よみがえれ美しい日本! | 日本のお姉さん

よみがえれ美しい日本!

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◎塚本三郎の「今を斬る」  潔く民意に従え  
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政治の舞台だからこそ、武士道と言う言葉を持ち出す。 武士道とは死ぬことと見つけたり、これは葉隠精神と伝えられている。反対者に堂々と立ち向かって、生、死を省みない。指導者たる者いつの時代でも心構えはかくありたい。 政治には大所、高所に立っての発言が必要である。反対者が出ることは止むを得ない。誰もが賛成する政策ならば政治ではなくなる。 他人のいやがることはやらんほうがいいでしょ、と真っ先に叫んだのが福田首相であった。その時点で福田首相は、自ら政治の任に堪えられない、と宣言したようなものだ。日本国家の為に、命を捧げた霊を祀る靖国神社へ、一国の首相が参拝することを非難する中国政権は、日本国民に愛国心を否定させる為の、敵対行為である。それを知らぬのか。 福田首相が真に相手方の為を思っての、温かさで言ったのではない。また信念としての言ならば、胡錦濤に対して、「チベットでの虐殺は止めなさい、日本人のいやがる反日の舘をまず撤去しなさい。それが日中友好の第一歩だ」となぜ言わないのか。福田内閣の支持率が二〇%を下ったと世論調査の結果が発表された。

厳しさ、苦しさに堪えることも武士道の一つと心得る。しかし、福田内閣には、そのような同情に値する行動は見当たらない。日本国家の進む確たる方向を示していないから。官邸の主人公である福田首相には当事者能力がない。単なる雇われマダムで、そこに座っていてはいけない人が座っている、とまで識者から酷評されている。ただ権力にしがみつく妄執だけが残っている。その姿が改められないのが、今日の日本国家の宿命なのか。国民の過半数以上が支持していなくても、未だ頑張って権力にしがみつく日本の政権。その結果、天の怒りか、凶悪犯罪が続出していて、眼を覆いたくなる。野党もまた同様のだらしなさだから仕方がない、で済ましてよいのか。与野党の政権交代が無理だとしても、自民党内で、もっとましな人物が居るではないか。また野党の主張する衆議院の解散によって、改めて民意を問うのが常道であろう。小泉前首相は、郵政改革に反対した参議院に対抗して、郵政改革案に賛成した衆議院を解散した。民意を問うとの弁明による。今度もまた参議院で、与党の重要法案を否決して解散を迫られている。野党からの逆提案である。因果は巡るとは厳しい歴史の教訓である。ならば、福田首相も潔く衆議院を解散したらどうか。

武士道とは死ぬことと見つけたり。正論を掲げて堂々と闘い、生死を省みない。そこにこそ、福田康夫と自民党の執るべき姿が在る。何と笑われようと、サミットまで延命しようと政権にしがみつく姿は、もう見るに堪えないと、心ある国民は一様に忍従している。 野党の議員とて、自民党議員と同床異夢であろう。 時代は異様な響きを立て激変しつつある。中国も、ロシアも、韓国も、台湾も代表が交代した。一年が一ヶ月の如く思える程の、急速の政変が重なり、米国も、年末には大統領が代る。その変化は日本政界を直撃する。日本国は安逸を貪っている時期ではない。
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◎松島悠佐の軍事のはなし(70)「北朝鮮の核・ミサイルへの対応」
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朝鮮半島の非核化を目指した6カ国協議が03年に開始されてから既に5年が経過しましたが、北朝鮮の相変わらずの引き伸ばし作戦で成果は上がっていません。北朝鮮が核兵器の保有を最終的な目標と考えているであろうことは、今では疑う余地もないと思います。6カ国協議は北朝鮮の時間稼ぎに利用されるだけで、成果は上がらないことは、協議開始の当初からすでに予見されていたことです。半島を「赤化統一」するのが朝鮮労働党の党是であり、そのために「強盛大国・先軍政治」を柱として、核・ミサイルの戦力を強化してきました。その際、最大の障害となるのはアメリカの軍事的介入であり、それを排除するために、結局核とミサイルによってアメリカを牽制する手段しか採り得ないとの考えが背景にあります。アメリカの干渉を排除するためには、核兵器は欠かせない兵器であり、「北朝鮮は何故核を持とうとするのか」を素直に考えれば、「北朝鮮は核を放棄しない」との結論が必然的に出てきます。核兵器そのものはまだ初期段階であり、現在のところ実用化には至っていないとの見方が多い強いのですが、近い将来わが国にとっては現実的な核脅威となってくることは確実でしょう。またミサイルについては、現在のところ、わが国に向けられたノドン・ミサイル(射程:約1300!))はすでの200基が実戦配備されていると見られており、さらに射程延伸したテポドン!)型・!)型などの開発が進んでいることも承知のとおりです。核弾頭の小型化が進み、ミサイルに搭載できる弾頭(400~500!))が完成すると、核・ミサイルの脅威は極度に高まることが予測されます。

