ニートについて理解を深める2
宮台真司さんのブログ↓
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■ベトナム戦争後の米国で用いられ始めた脱社会化の概念は、いったん社会化を達成した存在が社会性を脱落させることを意味する。地上戦に社会性を持ち込んだら戦えない。だから変性意識下での潜在意識の書き換えで、いったん達成された社会化をキャンセルする。そうした存在が米国社会に帰還すれば、軋轢や問題を引き起こさざるを得ない。
■そこで、いったん社会化された後に脱社会化されてしまった人々を「再社会化」re-socializationするプログラムの開発に、政府の資金が用いられた。こうした動き(ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント)から、エンカウンター、ゲシュタルト療法、交流分析、神経言語プログラミングなど「アウェアネス・トレーニング」の手法が生まれた。
■企業研修や自己啓発やコーチングに今日広く用いられるこれらの手法は、元々「書き換えられた潜在意識を書き戻す」という目的を共有する。そこでは「社会化⇒脱社会化⇒再社会化」という手順が想定されている。今日の非社会性を考える際重要なのは、戦時の書き換えがないのに、「普通に」育つだけで脱社会化する過程があるように見えることだ。
■変性意識下での潜在意識の書き換えには、海兵隊の「地獄の特訓」において意図的になされただけでなく、ジャングルでのサバイバルを通じて非意図的にもなされ得る。すなわち心的外傷が脱社会化をもたらす事態も想定される。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の概念がベトナム戦争後に人口に膾炙した背景には、そうした事情が存在した。
■そうした意味で、今日的な非社会性の概念は、戦時における意図的な潜在意識への書き込みや戦場体験による心的外傷が存在しないにもかかわらず、社会性が欠落する、という現象に注目していると言える。だが、分娩後の母子別室化や不適切な早期教育などを含め、平時におけるトラウマチックな過程が存在するのではないかと主張する論者もいる。
■こうした議論に決着をつけるだけの材料には乏しいが、非社会性をもたらす要因群が乳幼児期にまで遡る可能性については、十分に注目しておく必要があろう。自立できない20歳代の若者をサポートするといった行政的施策では到底覆えないような、しかし具体的施策によって比較的短期に改善できる問題領域が存在する可能性があるのである。
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■「従来の社会システムが明に暗に前提としてきた社会性を、社会成員が持たない」という事態を「非社会性」の言葉で名指すと述べた。ここに価値観が絡む微妙な問題がある。一般に、現代の社会システムは、社会成員がかつてほどは「まとも」ではなくても滞りなく回るように変化しつつある。学問の世界ではこれを「主体化から管理化へ」と呼ぶ。
■「主体化」とは哲学者フーコーの概念で、強制抜きでも内発的に秩序行動を生み出すように規律訓練によって主体を整型することを言う。パーソンズの「社会化」に重なろう。「管理化」とは哲学者ドゥルーズの概念で、行動記録のデータベースを用いた環境制御によって、主体化が不十分でも強制抜きに秩序行動を生み出すように誘導することを言う。
■「主体化から管理化へ」は、人事管理の領域で「人作り」のコスト削減をもたらすことに象徴されるように--実際それゆえにグローバル化のベースになる「マネジメントの輸出」が可能になったのだが--統治行為や経営行動のコストを下げる意味合いがある。だから政治学では「ガバメントからガバナンスへ」というスローガンで呼ばれたりもする。
■「主体化」の概念は、人がまともであることによって秩序立つ社会を示唆する。「管理化」の概念は、人がまともでなくても秩序立つ社会を示唆する。どちらが良いのかは価値観が絡む微妙な問題だ。例えば「社会成員がまともであることで殺人が少ない社会」と「社会成員がまともでなくても管理技術によって殺人が少ない社会」という対比である。
■むろん現実には、程度の差はあれ、「社会成員がまともであることで殺人が少ない社会」をめざしつつ、綻びを「社会成員がまともでなくても管理技術によって殺人が少ない社会」の手法で補完するということになろう。だがその場合も、「社会成員がまともではない」ことをどれだけ嘆くのか--管理技術をどれだけ頼るのか--は価値観の問題になる。
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■現実には非社会性は程度問題だ。社会性と非社会性を截然と分割できる訳ではなく、社会性を測る物差しも社会によって変わる。だから、どんな社会性をどの程度要求するのかは恣意的な問題となる。恣意的だというのは、「社会システム次第で、必要な社会性が変わる」と同時に、「社会性への要求次第で、必要な社会システムの形が変わる」からだ。
