特定国の「偽造共同体」・朝鮮半島「種受け」の人権感覚・戦後も日本攻撃を続けたソビエト | 日本のお姉さん

特定国の「偽造共同体」・朝鮮半島「種受け」の人権感覚・戦後も日本攻撃を続けたソビエト

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼特定国の「偽造共同体」(博士の独り言)

お得意様は日本人、ソウルで偽ブランド品販売の男ら逮捕
【ソウル=中村勇一郎】韓国のソウル地方警察庁は17日、大量の偽ブランド品を製造し、日本人観光客などに売りつけていたとして、製造業の男(46)ら3人を逮捕、18人を書類送検するとともに、地下工場など11か所を家宅捜索したと発表した。 調べによると、男らはソウル市郊外に偽ブランド品を作る地下工場2か所を設置し、昨年9月から今年にかけて、約90億ウォン(約11億2500万円)相当の偽物のエルメスのバッグや財布などを製造。ソウルの観光地・東大門市場の有名ショッピングビルや地下商店街、日本人観光客が多い明洞のホテルなどで販売した疑い。「本物だ」と偽って売ったこともあるという
-------
 偽物の一部は日本に輸出され、さらなる販売拡大のため密輸ルートを探していたところだったという。 ソウルの繁華街では、偽ブランド品や違法コピーのDVDなどが路上で堂々と売られていることも多く、警察当局は「今後、摘発を強化する」としている。読売新聞 8月17日付記事より参照引用/写真は「ルイ・ヴィトンの偽造品マスクを身につけた女性」(c)AFP/PETER PARKS 
----------

「特定国の偽造サイクル」
有志ブログがあつかわれている事柄と思う。諸氏の英邁な論及に敬意を表し、小ブログからも短稿を呈する。
偽ブランド品といえば、世界の偽造品の8割近くを占める特定国。特定国といえば地下工場。密輸と販売、そして摘発。この「循環」を繰り返しながら偽物がより精巧化され、品種も増える傾向にあるようだ。同時に密輸と販売のルートの偽装も巧妙になり、捜査、取り締まりとの「いたちゴッコ」が延々と続く。この果てなき循環を「特定国の偽造サイクル」と筆者は呼んでいる。当然、気づいたところから不買に付すべきで、このサイクルの侵蝕を許さない、日本に持ち込まないための「不買三原則」が必要なのかもしれない。 偽造品は巧妙さが増す一方で、しかし、偽造者側の「頭隠して尻隠さず」の習性だろうか。路上に並べ、あるいは観光客を相手にした「現金商売」に偽造品を流通させる。その結果、「摘発」「逮捕」となる。その都度、特定国のメディアは「捜査の強化」を謳(うたう)。だが、その多くがどうもいかがわしい。「どうだ、ウチの国はちゃんと取り締まっているのに」、とアピールする表(海外報道)向けの芝居がかなりあるのではないか、と映る側面もある。特定国は確信犯なのである。
----------

偽造品の「生産と卸しの共同体」
特定国という「生産と卸しの共同体」から流れ出る「偽造品の流通」が止まない。その生産の中心は「中国」であり、現場と営業の担当は朝鮮半島である。先進国の商業倫理からすれば、特定国を「ビジネスの相手」と見なすべきではない。朝鮮半島の「パクり」の文化は広く知られており、さすがに、同国から身を引く企業が増えつつあるようだ。だが、世界の6割以上の“市場”を占める「中国」による偽造増加が著しい。他国の商標権や意匠権、特許権への侵害行為が果てなく現出している。

先進国側が、偽造防止のために他国の知的財産の厳守と保護を促せば、今度は自国内で「中国の権利」として登録する。「中国」国内では、むしろ「他の国」の商標や意匠、特許権にいたるまでが使えなくなる、という事態にいたっている。


たとえば、先稿で紹介した「お米のブランド名」をはじめ、日本国内で広く知られている固有名詞や地名までが、知らぬ間に「中国の権利」となっている。 すなわち、日本のお米屋さんが「コシヒカリ」「ひとめぼれ」といった名称を「中国」では使えなくなっている。使用すれば「中国の権利」に対する侵害行為となり、「中国」から罰せられる。その「仕組み」がいつの間にか出来上がっていたのである。この辺の事情については、徒然日記殿をはじめ有志が指摘しておられるので、ご参照いただきたい。

