お年寄りから見た、いわゆる「パソコン医者」について | 訪問看護師はミタ

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訪問看護師MINAの頭の中をのぞいてみたら、こんな感じです。


 いろんな患者さんちを訪問にまわっていると「パソコン医者」という言葉がお年寄りの間では常用語となってきた印象がある。「あの病院のお医者はパソコンしか見ないし、聴診器もあてない」と患者から「格下の医師」というジャッジをされているのを知っているのだろうか。聴診器に手書きの診察をする医師こそ「格上の医師」と。

 もちろん私自身はICT推奨人間でもあり、端末を3個も持ち歩く訪問看護師でどちらかというとパソコン歓迎派。ただ、「パソコン医者」と呼ばれる医師にも、ないがしろにされた思いで診察を終えた患者にも「お互い気の毒にー」と思うわけで、決して電子カルテ等、パソコンを駆使した様々な技術に関しては反対ではない。

 だが、自分よりずっと若い医者に箱の画面をのぞきながら顔も見てくれずに診察される、っていうのは、お年寄りの感覚としては「なんか私、テレビを見ながら診察されているような」体験として受け止められているような気がする。パソコンなんて見たこともない年代からは特にそうだ。

 お年寄りの診察をパソコン使ってするなら、ディスプレイを一緒に見ながら話しができるような、「お茶の間で親しく、一緒にテレビを見ながら話しをするような環境」を整えていかないとお互いに不幸なのではないだろうか。

 いくら最新の電子カルテや画像診断などをディスプレイで簡単に使えるようになっても、お年寄りにしてみたら、医者の顔がディスプレイの方を見たままだと、「ながら診察」されている気分になる。せっかくなのだから、うまく共有できるように工夫が必要である。

 最新の良い技術も使い方一つで、人の心と心をかえって遠ざけてしまう。反対に言うならジェネレーションギャップに配慮すれば、もっとお互いに技術の発展の恩恵を受ける事ができるのだ。新しい技術を取り入れる時、私達は単に導入するのではなくて、そのことが人の心にどう響くのかをさぐりながらやらなければならないのだ。