■どんな社会性と社会システムの型の組合せを選ぶべきか。これは価値観の問題だ。先に「国家が社会を支援するのは、社会を国家に依存させるのでなく、社会を国家から自立させるためだ」と述べた。自立した社会とは、相互扶助メカニズムゆえに包摂的な社会を言う。そうした社会的包摂がどの程度「まともな個人」を必要とするのかも、社会次第だ。
■自己決定的な強い個人を「まともな個人」として要求するような社会的包摂のメカニズムもあるし、共同体同調的な弱い個人を「まともな個人」として要求するような社会的包摂のメカニズムもある。日本社会は長らく後者だったが、それが国家への依存を深化させる重大要因でもあった。かつてよりも強い個人--個人の自立--が要求されるのは確かだ。
■どんな社会性をどの程度要求するのかは、どんな社会を良い社会だと見做すのかに応じて変わる。「ニート問題」の源流は「社会の自立」をめざすものだったが、「社会の自立」が「個人の自立」をどの程度要求するのかは、どんなタイプの「社会の自立」を良きものと見做すかで変わる。ニート対策を「個人の自立」に直結する訳にいかない所以だ。
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■社会システムが前提とする社会性を社会成員が持たないという非社会的な事態が、多様な現れを見せると述べた。非社会性を示す各種の現象の共通項は「反社会性」という概念との対比で明らかになるとも述べた。多様な現れについては幾つか例示したが、ここで、反社会的行動との対比で、非社会的行動の多様な現れ方について、一瞥しておきたい。
■非社会性と対比される意味での反社会性という概念は、当事者に怨念や憤激などの反社会的感情が存在することを指す。例えば反社会的行為は「悪いと分かっている状態で」遂行される。これに対し、非社会性という概念は、当事者にこうした反社会的感情が存在しないことを指す。例えば非社会的行為は「悪いと分かっていない状態で」遂行される。
■非社会的行為には、所属集団的要因(世代的環境や仲間的環境)に帰属できるものと、パーソナリティ的要因に帰属できるものがある。そうしたパーソナリティを有する者が多数輩出される場合にはその社会的背景を論じ得る。所属集団的要因による非社会的行為とパーソナリティ的要因による非社会的行為とは、混同されやすいので注意を必要とする。
■所属集団的要因による非社会的行為には、公共空間で地べた座りしたり、電車内で化粧したり、公衆の面前でディープキスをしたり、金のために下着を脱いで売ったり(ブルセラないし生セラ)する振舞いが含まれる。これにも、所属集団特有の規範内容に関わるものと、視線を気にできる仲間の範囲が狭くなるなど行動制御要因に関わるものとがある。
■所属集団的要因による非社会的行為は、シカゴ学派の社会学者らが「サブカルチャー」(下位文化)と名付けた小集団的行動に含まれる。年長者が「最近の若者は…」と嘆く場合、問題とされる振舞いの大半は所属集団的要因--例えば世代集団的要因--に帰属される。これ自体はそれこそ古代社会から存在するもので、今日的であるとは全く言えない。
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■こうしたものと、パーソナリティ的要因に帰属される非社会性とは区別される。今日的な問題はこちらにある。パーソナリティ的要因とは、喜怒哀楽など感情の働きに関わる。動機不可解な犯罪に限らず、傍若無人だとか恥知らずだという批判の範囲を超えて「動機が理解できない」と受け取られる非社会的行為が、パーソナリティ的要因に帰属される。
■例えば、長続きする感情的紐帯を作れないので恋人形成や家族形成から退却するという振舞いは、所属集団の文化的作法というよりも「そうしようとしても出来ない」というパーソナリティ上の問題だろう。働く意欲が持てないことや、解職される訳でもないのに職場で長続きできないことも、同様な理由によってパーソナリティ上の問題であり得る。
■誰でも良いから人を殺したかったとの理由での殺人行為も、普通なら働くはずの感情が働かないという意味でパーソナリティ的要因が大きい。見知らぬ者同士が楽に死ねる手段を共有して集団自殺するネット心中は、自殺サイトに慣れ親しむという所属集団的要因と、死ぬべき強い理由がないのに生きられないというパーソナリティ的要因が両方絡む。
■どんな社会システムも、社会成員に一定枠内の感情プログラムがインストールされていることを前提とする。何らかの理由で、適合的な感情プログラムのインストールに失敗した場合、その社会システムにおける家族生活も就業生活も、友人関係も性愛関係も、継続的に営むことが困難となる。この困難さが社会成員を追い詰めていくことにもなり得る。
■こうして非社会性ゆえに追い詰められた社会成員が、反社会的な逸脱行動に及ぶケースも増えつつあると思われる。集団ネット自殺や動機不可解な殺人などの少なくないケースが該当すると推定される。パーソナリティ的要因による非社会性ゆえに追い詰められる状態--当事者の生きにくさ--を解消すべく、公的関与が要求されざるを得ない所以である。
