◆「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」vol.07
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◆「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」vol.07
違いを認めて、その上で仲良くする.
当時政府支援チーム陸上幕僚監部要員 S1佐
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▼丸腰、非武装で出かけた現地支援要員
難民支援ミッションは1994年8月2日には現地に出かけた。22日には外務省、総理府(現在は内閣府)、防衛庁(同・省)の職員による実務調査団が出発した。9月には政府与党調査団が現地入り、その13日には派遣についての政令が閣議決定された。その3日後、「ルワンダ難民救援平和協力隊」が設置され、翌日、空輸派遣隊が出発し、21日には先遣隊がケニアのナイロビに飛んだ。その中に、当時、1佐になりたてのS将補はいた。
「2佐の時には、アメリカの防衛駐在官補佐官をしていました。帰国して1カ月くらい経ったころのことです。当時は目黒の幹部学校戦術教官でした。海外へ行くことになるから予防接種を受けろということから始まりました」
ルワンダ派遣部隊の現地支援要員、政府支援チームの一員ということだった。あれは、確か、文民扱いということでしたっけ……、S将補は遠い記憶を探るような顔をした。そうだ、統合幕僚監部から2人、航空幕僚監部から1人、そして陸上幕僚監部からは私が1人という合計4人、みんな若手の1佐だった。
丸腰、非武装だった。自衛用の拳銃どころか、鉄帽(ヘルメット)も防弾チョッキも携行できなかった。当時は、海外活動を想定した法律が、ほとんどなかった。戦後のわが国は、軍事大国にもならないし、武器輸出もしないという国是をもった。国際標準では、軍隊が使う物をみな兵器というが、兵という言葉も禁句の国である。自衛隊では言いかえて、武器、装備、物資などというが、なかでも武器は海外へ持ち出すことはできないことになっていた。
▼仕事の始まりは、ケニア政府との地位協定だった
ケニアの首都ナイロビは素晴らしい近代的な街だった。インターコンチネンタルホテルに現地オフィスを開いた。インマルサット(通信衛星回線)を設置、ファックス、電話を入れた。現地の人からセクレタリー(秘書)を雇った。
外国公館、UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)との調整、総理府、防衛庁との連絡・調整をした。ゴマの現地で働く部隊の活動基盤の支援だった。つまり、部隊を動きやすくするための条件を整える。現地の状況の変化に応じて、どう部隊が対処すれば、トラブルがより少ないかを考えることである。「私たちの事務所のそばには、アメリカ大使館、わが国の在ケニア大使館、国連関係のさまざまなオフィスがありました。また、近くにはケニア空軍のジョモ・ケニヤッタ空港があり、そこに空自の輸送機部隊も展開しました」
最初の仕事は、ケニア政府との地位協定の締結だった。ケニアの領土であり、ケニア軍の基地である空港内に、自衛隊がテントを張って良いのか。国旗は掲げて良いのか。空港使用料は免除してもらえるか……などの交渉があった。
筆者は思う。こうしたS1佐たちが果たした縁の下の業務について、大方の国民は無関心、無知であるにちがいない。とりわけ、国際間の現実の厳しさを知らない、知りたくない人にとっては、どうでも良いことのように思えるだろう。なかには難民支援という人道的な行為で、どうして外国空港の使用料を請求されるのだなどという人もいるだろう。国旗などどうでもいい。そんなことにこだわるから、自衛隊など出さなくても良いという、現実無視の意見も出るのがわが国の現状だ。しかし、世界は国家の単位で構成され、それぞれの国が国益をかけて、威信を問われつつ、行動しているのだ。
▼ザイール兵も彼らなりに国のことを考えていた
「空自のC130でゴマに行きました。ゴマはケニアのナイロビよりも標高が高く、富士山によく似た、コニーデ型のニイラ・コンゴ山という美しい山がありました」街の建物も瀟洒(しょうしゃ)な別荘風だった。もともと避暑地だったらしい。キブ湖という大きな湖もあり、風光明媚、まるで富士五湖のあたりのような気がしたとS将補は思い出す。ところが、そのキブ湖にはトイレや生活用水の汚水が流れこみ放題で、環境破壊も進み、たいへんな有様だったという。「難民たちは外周で200から300メートルといったキャンプを造っていて、その中に10万人とも5万人といわれる人たちが暮らしていました」
環境の悪化には、警備のザイール兵も一役買っていた。というより、諸悪の根元のようにも見えた。彼らへの政府からの給与の支払いは遅れるのがあたりまえ、どころか欠配まである。だから、彼らは勝手に検問をし、難民たちから金や物資を取り上げた。安易に発砲までする。
しかし、S将補に言わせれば、ザイール兵には彼らなりの言い分もあった。難民キャンプでは食べ物の煮炊きや、夜間の暖房、そのための燃料はいつも不足していた。その結果、難民達たちは勝手に周囲の木を切り倒してしまう。
国立公園の警備をするザイール兵にとっては、国土を荒らす難民たちは、まさに国家・国民の敵だったのだ。法を犯し、ルールを守らない、モラルの低い難民に発砲で警告してどこが悪いのか。制止する自衛官に、あなた方だって軍人だろう、いったいどっちの味方なのだと詰め寄るザイール兵もいたらしい。
ザイール軍の状態もひどかった。陸自の師団長が視察にきたことがある。儀仗兵が並んだはいいが、迷彩服もさまざまな種類があった。携えている小銃も、旧ソ連製のAK(カラシニコフ)、イスラエル製のガリル自動小銃、ベルギー製のFNありで、まるで兵器の国際見本市のようだった。とにかく正規軍とはいいながら、その士気、規律、訓練のレベルなどは低いものでしかなかった。