北朝鮮の核・ミサイルの脅威については、いろいろな人がいろいろな立場から論じているので、多言を要しないと思います。北朝鮮は、今まさにわが国民の多くが危険な隣国として認識しており、各種の世論調査でも、わが国の安全保障にとって危険だと思っている国民は6割を超えています。
ところが、脅威の認識とは逆に、対処の態勢はほんの一部しかできていないのが現実です。平成16年末、弾道ミサイル防衛システムの導入が決定され、目下整備中ですが、日本海に配備した4~5隻のイージス艦と首都圏など数ヶ所の都市部防衛に限られたパトリオット3型ミサイルだけでは、きわめて限定された防護力しかありません。勿論、このミサイル防衛システムも、うまく運用すればミサイル攻撃の初動対処にはそれなりの成果を発揮すると思いますが、数十発のミサイル連射攻撃には、ほとんど効果を発揮できないと思われます。北朝鮮の核とミサイルに、正面から対処するためには、相手に攻撃を思い止まらせる抑止力と、それでも攻撃してくる場合に備えて相手の基地を破壊できる攻撃能力を保持することが必要ですが、目下のところこの両方ともアメリカに依存する姿勢を採っています。わが国には憲法の制約や政府見解・国会決議など、安全保障政策についてのいくつもの制約があり、核武装論や敵基地攻撃論はほとんど議論もされない状態です。と言うよりも、このような議論を持ち出すことすら罪悪感を持って見られるような社会的風潮があります。核については、唯一の被爆国として、国際的な核廃絶運動を自ら主導しており、また、敵基地攻撃については、専守防衛を逸脱するものとして政策上放棄してきました。

わが国に脅威を及ぼす中国や北朝鮮の軍事力が着々と強化される中、わが国も対米依存の態勢を、見直すべき時期に来ているのではないでしょうか。核武装論については、少々難しい問題も多く、すぐに実行に移すわけにも行かないと思いますが、敵基地攻撃については、現行憲法下でも国家の自衛権という視点から無理なことではありません。昭和31年には、敵基地攻撃についての議論が起こり、衆議院内閣委員会での政府統一見解として、「ミサイルによる攻撃が行われ、大量破壊兵器による被害を防ぐ手段がなければ、相手の基地を攻撃することは自衛の範囲に含まれる。座して死を待つのが憲法の趣旨ではない」と示されています。平成18年7月の北朝鮮の弾道ミサイル発射実験の直後には、わが国でも「敵基地攻撃」の是非が議論になりかけたのですが、いつものように、専守防衛を逸脱するとして立ち消えてしまいました。今、防衛省では、中国軍の軍事力強化や朝鮮半島情勢を踏まえて、防衛計画の大綱を再び抜本的に改定する動きが出ています。現在の大綱は、平成16年に改定され、テロ・弾道ミサイル攻撃など新たな脅威への対応に焦点を置き、弾道ミサイル防衛システムの整備が開始されました。新たな大綱を検討するに当たって、是非とも盛り込んで欲しいことは、「敵地攻撃能力」の保持です。北朝鮮のミサイル発射基地に対する爆撃能力、巡航ミサイルなどによる攻撃能力を整備することです。敵基地攻撃の方法としては、いろいろな手段がありますが、その方法はこれから選択するとしても、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に正面から向き合って、自ら危険を排除する決意を表明して欲しいものです。
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2.奥山篤信  
胡錦濤に手玉にとられた哀れな首相
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花子;今度の胡錦濤訪日で日本にとってなんか成果があったのかしら。産経新聞に直前に出た桜井よしこさんの福田総理に日中首脳会談にあたっての檄文はすばらしかったけど。そういえば麻生さんが、チベット問題、ガス田、餃子事件などに日本の立場をはっきりさせることが重要であり、それを会談で福田首相が突っ込んだ話をした「と聞いているので」それは成果があったということではないかと、皮肉たっぷりだったわね。

誠;全く成果なしどころか国益上マイナス、胡錦濤に完全に操られ完敗やわ。胡錦濤は自分の触られたくないところには一切シャットアウト、今シナは世界で孤立しており日本の助けが欲しかった事情でいつもよりは柔らかい雰囲気やってきたが、そこはしたたか、日本は馬鹿正直に全く言いなりでしたなあ。パンダってあれ死んだタイミングができすぎちゃうか?あれはシナの工作員の謀殺と見てるんやけど。

花子;パンダが死んだら日本政府はお願いをしてくるほど、アホやと完全に読まれているわけね。術中に見事嵌った福田さん!一億円、二匹だったら二億円の年間リース料まで払って「お願い」だってねえ!ODAをあげて、お礼もなくこちらが借りていただいてとぺこぺこしてる日本政府そのものね。一体二億円は誰が払うの?