さらに「青森」「佐賀」といった地名まで「中国の権利」としている行為ともなれば、もはや日本に対する「侵略行為」の一環と認識せざるを得ない。「商標」の多くに冠する「地名」の権利収奪、その行為の元には、日本を“中国の領土とみなす”従来の発想が籠(こ)められているように、筆者には映る。話がそれて恐縮だが、やはり、中国、総じて特定国は、まともな相手ではない。
----------
【レビュー】 偽造は特定国の国家犯罪
「偽造品」によって、日本が蒙(こうむる)被害は甚大であり、本年の年初に話題となった平成13年(2002年)当時の被害額は、当時の調べ(特許庁)で年間約9兆円であった。あくまでもおしなべての数値だが、それにしても、異様に高い。いわゆる「中国」で作られた日本製品の偽造品が、オイルマネーで潤う中東諸国へ不法にも輸出され、販売される被害が急増。 「日本製製品」に対する信頼度の高さに「中国」が目をつけた結果であった。自動車部品や電子部品、家電製品などを中心に、中国国内で消費されるものも含め、全世界にわたる日本の被害総額であった。

金額ベースの数値は統計結果を待つべきだが、今回の数値(%)でも高い水準にあり、別途、経済産業省が、この5月7日に、企業から得たアンケート回答をもとに、知的財産権侵害による被害状況をまとめた報告書「平成18年度版「模倣被害調査報告書」によれば、回答した企業の69%が「中国」の偽造被害に遭っている、とのことだ。これは、特許、実用新案、商標登録などの出願件数が上位の企業を対象に、昨年(平成18年)の11月から12月にかけて同省が実施した調査に対する回答とされている。「中国」は依然として「偽造大国」であり続け、その収入の相応部分が中国共産党の収入になっている。さもなくば、直ちに当局が取り締まっていたであろう。
----------
「偽造」の謝罪も補償も無し
中共は他国にあらぬ「謝罪」を求める恫喝外交を展開する一方で、しかし、自らは「謝罪」しない。この中共(中国共産党)は、日本人の常識では測ることは不可能な巨大な謀略組織である、と。この実質的な認識を「中国」に対して持つべきである。この「中共」という認識を怠り、「中国」という表向きの顔に翻弄(ほんろう)されるようなことがあれば、日本企業にとっての「チャイナリスク」も、また増大し続けるであろう。
----------
【筆者記】
偽造品でしばしば被害を蒙っている欧州のブランドだが、工場を「中国」に設けている企業がほとんどである。「中国」では低コストで生産できる。ゆえに、工場を設ける。設備投資をする。生産に関する技術的なノウハウを与える。ブランドのそれぞれの規格に適合した商品を生産できるまで、親切に指導する。研修と技術資料の提供等々。 これらが、そのまま「偽ブランド品」生産の温床となっている。いわゆるメーカー側の「中国」駐在者、とりわけ主要人物には、ほとんどの場合、と指摘して良いほど「中国人の恋人」が出来る。本国とのやり取りや企業計画は、そこでかなりの部分が「筒抜け」となる。これが特定国の手法だ。
「下」は下半身から、「上」は知的財産権にいたるまで、関係事項をすべてを抑える。残念だが、この「特定国の文化」、とりわけ「チャイナリスク」を見抜けない企業や、他国へのシフト等の対策をとれない企業は、もはや時代遅れの感がある。北京五輪それ自体が「偽造品」の最たるものだろう。筆者は「株式」を知らないが、北京五輪に協賛する企業のリストを見れば、五輪に関わる「株式」の先行きや「企業の将来性」を、それである程度読めるのかもしれない。
----------
▼朝鮮半島「種受け」の人権感覚( 博士の独り言)
種受け(シバジ)】 種受けとは、朝鮮半島において、李氏朝鮮時代まで存在した職業の一つで、後継ぎがいない名家の主人と性交をし、後継ぎの男の子を出産する事により代金を得る職業である。 嫉妬した夫人に虐待される事も多かった。 男子では無く、女子が生まれた時は、その子は引き取られ、母親と同じ種受となり、世継ぎの子を出産したら顔も見ない内に直ぐにその家を立ち去る事がシバジの掟である。人権上問題が多く、韓国併合後に朝鮮総督府によって禁止された。Wikipedia より参照引用/写真は韓国映画「シバジ」のページより引用
----------