■1960年代後半に、先進各国で次々に反体制運動(異議申し立て運動)ないし大学紛争(学園闘争)が起こった。異議申し立ての主題は、ベトナム戦争だったり大学管理体制だったり授業料値上げだったりと一国内でも多様だったが、この多様性がこれらの闘争の共通性を逆に示唆していた。一口でいえば、実存的ないし実存主義的だったのである。
■1966年に新聞上で戦われたミシェル・フーコーとジャン・ポール・サルトルの論争に、構図の一端を見出せる。サルトルが意味の獲得に向けて投企する主体の自由を賞揚するのに対し、フーコーはラカンやアルチュセールやレヴィストロースを援用しつつ、主体性なるものはシステムないし構造の作動が与える効果に過ぎないとしてサルトルを批判した。
■この論争は「構造主義による実存主義への批判」のエポックとして有名だが、そうした学問的意義とは別に、フーコーによる告発が「自由や主体性に見えるものは、どこまでも見せ掛けに過ぎない」という形式をとることが注目されなければならない。というのは、同時代の映画や演劇や小説などの表現に、似た形式の告発が陸続と登場するからである。
■この種の告発は、政治的な闘争としては「リベラルや左翼に見えるものも、見せ掛けに過ぎない」という形式をとった。具体的には、対外的な形では、ソ連のスターリン批判への連帯や中国の文化大革命への連帯、対内的な形では、リベラルないし左翼に見える知識人ないし大学人への批判--サルトル批判であり丸山眞男批判であり--という形をとった。
■社会学的には、これら批判の個別的な中身よりも、批判の形式にみられる同一性が注目されよう。結論を言えば、これら同時多発的現象は社会学のアノミー理論によって説明できる。戦後復興や経済成長--都市化と郊外化--によって「豊か」で「自由」で「主体的」になった筈が、何か決定的に「期待外れ」だったという共通体験があった、と思われる。
■この「期待外れ」とは、厳密に言えば「再帰性への気づき」であった。〈生活世界〉を生きる「我々」の幸いのために〈システム〉があるはずだったのに、気がついてみると、何が〈生活世界〉なのか、「我々」とは誰なのか、幸いとは何なのかを含め、全てが〈システム〉の生成物に過ぎないという「〈システム〉のマッチポンプ」への気づきである。
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■〈システム〉と〈生活世界〉という対比は同時代のユルゲン・ハーバマスによるものだ。〈システム〉とは「役割&マニュアル」優位のコミュニケーション領域であり、〈生活世界〉とは「善意&自発性」優位のコミュニケーション領域である。前者が「コンビニ&ファミレス的なもの」で、後者が「地元商店的なもの」だと表現すれば分かりやすい。
■〈生活世界〉が〈システム〉へと置き換えられる動きを「近代化」と言う。ウェーバーが計算可能性を保証する手続きの拡大を「近代化」と呼んだことを前提として、ハーバマスが(細かい定義は著作ごとに揺れるが)計算可能性を保証する手続きが支配的な領域を〈システム〉と呼び、かかる支配が未だ及ばない領域を〈生活世界〉と呼んだのである。
■〈生活世界〉が〈システム〉に置き換えられる途上では--近代化の過渡期には--「〈生活世界〉を生きる「我々」が幸せになるために〈システム〉を利用するのだ」と思えた。ところが近代化が進んで〈システム〉が全域化すると、〈システム〉のこうした正当化は不可能になる。そうした時代を、ジャン・F・リオタールが「ポストモダン」と呼んだ。
■そうした意味でのポストモダン--社会学では「近代終焉」ではなく「近代後期」ないし「近代成熟期」の訳が正しい--の始まりは、先進各国では1970年代の消費社会化だった。経済学的には「製造業からサービス&情報産業へ」のシフトや「大量生産から多品種少量生産へ」のシフトによって記述される。だが社会学的にはもっと大きな射程を持つ。
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■社会学的には、消費社会化は消費選択肢の増大を意味する。消費選択肢の過剰に応じて複雑性を縮減するべく--可能性の過剰さを刈り込むべく--、消費対象の側で「記号的な差別化」がなされ、消費主体の側で“これが理想のアナタです”という類の「自己イメージの供給」がなされ始める。こうした事態を、ギデンズは「近代が再帰的になる」と述べた。
■その意味はこうだ。〈システム〉の外にある目標--〈生活世界〉を生きる我々--のために〈システム〉が手段として利用されるのでなく、〈システム〉が作り出した課題--理想のワタシ--のために〈システム〉自体が応えるというマッチポンプ=再帰性が露わになるということだ。前述したフーコーの「主体もシステムの生成物」という言明に対応する。
■かつては主体(人間)を基準にして〈システム〉を批判できた。ところがギデンズのいう「再帰的近代」では、〈システム〉の生成物だと気づかれた主体はもはや批判の基準にならない。だから何に準拠して何を批判すれば良いのかが不明瞭になる。ハーバマスが「ポストモダンにおける正統性の困難」と呼んだのは、一口で言えばかかる事態である。
