明治の神仏分離令によって山岳信仰のお山は大変なご苦労がありました。


ここ湯殿山注連寺 も例外ではなく、
湯殿山神社が出来ると、徐々に衰退をしていったそうです。



それまでは。
女人禁制だった湯殿山参りの参詣所として栄えていたそうです。





開祖は空海。
その流れで、現在は真言宗智山派となっていますが、一時は天台宗になりかけたこともあったとか。


この注連寺や注連寺のある七五三掛を舞台にした小説『月山』の作者・森敦氏は幼少時にこのお寺で過ごしていたらしく、その時のことがのちの小説にいかされているんですね。


注連寺の注連はしめ縄のシメ。
お寺であり結界を守るところでもあったようです。







さて。
この庄内地方には現在も8人の即身仏がいるようなんですが、
こちら注連寺にも一人の即身仏がいらっしゃいます。



鉄門海上人(恵眼院鉄門海上人)

地元鶴岡の出身で、25歳の時に注連寺に入り、北海道から四国に至るまで、湯殿山信仰を広めて歩かれたそうです。
その後、3000日にも及ぶ苦行を経て、空海と同一年齢の年に即身仏になったと伝わっています。


即身仏になるには、
地中に入り、細い竹を通して空気を取り入れます。
食べものは木の実。
なるべく消化の軽いものを選び、内臓も綺麗にしていくのです。
手には鈴を持ち、やがてその鈴の音が聞こえなくなると……

-合掌-



ここではご住職の法話があったんですが、、
ちょうど私の背後にこの即身仏がいらっしゃって…ずっと背中に視線を感じてました(・_・;)


怖いとかじゃなくて、
物言わぬ視線がじ~っっと目してますからね。


ちなみに、こちらのご住職はとってもお話好きな方らしい(笑)。


持ち時間以上のトーク炸裂で、
一番前で相槌打ちながら聞いてたからか時々イジられてしまいました(^_^;)


午年の人は踊りとご縁があるって仰ったので、深々と頷いてしまったんです(笑)。
午年で、長年日本舞踊をやっていたので、妙に納得してしまったんですよね。


お堂の天井画にもお馬が二頭描かれていましたが、つぶらな瞳がキュートなお馬さんでした。


他のお部屋にもそれぞれ天井画が描かれていて、
どれも個性的な大きな絵でしたね。
お寺のHPでいくつか見ることが出来ますので、よかったらチェックしてみてください。


それと、こちらの木。




幹のところに行者さんのお姿が浮き出てる!…ように見えます(笑)。


本来ならこんな風に長い階段を昇ってくるのでしょうが、近ごろは道が整備されたのでお堂の隣までスイスイ来れちゃいます(*^^)v



ありがたいですね。


近くには同じく湯殿山系のお寺で大日坊 があります。
かつては他にもあった壮ですが、現存するのはこの二ヵ寺。

こちらの大日坊にも即身仏がいらっしゃいます。







湯殿山神社やこちらの湯殿山派のお寺。
出来れば、本物をご自身の五感の全てで感じて欲しいです。


法話の最中に突然豪雨になったのですが
終わる頃にはこんな感じで雨もほぼあがっていました。






旅を終えて数日過ぎた頃、
偶然、TVドラマで湯殿山即身仏を扱ったミステリーをやってました。

「塔馬教授の天才推理」

行ってきたばかりだったのでしみじみと見てしまいましたが、
いろんな意味で不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。