4.2.2.2.4 第四章 E 道家思想  付 道教 | 竹内芳郎の思想

4.2.2.2.4 第四章 E 道家思想  付 道教

 【序――道家思想を論ずるための予備的考察】
 ここでは道家思想をとりあげるのであるが、それにはあらかじめ三点の予備的考察が必要である。第一に、道家思想と道教とは別のものとして峻別し、普遍宗教のカテゴリーにぞくするものとしては前者のみが問題となること。後者はいかに前者の思想的営為を基盤としているとはいえ、なにしろはなはだしい混合宗教なのだから、その総体を普遍宗教として扱うことは不可能であり、最後の付論で簡略に考察するにとどめている。第二に、道家思想といえば、むろん『老子』と『荘子』とが中心となるわけだが、この両者の関係をどう把えるべきかについては、次のように考えている――道家思想とは儒教的思考にたいする<対抗思想>であり、この対抗思想的性格をより鮮烈に示しているのは前者であり、後者はそのあとを継いで出た発展(または堕落)形態である、と。第三に、『老子』の著者とされる老聃の実在性を疑問視する立場もあるが、この書の核となる部分に示されている思想的・文体的な統一性と実存的孤独性の表現とは、そこに一人の卓抜な哲人を想定せざるを得まい。いまかりにその人を老聃と名づければ、彼の生きた時期は、第二考察とあわせ考えるに、孔丘と荘周とのあいだの時期、たぶん前五世紀後半から前四世紀はじめにかけての時代だと推定できるのではなかろうか。

 【道家思想の特性①――儒教への<対抗思想>】
 道家思想の普遍宗教としての人類史的意義は、まず第一に、それが儒教または儒家的思考にたいする<対抗思想>であるということであり、それは『老子』開巻第一ページから歴然としている。すなわちそれは、儒家的「正名論」のよって立つロゴス中心主義、文明主義、コスモス主義にたいする断乎たるアンチ・テーゼであり、『老子』の有名な無為自然の立場とは、儒教的正名論への対抗思想として自然にみちびかれてきた帰結以外の何ものでもなかったのである。まことに「無為」とは、儒教の「礼」のようなさかしらの人為を一切排して万物の根源としてのカオスへとたちかえること、コトバと分別知による整序と分節化以前の世界にたちもどり、そこから人間の在りようをもういちど立て直すこと、にほかならなかった。カオスこそがコスモスを、無こそが有を支え在らしめているというたしかな直観が、この書の著者にはあったのだろう。だが、こうして無為に帰ることでたちあらわれてくる醇乎たる自然の姿には、本書では二様の相貌があるようにおもわれる。一つは、人間の感傷なぞ一切よせつけぬ非情で没価値的な貌。二つは、人間の正義感に誠実に応えてくれる応報的な貌。後世の道教は、後者の自然観を祖述して行ったようだが、これは道家思想の通俗化にすぎず、本来道家思想は前者の透徹した自然観に凛然と耐えるものであったのではないだろうか。ところで、以上に見た反コスモス、反ロゴス中心主義は、『荘子』ではどうなるか。まず、それがそのまま継承され認識論的に深化させられていることはあきらかであるが、『荘子』は単にこの域にとどまってはいなかった。『老子』が儒教の有為=文明=ロゴス=コスモスの<正>に対抗しつつ無為=自然=パトス=カオスの<反>の緊張のなかにどこまでも屹立しようとしたのにたいして、『荘子』の真骨頂は、そうした正・反の対立をのりこえて、両者の<合>をめざして上空飛翔、万物斉同、宇宙遊戯の超越的世界へと高く舞い上ってしまったところにあるのだ。かの有名な「万物斉同」の荘周固有の世界であり、ここでは、一切の対立や矛盾がそのままで絶対的な一に帰し、絶対的否定がみごとに絶対的肯定に転化する。もはや何ものにも執着することはなくなり、自由奔放に宇宙を遊泳し、汚穢のなかでも愉快に遊戯することができるのだ。けれども、ここまでくれば、もはや大乗仏教の、とりわけ禅宗系の大悟の境地とかわりなくなり、わるくすれば、どんな醜悪な現実でもそのまま容認してしかも自分だけは悟りすまして悦に入る、鼻もちならぬ現状追随主義におちいるほかはないだろう。また、道家思想がここまで融通無礙となると、儒家だろうが法家だろうがどうでもよくなり、事実、そういう対立物をすべて呑みこんでしまう傾向は、後世の加筆がほとんどすべてを占めるといわれる外篇、雑篇で支配的となるばかりか、実は内篇をすら少しずつ蚕食して行っているようにみえる。一般に伝統中国知識人の生き方は、青壮年期には儒教を学んで任官し、停年で官を辞してからは老荘思想でもって悠々自適するというのが常識的パターンだったようだが、そういうご都合主義のパターンを培ったのが、この融通無礙なる荘周思想だったのではないか。とにかく、老聃にはたしかにあったあの不抜の抵抗精神は、ここにはもはや微塵もみとめられないのである。