■この困難は、ハーバマス自身が参照するマンハイムの用語に遡れば、〈社会〉の全体性が--たとえ知識人にとってであれ--不可視になることに相当する。そうなれば「全体的文脈を参照して部分の不適合や不整合を批判する」という批判の営みも、困難になるしかない。リオタールの言う「大きな物語の死滅」とは、こうした事態に言及したものである。
■消費社会化(消費選択肢増大)、ポストモダン(近代成熟期)、再帰的近代、正統性の困難、大きな物語の終焉など、人文社会科学の領域で知られる一連の概念は全て、〈システム〉が〈生活世界〉を覆い尽くした結果、〈生活世界〉が空洞化するという事態--家族的・地域的・結社的な相互扶助に支えられた社会の厚みがなくなる事態--に関連する。
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■こうした〈生活世界〉の空洞化は、学問領域に既に述べた一連のパラダイム・シフトを生じさせただけではない。フーコーとサルトルの論争ではフーコーが同時代の小説への参照を求めていた通り、芸術表現をも大きく変容させた。さらに68年前後の同時多発的な学園闘争に見られたように、学問や芸術の領域を越えて人々の実存に大きな影響を与えた。
■社会学者ルーマンがハーバマスを批判する通り、〈生活世界〉と〈システム〉が別にあり、〈システム〉が〈生活世界〉を侵食するという図式は素朴すぎる。〈生活世界〉は自存せず、〈生活世界〉と〈システム〉の区分自体がシステムの作動結果だと見る他ない。だがフーコーやギデンズが言う通り、それが気づかれてしまうか否かが決定的に重要だ。
■こうしたルーマンやギデンズの議論を踏まえるがゆえに、ここではハーバマスの生活世界とシステムの概念を〈 〉を付して表記する。ルーマン的に言えば、〈生活世界〉も〈システム〉も、同時代の社会システムのコミュニケーションにおける自己主題化self thematizationないし内部表象inner imageに過ぎぬ。多かれ少なかれ実存的概念なのだ。
■フーコーが「自由や主体性は見せ掛けに過ぎない」と言うとき、もはや実存的には〈生活世界〉も〈システム〉も区別できなくなったということを述べている。昨今の「セカイ系」--世界を描くようで少年少女の脆弱な実存の投影に過ぎぬとされる表現--という日本の若者に拡がる概念も、「世界は見せ掛けに過ぎない」という形で同じことを述べる。
■「自由や主体性が見せ掛けに過ぎない(見せ掛けでない自由や主体性はない)」のであるなら、「強制によって歪まない自由な主体が観察した世界」なるものも、あり得ない。主体がシステムの作動結果であるように、世界(の像)も主体を経由したシステムの作動結果に過ぎない。そのことが「セカイ系」という範疇で若い世代に広く自覚されている。
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■自由や主体性がシステムによって疎外されるとするサルトルの立場を否定し、自由や主体性の観念自体がシステムの効果だとするフーコーの立場は、マルクス主義においては疎外論を否定する物象化論の立場に当たる。確かに「本質からの疎外」の観念は否定されたが、フーコー的ないし物象化論の立場では人々は「未来(投企)から疎外」されるのだ。
■ポストモダン(近代成熟期)においては時間観念が変わるのである。「本質からの疎外」は未来における回復があり得る。だが「未来からの疎外」は“未来がないので”回復があり得ない。すなわち自由や主体性が見せ掛けに過ぎないことが気づかれた段階で、未来は消滅するのである。ヘーゲル研究者コジェーブはこれを「歴史の終わり」と表現した。
■コジェーブは芸術の危機と絡めてこれを論じたが、ポストモダン化はより広汎な側面で芸術の営みを危機に陥れる。近代西洋の芸術観念は基本的に初期ロマン派的である。「日常から離陸し、非日常のカオスを経由し、再び日常に着地すると、日常がかつてとは違ったものに見えるようになる(主体がより高度な自己形成を遂げる)」というものである。
■一般に、芸術を経験すると、自明だったものが自明でなくなる(と期待される)。その意味で、近代芸術は多かれ少なかれ自明性批判を含む。だが自明なものと非自明なものを区別できるという発想はモダン(近代過渡期的)である。つまり〈生活世界〉と〈システム〉を実存において区別できるとする前提と深く結びつく。むろん前提に満ちた発想だ。
■ポストモダンになるとこうした前提が消えてしまう。〈生活世界〉に見えるものも--善意も自発性も--〈システム〉の再帰的な構築物になるからだ。平たく言えば、手付かずの自然があるのでなく、敢えて手を付けないという作為--不作為という作為--があるに過ぎない。「その意味で」人間も主体もシステムの作動の効果に過ぎない(と解される)。
■とりわけ大切なのは、ポストモダンにおいて、こうしたフーコー的ないしリオタール言説--人間は死んだ/大きな物語は死んだ--が、紋切型として量産されることである。その結果、近代芸術の「十八番」であった自明性批判は多かれ少なかれ無効になるしかない。なぜなら「もはや自明なものなど何一つ存在しないこと」こそが自明になるからである。
