「行き詰ったら、歩く」
その習慣は、学生の頃からだったかな。う~ん。よく覚えてないな。
気付いたら、そんな習慣を身につけていて、そして年に1度くらいは長距離を歩く。
行き詰りがちの男 「なつむぎ」 です。
歩きながら、何が問題なのかなって考えていると、
ふといいアイデアが浮かんできたり、あるいはどうでもいい事に思えてきたり。
本当は16日17日の二日間かけて、御殿場から大月まで歩こうって計画だったけど、
16日は土砂降りだったから、歩かなかったのだ。
えぇ、行き詰っても無理はしない。
そんな感じの方針で...
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今回の歩いたのは、富士吉田の浅間神社から中央本線の大月駅まで、距離は24キロ弱。
いままでだったら、この位の距離は全然平気だったんだ。
ところが今回は、15キロを歩いたあたりから膝の裏側が、ちょっと痛かったりした。
出だしこそ、「手をつないでスキップで行くカップル」を追い越す勢いの速度だったのに、
「遅刻しそうで小走りになってる女子高生」に抜かされるようになり、
「子供の手を引いて歩く買い物帰りの主婦」に抜かされるようになり、
しまいには、「乳母車を押すおばあさん」にも抜かされるようになっちゃってね。
「すまないね。ちょっとよけてくれないかね」
「あ、すみません。どうぞ」
「そんなにゆっくり歩いて、落し物でもしたのかね」
「いや。そういうワケでもないんですけど」
「そうかい。どこまで行くつもりかい」
「大月まで、行こうかと」
「ありゃ。そうかね。電車賃がないのかい?」
って、心温まる村人との会話です。
ボクは歩いていると、おばあさんに良く声をかけられる。
でも、女子高生には声をかけられない。
なぜだろう。
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そういえば、今回の旅では、もう1回おばあさんに声をかけられた。
国道139号線が桂川と交差するあたりで、滝に遭遇した時のこと。
歩道のほとんどない国道をひたすら歩いていたら、突然に滝の音が聞こえて来た。
松尾芭蕉が 勢ひあり氷消えては瀧津魚 と詠んだ滝なのだそうですよ。
名前は「田原の滝」
その時、「もうすぐ、電車がきますよ」 って。
ボクは徒歩の旅の時、いつも首からカメラをぶら下げている。
一眼レフじゃなくて、コンパクトデジタルでもない、旧式のカメラなんだけど。
よく見れば、滝の向こうには鉄橋がある。
滝の写真を撮っていたボクは、たぶん「撮り鉄」に見えたんだろうね。
一眼レフに、望遠系のズームレンズを付けて、三脚と一緒に持ち歩いているような人物だったら、
明らかに鉄道写真が目的なんだろうけど、
ボクのカメラは、望遠は得意じゃないし、ズームレンズはつかないし。
でもさ。
せっかく親切に教えてくれたんだからって、電車が来るまで待っちゃいました。
「電車は、あとどのくらいで来るんですか?」
「そうだねぇ。15分くらいかね」
おばあさんと二人で滝を眺めながら、ぼんやりと15分。
孫の自慢話とかを聞きながら。
そして、その時の写真が、これ。
ね、遠くの方に、ちっちゃく電車が写ってるでしょ。
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