誠;まったくいやになるね!だいたいパンダはチベット産、つまりシナは国土の35%を占めるチベット不当支配を既成事実化するためにパンダをあたかもシナの象徴として、それを貸与する国にチベットはシナと認めさせることにあるんや。台湾の総統だったか、かってシナからのパンダ送付を頑として蹴ったやろ。パンダを授かることは、一つのシナを認めることとなり、台湾が自治区となることを怖れたからや。それに較べ、銭をはらってまで頭を下げてパンダを借りる福田総理のみっともない姿、国辱でっせ

花子;パンダ毒殺説に賛成!ところであの卓球観た?愛ちゃんも利用されて気の毒だけど、日中の二人の卓球女子を相手に胡錦濤が奮闘する場面、凄かったわね。胡錦濤の腕も大したものでびっくりしたけど、あの場面はまさに「日中の若い世代が二人なんのわだかまりもなく胡錦濤の元に卓球を指導されている」場面を作り、将来日本がシナに併合される縮図だったこと花子はピンときたんだけど。

誠;福田総理は記者団に「(胡主席の卓球は)非常に戦略的で、なかなか油断してはならないなと思った。私は一緒にしないでよかった」などと言ったそうだが、とんでもない!あのとき福田も下手ながら二人を相手にやってこそ地位は対等だったんや!パンダといい卓球といい全部やられてしまった福田には怒りを超えて哀れを催すね。

花子;でも一般国民が冷めてたのは良かったわ。かっての日中友好熱烈歓迎などの雰囲気は国民には全くなく良かった。でも昔の全共闘みたいに若い世代がゲバ棒持って街頭で訪日反対の怒りのデモをやってほしかったわね。今の若者ってなんもしないんだから!早稲田で胡錦濤が講演するのを早稲田大学学生が黙って反対もしない!反骨精神ゼロになってしまったこの学生たち!早稲田の凋落ぶりを象徴してるわね。

誠;国民的人気抜群の純ちゃんが一切の公式行事をボイコットしたのは最高でした。国民を冷淡にしてくれたのは、純ちゃんのボイコットは大きな、大きな役割があったと思うぜ!

花子;元首相四人の朝食会で安倍さんがチベットとウイグル問題を提起して場を白けさせたらしいわね。いつもの通りKYの安倍さんだけど、これはチープショットにせよ波紋を呼んで良かったと思うわ。あの森さんたら、アフリカ共和国構想みたいな枠組みをアジアでシナと日本が主導でやってはなどと、バカな話をしたらしいわね?全く日本はシナの朝貢国ってことになるわ。

誠;白けの中で森ってシナはたくさんメダル取るんでしょうね!などと媚びていた。大勲位どのもボケの始まりか?手放しで歴史的首脳会談だって?

花子;シナに迎合して喜ばせるのが大勲位の得意技だから!靖国問題、ODAなどすべて大勲位のシナ宥和政策が諸悪の根源であり今日に至ってるのよ。

誠;それにしても福田総理の秘密主義は陰でガス田問題どんな妥協に妥協をしてるか心配やなあ!それになんで餃子問題でガンと言わんのや!!あの共同記者会見のチベットについて福田はあの小者のまやかしの会談を評価してると。シナの五輪までの「目くらまし」にすぎないのに!一方胡錦濤の方はチベット族の非を国家分裂と言いたい放題。あれじゃ福田がお墨付きをやったようなもの!
卓球を横で観るあの福田の媚びたような下卑た笑いは吐き気がするよ。こんな首相はいらない!
あの小沢もチベットのこと一言も言わず、自分を卑下しながら立派なご指導ぶりなどと迎合している。民族浄化を図る悪の屠殺人、シナ共産党に媚びる日本の政治家ども。こんな政治家はいらない!

