済州島と関西の在日
戦後、済州島の南鮮労働党弾圧で、8万の島民が虐殺され、人口は、28万から3万に激減した。 そして、多くが日本に密航した。それ以前の日韓併合初期の来日者の大半は、済州島出身者であった。日本には密入国した済州島の朝鮮人のネットワークがある。そして、南鮮労働党の流れを汲む彼らは、当然、北朝鮮と繋がっている。
戦前、済州島と大阪の間に直航便があったそうだ。 朝鮮本土から、部落のように差別されていた済州人の多くが日本に密航し、日本人になりすました。そして、いつの間にか日本全体に彼ら独自のネットワークを............. (By richardkoshimizu)
1945年9月2日に日本が連合国に降伏すると、朝鮮半島はアメリカ軍とソビエト連邦軍によって北緯38度線で南北分割占領され、軍政が敷かれた。この占領統治の間に、南部には親米の李承晩政権、北部には抗日パルチザン金日成の北朝鮮労働党政権が、それぞれ米ソの力を背景に基盤を固めつつあった。
1948年に入ると、金日成は2月に朝鮮人民軍を創設し、続いて朝鮮民主人民共和国の成立を通告した。当初から武力による強制統一を考えていた金は、南部のパルチザンに蜂起するよう呼びかけていた。対して南部は、労働党を抜きにして単独選挙を行うことを決断した。これは国土の分断を決定的にしかねない決定であり、選挙反対派が運動を開始したが、済州島では南朝鮮労働党に率いられた島民が「人民遊撃隊」を組織し、4月3日に武装蜂起した。
蜂起は治安部隊によって短期間で撃滅されると、ゲリラ戦で対抗するようになったため、治安部隊は遊撃隊員の処刑と、同調島民の粛清を行った。これは8月13日の大韓民国成立後も韓国軍によって継続して行われ、1950年に金日成の朝鮮民主主義人民共和国が侵攻(朝鮮戦争)すると、いよいよ労働党狩りは熾烈さを極め、1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が
殺害されたとも推測される。
日本による韓国併合以来、複雑な歴史背景によって本国の待遇が悪かった島民は、新天地を求めて日本へ移住あるいは出稼ぎに行き、併合初期に日本へ最初に来た20万人ほどの朝鮮出身者の大半は済州島出身であった。敗戦による「開放」によって、そのほとんどが帰国したが、この事件によって済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した
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どこからコピペしたのか、わかんなくなってしまいました。
ゴメン。済州島の人は大変な過去があったのだね。
だから今でも北朝鮮と仲がいいいんだ。でも、北朝鮮は
日本人を拉致したり、ウソばかりついて核を開発し続け、
ミサイルを日本に撃ったりして、日本人を困らせているよ。
by日本のお姉さん