■例えば「平穏な日常に孕まれる狂気」を主題とするような作品は必然的に精彩を欠くものとなろう。なぜなら、平穏な日常--普通であること--にこそ狂気が孕まれることなど誰にとっても自明になったからである。同種の困難が全ての芸術表現を襲う。「自明(現実)に見えるものが実は非自明(虚構)だった」という現実虚構混同論が失効するのだ。
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■次に、思想や芸術を離れて、〈生活世界〉の実態に即して空洞化の経緯を追いかけてみよう。明治期の人々は、生まれた場所にいた者たちと死ぬまで一緒にいるが如きムラ的共同体を生きた。日露戦後の重工業化と都市化は、とりわけ都市部の住民に、周囲が知らぬ者ばかりという環境を強いた。この新しい経験は都市部での神経症の増大をもたらした。
■それに続いて、都市化のアノミー--当てにしてきた前提が空洞化した状態--を埋め合わせる動きが生じた。主なものが二つある。一つは、大正期の都市部の大企業から採用された終身雇用と年功序列の制度、後に人呼んで「日本的経営」だ。これは「ムラ的共同体」ならぬ「会社共同体」を生んだ。敗戦後、組合運動の成果として全国的に一般化した。
■もう一つが「近代天皇制」。「天皇の赤子」という観念が「誰もが同じ日本人」というそれまでなかった虚構を与えた。こうした国民的共同性が、都市化で空洞化するムラ的共同性を埋め合わせた。ちなみに敗戦後、とりわけ占領下での天皇人間宣言の後は、共通の戦争体験と国家復興への願望が、国民的共同性の機能的等価物を与えることになる。
■ムラ的共同体の空洞化を埋め合わせた会社共同体と国民共同体は、今日では空洞化している。妻と子を成員としない会社共同体は、辛うじて90年代初頭のバブル崩壊まで続いた。国民全員を成員とするはずの国民的共同性は、敗戦後、三島由紀夫が慨嘆したように段階的に空洞化した。特に重要なのは郊外化の歴史と結びついた崩壊プロセスである。
■郊外化は二つのステップを経て進んだ。第一段階の郊外化は、主要には1960年代の-正確には50年代半ばから70年代末にかけての--プロセスで、「団地化」と呼べる。第二段階の郊外化は、主要には1980年代の--正確には80年代初頭から現在まで続く-プロセスで、「コンビニ&ファミレス化」と呼べる。史実を参照しながら、詳しく説明してみよう。
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■まず、団地化から説明する。1956年に日本住宅公団--のちの住宅都市整備公団--が千葉に最初の団地を売り出した。直前には港区青山に日本初のスーパーマーケット「紀伊国屋」ができたが、陸続と開発された団地には必ずスーパーが併設された。既に知られるように団地化は、ハード面では「家電化」、ソフト面では「専業主婦化」を軸としていた。
■家電化からいうと、50年代後半は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」ないし炊飯器・掃除機・洗濯機が「3S」と呼ばれ、60年代後半はカー・クーラー・カラーテレビが「3C」「新三種の神器」と呼ばれて、これらを揃えることが「文化的生活」の条件だとされた。これら耐久消費財への需要は「高度経済成長」を支える内需の柱となった。
■家電化の最重要項目が白黒テレビである。テレビはそれ自体が家電製品であると同時に、家電化に向けた情報を家庭に送り込む装置でもあったからだ。その意味でテレビこそは家電化やそれと平行した核家族化・専業主婦化の触媒だった。53年にテレビ放送が開始されたが、テレビの本格的普及は団地化以降。59年の皇太子御成婚で爆発的に普及した。
■この時期に人気を博したのが、バラ色の郊外生活を描いた米国製ドラマ--『パパは何でも知っている』『うちのママは世界一』『奥様は魔女』『名犬ラッシー』など--である。家電製品で魔法使いのように美味しいケーキを作る優しいママ。週末には自動車でピクニックに連れ出してくれる頼もしいパパ。誰からも好かれる可愛いボクやワタシ…。
■白黒テレビから送り込まれるこうしたメディアイメージが、人々を郊外団地を舞台とした文化的生活--専業主婦のいる二世代少子家族--に動機づけた。専業主婦の存在に含意されるように、団地化は(1)地域の空洞化(2)家族への内閉化という二側面を有した。地域の相互扶助が空洞化した分を、家族の相互扶助--専業主婦の負担--が埋め合わせたのだ。
■団地に住み始めたのは戦中派から疎開世代までの多産少死世代。家督を継げぬ次男三男、婿養子を取れぬ次女三女が都市に流出。片やサラリーマン,片や彼らを支える専業主婦となった。かつて高級官僚や大学教授を除いて専業主婦は珍しかった。だから養育責任が母親にあるとの観念も乏しく、子供は地域的相互扶助の中で育つのが当たり前だった。
■ちなみにこうした農村余剰人口が戦後復興のエンジンだった。移民人口を頼った欧州との違いとして知られる。農村余剰人口が都市に集住した場所が団地だ。当然近隣は知らない者同士。米国の郊外ならば週末毎にパーティーを開いて仲良くなる。日本にはこうした伝統はない。孤立した母親は育児マニュアルを頼る。家族関係のメディア化が始まった。
