おすすめ記事2 | 日本のお姉さん

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太田述正 有料メルマガ

フランスの風景の多くはエッフェル塔(1889年建立)より新しい。
マラリア蚊だらけの沼が干拓されヒースが生い茂る土地や裸の山に木が植えられたのだ。ピレネー山脈のスペイン側の風景こそ、かつてのフランスの風景なのだ。
フランスの絵のように美しい地名の多くは観光業者や地図制作者によって創作されたものだ。欧州のグランドキャニオンと称されるヴェルドン渓谷(Verdon gorges)・・フランス南東部に位置する・・だって1906年までは少数の木こりにしか知られていなかった。カゴ(cagot)という、中世のハンセン氏病患者ないしサラセン侵略者の子孫とも言われる「呪われた人種」は、何世紀にもわたって南部フランス全域で迫害されてきた。20世紀になってからでさえ、その迫害は一部の地方で続いた。1930年代まで、郵便配達員や羊飼い達はひがな長大な竹馬に乗っていたものだ。彼らは8マイル時のスピードで一日75マイル踏破することができた。ナポレオンの皇后マリー・ルイーズ(Marie-Louise)が馬車でフランスを旅行した時には、羊飼い達が竹馬に乗ってお供をした。竹馬のスピードは馬車よりも速かったのだ。また、カトリック教会の努力にもかかわらず、キリスト教以前からの巨石の前で豊饒を祈る儀式が20世紀初頭までフランスで行われていた。

しかし、それはフランスが変わったということであって、フランスそのものは昔から存在していたのではないか、と思う人がいるかもしれないが、それはとんだ心得違いだ。

ドゴール(Charles de Gaulle)は、246種類ものチーズがあるフランスを統治することの困難さを嘆いたが、これは大昔からのフランスの役人共通の嘆きなのだ。つまり、フランスはその歴史の大部分の間、各地方の寄せ木細工でしかなかったのだ。
19世紀の中頃までフランス全体を網羅するまともな地図は存在しなかったし、共通語に至っては全く存在しなかったと言っても過言ではないのだ。

安い自転車が普及するまでは、フランスの大部分の人々にとって、半径15マイル以内の地域における、小さい納屋に収容できるくらいの数の人、が世界のすべてだったのだ。
ピレネー地方へ旅行した人が1837年に、「金星と土星が異なるように、一つ一つの谷が、隣の世界とは異なる小世界を形作っている。一つ一つの村が、一つの氏族(clan)、独自の形態の郷土愛を持つ一種の国家、の趣がある。それぞれが異なった様相を呈し、異なった意見、偏見、慣習を持っている。」と記している。 ナポレオンのマリー・ルイーズの前の皇后ジェセフィーヌ(Josephine)は、亭主ご指定の地図に従って旅行をしたところ、載っていた道路が想像上のものであったため、彼女の馬車を斜面をロープを使って下ろさなければならない羽目に陥った。
フランス全土が、地図、道路、鉄道、電信によって結びつけられたのは、20世紀になってからだ。フランス人全体が同じ日に同じ出来事が起こったことを知るという経験をしたのは、1914年8月の第一次世界大戦勃発の時が初めてなのだ。19世紀にフランスで55の主要方言と数百の準方言が確認された。 19世紀には兵士や役人は地方に行くとガイドや通訳が必要だった。1880年の段階で、標準フランス語が使えたのは全人口の約五分の一に過ぎなかった。
この標準フランス語なるものは、昔パリのフランス語と呼ばれていた代物だ。1789年のフランス革命の頃は、全人口の11%にあたる300万人しか、このフランス語をしゃべってはいなかった。そして、1863年に至っても、フランス軍の兵士の四分の一は地方語しかできなかった。第一次世界大戦の時、ブルターニュ人(Bretons=Brittany人。ケルト系の言語を用いていた)はフランス語ができなかったため、ドイツ兵と間違われてフランス兵によって射殺されるという事件が起こっている。

フランスなる国民国家が成立したのは、第一に19世紀末の都市への人口流入、次いで自転車の普及、更には第一次世界大戦の結果なのであって、それまでは、フランスという国家はあったかもしれないけれど、その内実は、各地方の寄せ木細工でしかなかったのだ。