 【道家思想の特性②――<女性原理>の優位】
 道家思想の第二の特性は、第一の特性(無為自然)の必然的帰結として、明確に<女性原理>のうえに立っていることだ。陰・陽調和は中国伝統思想の特徴だが、道家思想だけはあきらかに<陰>優位思想なのだ。儒家思想が支配のイデオロギーとしてuranicな男性原理に貫かれている以上、それへの対抗思想たる道家がchthonicな女性原理に貫徹されることは、あまりにも当然すぎることだが、しかし、依然として基本的には男性原理のうえに立つことの多い(したがって女性蔑視や女性不浄視が多い)世界の普遍諸宗教のなかで、道家思想だけはまるで逆であるということは、やはり特筆するに価しよう。とりわけその自然への恭順の態度と併せ考えると、この思想こそ現代のエコ=フェミニズム運動の源流、その最もすぐれた古典の地位を占めるべきだということに、ひとはもっと注目する必要がある。実際、『老子』を繙くと、女性と水と嬰児という三者のイメイジが全巻に充満しているのにおどろかされるのであり、そしてそれらのイメイジの意味するところは、受動性、柔弱さ、魯鈍さ、卑小さ、卑賤さ、寡欲知足、反戦、凡庸さ等々であって、総じて当時の弱肉強食の戦乱の世にはマイナス価値を付与されてしかるべき方向性のみを、この思想はただひたすらに志向していたことがわかるのだ。そして、この志向の先に、下賤なる者、罪ある者の救済の道が拓かれるのであり、道家思想が一個の<救済宗教>へと転じてゆくさまが看取できるのである。後世、道教が浄土門系の仏教とならんで、中国民衆の(太上老君による)救済宗教としてつよく機能した所以である。では、この<女性原理>の優位は、『荘子』ではどうなるか。ここでは女性、水、嬰児のイメイジはそれほどはっきり姿をあらわさないが、或る点ではむしろそれを極端化したと評することができよう。そのことは、この書の第四篇末から第六篇にかけて登場する有徳者たちがしばしば不具者であることなどに示されており、要するに、荘周には、グロテスクなもの、アブノーマルなもの、醜悪なものへの偏愛が確実にみとめられるのだ。ただし、それらは彼独特のユーモアの精神に軽やかにつつまれており、価値転換というほど気負ったものではないのかもしれない。

 【道家思想の特性③――肉体と性の肯定】
 道家思想の第三の特性は、多くの普遍宗教が肉体を不浄視して禁欲的な精神主義に走りがちだったのにたいして、ひとりこの思想だけは肉体にたいしても性にたいしても、いちじるしく肯定的だったことである。後年の道教が、仙としての「不老長生」、呼吸法・食餌法・煉丹術などによるさまざまな養生法、性的解放をもとめてのさまざまな房中術を発達させたのも、けっして偶然とはおもえない。しかも、『老子』における性的記述にあっては、現代のポルノに支配的な女体の一方的道具視のごときは微塵も見られず、両性の身体的合一をつうじて宇宙全体の生命潮流と一体化するというのが、道家的身体観の一貫した方向性のようなのだ。ヒンドゥー教のタントリズムが道家思想の影響下で生れたとの説の当否はともかくとして、ヒンドゥー教ではその極端な性器=性力崇拝の陰でサティ(寡婦焚殺)などの極端な女性抑圧が持続していたのに反して、およそ道家および道教ではそうしたことが一切見られず、性の解放が女性優位思想と並行したという事実は、やはり特筆に価することだろう。性の抑圧ならびに歪曲と暴力との関係がフロイトいらいあきらかになりつつある現代、道家思想のこの特性は、第二のエコ=フェミニズム的特性と連結されて、もういちどじっくりと学びなおされる必要がありそうである。