「人権」薄弱な朝鮮半島

 ご存知の読者はおられると思うが、朝鮮半島の「人権」観の底流に観られる「人身売買」の感覚が如実に露出している史実である。今日、受精卵を第三者が胎内に預かり、代理出産するケースが世界各国で折々に報じられるが、朝鮮半島の「日韓併合」以前の李氏時代まで実在していたこの「種受け(シバジ)」との間には根本的な違いがある。

 賛否は別議論として、前者の代理出産のケースは、当事国の当事者や生まれてくる子供に対する人道的配慮がおよその基本になっているのに対し、後者の「種受け」は朝鮮半島の文化、伝統的な稼業であることだ。生まれた子供が女児であれば、同じく「種受け」に育てるという、人を「商品」「物品」とあつかう感覚。現在も世界中で多数の存在が指摘されている「娼婦」とも共通した、朝鮮半島の文化が露出している。

 「日韓併合」(1910年)後の「日本国朝鮮地方」の近代化の中で、「種受け」は禁止されたが、それまでの長い歴史の中でビジネスとして存在していたであろうことは想像に難くない。その検証について、三島明先生に所見を伺いたく思う。だが、「日韓併合」後も、朝鮮人の業者が娼婦を募集し、または騙し募って娼婦として業者間で売買した史実もまた、同国のその「文化」の延長線上にあった事項と指摘できよう。

 かくなる「娼婦」について、戦後半世紀を経ようとする時節に、高給を得て「商売」していた「娼婦」を、日本軍の強制によるものである、と激しいまでの責任転嫁と謝罪要求、補償要求を展開し始める辺りは、いかにも「ご都合主義」の韓国さながらである。“歴史問題”を執拗に主張するのであれば、胸に手を当てて、自国の古来からの「人権観」を内省すべきは韓国であり、朝鮮半島である。日本に対する“道徳的な優位性”を主張する資格が韓国にあるのか、と問えば、調べるほど、識るほどに優位性は「無い」ことは歴然としている。
----------

朝鮮戦争とベトナムで何をして来たか

 そこで、史実の抹消、または書き替えのために、韓国が着手した愚かしい国策が、併合時代の「親日派」とみなした人物とその子孫に対する「財産没収」であり、戦時中の「娼婦」を「日本軍」の徴用によるものだ、と主張し出した、いわゆる“従軍”慰安婦の問題である。これらにも共通しているのは、それが自国民であっても人を「人」と見ない「人権観」薄弱な発想であり、“性奴隷”の“証言”に見られる虐待や蹂躙(じゅうりん)の数々は、それがそのまま朝鮮人特有の哲学であることは明白だ。

 他国の婦女子に対して、朝鮮戦争で朝鮮人は何をして来たか。また、ベトナム戦争で韓国軍は何をして来たか。それらの事実を鑑みれば、日本軍への転嫁を試みる“性奴隷”の“証言”は、そのまま朝鮮人の行為を証言しているに等しい。心理学では、実は、己を語る事項を「他へ転嫁する」ことを「投影」または「投射」というそうだ。韓国の場合はまさにこれである。

 「恥」を知れ、といっても「恥」を知ることを知らないだろう。または、人としてあるべきその機能が欠如しているのかもしれない。読者には、うんざりする話が続いて恐縮だが、以上、読者の示唆をいただき、「シバジ(種受け)」に見られる朝鮮半島の希薄な人権観について小考したので、短稿に報告する。
----------

【レビュー】 韓国軍の従軍慰安婦

 韓国軍には従軍慰安婦が存在していた。読者からもご指摘いただいているので、紹介する。

 先ず、韓国語で書かれた「韓国軍の特殊慰安婦は事実上の公娼 」(仮訳)と題する記事は、論旨が混沌としているが、韓国独自の従軍慰安婦が存在していたことを記している。。朝鮮戦争当時(1951~54年)、云く、『韓国軍が 1951年頃から 1954年まで 「特殊慰安婦」という名前で、固定式あるいは移動式の慰安婦制度を取り入れて運用したのは、否認することができない歴史的事実である』と。

