先月のお彼岸にあわせて三連休は里帰りをしてきました。

その際、時間つぶしも兼ねて偕楽園に寄り道。


地図で見ると水戸駅からそんなに距離もなく、歩いていけそうな気がしますが…とんでもない!

奈良で例えると、奈良駅から平城京跡まで…くらいな感じかな?しかもややアップダウンあり。
ちょっと歩く気はおきないですよね(笑)。




なので、この梅の時期だけ設置される臨時駅【偕楽園駅】で下車するのがオススメです(図中のピンク☆印)。


・・・が、ここで注意なのはこの偕楽園駅は下りしか停まりません(笑)。


北から来られる方、偕楽園から東京方面へ帰られる方。
お手数ですが一度水戸駅でお乗換えください<(_ _)>

東京方面から来ると、水戸駅までの乗車券を持ってる場合は途中下車となって水戸駅までの乗車券を引き換えてくれます。




実は、私も35年目にして初めてこの駅を利用しました(笑)。
なかなか新鮮ですね。


園内から特急ひたちを1枚。


ちょっとだけ鉄っちゃん気分ですが、やっぱり難しいですねσ(^_^;)






偕楽園は水戸市のほぼ真ん中にあります(地図上の話)。



左側の緑の円内が偕楽園公園(になる予定?)、実際の偕楽園とは線路から上の部分です。


今のように整備される前は、下にある千波湖や上の那珂川と水路をつなぎ、水戸城を囲むように天然の水堀があったそうです。



私の憧れドキドキ吉子さま(斉昭夫人・慶喜母)も、時々城下へ来てはこの堀で魚釣りなどをなさったそうですよ。
彼女は宮家のお姫さまながら、武術もこなして開拓団にも参加しようとしたとっても逞しい方なのです!




水戸城のお堀は今は完全に空堀になってて、子供の頃は芝スキーを思う存分楽しめた水戸城跡が地図中右側の青い◇の中。しばらく前までは茨城県庁があったところです。


そこには弘道館という藩校が隣接していて、徳川幕府最後の将軍となった慶喜もここで水戸学を学び、大政奉還後は謹慎中の時間を過ごした場所です。


文武不岐(勉強や武道を分けずにどちらとも鍛錬すべし)という教えのもと、幕末を駆け抜けた人たちがここにいたのですね。


ちなみに、父の母校(幼小中)も母の母校(高校)も私の母校(高校)もこの近く(笑)。
いわゆる水戸城の丸の内と言われるこのあたりは、今ではいくつもの学校が集まる教育エリアになっているのです。


今も昔も変わらず、このあたりには学校へ通う子供たちが集っています。


で、勉学の場である弘道館と対になる意味合い、憩いの場として作られたのが偕楽園なんですね。





②へつづく