▼NGOや国連への誤解、もしくは美化への反発
「わが国では、NGOというと、とにかく良いイメージがあります。しかし、その実態は、どのNGO組織にもスポンサーがいます。派遣された現地にいるスタッフは、活動の実績を挙げなくてはスポンサーの支持を失い、資金が続きません。だから、かなり、横暴な要求も平然としてきます」
S将補は言う。一部マスコミが言うような、NGOは美しい無垢(むく)な志をもった集団で、国際連合の言うことやすることは何でも正しい、難民はかわいそうな人たちといったステレオタイプの見方に、ずいぶん反発を覚えるようにもなった。
現地のUNHCRの事務所には、ケニアのアメリカ大使館職員、各国の軍人ではあるけれど、制服を着けずに文民のような格好をした国連関係者、各国のNGOの代表者などがいた。そこでは、それぞれの利害は入り交じり、大変な状態だったらしい。
「現実とのすり合わせには苦労しました。たとえば、部隊の恒常業務が始まると、空港の使用料や、夜間使用時の照明の燃料代などの要求が出始めたのです」事前調整では、少しでも低価格で……と努力をした。でも、現地の部隊の人間にとっては、多少、金がかかっても安全には代えがたいという本音がある。その気持ちは十分理解できるし、むしろ当然と思ってS1佐は努力した。また、部隊長や幕僚たちは、自由に行動ができるものではなかった。キャンプ地を回って、情報収集も怠らなかった。
▼アメリカ留学で知った異文化への構え
1982(昭和57)年、当時のS1尉は、アメリカのジョージア州フォート・ベニングにある歩兵学校AOC課程(幹部上級課程)へ留学を命じられた。8カ月の滞在中に、同じ留学生仲間であるエジプト陸軍の中佐夫妻と仲良くなった。中佐と大尉(1尉)という身分違いながら、ほんとうに親しくなり、家族ぐるみで交際していた。ところが、中佐婦人はS夫妻を決して自宅での食事に招くことはなかった。
ある時、彼女が言いました。私は日本食が好きではないと。おそらく、あなた方も、エジプトの家庭料理は口に合わないだろう。無理をして、相手に合わせる必要はない。だから、決して食事に呼ぼうとは思わないと」自分が好きな物を食べることは大切だ。折にふれ、違いを確かめ合って、その上で仲良くする。それが大切だとS将補は言う。
「わが国でイジメが話題になりますが、良きにつけ、悪しきにつけ、自分たちと違った人を排除するといった習慣からきているのではないでしょうか。身体障害者の方々にむける態度もどうでしょうか。みんな一緒という考えが強いから、ふつうに受け入れることがなかなか難しい。アメリカではベトナム戦争で手足を失ったり、心の平安を乱したりした人たちにも、インフラ、社会資本の中に対応がきちんと位置づけられていました」
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■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■
ゴミはいらない
MoMotarou放送局
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【ゴミはいらない】
(拉致問題の再調査と「よど号」犯人引渡し強力で)日本政府はこれを「一定の前進」と評価し、北朝鮮への制裁を一部解除する方針を示した。産経新聞 WEB版より
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中山恭子首相補佐官は13日夜、「もう少し国内でいろいろ議論した後で十分だっただろう」と述べ、拉致問題担当の補佐官として政府方針に異例の“違和感”を表明した。(同上)
■「人柄の福田」
「人の嫌がることをしない内閣」の面目発揮というところでしょう。福田さんと中山さんとどちらが「確り(しっかり)」しているかは明らかです。
■CMタイム
北朝鮮は笑いが止まらない、止まらない、カッパえびせん(煎餅)! メガ鴨葱丼の特大盛り!金利ゼロの消費者金融の債務免除!持っ てけ泥棒!ヒル・ライスもびっくり、ブッシュは魂消(たまげ)た。
まぁ、今回は米国のヒル・ライス国務省ラインが先行していただ けに、チョットだけ日本が「お先に失礼」というぐらいのつもりで しょう。これで米国は「拉致問題は日本が自分達でやりなさい。勝 手にどうぞ」と突き放しもできます。同盟国の肩の荷がおりました。
■国の尊厳より内閣支持率
どうも日本は内閣支持率がさがると北朝鮮大権現に祈願するよう な傾向がありますね。小泉さんも年金問題で窮地に落ちていた時に 第二回の訪朝をしました。安倍さんの場合は、北朝鮮大権現が参院
選前に甘い罠を仕掛けてきました。賢明にも乗りませんでした。
*権現(ごんげん) 大辞林
仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿をもって,この世に現れること。また、その現れたもの。権化。
■メリケン嫌い
福田康夫元官房長官は、2006年の春に突然ワシントンを訪問をした。この背景には、日朝首脳会談実現の過程で、福田氏がブッシュ政権高官たちの信頼を失った事実がある。「外交敗北」重村智計より
まぁ「外交の福田」も能天気な所が在って面白いです。「よきに計らえ、麻呂は忙しい。ホッホッホ。。」
■北朝鮮に告ぐ!
北朝鮮は「よど号」乗っ取り犯を返して捜査協力を演出するよう ですが、日本国民としては、このような「ゴミ」は要りません。
以下、今週も「反対」! 中国地震報道に隠れて一気にやるようです。
・人権擁護法案
・在日外国人地方参政権法案
*「外務官僚の背骨」渡部亮次郎
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