自己満の看護師は社会の迷惑 | 訪問看護師はミタ

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訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。

 辛辣かもしれないけど、最近あった出来事から思ったことを書きます。

 ホッとできる空間を作れるか?とかは抽象的すぎて看護計画では要求されない。そんなの「看護計画」には通常はない。でも、私は言いたい。いくらあなたが優秀な看護師で完璧な看護計画と実施とアセスメントができても、その対象者にとってあなた自身が「ホッとできる空間」のひとつもかもし出せないなら意味ないんだよ。看護をわかってないんだよ。

 ってか、わかれよ!って思う。 (←かなりハラをたてているのがわかるでしょ)。

  付け加えて言うなら「ホッとできる空間」を作れる看護師は、患者だけじゃなくて他の看護師や医師、介護職に対しても「ホッとできる空間」を作れる人なんだよ。同業者に気を遣わせてどうする?認定や専門を取得していい気になってるんじゃないよ、他の誰にも「あの人、話しにくい」と思われた時点でアウトっていうことを自覚すべし。そんな自分を振り返れないなら自体はもっと最悪だ。そんな輩でいる限り結局、誰の役にも立たないのではありませんか?

 「ホッとできる空間」ていうのはね、「私はあなたがどんな存在であっても許します」そして「私はあなたを心底助けたいと思っています」さらに「どうか心配しないで」この三つが同時にコミュニケーションのなかでにじみ出せる関係性なのだよ。いくら勉強してもこの3つが同時にできないと意味なし、価値なし。ただのアナタ(看護師)の自己満足。

 でも、人は心動かされる体験をしないと、なかなか自分ではわからない。例えば、愛された事のない方に、愛する事を教える事はできない。私たちはその事を知って、互いに理解し合う事、許し合う事、穏やかな心で学び合う事をもっと、習得していくべきではありませんか?