3 終わりに
ドイツやイタリアは19世紀末に初めて統一国民国家になりましたが、この両国に比べてはるかに先行していたという印象のあるフランスだって実質的に統一国民国家になったのは19世紀末から20世紀初頭にかけてだったのですね。
イギリスや日本は、統一国民国家になった時期の早さだけとっても欧州諸国とは対照的です。イギリスでは、(恐らくノルマン・コンケスト以前の)大昔から資本主義社会であってイギリス全域で単一市場が形成されていましたし、日本では徳川幕府が直轄領や親藩を全国に配置したことや、参勤交代制を導入したことで、江戸時代に早くも日本全域で単一市場が形成されました。
 この結果、イギリスはもとより日本においても、欧州諸国よりはるか以前に国民国家が成立していた、ということになるわけです。
 
(完)

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<安保>

 --チャンネル桜を拝見して--

初めて書き込ませて頂きます。

・・・・・・・・・・・ (メルマガよりの抜粋)
最後あたりで、私が、「皆さんは私よりずっと前から言挙げをしてこられたわけだが、何も変わってないじゃないですか。方法が間違っていたのですよ」、と発言したところ、皆さんシュンとされていました。

・・・・・・・・・・・・・・

↑最初から見ていましたが、元防衛庁官僚としての発言にがっかりすることが多かったです。上記も勘違いも甚だしいと思いますよ。シュンとしていたのではなく「開いた口が塞がらない」ですね。

→そりゃあなたの感想でしょう。画面ちゃんと見てました?(太田)

何も変わっていない?の、評価が違うだけです。自衛隊違憲だった旧社会党もその存在を認め、外国に部隊の派遣も成し、今やその存在はメディアが叩こうが信頼度は以前に増しているとおもいます。

→自民党と旧社会党はどちらも吉田ドクトリン墨守政党であり、手を握りつつ役割分担をしていただけです。元から自民党と旧社会党は事実上一つの党だったのですよ。また、危険のない場所に、カネのかかる自衛隊を派遣するなど愚の骨頂です。なお、メディアは国民感情の代弁者です。(太田)

太田さんは何度も「国民は周辺からの侵略の脅威を感じていない」・・・と、勝手な能書きを持論として言われていましたが。

→今の話ではなく、1980年代初期の「ソ連の脅威」の頃の話でっせ。今は結構「北朝鮮の脅威」を感じておられ方がおられるようですね。(太田)

 思い込みも甚だしく国民の多くは迷惑千万だと思いますよ。

→「ソ連の脅威」がなかったというのは事実です。その理由は次の通りです。
 1 当時の米国政府が公開文書で水平エスカレーション戦略を打ち出していた。(欧州正面や中東正面でソ連が軍事攻撃をしかけてきたら、極東正面でソ連を軍事攻撃し部分的に占領するという戦略)(コラムで累次申し上げている)
2 当時、ソ連の対日志向全地上兵力を北海道北部に着上陸させるという図上演習を陸上自衛隊が行っていたが、ほとんど無傷で着上陸されたケースですら、米軍の来援無しで北海道内で陸上自衛隊が勝ってしまうという結果が出ていた。(番組内で初めて申し上げた)
 3 当時、最初の日米共同作戦計画がつくられたが、日本有事に際し、米軍は夥しい兵力を日本列島に展開する内容だった。(初出)
 4 このような「米日の脅威」にソ連が対抗できるだけの軍事力を極東に展開しなかったのは、地政学的にそれが困難であり、無意味であったためであることを、私自身、個人的検証の結果納得できた。(コラムで申し上げている)からです。そして、この私の認識を、私が編纂した1982年防衛白書に反映させた次第です。このソ連が崩壊した現在、中共や北朝鮮の軍事的脅威など、「ソ連の脅威」の頃の軍事的脅威に比べれば、相対的に言って無に等しい、というのが厳然たる事実なのです。(以上、太田)

少なくとも私は東支那海の問題をはじめ中国を脅威に思い、北朝鮮には同胞を拉致された戦争状態であり韓国・ロシアに我が領土を侵略されているが現状だと認識しています。 それが脅威でなくば、脅威とは何を言うのでしょうか?

