竹内芳郎の思想
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『竹内芳郎著作集』刊行開始

久しぶりの更新ですみません。

遅ればせながら 『竹内芳郎著作集』 刊行開始のお知らせです。

閏月社より全6巻+補巻での発刊とのことです。

監修は盟友であった鈴木道彦氏と海老坂武氏です。

詳しくは出版社のページをご覧下さい。

 

 

〈高潔なる自我主義者〉としての竹内芳郎

 竹内芳郎の死去からまもなく3カ月が過ぎようとしている。この間、彼の哲学と生涯についての一文をものしようと努力してきたが、私の非力と多忙のゆえ、とても十分なものを準備することはできそうにない。しかし、今この時期にしか書けないこともあるだろう。そのようなわけで、はなはだ乱雑な文章ではあるが、私が特に強く感じていることをまとめておきたい。

 

 彼の哲学の本質とは〈高潔なる自我主義者〉のそれであると言うことができるだろう。それは、彼の出自に根差していたであろう〈精神的貴族主義〉と、彼自身の人格の中核に存在していたであろう〈自我主義〉的傾向との統一物である。

 ここでの自我主義とは、自己のあり方と存在理由とを、自己との関係において、他者との関係において、社会や世界との関係において、絶えず問いただし、それを己れの意志の支配下に置こうとする精神である。このような精神を、貴族主義的な高い倫理性・責任性をもって生き抜こうとしたところに、彼の思想と生涯の本質がある、と私は考えるのである(伝え聞いたところによれば、彼はその死の直前まで、この自我主義者としての態度を貫いていたようだ)。

 このような観点からすると、彼がその哲学的思索を生哲学者ニーチェとの格闘から始めて、やがてサルトリアンとして自己形成したことは必然であったし、やがて、自己のあり方を社会と歴史との関係において解明すべくマルクス主義と格闘したことも、さらには、そうした社会的存在をも規定する〈文化〉の総体的構造に――文学論に始まり言語論を経て文化記号学の構築によって――迫ろうとしたことも、まことに必然であった。したがって、『文化の理論のために』と『意味への渇き』こそは、高潔なる自我主義者としての彼の最高にして最終的な理論的・思想的到達であったと言えるだろう。そればかりではない。実は、それ以後の討論塾の実践さえも、彼が討論を一つの〈自己鍛錬〉の場として把えていたことを想起するならば、ラディカルな自我主義者としての竹内芳郎の相貌とまったく矛盾するものではないのである。

 この〈自我主義者〉としての特質は、彼の方法論の中にも見出すことができる。サルトルから継承した〈浄化的反省〉は言うまでもないが、彼がしばしば使った〈野獣の光学〉とか〈病者の光学〉といった方法論もまた、一つの理念化された他者を措定し、その視点から己れのあり方を鍛え上げようとするものだったのであり、すぐれて自我主義的なものであった(悪名高い論文「〈文化大革命〉の思想的意義」も、そのような視点から理解されるべきものであり、彼は、文革を理念化された他者として措定することを通じて、一個のマルクス主義者としての自我と実存のあり方を厳しく捉えなおそうとしていたのである)。

 

 では、私たちはこのような彼の哲学から何を学ぶべきであろうか。

 第一に、自我主義的であるか否かはともかくとして、知識人や言論人が己れの存在の社会的・文化的な規定性・拘束性や社会的・歴史的機能に自覚的であること、そのことの責任性を敢然と引き受けること――このような思想的態度は、私たちが何よりも彼から学ぶべきことであろう。これは、もともとはマルクス主義(史的唯物論)に由来するものであり、メルロ=ポンティやサルトルのマルクス主義論を通じて、彼が深く内面化した態度であった。このような観点から、彼が宗教論『意味への渇き』において諸宗教の「社会的身体性」を重視したのは当然のことであり、このような〈政治的〉ないし〈イデオロギー的〉な視点を私たちは忘れるべきではない。そして、このような彼の哲学の美質を最も端的に示しているのは、おそらく、「大学闘争をどう受けとめるか」であり、この論文はぜひ読み継がれていってほしいものだと思う。