花子;日本には馬鹿政治家ばっかりね!あの笑いの奥にある胡錦濤の残忍な牙、私女性だから直感で感じるのよ。
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3.松永太郎 
 チャイナをどうするのか
本の紹介 「中国の仮面資本主義」(ティエリー・ウオルトン)日経BP社
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「中国の仮面資本主義」(日経BP社)は、フランスのジャーナリスト、ティエリー・ウオルトンの翻訳である。ウオルトンは、冷戦時代最後の情報戦争をあばいた「コードネーム・フェアウエル(さようなら)」という本で懐かしいし、信用できるので、読んでみた。ちなみにチャイナ関係で、私には、日本で信頼できるジャーナリスト(とお呼びしてよいか)は、宮崎正弘氏と水谷尚子氏のお二人しかいない。「朝日新聞」その他、大手マスコミのチャイナ専門のお雇いジャーナリスト」は一切信用できない(あくまで私の個人的意見である)。もっともひどいのは、毎晩、朝日TVに出てくる、元チャイナ特派員、加藤千洋である。身も心もチャイナに売りつくした人間だろう。こういうのが、今の日本では、うようよ、いるのだ。ここに書かれてあることは、宮崎氏のいろいろな本により、すべて私たちには、おなじみの情報である。しかし、フランス人がこう整理している、というのが、おもしろい。冒頭で、このフランス人は言う。「中国と聞いただけで、わがフランスのような小国は萎縮してしまう」。

これは、本気で言っているだろうか。それとも皮肉か。フランス人のようにプライドの高い連中から、こんなせりふを聞こうとは思ってもいなかった。もしも本気なら、悪名高い「西洋中心主義」(オクシデンタリズム)は、もう終わったのである。 しかし、私たちが、もっとも傾聴すべきは、次の引用だろう。「チベットでは、100万人以上が殺され、何百人もが政治犯として投獄されて拷問を受け、女性は不妊手術を強要され、6000もの寺が破壊され、チベット語の使用も制限された」。私たちは、こういうことは、日本では起きないと思っている。なぜならアメリカさまが、日本を守っているから。また非常に強い「経済力」があるから。必ずしも、そうではない。かつてチベットには、CIAの工作員がたくさん入っていた。勇猛をもってなるチベットの戦士は、攻め入るチャイナの紅軍と戦い、すごい損害を強いた。しかし、いつも、そうであるように、CIAは、アメリカの戦略的な立場から、彼らを見捨てた。キッシンジャーが北京を訪問し、アメリカとチャイナの国交を回復したからである。キッシンジャーは、北京を訪問したとき、マオ・ゼ・ドン(毛沢東)と精一杯、日本の悪口を言っている(この悪口は、「キッシンジャー回顧録」として、誰でも読める)。

ウオルトンの本は、非常におもしろい。フランス人という、第3者の立場から書かれているからである。私は、これを読んで、すでに「日本」は、アングロ・アメリカの「統治層」と、チャイナの「太子党」の「属国」になった、と思った次第である。どっちかに決めてもらいたいが、いわゆる「共同統治下」に入ったのであろう。そう思えば、身のふりかたも決まってこようというものである。
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◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (8)      
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わっはっはっは。やってくれました浪速の料亭吉兆さん。ご尊名はよく耳にしますが、自慢じゃないけど私達庶民は行った事もなければ何所にあるかも知らない。真の通人たちをご贔屓筋に、季節の珍味を名うての板前が料理味付けし、粋を凝らした器にほんの少しずつ盛り付けて、最後は目の玉の飛び出るほどのお勘定で締めるという、まさに浪速のセレブたちの見栄と自尊心を満足させてくれる有り難い伝統の高級料亭だそうだ。
もっともそのセレブと言うのも企業の交際費や市民の税金で持て成し持て成される人たちのことで、決して自腹を切っている人たちではなかろう。
兎に角そういう連中が、俺が吉兆で食べたアレはどうだったコレはどうだったと自慢していた料理の中に、前の客が残していった手付かずに見えるものがそのまま回転寿司のように次の客に廻されて出すのが常習化していたと言うのだからこれは痛快である。

僕は以前から想っていた事がある。食堂で殆ど客が手付かずで残していったお皿を店員が引揚げていくが、あれは其の後一体誰がどうしているのかと。冷凍物を解凍しただけのものなら、もう一度温めて出せば済む。調理師が精魂こめて料理したものなら尚更捨てるに忍びない。もう一度体裁を整えて次の客に出せば良い。自分が主人なら多分そうするだろう。経費節減、資源節約の理にもかなっている。ただ其れを知っていて自分が食するのは何とも気味が良くないが、知らないお客なら普通に食べてくれるに違いない。吉兆のオヤジに限らずこう想うのが当り前の人間である。

