訪問看護師はミタ

訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。


テーマ:

訃報が届いた「She passd away this morning・・・」彼女は日本人ではなかった。化学療法の辛さを訴えるのに心がいっぱいいっぱいで、英語を話せる訪問看護師を希望していて、私のところへ依頼が来たケース。言葉の壁は高い。自分が本当にしんどい時に、自分の言葉で訴えたいと切望されていた。もちろん、元気な時は日本語もお上手な素敵な女性だった。ナチュラルで、自然を愛し、なんとも言えない柔らかいオーラをかもし出す素敵な方だった。

 

彼女の訪問は私の退職ととともに打ち切りになったのだけれど、電話やメールなら個人的な好意として対応するからいつでも連絡くださいね、と伝えて最後の訪問を終えた。彼女からは私の新しい教職としての未来を応援するメールが届き、私は胸を痛めながら、空に目を上げた。「もう会えないのかな」。

 

そして、とうとう訃報が届いた。彼女の親族が私にメッセをくださった。頭に反芻したのは彼女が生前私に残した言葉「ワタシハ、モット、イキタイ、シニタクナイ」。彼女は本当に様々な話を生前私にしてくれた。自分の生き様や、元気だった頃のとても素敵でチャーミングな写真、お香を炊いたり、素敵な植物や素敵な小物に囲まれて生を謳歌していた。

 

いつでも電話して来ていいよ、って言っているのに、遠慮をして我慢しておられた。とても我慢強くて、頑張る人だった。「ハラダサンノ、オシゴトハ、トテモ、ダイジ、ガンバッテ」と言ってくださった優しい瞳が私の心に焼きついている。

 

私も頑張って、療養指導のパンフレッットを全部英語に落として、作って持参したり、記録やアセスメントシートを英語で作って協力した。

 

化学療法を受ける患者は日本人でも十分な説明や、療養指導を受けれる環境に乏しい印象があるのに、まして彼女のような外国人はなんと心細かったことかと思って、できる限りの支援を自分の職務の範疇で行った。

 

でも、もう、苦しみから解放されて天国への凱旋をされたんだね。彼女の笑顔や声が思い出されて、そして、忘れたくなくて。どうか安らかに、そして豊かに、慈愛に富んだ最期であったことを願います。あなたに会えてよかった。本当にありがとう。そして、知らせてくださったご遺族の方にも感謝をいたします。

 

最後に、もっともっと外国語を話せる訪問看護師が増えて欲しい限りです。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

私は訪問看護師だったので、看護師としての経験からと、あと、家族の死に向き合う経験を何度かしているので、その視点からしか言えないのだけれど、多くの人はきっと死を身近に見たことが無く、経験したことがないのかな?と思う節があった。

 

ガンで亡くなる人。ガンという病気の多くは亡くなる1ヶ月から二週間前まで「だいたい元気」な方が多い。なので、急に食べれなくなったり、動けなくなったりして「なんで?」って思うパターンが多い。でも、医者や看護師からしてみたら「ああ、そろそろとは思っていたけど」と想定内のこととして捉えることが多い。

 

有名人のMさんのケースも、看護師を目指している学生さんですら「え?」とか言われていたけれど、多くの末期ガンの患者さんをみてきた医療者なら「ああ、想定内」と心の中で思っていたと思う。

 

人の体は死を迎える前に、死の準備を始める。ガンの場合は幸か不幸かその「準備」のスタートラインはだいたいが死の1ヶ月前くらいから始まる。

 

食べれなくなって内服薬も飲めなくなる、トイレやお風呂など、日常のことができなくなっていく、そしてベッド(布団の方もいる)にいるけど、いろいろな起きれない原因になる症状が出てくる。

 

でも、ガン以外の人はまた違った経過を迎える。例えば、自分の祖母は100歳で逝ってしまったが97歳頃から「もうダメですよ」と医療者等から言われ続けていた。ガンでない人の方が先行きを予測するのは難しい。何度も「もうダメかもしれない」と呼び出しを受けた。延命はしないと本人も家族親族も同意していたにもかかわらず。

 

いづれにしても、私自身にしても誰でも、生まれてきたからには、死ななければならないので、結構な大イベントである。でも、今の世の中には、それを商売にして長生きを餌に大儲けしようとしたり、せっかく医学が進歩して長生きできる道があるのに、それを知らされずに悲しい結果を迎えてしまう人が絶えない。ある人々は弱みを餌にしてお金に換える。

 

死は誰にでも平等に訪れる。単なる物資であり続けることを選ばなかったものが生命と呼ばれるようになった。でも、物質であることを捨てることと引き換えに「死と生」を受け入れざるを得なくなった。神の摂理とはつまりそういうことだ。

 

死なないことが最高の人生や幸せを約束してはくれない。多様性が容認される時代の流れの中で、何が一番大切なのかを常に考えなければならないストレスに常にさらされているのが今の日本の現状ではないだろうか。

 

人が死ぬ前は、通常なら飲食もできず、動けもしないので意識は朦朧として、もはや苦痛も感じない。木が、大木が枯れるように死んでいくのが人にとっては一番身体が楽なのだ、と教えてくれた恩師がいた。長い臨床経験を経る中で、その恩師の言葉が心に反芻した。確かにそれは一つの真実だった。人は生まれてきた時の記憶が無いように、死ぬときもまた、記憶を残すことなく、逝くべきところへ却っていく。看取りとは、帰る人ではなく、却る人への見送り。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

 17時を過ぎて、仕事の訪問先で子供から電話があった。緊急事態の可能性もあるので患者さんや家族に承諾を得て電話に出る。「ママ〜今日は何時に帰るの?◯◯帰りに買ってきて・・etc.」電話を切って仕事に戻る。

 

 

 患者さんやご家族が「お子さん小さいの?」「はい、でも小学生だし大丈夫です」。大丈夫かどうかはわからないが、そう聞かれると大丈夫と答えるしかない。

仕事を終えて帰宅の準備をして挨拶をしかけたら、患者さんの家族がお鍋から夕食のおかずをタッパーに取り分けて私のカバンへそっと入れてくれた。「食べてね、作りすぎたから」、「すいません、ありがとうございます」。

 

 

 この方は私が仕事を終えたら買い物や調理や洗濯やらランドセルの中の何枚もの学校のプリント仕分けなどの莫大な(本当に膨大です、小学生のプリントおそるべし、多すぎる)イベントが毎日待ち受けていることを、あの電話で知ってしまったのだろう。

 

 

 患者さんからの、お茶や、いただきものは全てお断りするのが基本なのだけれど、突き返すことはできなかった。むしろ、彼女の愛情と思いやりの深さに涙が出そうだった。ありがとう。

 

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。