治を乗っ取られて、日本が
すぐにチュウゴクの味方になると思っているから、日本に
武装させないで、ずっと日本にアメリカ軍を置く予定なのだと
思う。
しかし、日本が積極的にアメリカ軍を追い出すなら、アメリカは
すんなりグアムに引き上げて、日本はそのまますんなり
チュウゴクと仲良くなって結局はチュウゴクの属国になりそう。
日本は60年以上もアメリカの属国だったので、属国でいることに
慣れてしまったから、このままアメリカから独立したら、独立の
意味が分かっていないから、のほほんと
自衛隊を軍隊に変えずに弱いままでいて、そのまま乗っ取ら
れてチュウゴクに取り込まれてしまいそう。
だから、鎖国を解いたときのように、日本は大変な時代に
来ているのだから、発想の転換、価値観の転換をして、
アメリカや西洋とよい関係をキープしつつ、アメリカのいいなり
状態
という属国の立場から独立しないといけないのです。
日本人みんなが、坂本竜馬にならないといけない時期なのです。
最近、テレビで篤姫に関するショート番組を観たのですが、
日本が鎖国を解いて外国と付き合うか、このまま鎖国を
するか、当時の日本人は一生懸命考えて行動していたことが
よくわかりました。
外国人を倒して鎖国を続けたいと願う日本人と、
外国と戦争をしたら必ず負けるから開国をして外国と付き合い、
強くなってから日本の地位を世界の中で高めていきたいと
考える日本人がお互いに殺し合いをしている時代だった。
坂本竜馬は、それまでの日本人の価値観を捨てて現実的に
考えた人だった。勝海舟もジョン万次郎も坂本竜馬に影響を
与えた。
結果的には日本は開国をするのが正しかったのですが、みんな
日本を愛して一生懸命だったんだなと思いました。
みんな、自分たちが正しいと信じて必死だった。
実際に単独で外国と戦ってみた藩もあった。
案の定負けてしまったのですが、負けてからの藩の変わり身も
早かった。日本人みんなが、日本は開国をして強くなってからで
ないと外国に勝てないと感じて、藩もつぶしてえらい人たちも
武士たちも身分を捨てて日本のためにまとまったのです。
今も、そういう時期に来ていると思う。
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軍事情報別冊 (スペイン&ラテンアメリカ講座 (4))
~戦略・情報・兵法・地政学・言語・社会などから見る~
◎◎◎ 【第4講】16世紀の日本情勢について ◎◎◎
孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外大・スペイン語非常勤講師 :米田 富彦
3.16世紀の日本情勢について
(1)日本の国内情勢
16世紀の日本とは、頂点に天皇を戴く政治体制を逸脱しない中で、堺、越前一向宗、大坂本願寺のような商人・農民による政治の運営がなされていた地域、所謂、当時のイタリアに見られたような“自由都市国家”を思わせる地域共同体の出現も見られる一方、武闘派支配者層として、先ずは、足利幕府が存在していました。
しかし...本来ならば、足利幕府に忠義を尽くし、”幕府の現状維持派”としての職責を果たさねばならなかった「封建大名」たちは、それぞれの領国経営において「政治-軍事-経済」の“トライアッド”を自らが実践し、領土経営の職責を幕府の権威を当てにしないで遂行するようになって来ていました。
注意するべき点として、16世紀の日本とは、「江戸時代の武士」とは、器量も頭脳も規格が異なる「戦国時代の武士」が活きていた時代であったのです。要するに、本来の武士とは、常識として幕府のご意向を聞いてそれ以上のことはやらない公務員的かつ“社畜”とも呼ばれる現代サラリーマン的な存在ではなくて、現実を見据え、自分が考えて意志して行動する、“生死一如”の生き様を云う存在を指すものなのです。そこには、一般的な現代の我々(武闘職である自衛隊、それに警察、消防に奉職されている方々を除いて)が自ずと意識しなくなっている意気、勇気、気概、気迫、精魂というものがあり、戦う性根そのものの違いがあるのです。