 また云く、『特殊慰安婦実績統計表は、 1952年度に 4ヶ所で編成された慰安婦 89人が年間 20万4560人の兵士を 慰安したと記録している。 慰安婦 1人が一日平均 6~7人の将兵を慰安した。 またチェ名臣・チァギュホン・ギムフィオなど予備役将軍たちも朝鮮戦争期間に経験した慰安婦制度に対して 「言いたくない軍部の恥部だが事実だと証言している』とある。

 何故、事細かに記録が残っているかといえば、韓国が「公娼」と認めていたからである。この点が、「日本軍を真似た」と記述しているが、実質的に、日本軍兵士を相手に商売した「娼婦」とは異なる。つまり、韓国の「特殊慰安婦」こそが真の「従軍慰安婦」であった。同記事の写真をご覧いただきたい。
捕らえられた北朝鮮の看護婦2名(OhMyNews 2002年2月26日)

 写真のキャプチャには、「朝鮮戦争期間に韓国軍と米軍が逮捕した人民軍看護婦 2人。当時逮捕した北朝鮮女性の一部はレイプされるなど、強制で 慰安婦になった」と。なるほど、お得意とする「強制性」「性奴隷」は韓国の行為であった。
----------

自国の「恥」を日本に転嫁する韓国!

 同記事には、さらに、『1950年当時医科大学生だった李何某(73) さん(2002年の記事当時の年齢)は、拉致、または強要によって軍隊慰安婦になる所だった。また、他の事で、6月25日当時、ソウルに残り、(北朝鮮の)人民軍に協力したかどで、(韓)国軍に逮捕されたこの李さんは他の女医大生 3人と一緒に引き渡され、部隊の将校 4人の「割当」になった。 この李さんは幸い、自分を可愛想に思ってくれた一将校の助けで釈放されたが、他の 3人はあの時以後二度と(姿が)見られなかった』と。

 北朝鮮(人民軍)の中から捕らえた女性のみならず、自国民の中からも女性を強制的に拉致、逮捕して娼婦にしていたのである。確かに「言いたくない軍部の恥部」であろう。言いたくない代わりに、自国の「行為」と「恥」を日本に転嫁し、「罪」の言い逃れを図っているのである。

 恥知らずな国家だ。筆者は学者の端くれであるから、「真実」か「虚構」かで物事を判別する。その判別の目からすれば、韓国という国は「嘘」また「嘘」でグチャグチャに腐り切っている。中共と侮日策動のクラスタを形成して編み出した「虚構」は、たとえ一時的には隆盛を見せても、「真実」をもとにした日本の良識の反撃に遭えば崩壊する運命にある。

 先人英霊に汚名を着せたまま、子々孫々にこの日本国を渡すわけにはいかない。
---------- ----------

【筆者記】

 今後のNPO活動のために、と膨大な資料をお預かりしている。時間の都合もあり、すべてを未だに拝見していないが、一般の資料館には存在しないであろう希少な個人所蔵の資料が多い。一般に調べて来た資料にも、また、お預かりしている資料群にも、“従軍慰安婦”など、とは一言も記されていない。国際法廷でも役立つであろう。
----------
▼戦後も日本攻撃を続けたソビエト( 博士の独り言)
真岡の乙女を追悼する
昭和20年(1945年)8月15日。玉音放送を拝した樺太・真岡町の住民は、戦争はすでに終わったものと認識していた。しかし、8月20日早朝、ソ連軍が真岡町を目指して侵攻。最初は日本軍から発砲した、との指摘があるが、終戦を経たその時期に、日本領土へ大規模な軍事侵攻を実施したソビエトの非が有ったことには変わりはない。

 監視から一報で非常事態を覚った真岡郵便局の交換室監督・高石ミキさんは、宿直者全員を起こして交換台につかせた。非常事態を告げる連絡網維持に必要な電話回線を守るために。

 ソビエト軍の凄まじい艦砲射撃が始まった。倒壊する建物。炎を上げる民家。その間を縫うように非難を始めた真岡町の住民に、上陸したソビエト兵が容赦なく機銃掃射を浴びせた。ソビエト軍は、停戦を求めた日本軍の軍使一行にも機銃掃射を浴びせて村田中尉を殺害。