 第二に、自我主義者としての彼が最も先鋭に解明し論じ続けたのは、日本人および日本社会の無超越的・粘着的なだらしなさと集団同調主義――〈日常性フェティシズム〉、〈神道的精神風土〉あるいは〈天皇制的精神風土〉=〈天皇教〉――であった。それを彼が初めて剔抉した「現代日本における思想形成の課題」(1959年)から半世紀以上が経過した今でも、その宿痾は私たちを侵し続けているのであり、その分析もまた有効であり続けている。私見によれば、今日の日本の多くの社会問題の解決のためにも、このような精神風土の克服、すなわち、内なる〈超越性原理〉の確立は不可欠である。それがいかに困難なことであろうとも、自立した諸個人のみが近代市民社会の真の担い手たり得るのであり、私たちはそのような観点から市民社会の成熟をめざしてゆかなければならないのである。

 彼の広範囲にわたる理論的成果の一つ一つについてその意義を検討することは、今の私の手には余るけれども、今日の日本において特に重要だと思われるものを第三の論点として挙げるならば、それは、直接民主主義論と民兵論であろう。安倍政権下での立憲主義と平和主義の空洞化に対する闘争――特に安保法制への反対運動――は、〈日常性フェティシズム〉が支配する日本社会にあってさえ近年にない高揚を見せた。しかし、そこで繰り広げられた論争は、立法府=国会がその運動の帰趨を決する最終的な舞台となることから、どうしても技術的な法律論や手続き論を中心に展開されざるを得なかった。だが、私たち日本人に真に必要なのは、民主主義や国防の本質に分け入って、技術論や戦術論を超えたところで、あらためて自分たちの社会のあり方を問いなおすことであるだろう。そのような意味において、彼の主張を直ちに採用するかどうかは別にして、彼の直接民主主義論と民兵論から学ぶべきところは大きいはずだ。

 

 最後に、竹内芳郎の思想の限界ないし欠点について、私見を述べておきたい。

 時に彼に対して向けられる批判ないし非難として、一種の狭量さ、頑迷さ、排他性といったものがあるようだし、彼の言説がそのような印象を与えてきたことについては私も異論はない。問題は、それが単なる印象にすぎないもの、単なる誤解にすぎないものなのか、それとも、それが彼の思想の本質に属するものであって、何らかの欠点や短所の表れであるのか、という点であろう。そして、結論から言えば、そこに竹内芳郎の限界があったと私は考える。

 さて、このような印象の背後には、理論的な要因と心理的な要因とがあるように思われる。理論的な要因とは、彼が道徳的・倫理的な命題の真偽決定可能性についてきわめて強い要求を掲げていたことである。そして、心理的な要因とは、彼の自我主義における特異な偏りであり、リゴリスティック(厳格主義的)な強者の態度(論理)である。

 やや込み入った議論になってしまうが、まずは理論的な要因の方から考えてゆこう。倫理的命題が事実判断と同じように(または近似的に)真偽決定可能であるのは、それが論理的な整合性や一貫性を求められるからである。ハーバーマスが述べているように、人間が何らかの実践に責任をもって参加する場合には、その実践が暗黙裡に前提とするルール(規範的命題)を受け入れているのであり、その暗黙のルールと整合しない主張は虚偽として否定されることになる(『道徳意識とコミュニケーション的行為』など参照)。たとえば、論証的討論に参加しようとする者は、そのかぎりにおいて、討論の場での虚言や他者の発言の妨害を否定せざるを得ないのであり、そうした論理的整合性の観点から倫理的命題の真偽を決定できるわけだ。竹内芳郎もそれとほぼ同様の論理で規範的な主張を行うのであるが(『天皇教的精神風土との対決』(p.329、392)、『討論 野望と実践』(p.193~)など参照)、しかし彼がそこで依拠するのは、最終的には「自己欺瞞」の否定・克服という初期サルトル的論理であり、彼はこれを人間実践一般の水準でも主張できると考えていたように思われる。なるほど、「自己欺瞞の排除」は、近代における知識人のモラルとして主張されるのであれば、その真理性は十分に検討に値いするであろうし、少なくとも〈自我主義者〉である彼自身に関しては疑いなく真理だったであろう。しかし、このような論理的前提の受容は誰に対しても強要できるものではないし、人間社会における実践一般の暗黙のルールであるとは言えないであろう。彼は、自らの自我主義的論理――それ自体は決して誤りとは言えないが――をあまりにも厳格に一般化してしまったのであり、それによって他者の理論や生き方を厳しく断罪していった。そのことが、彼の思想と実践とを一種の偏狭なリゴリズム(厳格主義)に陥りがちなものとした要因だったのではないかと思う。