読者の皆さん、ユーラシア大陸西端のイベリア半島に興隆していた当時の最強国家スペインにユーラシア大陸東端からさらに一つの海を隔てて対峙していた当時の日本を知ること、即ち、「古きを温めて新しきを知る」ための方法論についてここで念を押しておきたいことがあります。
先ず、この世とは、「万物流転」であり、「諸行無常」であります。が、この原理を自分自身において本当に納得して自覚し、現実をありのまま観察して、次の段階に備え、そして適宜に行動することは、本当のところ、あまり意識されているものではありません。
何故なら、脳内ブレーキたる常識に操作されているからです。常識とは不動、不変、永遠のものではありません。輝く昼の太陽は、まぶしくて直視できませんが、やがては夕日となり落ち着いて眺められるようになるものです。
「万物流転」、「諸行無常」の原理に身を置く読者の皆さんは、永遠で固定的で絶対なものは決して無いことを本当に意識して自分自身において納得し覚悟することなのです。輝く不動の太陽は絶対で“直視”はできませんが...それで終わってしまってはなりません。その昼間の太陽とは、時の主導権を握る力(例えば、今の政治やマスコミなど)、憲法(例えば、「日本国憲法」など)、社会習慣、就業規則、組織の鉄の掟などに例えるものなのですが、いつかは時の流れと人心の変化から、衰え始める時が至ります。そして、その夕日とは、間もなく来る夜への誘いであり、真っ暗闇の期間を経て、やがては神々しい朝日になる訳です。この夕日になる時機とは、即ち、時代の変わり目ということなのです。
読者の皆さん、現在とは、実は、日本史の中で鎌倉時代、室町時代とあったように、「戦後時代」という一つの時代が終焉し、次の時代に入って行っている現在進行形の状態にあるのです。故に、今までの常識では対抗できない事態も国の内外で起こりもしているのです。即ち、自分の生き様とは、他人まかせにせず、自ずと自分で考えて行かねばならなくなっているのです。これは、選挙にせよ、納税にせよ、社会保障にせよ、動かすところは誰であるのか、よく見つめ直して考え直してみるべきでありましょう。
時代が変わることは、歴史を学べば分かることですが、その本質的なところ(所謂、方程式、方法論、秘術など)を自分で考えて、実際に応用に活かすところは、本当はやっているようでやっていない我々の盲点でもあり死角でもあります。大体は、方程式なり、方法論なり、秘術なり、それらを見い出したところで、パラメーター(変数)を入れ替えて計算して結果を云々するような知識止まりに気づかず、推論して新たなものを自分の特殊的事情に活かし切る無から有を生じさせる知恵にはなっていないものです。
また...時代の変革期と聞いて、恐怖や不安はつきものです。そもそも、恐怖や不安というのは、本能からくる危機意識・危険認識から生じるものです。が、それには、精神的にも“ストレス”がさほど溜まらないのが神ならぬ人の人となっているところであります。危険や危機から開放されると心身ともに“快方”に向かうものです。
しかし、別の種類の恐怖や不安もあるのです。それは、常識や社会慣習や法律の違反・違背・背任から生じて来るものです。人が社会を構成するが故に生じさせている恐怖や不安もあるのです。この場合、かなりの精神的なストレスが溜まるものですし、心身の外には排出されることはなく(所謂、デトックスは無しです)、一方的に脳内に鬱積して行くものです。
読者の皆さんが、それは絶対不可侵であり、それは絶対服従であり、それは絶対遵守であると弁えている“常識”、“慣習”、“法(律)”たるものに従うことが意外にも身の保障をしてくれるより、かえって身の破滅を招くこともあります。このような場合、むしろ、ブレイクスルー(障害を撃破し打開すること)、イノベーション(革めて新しくすること)をした方がかえって身の“栄達”を極めることに繋がるのです。読者の皆さん、時代の流れを的確に読み取らねば、本来、観念とは己が使うべきものでありながら、逆に己が観念の虜になってしまって、「転倒夢想」になってしまうものです。
