龍宮神社にまつわる伝説 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

あけまして、おめでとうございます。

 

今年は、龍の年。

 

白山神社の竜神にご挨拶してきました。

 

去年から「龍」に導かれ、自分探しをしています。

 

調べている内に、沢山、記事が溜まっています。

 

そこで、新年、辰年にふさわしいもので、綴ってみます。

 

 

 

[竜宮神社にまつわる伝説]

 

先月の記事の中で、ラジオから流れてきた「伝説」が、私の

 

流れに入ってきたと、書きました。

 

それは、「琵琶湖のムカデ伝説」です。

 

 

大津市の「勢田橋龍宮秀郷社」に伝わる話で、

 

簡単に言うと、

 

 

龍の化身の大蛇が、平将門を討ち取った事で、名を馳せた

 

 

藤原秀郷に、大ムカデに、いじめられているので助けてくだ

 

さいと、懇願し、引き受けた秀郷は、大ムカデを弓にツバを

 

つけた矢を放ち、眉間を打ち抜き退治したという話です。

 

「まゆつば」と言う言葉の語源になるといわれています。

 

そのムカデは、関東の方から穴を掘って来たとされ、

 

 

竜宮神社にある井戸は、今でも、そこまで(日光)つながっ

 

ていると言われています。

 

この伝説に酷似している話が、日光の戦場ヶ原の伝説に見

 

て取れます。

 

ここには、神々の戦いがあった神話があって、

 

赤城の神はムカデに、二荒山(ふたらさん)の神は大蛇に変

 

身し戦い、最初は、どちらかというと、二荒山(男体山)側の

 

旗色が悪かった。(ここまでが、神代の時代から伝わる話、

 

で、ここから先は、付け加えられた、比較的新しい話である

 

と、この先に現れた事柄から結びつけられました)

 

 

そこで二荒山の神が鹿島大明神に相談すると、奥州の小野

 

丸という弓矢の名人を教えてくれ、二荒山の神は白鹿に

 

なって奥州へ行き、猿丸を連れて帰った。 猿丸がムカデに

 

変身した赤城の神の左目を狙って矢を放つと、見事に的中

 

し、戦いは二荒山の勝利に終わった?。(他にも色々な説

 

が有ります)

 

このように、同じような伝説が離れた地にあり、どちらが古く

 

から有るのかによって、片方がその伝説にあやかったと思

 

われます。

 

中禅寺湖の周りには、藤原秀郷の子孫が住み着いたとさ

 

れ、その中で、中禅寺湖をめぐって争いが起こったのでは、

 

という説を唱える人もいます。

 

だから、これを元にした伝説だから、ここの伝説は比較的

 

しいと、この説を唱える人は言います。

 

赤城山の老神赤城神社には、「蛇」が祀られ、男体山の二

 

荒神社も「蛇」が祀られています。そして、どちらも、「国津

 

神」なのです。神の戦いで有るなら、「天津神」の方がしっく

 

り来るのではと感じます。しかし、どうして、このような祀られ

 

方をしているのか判らないのが現状です。(これが、判りまし

 

た。この後の記事に書いて有ります。)

 

 

これでは、私の流れに反しています。この神話は、太古から

 

のものでなくてはいけません。(この後の記事で、この私の

 

考えが修正して有ります)

 

何か手がかりが無いかと調べると、男体山は女峰山と対に

 

なっているようで、間に大真名子山、小真名子山が有りま

 

す。ここで、私のブログを最初から読んでいる方は、ピンとき

 

たと思います。元伊勢神社に有る真名井神社が浮かびま

 

す。そして、その名が持つ意味同様に、ここには、こんな言

 

い伝えが有ります。鉄製の銚子状のものが飛来する「飛銚

 

子」(とびちょうし)と呼ばれる怪異が、昔、山伏に良く目撃さ

 

れたというものです。この事から見ると、神代の頃からの神

 

話のようともとれます。

 

そして、大真名子山、小真名子山から北東には、女峰山

 

南西には、男体山。どうも、鬼門裏鬼門と関わりが有りそう

 

です。

 

男体山には二荒神社。「荒」と言う字が出てきます。

 

そして、助っ人の「猿」の字の付いた人も、前回のブログに

 

つながりを軽く書いた通り、私は、裏鬼門には、荒神を配し

 

ていると推測しています。

 

 

京都の鬼門は比叡山とされますが、私は、私の流れで、「鞍

 

馬寺」としています。

 

今までの私の記事を理解していただいた方は、鞍馬が「奇

 

(智)」で、愛宕が「幸(愛)」だというのは判って頂けると思い

 

ます。

 

そうしたら、残りの「荒魂」と「和魂」は、どう配置されている

 

のかが推測できます。愛知町を書いた記事の中に、私が裏

 

鬼門と推測した、西宮神社の写真に天照大神の荒御魂と書

 

かれた石碑が写っています。

 

と言う事は、京都でも同じで、岩清水八幡宮は「荒魂」が配

 

されている事になります。そして、それを裏付けるのが、男

 

神社の男体山で、この八幡宮のご神山は「男山」。

 

と言う事は、伏見稲荷は、「和魂」という事になります。

 

 

熱くのべてきましたが、これが解って、どうなんでしょうか。ど

 

う、私と関わっているのでしょうか。

 

それぞれの印を持っている人を集めて、ゴレンジャーなどと

 

いう、戦隊でも組めと神は言っているのでしょうか?

 

 

ちなみに、二荒(ふたら)を音読みすると、「日光」となり、語

 

源の謂れになっていて、けっこう新しいものです。

 

 

 

 

 

これらの特徴から、再度、「荒魂」と「和魂」の埋められた地

 

を探そうと思っています。(その後、何故、四つの魂を一緒に

 

埋めず、分けたのか分かりました。平成12年10月以降の記

 

事に書こうと思っています。)