1500万円を私的流用=文理佐藤学園長が辞任届-調査委が会見 | ふるさとを守りたい、子供達の未来を守りたい

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1500万円を私的流用=文理佐藤学園長が辞任届-調査委が会見・埼玉



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『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 |集英社新書
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英語化は愚民化 特設サイト | 集英社新書
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埼玉県狭山市の学校法人文理佐藤学園の佐藤仁美学園長が修学旅行の際に、学園の資金をカジノやミュージカル鑑賞に1000万円以上私的流用したとの疑惑が発覚し、波紋が広がっています。


私は、この私的流用問題はもちろんのこと、この学園の教育方針にも彼女と学園の日本国民としての公共心の欠如が表れていると感じました。


そもそも、教育は、他人を蹴落として競争に勝った「勝ち組」だけが豊かになり、大多数の「敗者」が貧しい暮らしを余儀なくされる国ではなく、国民同士がお互いに協力して助け合い、共に豊かになるという「経世済民」の思想に基づく国づくりを目的として行われなければなりませ。これは、公立でも私立でも同じでなければならないと思います。


地域とともに生きる人材を育てよう
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こちらのブログのお言葉をお借りすれば、教育の目的とは、「地域とともに生きる人材」を育てることであるとも言えます。


そして、その目的を達成するためには、小中学生の段階において日本国民の一人としての自覚や連帯意識を育成することが必要不可欠であり、それを育成するためには、修学旅行などを活用して子供達に日本国内各地の産業、生活、文化伝統、人々と触れ合う機会を設けることが必要だと思います。


しかも、現在の日本はデフレ不況下にあるので、修学旅行でも日本国内でお金を使ってデフレ脱却に貢献するということや、東北地方に行って被災地復興を応援するという観点は非常に重要です。


にもかかわらず、「グローバル教育」と称して、文理佐藤学園は海外留学やアメリカ、イギリスへの修学旅行など子供達を海外に行かせることに偏重し、日本国内での様々な体験をさせることを軽視しています。佐藤仁美氏はデフレ不況や震災などの日本国内の事情には関心がなく、海外でミュージカルやカジノを満喫することしか興味がないと思えてなりません。


また、学園の「英語のシャワーで世界のトップエリートを育てる」という方針の下での英語教育偏重も佐藤仁美氏の公共心の欠如の表れであると言えます。もちろん、海外の事情について知ることは大事だと思いますが、まず小中学生の段階においては日本国民としての自覚、連帯意識を育むべきであり、その上で、高校や大学で海外に行く機会を設けても遅くはないと思います。


「エリート」とは本来、私利私欲を捨てて、国民全体の利益のために尽力できる人材のことを言います。しかし、英語偏重の教育はそのような人材の育成とは逆行するものです。


英語偏重の教育では、英語が堪能な一部のエリート(本来の意味ではない)はグローバル市場でビジネスをして大きな利益を得るかも知れませんが、日本全体の国力や文化レベルを著しく低下させ、日本国民全体の利益を損ねる恐れがあります。


なぜなら、人間は自らがの母国語を用いて思考し、表現する時にその能力を最大限発揮できるのであり、日本語を疎かにして英語教育に偏重することはすなわち、日本の国力、文化レベルの低下に直結するからです。


これは、日本及び、海外の事例を見れば明らかです。日本は明治維新の時、当初は英語やフランス語を公用語化して外国の知識や技術を取り入れることを検討しましたが結局失敗し、海外の知識や技術を日本語に翻訳してこれらを吸収する方向に転換した結果、近代化に成功しています。


また、ヨーロッパ近代化の起点となった十六世紀の宗教改革では、当時ラテン語だけで書かれていて、ラテン語を理解できない庶民は読むことができなかった聖書をフランス語や英語などのヨーロッパ各国の母国語に翻訳し、庶民にも読めるようにしたことが近代化に大きな役割を果たしました。


現代においても、アフリカ諸国などの現地語ではなく、英語やフランス語などの外国語を公用語としている発展途上国では公用語を理解できる一部のエリート層と現地語しか話せない大多数の庶民との間に連帯感が生まれず、その結果、政治は不安定化し、経済も上手くいかずに深刻な貧困や格差の問題が発生しています。


そして何より、言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、言語はその国の文化や国民性に大きく影響を与えるものであり、英語偏重教育は日本人の「思いやり」、「気配り」、「譲り合い」、「助け合い」、「団結」などの文化や伝統、国民性、日本らしさを失わせてしまう危険があるのです。


こうした英語偏重教育の問題点について、政治学者で九州大学大学院比較社会文化研究院准教授の施光恒氏がお書きになった「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる」という著作に詳しく書かれているので、特に子育て中のお父さん、お母さんに読んでいただき、教育について考えてほしいと思います。


『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 |集英社新書
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http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0795-a/&hl=ja-US&ei=4pHpVdOTCuOKmwXn-p7YBg&ct=pg1&whp=30

英語化は愚民化 特設サイト | 集英社新書
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http://shinsho.shueisha.co.jp/se/&hl=ja-US&ei=cJLpVe2JAe6umgXrwqT4Bw&ct=np&whp=36