■すなわち「地域の空洞化」に伴う「家族への内閉化」は専業主婦への負担転嫁を意味したが、こうした負担過剰を吸収したのが、一つには育児マニュアルのようなメディアであり、もう一つには郊外家族のバラ色イメージを送り込むメディアであった。実際こうしたメディアイメージによる鼓舞が風化するにつれ、負担過剰に伴う問題が噴出しはじめる。
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■負担過剰が露わになる過程は意味論の変化を伴った。意味論とは、概念と命題からなる一纏まりのセットを意味するルーマンの概念である。70年代半ば過ぎから「結婚という夢」が退潮し、「性・愛・結婚の三位一体」が終焉する。少女漫画は性と愛の結びつかなさを扱い始め、『アンアン』がセックス特集を組む。性それ自体が主題化され始める。
■同じ頃「母原病」が話題になる。母親がオカシイから子供がオカシクなるという類の議論の短絡ぶりは言うまでもない。ここにはむしろ、「結婚のロマン」や「郊外家族のロマン」が明白に風化し始めたことを契機とする、専業主婦への負担過剰の間接的主題化を見てとれる。専業主婦へ負担過剰を専業主婦の無能に転嫁したのが「母原病」だと言える。
■同時代に「日本的学校化」が急速に進みつつあったことが重要だ。家族や地域が学校的物差しで一元的に覆われる現象である。統計的には1975年から家計に占める教育費の割合が急増した(下図)。具体的内訳としては小中学生の塾通いが増えた。子供は家に帰っても成績のことを言われ、地元の塾でも成績を云々され、近隣の評判も進学の話ばかり。
■「日本的学校化」の開始と「専業主婦への負担過剰」の露呈は同一現象の表と裏である。どちらも高度経済成長時代の終焉に関連する。核家族の歴史が浅い日本では、「郊外家族のロマン」が、米国製ドラマに象徴されるモノの豊かさの実現と表裏一体だった。ゆえに耐久消費財が一巡して「豊かさの夢」が風化すると、核家族がアノミーに陷るのだ。
■アノミーとは、当てにできたものが消えることよる混乱を意味する社会学者デュルケムの概念だ。「豊かさの夢」の終焉に伴う「家族幻想」の空洞化を埋め合わせ、急性アノミー(小室直樹)の顕在化を抑止したのが、「学校幻想」だった。専業主婦は、子供をいい学校に入れることが誰からも誉められる「家族にとって良きこと」だと考えたのだ。
■だが「学校幻想」への依拠--家と地域と学校を同一の物差しが支配すること--は大きな副作用を生じた。子供にとっては学校での自己イメージを学校外の場所でも永久に引きずり続ける深刻な「尊厳のリソース不足」が生じた。因みに79年以降、「金属バット両親殺害事件」「開成高校生事件」など、家庭内暴力から殺人に至る事件が連続することになる。
■かくしてベティ・フリーダン『新しい女性の誕生』が話題になった米国から15年遅れで「郊外家族の危機」が意識され、家族論がブームとなった。ブームを象徴したのが山田太一脚本のドラマ『岸辺のアルバム』である。多摩川べりの一見「まともな家族」が、母親は不倫で、姉は堕胎。“ウソ家族”ぶり苛立った高校生男子が父親を殴り倒す内容だった。
■このドラマでは子供が“ウソ家族”に苛立ったが、こうした苛立ちは一過性で終わる。実際70年代末からの家族論ブームは80年代半ばにかけて衰退する。家庭内暴力は校内暴力に話題を譲り、家族論の書物は多くが絶版になる。だが家族の危機が去った訳ではなかった。危機意識の低下は家族への期待水準が下がったことによる。危機は深刻化したのだ。
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■第二段階の郊外化--コンビニ&ファミレス化--を象徴したのが85年のセブンイレブンのCMである。夜中に「いなりずし、いなりずし」とメモりはじめたケイコさんが家を出てコンビニにかけ込み,いなり寿司を買って「開いてて良かった」と喋る。夜中にいなり寿司が食べるのも変だが、以前は夜中に外出するなど近所や家族の目ゆえに無理だった。
■無理だったはずの振舞いが80年代半ばには自然になっていた…それこそが第二段階の郊外化=コンビニ&ファミレス化の帰結だ。日本初のコンビニは69年に開店した大阪豊中市の「マイショップ」。セブンイレブン1号店が74年。ローソン1号店が75年である。大半が11時までに閉店する小さな店で、ミニスーパーなどと呼ばれたが話題にならなかった。
■それが82年から86年にかけてコンビニは二倍弱に増加し、セブンイレブンでは24時間営業が7割を越える。82年にPOS導入を開始したセブンイレブンは86年までに全店POS化。レジから商品数や時刻がホストコンピュータに転送されるリアルタイムの在庫管理システムだが、全店POS化以降は公共料金支払いや宅配便やチケット販売を扱い始める。
■こうして地域の情報ターミナルと化したコンビニだが、かかる動きと連動する変化が各領域に生じる。83年には東京23区内でワンルームマンションブームが起き、建築確認申請数は82年の4倍を超え、84年には郊外や地方に波及して「ちゃんとゴミ出ししない」「自転車を放置する」「夜中に変な連中がウロつく」などと建設反対運動が続発した。
