かつて実家からほど近いお山の上に、い賓閣という立派な御殿がありました。



作ったのは徳川光圀。
水戸徳川家の二代目藩主です。

い賓閣のいの字は夕をかんむりに寅みたいな字を書きます(漢字で入力すると文字化けしちゃうんで)。


今はただの公園の一部になってますが、
当時は公園一帯が御殿だったそうで、約300坪の建物だったとか。


今から160年ほど前の8月16日。

幕末の天狗党の乱で焼失してしまうまで、
水戸徳川家の別邸・迎賓館としての役目を果たしていた建物なのです。 





そんない賓閣を「再建しようじゃないか!」という動きが地元有志の間に起きていると聞いてちょっと出掛けてきました。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~katogi0908/ihinkaku/index.html


会場になってたのは、弟の同級生のお家(笑)。

説明してくれたのも、弟の同級生のお父さん(笑)。

一緒に行った母と祖母、会場近くに住む親戚のおばちゃんと、みんな顔見知り(笑)。


そんな面々は生まれも育ちも地元なので、話の内容がめっちゃ濃い!


模型図を見ながら盛り上がり、


遺された絵図を見ながら盛り上がり、


江戸時代のご先祖さままで遡って盛り上がりました。


とても新鮮なんです。
自分の家がある場所が古地図や古文書に載ってるのが!


こんな寂れた田舎なのに、
ちゃんとお殿様がいて
領民を大切に思っててくれたんだなぁ~ってことが嬉しい。




今回のこの企画。
きっかけはたった一枚の絵図面から始まったそうです。


ある日、一枚の絵図面がお隣の水戸市にある古書店に持ち込まれました。

絵図面は水戸徳川家の別荘だったい賓閣だと判明。

そこで、この古書店はい賓閣のあるひたちなか市へ買い取りを願い出る。


しかーし!!!!
この価値を理解していないひたちなか市職員は買い取りを拒否。


↑ アホすぎる判断に開いた口がふさがらない・・・。
現在のひたちなか市がほぼ旧勝田市の主導でなってるから、
旧那珂湊市の貴重な史跡を理解出来てないなんて哀しい。



結果、古書店は水戸徳川家の本拠地水戸市へ打診。

水戸市は「これはこれは!大変貴重なものを・・・。」と快諾。

↑はぁ~。
旧勝田市民にもこれくらいの価値観を持っててもらいたいわ。
地元民がほとんどいない地域ってこんなものなのねぇ~。



というわけで、
せっかくの資料なのに地元のものではないという残念な話なのですが、
ここからこうして模型を作り、再建へ・・・という動きになったのです。





ちなみに。
この御殿が燃えてしまった跡は、
日本軍の施設が置かれ、
終戦後は中学校になり、
国体の開催に備えて相撲場が作られ、
今はただの空き地同然になっています。


でも、お庭に植えられていた松の木はほぼ当時のまま残ってるの。

子供の頃、毎日のように芝スキーをしたあの松の丘が、
枯山水の素敵なお庭だったなんて信じられない!

この夏はライトアップ(?)もしてました。



小学生・・・だったかな。
ここで花火大会とかやったなぁ~。
山裾のお寺で肝試し大会も(笑)。



そんな思いでいっぱいのこの場所に、もし当時の姿を彷彿とさせる御殿が再建されたら…とても素敵だろう。



せっかくなのでただ建てるだけではなく、
地域の人たちもいろんなことに使えるような施設にしてね。


それから、資料館も!

懐古館は津波で流されちゃったから・・・。

お庭や公園ももう少し手を加えて。



そんな期待もあって、
今までの調査報告をまとめた図録を思わず一冊買ってしまいました(笑)。





それにしても常陸国・水戸藩ってつくづく残念なとこ。


幕末の騒乱、太平洋戦争の戦火で水戸は大空襲に遭い、
歴史的建造物や資料が殆ど残っていないのです。

あの『大日本史』でさえ、焼失してしまって…。

おまけに、幕末にはたくさんの有能な人を亡くしてしまいました。
明治維新において、水戸学があれほど多大な影響を与えたにもかかわらず…。



いつか日の目を見る日がくるといいなぁ~と願わずにはいられません。





ちなみに。
この企画展の資料として置いてあった 『水戸天狗党絵巻』のコピー。



これの所有者が千葉県佐倉市の歴史民俗博物館なのです。


本物が見てみたいのです。

データ資料をみると一般公開にはなっているのですが……。

とりあえず、ダメもとでチャレンジしてみますっ!!!