昨夜は、奈良まほろば館での奈良学ナイトレッスン。

取り上げたのは持統天皇。
講師は、京都女子大学の瀧浪貞子教授。

先生の持統天皇に関する講義を拝聴するのは、昨年の大和文化会での講演以来二度目。
その時の記事はこちらです( )。

お話の内容としてはその時とほとんど同じでしたが、あらためて、持統天皇の人物像を垣間見る時間になりました。



女って…。

妻って…。

母って…。


すごいなぁ~。


私に同じことは出来るかな?

命は懸けられるけど、命を奪うことは出来ないだろうな…。
たとえ、どんなに我が子を脅かす存在だったとしても。




彼女が即位してから譲位するまでの間に繰り返された吉野行幸。

吉野は持統天皇にとっては旅たちの場所、始まりの場所、そして苦難の時を過ごした場所。
天智天皇の近江朝から逃れ、夫の大海人皇子とともに暮らし、異母兄弟であり甥でもある大友皇子を討つべく出陣した、天武系の生まれた場所。


草壁皇子や天武天皇の命日月の行幸回数は特に多く、それだけ彼女にとって吉野が大切な場所だったことは明らかです。


逃げ出したくなることもあったでしょう。

辺り構わず泣きたい日もあったでしょう。
誰かと喜びを分かち合いたい日もあったでしょう。


統治者としての立場がなければ、もしかしたらずっと吉野でのんびり暮らしてたかもしれない。


私が何度も奈良を訪れるように、彼女にとっては吉野が心の拠り所だったのだと思います。

天武天皇との不仲説もありますが、もしそうだったら同じお墓に入らずに息子の草壁皇子や孫の文武天皇と合葬されたように思うんです。
薬師寺だって、完成させずに途中で放っておかれたかも?



愛するモノ、護るモノを得ると、女はとても強くなりますね(笑)。