で、僕は高級レストランか庶民の食堂かに拘らず、出された料理の一部には必ずそうしたリサイクル品が入っているのが当然であると覚悟して食べさせて頂く。賞味期限がどうの、産地表示がどうのと、まるで其れに拘るのが文明国の証であるかのような世相は間違っている。人間も動物も毒物と腐敗物を匂いで嗅ぎ分けて、身体に合うものだけ食べて生き延びてきたのだ。人に教えられなくても自分で選べばよい。運悪く毒物にあたった奴は淘汰されたという事になる。吉兆の主は詫びる事は無い。捨てる必要の無い良品をあらためて自信を持ってお出ししたのだ、と胸を張って言えばよい。それでも美味しい美味しいと高い御代を払って何度も来てくれはるご贔屓さんがおられまんのや、と胸を張って言えばよい。顧客のセレブ衆もさすがは吉兆やよく言った、また行くぞと言ってくれるに違いない。

でもね皆さん、本当に人の食べ残しをまた喰わされるのは嫌だとお思いなら、屋台の串カツや、おでんに行きなさい。そこならオヤジがちゃんと目の前で新品の材料から料理してくれるのが観察できる。舞台裏で何をされているか判らない料亭とはわけが違う。ただ屋台ではどうも同じ水を使って食器を洗っているらしいのが気になるが、どっちにしたって世の中は無菌な訳じゃない。要は味わいと満腹度と料金が自分で一番と思えば其れが良い。自分で代金を払わない連中にこれは永遠に判るまいが。 了。       
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◎読者の書評 超☆映画評 愛と暴力の行方」扶桑社  日大芸術学部3年 吉田恵里香/ライター
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奥山篤信氏の著書「超☆映画評 ~愛と暴力の行方~」を読み終え、私の脳裏に、ある言葉がハッキリと浮かんだ。奥山氏ほど「憂国の士」という言葉が、しっくりと当てはまる人間がいるだろうか?この本には過去二年間、日本で上映された映画の論評が百五十本以上も収録されている。奥山氏自身の心に残っている映画を五つのテーマに分け収録されているが、扱われている映画は実にさまざまだ。「007/カジノ・ロワイアル」や「ダ・ヴィンチコード」といった娯楽作品に始まり、「ラスト・オブ・スコットランド」「太陽」といった社会派作品、「それでも僕はやってない」「男たちの大和」などの邦画作品までに到る。私自身が、既に鑑賞している映画作品も多数とりあげられていたが、「この作品にこんな奥深さがあったのか」と驚かされた。

「最近、日本の社会で苛めやなんやら、やたらに弱者、被害者意識で捉える風潮があるが、(中略)「努力」言い換えれば「逞しさ」こそが今日本の若者に求められているものである」映画「プラダをきた悪魔」本文より、「このような自虐映画が無抵抗に観客に受け入れられ、日本人自身が自尊心を傷つけたとの自覚もなく観客はただ笑う姿を見て(中略)反日という日本にとっての「最大の敵」は実は日本の内部に存在するという、この現実を痛感した次第である」映画「花よりもなほ」本文より、

上記二点をあげるだけでも、彼の映画評からは日本への愛と、現在の日本人への怒りと悲しみが、痛いほどに伝わってくるのが分かっていただけるだろう。この作品を読んでいて、彼の一言一言が、国の現状や将来を真剣に想う事を忘れている私たちの心に鋭く突き刺さっていくようだった。
食べ物の味や形容を言葉で表すことが難しいように、その映画の面白さ、奥深さを伝えることはとても難しいことである。だが、奥山氏は、自らの持つ知性と人生経験を駆使して、いとも易々と映画作品の質感や確信を書き出してしまうのだ。奥山氏の脳内で、充分に咀嚼されたこの映画評は、どの年代にでも分かりやすく心に響く。また映画の核心を的確に言い当てていく批評に一種の爽快感を感じるであろう。

しかし一通り、この本を読み終えた後に、読者の胸に小さなささくれが出来たような痛みが残るはずである。それは奥山氏が本書を通じて、現代の日本人の現状を嘆いているからである。つまり奥山氏は映画評を通じて、現代日本人に渇をいれエールをおくっているのだ。この本を読んだ人間は必ず一度は、日本人としての自分のあり方について考え、失われつつある日本人としての矜持と美学に思いを巡らすことになる。これこそが、「超☆映画評 ~愛と暴力の行方~」の最大の魅力といえるであろう。