この転倒夢想ですが、物事の順序の取り違えから、頭の中だけで正しいとか間違っているとか、まさしく夢を見ているような状態(要するに現実ではないということです)になってしまうことで、夢を見ている間は調子に乗っていることが多いので気持ちがいいものです。しかし、目覚めれば、自分にとっては好ましくないと思う現実に直面するものです。夢から覚めたければ、自分の頭で現実をもっと分析して行くことが必要です。
読者の皆さんは、時代というものは、「薬が毒」に、「毒が薬」に変化する面白さがあることをここで噛みしめていただきたいと思います。例えば、幕末維新の時代には、徳川幕府にとって、鎖国は薬でも、大所高所から見て、19世紀の日本にとっては毒でありました。倒幕運動など、徳川幕府には猛毒なのでしょう。が、当時の日本にとっては妙薬であったのです。では、今の日本にとって...何が毒で何が薬なのか...一度、読者の皆さんは考えて見てください。
そして、このような発想を相手側にも地理や組織や時間を踏まえて、即ち、コンテキストを踏まえて(そもそも主体とは、上下・前後・左右の六面体+時系列的流動性からなる認識から導き出される一点であり、これを踏まえた客観的観察方法と考えてください)を置き換えて考えて見ることです。例えば、当時のスペイン国王や将星たち、敵対国の国王や軍人なども何が毒で何が薬なのか同時進行で考えることなのです。
16世紀の日本とは、国政を握る足利幕府の既成権威、即ち、武家の棟梁たる将軍職は、リーダーシップの失墜から有名無実化し、それぞれの大名は、領地の地の利を活かし、生存圏を拡大し、そして、他の大名の生存圏と有形無形を問わず、摩擦を起こし、衝突を生じさせ、そこから日本の中での覇権を争奪する相互的な“切磋琢磨”の存在に変化していたのです。
その思想的特徴とは、時代変化の過程で必ず起こる問題解決に「現状打破」で以て対処する基本姿勢でありました。群雄割拠の時代とは、生存のためには、旧来の現状維持に努めるよりは、常に革新と現状打破の努力が必要となることを意味するものです。当時の日本は、正に「変革」の時代であったのでした。
そして、当時のスペインとは、このようなことは既にレコンキスタ(対イスラム勢力駆逐のための武力闘争)を通じイベリア半島内で経験し、今度は、さらなる他流試合をイベリア半島の外、即ち、地球的規模で実践して来ていたのです。
読者の皆さん、この「時代の変わり目」を読み取ることは難しいものです。次のようなことをシュミレーションしてみると興味深いことでありましょう。例えば、15世紀の後半ですが...京都・同志社大学・今出川キャンパスの北方面に広がる相国寺、そのまた北あたりに所在する上御霊神社のあたりで、武士が集まってきて武力衝突が始まりました。武家の棟梁たる足利幕府の花の御所がそこから徒歩15分圏内という近くにあって、そのまた近くには天子様がおはします御所があるのにもかかわらず...です。
読者の皆さん、ここで考えてみてください。この時代の京の都に住んでいた一般の人々(今で言う首都圏人)も、この戦闘に参加していた武士たちも、一体誰が正確に「これから群雄割拠だ!下克上だ!実力で好き放題やっていい戦国時代が始まるぞ!それが150年は続くのだ!俺に天下取りの好機が回って来たぞ!時代は要するに氏より育ちというやつだ!この実力の時代、自己主張が出来る時代に生まれて俺は幸運だ!神に感謝!やってやるぞ!」などと思ったのでしょうか。そうではなく、かえって当時の都の方々の人心とは、現代の多数の日本人の心理とは共通のもの(先行き不透明な感情)があったのかもしれません。
その時の「常識」とは、「常識」の限界以上のところは見えないものであります。これは、当時のヨーロッパの人々においても同じであったことでしょう。時代の認識とは、分からないものであります。そもそも、誰も時代の流れを読むのは難しいものです。即ち、当たり前と思っていたことが当たり前として、そうしたいけれどもできなくなる...ということに他なりません。甲氏:「この頃は、どうも今までとは違って来たようだ...」