→領土問題は「ソ連の脅威」の時代からあった話です。
そもそも領土問題が存在することが何で軍事的脅威なの? チャンネル桜の番組で日本財団の山田吉彦も同じようなことをおっしゃっていたけど、余りにばかばかしいので反論さえしませんでした。(なお、コラムをいちいち挙げないけれど、北方領土問題では私は日本側に理がないと考えており、竹島問題は、そもそも問題視するほどの話ではないと思っていることは、ご承知の読者が多いと思います。尖閣の問題は別す。)
 また拉致が軍事的脅威ってのもおかしい。
 それじゃ金大中を拉致した朴政権下の韓国は、竹島問題も抱えていたのだから、二重の意味で日本にとって深刻な軍事的脅威だったことになるけど、あなた本当にそう思ってます?(太田)

 太田さんの言わんとすることは・・・。
 日本は独立国ではなく米国の属国であり、自衛隊は軍隊ではない。
 日本は世界の平和あっての経済大国であり、世界平和に貢献する目的で自衛隊を運用すべきである。それをしないなら周辺諸国からの脅威もないのに今の巨大組織は不要であり防衛予算を半分にすべきだ。 確かに防衛官僚の観念的意見だと感じました。

→放送はされなかったようですが、この前の日テレ「太田総理・・」で、私は10分の1にだってできると言っています。10分の9をドブに捨てて良いとおっしゃっているわけですが、納税者でいらっしゃるとすれば、その気前の良さは私の理解を絶します。(太田)

貴方が言うには自衛隊は軍隊ではない。法理論的にも軍隊の体裁をなしていない。それが法的に正しくとも、私にとってはそれでも自衛隊は紛れもなく軍隊です。

→そして、自衛官を称える。そういう贔屓の引き倒しのあなた方が自衛隊を腐敗させ、堕落させてきたのですよ。(太田)

 法というのは、一片の文言であり法治国家にとっても絶対なのもではありません。

→有事においてはおっしゃる通りです。(太田)

それこそが今の日本の憲法で自衛隊が存在していることが証でしょう。

→軍隊の整備・維持は平時の営みであり、その法的根拠が存在しない・・憲法第9条はそれを禁じている・・にもかかわらず、自衛隊なる軍隊もどきが整備・維持されてきたことは法治主義の蹂躙以外の何物でもありません。(太田)

 貴方の言うのも屁理屈であり、私も屁理屈なのでしょう・・・が。

→私は理屈を言っているのではなく、法的事実、実態的事実を指摘、開示しているだけなのです。(太田)

 根本的に日本を変える。
 それは占領下で発布された現行憲法を無効にし、大日本帝国憲法を改正するか、新たな憲法を創憲するかです。

→それが、一番のスジ論であることは確かです。(太田)
太田さんは「方法が間違っていた・・・」と、相手をシュンとさせたと豪語していますが、一体、あの戦後の自虐贖罪社会で、何が出来たのか?

→違う。あなた方も含め、国民のコンセンサスの下で吉田ドクトリンが維持されて来たのです。(太田)

 戦争に敗れれば、皇室伝統も崩壊し、国も分断され、日本はもっともっと悲惨を極めていたとしても不思議ではないです。しかし奇跡的にも経済的に急速に復興し、それが為に太田さんが毒づいた「何も変わっていない・・・」日本社会が続いたのです。貴方に言われなくても保守を任じる人たちは、百も千も万も承知です。

→そらね。基本的な情報を開示されなかったからやむをえなかったとはいえ、あなた方を含め、国民一般がこんな具合に吉田ドクトリンを自画自賛してきたのです。(太田)

それが如何ともしがたい日本になってしまったから・・・今の日本があります。

→ここはその通り。現在の閉塞状況は、吉田ドクトリン墨守の論理必然的帰結なのです。(太田)

しかし徐々に変わろうとして来ている。チャネル桜もその証明です。

→月刊雑誌では「諸君」や「正論」等がずっと前からあり、結構売れているのに対し、TVではパートタイムのチャンネル桜だけしかないというのに、それが変化のあかしですって!?(太田)

 今の日本では太田さんの望むような根本的解決には、三島由紀夫のように武力による革命しかないのではないでしょうか・・・。

→日本国民一般がそんなバカだとあなたは思ってるの?安全保障/防衛に関する基本的な情報さえ頭に入れば、彼らは正しい結論を下してくれると私は信じています。

 貴方は確かに防衛庁官僚であり自衛隊員だったのでしょうが・・・。
 貴方の言論に啓蒙される者は少ないでしょう。

→私は、もっぱら安全保障/防衛に関し私が承知している法的事実、実態的事実を指摘、開示することに努めてきたわけですが、「啓蒙」されたくない人には無理に「啓蒙」してもらわなくても結構です。(太田)
軍隊は経済力に比例し大きくすべきである。「富国強兵」こそ国家の目標とすべきであり、軍人には国民の模範足るべき資質を求める。

→そんな寝言を言っているから「右」の人はダメなのです。ただし、最後のセンテンスだけは、必ずしも間違ってはいないけれど、長くなるのでここで論じるのは止めときます。(太田)