■コンビニ販売を前提とした雑誌も生まれた。83年はレディスコミック創刊ラッシュ。翌年には『ポップティーン』など少女向け告白誌が国会質問で問題化した。同年に男子向けのセックス写真投稿誌『熱烈投稿』『投稿写真』が創刊。数年後に30誌を数える。84年からはロヂャーズやダイクマなど郊外のロードサイドショップが陸続と建設され始める。
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■これが「個室化」に繋がった。ロードサイドショップではNIES諸国(新興産業国)のOEMで白黒テレビが2万円台で売られ、お茶の間にテレビが1台だけある時代が終わる。「テレビの個室化」で、家族全員で見ることを前提としたゴールデンタイムの歌謡番組とクイズ番組が次々打切りになる。象徴的なのは87年の『ザ・ベストテン』の打切りだ。
■続いて「電話の個室化」が起こる。85年に電電公社が民営化し、電話が買切制になった結果、茶の間ならざる個室から電話するコードレスホンが拡がる。同年、新風営法対策として「世界発の出会い系産業」テレホンクラブ(テレクラ)が歌舞伎町にオープンすると、翌年夏には都内で120軒に激増。それ以降テレクラは郊外や地方に爆発的に拡がる。
■86年11月にNTT伝言ダイヤルが始まるが、翌年には伝言ダイヤルのテレクラ的利用が拡がる。それが89年からのNTTダイヤルQ2サービスにつながり、Q2ツーショットダイヤルの大ブームが訪れた。この動きが90年代後半からのインターネットでの出会い系サービスに、そして2000年以降の携帯電話での出会い系サービスへと、つながっていく。
■ワンルームの単身者や、家族同居だが個室化した疑似単身者が、夜中にいなり寿司が食べたくなってコンビニに行く。するとレディコミ・告白投稿誌・写真投稿誌が置いてある。買って帰っていなり寿司をパクつきながらページをめくれば、そこにはテレクラ広告が満載。手元のコードレスホンから家族の目を気にせずに電話し、見知らぬ人と会う…。
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■そんな振舞いを可能にした一連の変化が「ケイコさんのいなり寿司」CMに象徴されていた。要点を述べれば「テレビの個室化」「電話の個室化」を通じて家族各自が別々のチャンネルを通じて別々の世界につながる状況--みかけはマトモでも中身はバラバラの友達家族--がもたらされた。かかる変化の果てに「1人1台のケータイの時代」がある。
■かかる変化の果てに見出されるのは、専業主婦の有無にかかわらず、どんなに形がまともに見えても、「子供の社会化機能」や「パーソナリティ安定化機能」をもはや果たせない家族の姿だ。そこには『岸辺のアルバム』のような「形だけの家族に苛立つ子供」さえいない。子供の心は家族や地域や学校ではない「第四空間」へと流出していたのである。
■「第四空間化」をもたらしたのが「日本的学校化」だ。学校化された家族は、学校が刻印する否定的自己像から子供を解放しない。その意味で子供の「感情的安全」emotional securityを保障できない。感情的安全を--魂の在り処を--求める青少年は第四空間に流出する。仮想現実(ゲームやアニメ)、匿名メディア(出会い系)、匿名ストリートだ。
■こう言えるだろう。第一段階の郊外化である「団地化」が、「(1)地域空洞化と(2)家族への内閉化」を招いたのに対し、第二段階の郊外化である「コンビニ化&ファミレス化」は、「(1)家族空洞化と(2)市場化&行政化」をもたらした。同時に、とりわけ感情的安全が必要な子供に関しては「(1)家族空洞化と(2')第四空間化」をもたらしたのである、と。
■こうも言える。パーソンズが家族に最後まで残ると見た「子供の社会化機能」と「パーソナリティ安定化機能」に関して、60年代の「団地化」では「地域共同体から核家族へのシフト」が生じ、80年代の「コンビニ化&ファミレス化」では「核家族から第四空間へのシフト」が生じた、と。だが後者のシフトが実は万人に開かれ得ない所に問題があった。
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■08年6月の「秋葉原通り魔殺人事件」の背景に「子供の社会化機能」「パーソナリティ安定化機能」を果たせなくなった家族の姿を見出せる。と同時に、家族の代替的機能を果たし得る第四空間が、にもかかわらず全ての子供や若者に開かれる訳でないという事実を見出せる。容疑者が「携帯サイト」に書き込んだ内容を手がかりにして、分析を加える。
■「現実でも一人。ネットでも一人」「みんな俺を避けている」などの書き込みから見ると、容疑者は社会に居場所が見つけられない不満を強く感じていた。背景には、若者文化の変質がある。かつては人づきあいが苦手な若者たちの『もう一つの居場所』が若者文化の中にあった。オタクも秋葉原もその象徴だった。ところが今日ではそうではないのだ。