乙氏:「そうそう。知識だけでは、問題は一向に解決できないようになって来たなあ」
甲氏:「それは、何故か?それは、知識にすがって知恵を出してないからだ!」
乙氏:「そうだ!よし、頭を使って乗り越えてやろうじゃないか!」
このような心が芽生えて、いつしか異常や非常識(常識に違反することに良心が咎め、罪悪感に苛まれたり、心が恐怖してるものでが...)が常識化、慣習化して行く過度期に突入し、それが時代の変わり目というものになり、次の時代へと繋がるのです。
平成の世は、まさに時代の変わり目であり、いろいろなレベルで戦国時代になっているのです。日本史の中の二十年や三十年など年表になると数ミリあるかないかですが、平成も二十年を数え、さらに時は流れて行っています。が、読者の皆さんは、ここでこそ、等しく現在、日本史を形成する者として存在しているのだという自覚を持つべきでありましょう。
(2)日本の闘争様態と武闘階級の特徴
日本の闘争様態とは、数例を除き、通常、対異民族闘争を行う“戦争”から形成されたものではなく、武闘階級に属するプロフェッショナルたちによる“私闘”から形成されて来たものです。即ち、同国人同士(言語、文化、思考様式、歴史などを共有する)の闘争である“内戦”の反復でありました。これは、誠に興味深いところですが、同国人同士が戦いを重ねた結果、これと似たようなところに古代ギリシアの都市国家間の戦争があるものの、最も特筆するべきところとは、世界でも類を見ない「人の行う闘争事象そのものを芸術の域」にまで洗練し高めた...それが日本人の闘争様態の特徴でもあります。そして、現代に至るも、これはなお伝承されており、また、特にその精神はもとより、技術に関しては世界でもかなり高い評価を受け、各国軍の特殊部隊や特別警察などをはじめとして、世界の武闘職において畏敬の念をもって習得され実践されているものでもあります。
そもそも、芸術とは、人として人がやる「人の業(わざ)」の最高傑作であり、それ以上が、人の技ではない訳ですから、即ち、「神業(かみわざ)」となるのです。
かの吉田松陰は、「おもへども ひとのわざには かぎりあり ちからをそへよ あめつちのかみ」との歌を残していますが、日本の闘争様態の興味深いところは、まさしく「人事を尽す」という「ひとのわざ」の限界まで行った際、この限りある人の業にこそ、天地の神が力をそえ賜うもの、即ち、人と神の合一となっているものなのです。
この天地の神の力がそえられるよう、日々において、「できない」のではなく、「やらない自分」の本当の理由を具体的に探求して軌道修正し、納得し、覚悟を重ねて行かねばならない...自分に騙されないで自分に勝つ...これぞ日本の武闘階級の根本理念ともいうべきところであります。時代は変われど、筆者も読者の皆さんもこの理念に関しては、等しく志を同じくして行動するものである以上、時を超えた武士とも言えるのであります。
この戦国当時の特徴は、各地の大名が、領国において政・軍・経(トライアッド)の統合を行う国王に等しい機能を発揮し、それぞれの領国というものが一つの国家の如き形態を呈していた点でありましょう。
そして、その政・軍・経の統合に失策した大名は、弱肉強食の理に従い、自然淘汰されていたのでした。ここで注意を要するのは、戦国時代の武闘階級は、政・軍・経を“総合”することを専門職とする存在であったのに対し、徳川時代の武闘階級が、幕藩体制の現状維持システムの中で、既得権たる身分制度に立脚した官僚的かつ安定的な俸給に従う“サラリーマン”的存在へと変化していたことで、日本の16世紀当時を比較考察する上で、我々が注意を払うべき重要な点となっています。
そして、この16世紀の戦国時代の日本の海の向こうには、当時の最強国であり、戦略、情報、兵站などの分野では他流試合を重ねた海千山千のスペインが存在し、はるばる地球を回って日本に到達して来ていたのでした。