 こうして、理論的な要因についての分析は心理的な要因の考察へと私たちを導く。そもそも、彼はなぜ己れの自我主義的論理を一般化し、他者の生き方や価値観の多様性に十分に寛容になれなかったのであろうか。私は、その深層の理由が彼の「罪責感の希薄さ」にあるのではないかと推測している。もちろん、彼の思想には「罪の意識」がまったく欠けているわけではない。『意味への渇き』において若き最澄や空海の罪障意識を高く評価していることにも示されているように、罪の意識への感性を欠いているわけでもない。しかし、彼の罪責感はどこか他人事で、せいぜいプチブル知識人であることや日本人であることに対する罪の意識でしかなかったように見える。思うに、このような罪責感の希薄さのゆえに、彼は自己に対しても他者に対しても〈批判〉の手を緩める理由を持たなかったのではなかろうか。なるほど彼は自分自身に対しても厳しかったし、その高潔さは尊敬すべきものであろうけれども、それを考慮に入れてもなお、他者への批判はあまりに厳しかった。それは、彼の自我主義的哲学を強者の論理によって染め上げ、最も強靭な自我と意志を持つ者だけが真理を手にすることができるかのような思想に帰結しがちであった。

 しかし、この〈強者〉が自己の弱さを批判し克服しようとする時、同じ弱さを持った他者に対してどのような態度をとるのか。軽視や侮蔑ではないのか。もしも自らが強くなる度に他者への侮りや蔑みが増えるのだとしたら、それはむしろ弱さへの道であり、虚偽と誤謬への道ではないのか。そのように考えた私は、同じ自我主義的性向を持ちながらも、己れと他者の弱さを徹底的に受容し、弱く無力な人間相互の連帯と寛容をこそめざし、自らに課すようになった。そうした立場からすると、竹内芳郎の思想はやはりリゴリスティックなエリート主義に陥りがちであったように見える。なるほど彼も、『文化の理論のために』や『具体的経験の哲学』などにおいては、そのようなエリート主義の危険性にも自覚的であったようであるが、晩年に近づくにつれ、自己批判の厳しさは失われていった。正直なところ、私は『討論 野望と実践』の序言を読んだ時、彼が晩年のサルトルに抱いたであろうような感情を、彼に対して抱かずにはいられなかったのである。

 

 今、私に言えるのはこんなところだ。果たして、この拙文は竹内芳郎の思想の本質に迫ることができたであろうか。泉下の彼は、私の批判をも天皇教的精神のだらしなさの一種として反駁するであろうか。読者の率直な批判を乞いたいと思う。

2017.2.12

 

竹内芳郎氏の死去

竹内芳郎氏が亡くなられました。

 

2016年11月21日18時59分の朝日新聞デジタルの記事です。

 

元国学院大教授の竹内芳郎さん死去 著書「国家と文明」

 竹内芳郎さん(たけうち・よしろう=元国学院大教授、哲学者、討論塾主宰)が19日死去、92歳。23日にしのぶ会を近親者のみで行う。

 主な著書に「サルトル哲学序説」「国家と文明」など。

 

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

思うところは、また後日書きたいと思います。

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