因みに私の自論は、日本は米国の属国であり独立国ではない。 一日も早く、現行憲法を廃棄し、大日本帝国憲法を改訂し日本国軍を持つ普通の国なり、駐留米軍を暫時削減させ、自分の国は自分で守り、核兵器を保有する国家になることです。

→全く同感です。しかし、結論だけしか私と一緒でないのが「右」の人々の特徴であり、どうしてそんな結論になるのか、私には気味が悪いですね。(太田)そんな私でも自衛隊は軍隊です。法的にどうであろうと私はそう思います。

→願望と実態を取り違えてはいけません。
 自衛隊は、法理論上も、その実態も軍隊ではありません。(太田)

 長々すみません。

→本当は「啓蒙」されたがっておられると拝察します。
 早く楽になりましょう!(太田)

<碇シンジ>

 --最悪のタイミングでコソボ独立宣言させたアメリカ--  
アメリカは、コソボに独立宣言させるのを、遅らせることも早めることも、止めることもできたはずだが、なぜ今回のタイミングでコソボに独立宣言させたのか。セルビア周辺のバルカン半島地域の紛争は、かつて第一次世界大戦を勃発させた。その連想から「アメリカはロシアに第三次世界大戦を仕掛けるつもりで、コソボを独立させたのではないか」「アメリカは大不況と金融危機に陥っており、この経済難を乗り切るため、世界大戦を起こしたいのだ」中東では今後、イスラエルと、イランなどイスラム諸勢力との戦争が起きる可能性が高い。連動してイラクとアフガンの戦争も激化し、米ブッシュ政権は、この時期をわざわざ選んだようなタイミングで、コソボを独立させ、ロシアを反米の方向に押しやった。 ロシアは、以前からイランを支援してきたが、アメリカの顔色をうかがいながらだった。ところがコソボ独立を機に、ロシアは一気に反米親イランの方に傾いた。

<太田>
典拠抜きだといかに妄想が止めどなくなるかの典型ですね。終わり。
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■防衛政策局長の失言?

<石破防衛相、高見沢局長「台湾有事は周辺事態」発言で陳謝

3月14日11時15分配信 産経新聞
石破茂防衛相は14日午前の閣議後の記者会見で、高見沢将林防衛政策局長が13日の自民党安全保障調査会で台湾海峡有事について「中国から『周辺事態(認定)はどうするのか』と聞かれれば『日本は当然する』(と答える)」などと述べたことについて「言葉をそのままみれば誤解を招きかねない部分もある。申し訳ないことをした」と陳謝した。

石破氏は「周辺事態が特定の地域を対象にした概念でないことは誰よりも高見沢局長がよく知っている。政府見解を変えたものでもなければ、中台が周辺事態だと言ったものでもない」と指摘。「局長も『申し訳なかった』と言っているので、何ら問題があるとは思っていない」と述べた。

高見沢氏は13日夜の記者会見で「周辺事態認定について言ったのではなく、警戒監視を強めるという意味で言った。言葉足らずで誤解が生じたとすれば申し訳なかった」と釈明している。>

同発言の要旨です。
<高見沢氏の発言要旨は次の通り。
中国の軍事費増は台湾をあきらめさせる意図がある。日本は中台で事が起これば与那国島など近くは影響を受けるし、日本の主権が侵されない形での戦闘になるかということもある。警戒監視を高めるし、周辺事態的要素もあるので、そういう前提で対応していく。

周辺事態の話だが、私どもの考え方では仮に中台で何か起きれば、それはわが国にとって大変な事態なので、周辺事態とするかどうかの前に、自衛隊の態勢としては当然、警戒監視を高めて、それなりの対応をしないといけない。中国から「周辺事態(認定)はどうするのか」と聞かれれば、「日本は当然する」(と答える)。「これはわれわれ自身の安全保障の問題なんだ。だから中台で事を起こさないでくれ、絶対やめてくれ」と言う。これは日米安保の問題ではなく、日本の安全保障の問題だ。そういう姿勢を示すことが大事ではないか。>
 
(iza! 03/13 21:18)
⇒立派なことをおっしゃってますが、わが自衛隊の現実はすこしもご存知ないようです。

わが自衛隊が軍として行動できるよう環境を、少しでも整備することこそがいまの文官がなすべき重大任務ではないでしょうか?失言する暇があったら、自衛隊を国軍化するよう腰の引けた政府与党を説得していただきたいものです。

先輩が積み上げてきた負債を、今こそ返済するときです。その第一歩は、自らの利益を度外視した国士としての意識に基く防衛省改革の意義ある果実から生まれます。