「フィリピン台風Pabloの被災者を支援する会」も是非参照してください→http://helppablovictims.blogspot.com/

【12/9 7:00】水、食料、衣類、薬などを車2台に積んで出発! 8:00にダバオ市にある SM Lanang で何人かの日本人と合流します。



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【12/9 8:00】SM Lanang 集合場所。10人くらいのダバオ在住の日本人やその奥様方が合流してくれました。その場で義援金や衣類なども持ちこんでいただきました。

ご高齢の方も多いのと、車載の関係で全員は現地に行けそうにないので、日本人5名+フィリピン人5名で出発です。

私、高梨さん、前田さん、野尻さん、田口さんの5名。年齢層も幅広い支援隊です。

これからコンポステラ・バレー州の小学校に向かいます。




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【12/9 11:00】被災地に徐々に近づいてきました。すると、だんだん台風Pabloの爪痕がくっきりと見えてきます。

屋根が吹き飛ばされたり、ぺしゃんこになってしまった家屋、一帯のバナナファームも壊滅的な状況です。

被災地であるコンポステラ・バレー州はバナナの一大産地です。ここミンダナオ島では、滅多に台風は来ず、それこそ10年に1度とか極めてまれです。

気候も1年中同じような気候で、雨季、乾季もなく、バナナ生産には最適な地なのですが、ご覧のとおり、ほぼ100%壊滅的な状況です。

日本の皆さんがスーパーで買っているバナナもここで作られていたものかもしれません。。何万ヘクタールの被害だと思います。

また、今日は特に暑い日で、遺体を焼くにおいなのか、腐臭なのか、臭いもきつくなってきます。

マスクが必要です。





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【12/9 11:30】コンポステラ村の小学校、教会に到着。ここで予定通り支援物資の配布を開始します。

「ジャパン?ジャパン!」という子供たちの声でわーっと人だかりができまました。日本の皆さんからの支援である事は、小さな子供でもよくわかってくれています。

この後、被災地の整理係員のような人が「順番に名前を呼ぶので、待ってなさい」という号令のもと、大きな混乱も起きることはなかったです。被災地の子供達も少し元気でたかなぁと思います。

日本人がめずらしいのもあるかもしれませんが、笑顔になった子供達を見ることもできました。

ただ、実際の被害は広範囲で、今回私達が支援できたたのはほんの一部です。同時にもどかしくも感じました。








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【12/9 12:00】コンポステラ村の別の場所でも支援物資を配布。悲劇的な状況であるにもかかわらず、皆様日本人からの支援である事を知ると、被災地の方も大変喜ばれていました。

フィリピン政府から今まで支援があったのは、村全体で米、たった10Kgだったそうです。もちろんこれは、さしあたっての事と思いますし、これからも支援はある事と思いますが、募金するよりもまず、支援物資を直接届けるという事に特に感謝をいただけました。

といいますのも、仮に政府や州に募金をしても、役人の汚職などが残念ながら決して少なくないフィリピンでは、被災地の方も本当に支援が届くのか、心配する方もいるからです。













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【12/9 13:00】コンポステラ村での支援物資配布の後、さらに被害がひどいという、ニューバターンの方まで行って、現状を確認する事にしました。

車中から、いたるところで、「食べものがありません!」「寄付お願いします!」「薬が必要です!」などの横断幕を掲げた子供達が、必死で訴えていました。

少なくなってしまった支援物資を残り全部ここで配りましたが、配れた方は被災者のほんのごく一部です。












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【12/9 14:00】被災地を後に、帰り道で休憩。今後の活動方針などについて話し合います。



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【12/9 17:30】ダバオ市の SM Lanang まで戻り解散。そのときの今回の日本人支援隊の5人で撮った写真です。皆さまお疲れ様でした。