 やがてソビエト軍は、真岡郵便局にも迫った。郵便局に裏手は、断崖で避難路は無い。覚悟を決めた12名の乙女たちは交換台を守り続け、攻撃を受ける真岡町の悲惨な状況を1時間以上にわたって伝え続けた。
 
 ソビエト軍の砲撃が郵便局にも達する段階になった。乙女1人1人が、次々に服毒自殺した。「内地の皆さん、さようなら」。碑に刻まれたる言葉である。 
----------

 「内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。

 これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。私たち9人は最後まで、この交換台を守りました。そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。

 ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。内地の皆さん、さようなら、さようなら」
----------

自殺9名、生存3名

 当時の電話交換手は実際には12名。そのうち服毒自殺が9名。それも申し合わせた一斉の自殺ではなく、1人1人が順次服毒。生存者がおられた。昨年の拙稿を訂正の上、お詫びする。だが、通信所の役割りをになっていた真岡郵便局に最後まで残り、生死を分けながらも、尊い使命を全うされたことには変わりない。
----------- -----------

ソビエト軍の悪逆非道
 「これも戦争」という釈明は不可能だ。「戦争」は8月15日に終わっていたのである。それにもかかわらずこの樺太南部へ、半島へ、そして千島への侵攻。これを戦争犯罪といわずして何と説明すればよいのか。

 ヤルタ協定を承諾し、スターリン率いるソビエトは日ソ中立条約を8月8日破棄。満州へ侵攻を開始したのが翌8月9日未明。ソビエト連邦軍は圧倒的な兵力で満州に侵攻。ヨシフ・スターリンの領土欲にかられた蛮行は8月15日以降も延々と続いたのである。

 ソビエト軍の侵攻で亡くなった真岡の日本人は477人(真岡町役場作製の戦災死者名簿)。ソビエト軍は、停戦を求めた軍使を殺害し、容赦なき非道に出たのである。

 戦意を持たない市民(非戦闘員)に対する虐殺行為の悲惨。真岡からかろうじて豊原に逃げ延びた人々が、破壊された町に戻って見た光景は凄惨だった。機銃掃射で殺害された市民の中に目についた赤子や幼児の遺体。逃げ遅れてソ連兵に暴行・殺害された女性の遺体が散在していたと伝えられる。満州でも、ソビエト軍による同様の惨劇が起きている
----------

ソ連崩壊後の資料公開によって明らかになった数値:

◇ソ連の占領した満州、樺太、千島に居住していた日本人:

 約272万6千人(軍民を含む)

◇シベリア、およびソ連各地に送致され強制労働を課せられた日本人:

 約107万人

 内、死亡者は34万7千人
(確認済みの死者25万4千人,行方不明・推定死亡者9万3千名)

◇強姦、略奪、多数
---------- ----------- -----------

昭和天皇陛下の御歌
サハリン(樺太)をはるかに望む稚内公園は丘の上にある。この公園に、樺太慰霊碑として「乙女の碑」と「氷雪の門」が建立され、昭和43年に除幕。

 訪れられた昭和天皇陛下と香淳皇后陛下は拝礼され、冥福を祈られた。この時の御製の御歌が残されている。

 樺太に命をすてしをたやめの心を思えばむねせまりくる

 からふとに露と消えたる乙女らの御霊安かれとただいのるぬる
---------- ----------- -----------

【筆者記】

 「氷雪の門」といわれる。「門」は、日本を守る門である。氷雪は寒冷の地を意味する。その地がソビエト軍による不意討ちの侵攻を受けながらも、非道が本土に及ばないことを願い、また、1日でもそれを遅らせることを願い、樺太、千島の人々もまた、尊い命と引き換えに死力を尽くし、蛮賊の侵攻に立ち塞がったのである。

 その中で、理不尽に迫り来るソビエト軍の侵攻の中で、最期まで職務を全うし、服毒による死を選んだ17歳から24歳までの乙女9名と、懸命に生きて、当日の様子を後世に語り伝えた方々に敬意と感謝を捧げる。この8月20日は、殊に、当日、尊い命を捧げた9名の乙女たちの63回目の命日忌にあたる。感謝の敬礼を捧げ、慎んでご冥福をお祈りする。