■オタク文化は96年頃と2005年頃に変質した。まず96年頃、ナンパ系とオタク系の落差が消え、横並びのトライブ(部族)になった。かつては、モテない男や女が代理満足を得るべくメディアに耽溺し、オタクになるとされた。オタクは恰好悪かったのだ。それが援交ブームが斜陽化する96年頃から、ナンパも性愛もさして実りがないとの感覚が拡がる。
■並行してオタクに対する「差別的目差し」も弱まり、オタクならではの抑鬱感情が「ガス抜き」された。オタク評論家岡田斗司夫は、抑鬱感情こそが高度な創造性をもたらしていたのに、「ガス抜き」された結果、オタクから創造性が脱落したとし、自らが主催するワンダー・フェスティバル(フィギュア製作の祭典)を中止するに至った事実は有名だ。
■一口で言えば、オタクのコミュニケーションが「うんちく競争」から「コミュニケーションの戯れ」に変わった。変化の背景に、ナンパ系の風化とは別に、パソコンや携帯電話を使うインターネットの拡がりがあろう。表情や外見が見えないネットコミュニケーションは、自信がない者に対してコミュニケーションの敷居を下げる働きをしたのだ。
■社会学者鈴木謙介がいう通り、労働市場の流動化が進み、肩書や役職ベースのコミュニケーションが長続きしなくなると、固定ハンドルネームを使った--匿名だが同一人物であることを確認できる--ネットコミュニケーションの方が、現実社会の流動性の煽りを受けないので安定しやすく、感情的安全を保つホームベースになりやすくなることもあろう。
■こうして、第一にオタクの否定的なイメージが薄まり、第二にオンライン(=ネット)優位だとはいえコミュニケーションに基づくホームベースが得られたことで、最終的に、オフライン(=ネットの外)でのコミュニケーションも容易になりゆく。それを象徴するかのように、2004年頃からメイド喫茶ブームに代表される秋葉原の変質が始まるのだ。
■2000年前後の秋葉原は、森川嘉一郎が『趣都の誕生』で記述したように「コアなオタク」が一人で出かける怪しい場所だった。だがメイド喫茶で見かけるのはこうした「コアなオタク」ではなく、連れ立って訪れる「半オタク」的な存在だ。メイド喫茶はオタクアイテムが「コミュニケーションの戯れ」のネタに利用されるようになった状況を表わす。
■こうした変化は、2005年の『電車男』ブームに見るような「オタクの社会的承認」をもたらすという意味で良いことだったが、暗黒面を忘れてはいけない。オタクなるものが提供していた「代替的地位達成」の機能--現実社会で立身出世できないかわりに教団でステージアップを経験するといったことを示す宗教社会学の概念--が急速に失われたのだ。
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■秋葉原事件は、オタクになっても救われない若者がいるという今日的なコミュニケーションの状況を示すだろう。秋葉原事件の被害者は多くが、オタクの「コミュニケーションの戯れ」化を象徴するかのように、連れ立って秋葉原に来ていた若者たちだった。今日、「友達がいない者」にとっては、秋葉原でさえ居場所にならないということなのだ。
■かつてはオタク文化が、代替的地位達成を可能にすることで、社会的包摂の機能を果たした。ところが、かつてオタク文化に包摂され得た者が今日では包摂されなくなった。これは皮肉にも、かつてはオタクとして排除された者が、ネット文化が社会的包摂の機能を果たすようになって、「コミュニケーションの戯れ」に興じられるようになったからだ。
■これは、「包摂がむしろ酷薄な排除をもたらし得る」という社会学では良く知られた逆説の典型例である。と同時に、たとえ地域や家族が包摂しなくても、少なくとも一時的にはオタク文化やネット文化などのサブカルチャーが若者を包摂し得ることを示す。だがこの種の包摂は家族や地域から負担を免除するが、文化が変質した途端に大問題を生じる。
■変化したサブカルチャーによって包摂から見放された秋葉原事件の容疑者にも、帰る場所--家族や地域--がなかった。「県内トップの進学校に入って、あとはずっとピリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生」「親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ』などの書き込みは、家族が子供を追い込む今日的な状況を示している。
■今は新卒一括採用ゲームでの勝利--親が喜ぶ大企業への就職--は、必ずしも労働市場での人材価値を保証しない。叩き上げで獲得した専門性がむしろ人材価値をもたらす時代である。なのに教育界や親はいまだに「いい学校・いい会社・いい人生」である。教育界はこの「勘違い」で飯を食う利害当事者だし、親はかつての昭和的常識から抜けられない。
■厳しい家庭で優等生として過ごした、友達がいない秋葉原事件の容疑者は、進学上の「敗北」を過大に受けとって「挫折」した。友達がいないがゆえに容疑者は親にますます抱え込まれ、親や教育関係者によって与えられた「勘違い」を正す機会を失った。「親が頑張れば、子供が社会に包摂される」という単純な話ではないことが、示されている。
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