2日目の京都。

この日のメインは京都夏の非公開文化財特別公開のうち、
江戸幕末の舞台として華やかに彩られた京都・島原を訪問すること。




水戸に生まれた運命か、
どうしても江戸幕末の史実が気になってしまうのですあせる


それに、
日舞をやっていたので舞を生業にする人にも興味があるし、
歌詞にも吉原や長崎の丸山と並んで、京都島原が出てくるので(^_^;)



“島原”と言われる花街は
今の場所に移ってくるまではもっと御所に近いところにありました。



今は京都五花街(祇園や上七軒など)って括られてるけど、
かつてはこの島原が筆頭だったし、島原をいれての六花街だったそうです。


花街とは歌舞練場があって、
芸舞妓さんたちが日々お稽古をして芸を磨き、その芸で持っておもてなしをするところ。


そんな島原は、いつしか郊外へと移され、
京都の中心部が賑やかになってくると衰退の一途をたどり、
今では歌舞練場もなく御茶屋さんが一軒となってしまったそうです。


けれど、文化としても残していこうと、
今でも太夫さんが何名かいてイベントや行事などを開いているそうです。



これは島原大門。



島原の太夫さん(最高位の芸妓さん)は、
ちゃんと位を授かっていて(正五位)、
将軍さまや公家の方々とも対等にやりあえる立場でした。

歌舞音曲はもちろん、
茶道・華道・香道、和歌や俳句
ありとあらゆる素養を身に着けていないとなれないのです。

スーパーウーマンです!


それに、島原や京都の芸妓さんたちが他(吉原とか)と違うのは、
ちゃんと夜にはお客さんをお見送りして身体を売ったりはしなかったこと。
(夜通しの宴の場合はお付き合いはしただろうけど…)



それから、帯の結び方も特徴的。

今の花街の舞妓さんたちはだらり帯だけど、
島原の太夫さんたちは胸の前に五角形に似た形に結びます。

これは『心』という文字を表したもの。


そんなところだったから、
遊郭というとふつうは女子は入れないけれど、

ここは文化人なんかがお母さんたちを連れてきたりしてたんです。



ちなみに。
島原とは呼ばれてはいますが、地名ではありません。

この地へお引越しした時に、あまりにも急な話で大騒ぎだったので、
島原の乱になぞらえて“島原”と呼ばれるようになったそうです。




さぁ。
そんな島原を今に伝える二つのお屋敷をこれから見学に行きます。