 【道家思想の特性④――科学技術との独特な結合】
 道家思想の第四の特性として、ニーダムをして「本質的に反科学的とならなかった人類史上ただひとつの神秘主義思想」、「西欧には類例のない反文明と科学技術運動との奇しき連合」と驚嘆せしめた、この思想の科学技術との独特な結合を挙げることができる。たしかに、儒教にしろ仏教にしろ、およそ科学技術の発展にたいして無関心だった中国の他の普遍諸宗教のなかで、ひとり道家思想および道教だけは、この発展に独特な仕方でかかわり、むしろ近代以前では、西欧よりも中国の方をこの分野ではるかに優位に立たせる根本的な原動力となった功績は、やはり不滅なものがあるだろう。しかし、ここが重要なところだが、科学技術の発展に無関心で無知だった儒教・仏教が結果的にはこれに盲目的に追随してしまったのに反して、これにふかくかかわった道家思想の方は、かえって逆に、これに本質的な批判を下しつづけたのであって、私たちが今日学ぶべきは、まさにこうした態度なのである。詳細はニーダムの大著『中国の科学と文明』にゆだねるとして、ここでごく基本的な方向性だけを指摘しておけば、要するに道家のめざしたところは、けっしてあたまから科学技術や道具使用を拒否することではなくて、物質文明による人間精神の荒廃や権力および支配の強化への危機感を踏まえて、「原始民主主義と同盟した科学」(ニーダム)をつくってゆくにはどうしたらよいか、それを模索することであった。そしてそれはけっきょく、自然への貪欲な搾取でなくて自然への恭順を旨とした技術、「実験」ではなくて「観察」を主とした受動的科学、<こつ>に依拠した手仕事――つまりは<等身大科学>、<等身大技術>の追求としてあらわれたのである。ところで、ここに一つ、ニーダムも看過したかに見える問題、おなじ道家思想内部での科学技術にたいする二つの態度の分岐という問題がある。それは、『荘子』外篇「天地篇一二」所出の「槹」(はねつるべ)をめぐる説話に関するものであるが、ここでの思想的な対立は、ニーダムが理解したように、儒教思想と老聃思想とのあいだだけではなく、実は、老聃思想と荘周思想とのあいだでもおこっているのだ。つまり、はねつるべの使用を省力化のゆえに無造作に肯定してしまう子貢(儒教思想)にたいして、老農夫(老聃思想)は、これを精神の堕落のゆえに拒否するのであるが、さらに孔丘の口を藉りて語られている荘周思想は、そのような態度をも、道家の立場からは一知半解通にすぎぬものとして批判し、精神の堕落を怖れて機械を拒否するのではなく、心の余裕をもって機械を受容し、機械と戯れることのできる者となれ、と主張するのである。だが、こういう態度は、実は危険な態度だと言わねばなるまい。老農夫の態度を見るに、彼もまた鍬や甕はもっていたようだから、彼はあたまから道具使用を拒否しているのではなく、自然に逆らったものでないか、精神の荒廃をもたらすものでないかといった規準を立て、それに依拠しつつ道具や技術にたいして選択的な態度をとっていると言うべきだろう。これに反して、新機械と戯れることしか教えない荘周的態度では、どんな規準も立てられず、したがってどんな選択的態度もとり得ないために、心で何を思おうとも、結果的にはどんな機械をも受容してしまうことになるのだ。これが道家思想の発展形態だとしても、この発展は断乎として拒否すべき発展でしかないであろう。

 【道家思想の特性⑤――原始宗教のエートスへの復帰】
 道家思想の第五の特性として、周初の井然たる階級秩序を理想化した儒教ときびしく対立して、それ以前の階級なき<原始共同体>への復帰をめざすアナーキズム的かつ人民革命的性格を挙げなければならない。そもそも道家の「無為自然」なる根本理念は、原始的な小農民生活から必然に帰結する二つの教訓――「成長のおそい作物をいくら手で引っぱっても作物をダメにするばかりだ」という対自然的教訓と、「農民たちは国家権力の干渉なきとき最もゆたかに暮せる」という対社会的教訓――をみごとに普遍理論化したものにほかならない。かくして、『老子』においては、「小国寡民」の原始共同体が理想郷として描かれ、墨翟と相通ずる「嗇」(倹約)の政治が説かれ、さらに「無為」の政治が推賞されるのであり、これはそのまま『荘子』内篇にも継承されるわけだ。さらに『荘子』外・雑篇に入ると、「小国寡民」の理想境は万物共生の世界としても描かれるようになり、また、一種の壮大な人類退歩史観をもってその思想の理論的基礎づけを試みてさえいるのである。しかしながら、ここでもまた、老・荘間に或る種の違和の生じつつあったことを、はっきり確認しておく必要がある。すなわち、『老子』では、その「無為の政治」は、人民搾取のうえに奢侈をきわめる支配階級への烈々たる憎しみに裏打ちされており、かつ、そこから出発して、社会的平等を実現しようとする社会主義的志向をすら示しているのであるが、これに反して『荘子』内篇では、政治一般をひたすら汚いものとしてそこから逃避する隠者的志向がうち出されているのだ。このようにして道家思想は、この面でも二つに分岐し、それぞれ異なった後継者を見いだしてゆく――前者のそれは、中国思想史上最も明確なアナーキスト鮑敬言や黄巾の乱にはじまる道教系の各種民衆叛乱運動、後者のそれは、「神仙道」の道士たちや脱俗を気どる文人墨客たち。いずれも反権力を本質としているとはいえ、ゆきつく先はかくも大きく異なるのである。ともあれ、<原始宗教>のエートスの或る側面が<普遍宗教>のなかで復活祖述されるというターナーのテーゼが、最も完璧なかたちで実証されるのは、ここ道家思想においてであるということは確実である。ただし、道家思想が普遍宗教であるかぎり、それは原始宗教の呪術的諸儀礼をそのまま復興させようとするものではなく、それらを一旦は切断して、その非連続面のうえに立ってそのエートスをあらためて理念化しつつ呈示したものだったということを、看過しないようにしたい。このことは、次に述べる<道教>なる宗教の本質にもかかわってくる重要な論点なのである。

 【付論・道教について】
 いろいろ紆余曲折はあるがほぼ後二世紀(太平道、五斗米道)にはじまって六世紀ごろ確立を見、以後永らく中国民衆宗教となった「道教」なるものが、理論的基盤を道家思想にもとめながらもそれとは区別される、いちじるしい混合宗教だということ、これはまず異論のない常識であろう。そして、この宗教が<国家と文明>成立以前の原始宗教のもつシャーマン的・呪術的信仰の性格をつよく帯びていることも、これまた否定できないであろう。けれども、だからといって、この宗教と原始宗教とをまったく連続させて把えてしまうことには大いに問題がありそうで、事実、H・マスペロの古典的業績によれば、道教は古代末ギリシャのオルペウス教と等質のものであり、中国最初のまさに劃期的な個人的救済宗教なのだという。このような見解は、道教を呪術的な民間信仰として把えるわが国での常識とはかなり外れているようだが、しかし、道教をその初心において見るとき、存外に性格なのではないかとおもわれる。事実、道家とは異なる道教の最も基本的な古典『抱朴子』〔後四世紀初〕には、鬼神への祈禱や供養なぞまったく無益だと明言されているし、また著者の葛洪自身、私的にも各種の呪術書にはなんの興味ももったことがないと自叙しているのだ。とすれば、道教はすくなくともその初心においては、やはりそれ以前の呪術的俗信とは一旦切れたところで形成されたものとすべきであって、それゆえに『抱朴子』では、高度の倫理的要請が熱く訴えられているのである。さらに、道教信仰の底には、神との無媒介的交流の契機を基盤として、いつも裸のままの万人平等の思想が流れており、身分的差別のみならず男女差別も否定され、それどころか初期の「太平道」では、中国では実にめずらしいことに、「華夷平等」の思想さえもうち出されていたという。そうだとすれば、道教は単なる土俗的民族宗教なぞではなく、やはり根柢においては道家思想の普遍宗教性をなにほどかは継承している「開いた宗教」だったわけだ。しかしながら、たとえその初心がそういうものだったにせよ、歴史のなかで実現された道教の総体を通覧するとき、この宗教が実に雑多な要素をふくむ混合宗教であることも、否定しようがあるまい。それは道家思想がもっていた本質的なつめの甘さ、けじめのなさのせいでもあるが、時代を下り大衆化してゆくにつれ、道教は、どこに思想を支える骨格があるのかももはやさだかではなくなってしまうのだ。それは、一方では、あらたな呪術をつぎつぎととり入れて、ごくありふれた俗信とすこしもたがわないものとなり、他方では、儒教とも仏教とも混淆して、みずから「三教一致」なぞを提唱する始末だ。こうして、歴史のなかの道教は、権力にもうまくとり入ったり(とくに唐代)、次第に多神教的となったりするばかりか、その「仙」世界さえも階層構造化されるにいたる。こうなればもう、道教もまたなんの変哲もない一俗信にすぎぬと言わねばなるまい。いや、そればかりでなく、道教が民衆叛乱や革命運動の原動力となった場合を見ても、やはり単なる王朝交替しか意味せぬあの「易姓革命」の伝統枠内の一環でしかなかったようにおもわれる。道家思想の超越性原理樹立におけるつめの甘さゆえに、革命運動それ自体が原始(新石器)宗教の本質的構造たる例の<死と再生>の自然的循環過程のなかにすっぽりと吸収され、人間の主体的な営為としての真の社会変革運動にまで結晶し得ず、かえって儒家のめざす王朝的コスモスの永久反復を実現してしまったわけだ。「人間は己れの文化悪を超えて自然に帰るためにさえも文化的手段をもってせねばならぬ」(『文化の理論のために』)という、あの人間の宿命への無自覚さが、道家思想には本質的につきまとっていたということであろうが、しかし、これは道家思想にかぎらず、東洋におけるあらゆる普遍宗教に内在する共通の弱点の一つだ、と言うべきかもしれない。