3.3.2.3 Ⅲ <相互性>転回の三つの形態 | 竹内芳郎の思想

3.3.2.3 Ⅲ <相互性>転回の三つの形態

 序 歴史の場における<相互性>転回の形態

 【課題と視座】
 つづいて本節では、相互性の自己転回を歴史の具体的な場で問題にしよう。もちろん、わたしたちの問題とするところは、歴史そのものではなく、歴史をつらぬく理性の問題であるから、M・ウェーバーと同様に、理念型しか問題にすることはできない。ただし、ウェーバーと異なる点は、第一に、歴史における社会構成体との関連を絶たないこと(単なる社会学的可知性ではなく歴史的可知性を探求すること)、第二に、支配者の側から支配の正当性の根拠をしめすのではなく、被支配者の側から服従の理由をその幻想過程のなかにもとめること(この地上から支配-被支配の関係を廃絶するという実践的関心に動機づけられていること)、という二点にあるのだといえよう。

 【<支配>の体系の三類型】
 このような観点から、<原始共同体>以後の人類の支配の体系を、服従の理由にもとづき、つぎの三つに分類しよう。

  (1) 共同体帰嚮による支配の体系
  (2) 人格帰依による支配の体系
  (3) 法治による支配の体系

 【<支配>の体系の三類型とマルクス理論】
 かつてマルクスは、従来の歴史を<人格的依存>の世界と<物象的依存のうえに築かれた人格的独立>の世界とに二分したが、わたしの分類における(1)と(2)は、マルクスの前者をさらに二つに分けたものにほかならず、わたしの(3)はマルクスにおける後者とほぼ完全に相覆うものだ。そして、それを踏まえた未来社会の展望については、わたしのイメージもマルクスのそれと変るところはない。なお、<社会構成体>との連関を示しておくと、(1)は古代専制国家、(2)は中世封建社会、(3)は古典古代社会と近代市民社会において、それぞれ支配的な類型であった。ただし、これらはあくまで理念型でしかないのだから、現実にはこれらが混淆して存在するのが常態であることに注意すべきである。


 一 共同体帰嚮による支配の体系

 【共同体帰嚮による支配体系の特質】
 既述したように、古代専制国家群に特徴的なことは、原始共同体を解体せしめず、各成員をその共同体に帰属させたままで<国家>の支配体系のなかにくみ入れてしまうところにあり、ここでの共同体の変質は、通説のように私的所有の増大にではなく、共同体の公的機能の主要部分が<国家>と帝王たちに委譲されたために、共同体がいちじるしく自閉的で陰惨なものとなる、という点にあった。わが国の明治専制国家はそれを国民統合と支配の手口として利用したのであり、戦争中の日本の農民兵が中国の農民たちの心を一切理解できずに略奪・放火・暴行に明け暮れたのも、この支配体系が共同体成員にもたらした自閉性と残虐性によるわけだ。ここでは、帝王は共同体そのものの象徴となり、国家は共同体の単なる拡大形態として思念されているため、共同体への没我的献身がそのまま国家の支配と収奪との貫徹となるから、共同体成員たちが共同体から乳離れすることが少ないほど国家的支配は容易になる。それゆえ、こうした支配は、成員たちの共同体帰嚮にその強みをもつと同時に、成員たちの個人としての自主性のなさにその泣き所をももつわけだ(わずか二百人のスペイン人に征服された十六世紀のペルー帝国や戦後日本の状況を見よ)。生産様式がどう変ろうと、それによって支配体系の性格が変るとはかぎらず、とりわけこの共同体帰嚮による支配体系は、その根強さにおいて他を圧しているものである。とりわけ近代市民社会は、前述の<国民国家>形成の必要から、この支配形態を掘りおこしてくる奇妙な傾向をもっており、わが国の<明治維新>革命はそのもっとも典型的な一事例であるし、のみならず、近代日本の天皇制が日本資本主義の進展につれてつぎつぎと装いを替えることができた(絶対主義としても、ボナパルティズムとしても、またファシズムとしても機能し得た)その秘密も、おそらくここにあるであろう。

 【専制君主の二面性】
 しかしながら、この支配形態のもとでは、支配者はその権力の強さをもっぱら共同体の公的機能の遂行から汲み出しているのだから、彼がこの機能を怠れば、すくなくとも個人としてはその支配権を剥奪されてしまう。とりわけ帝王の権力が強大となり、神聖化されればされるほど、その権力は人事のみならず自然や宇宙の運行にまで及ぶと思念されるにいたるから、ひとたび大災害に襲われると、帝王はその責任まで負わされるようになる。つまり、権力の大きさに比例して、それに見合ったかたちで<相互性>の原則がここでも働いているわけで、フレイザーやジューヴネルが強調する専制君主の人民への貢献も、マンフォードが強調する専制君主の恐怖政治も、この共同体帰嚮の原理の別の一面をなしていたわけだ。したがって、この原理そのものが破られないかぎり、<相互性>原則は、この原則に違反した個人としての帝王を失権せしめること(易姓革命)はあっても、専制的支配体系そのものを崩壊させることはあり得ないのであり、そこにこの支配体系の安定性と永続性の秘密があるのである。

 【専制的支配にたいする象徴的代償行為】
 尤も、このような支配体制も一朝にして可能になったわけではなく、事実、強大な古代専制国家にまではいたらない<原始国家>では、王権への厳しい制約がみとめられるし(アフリカのズールー、ベンバ、バンヤンコーレ、アンコーレなど)、<権力への反逆>が制度化されている例も多く(ギリシャのクロノス祭、ローマのサトゥルヌス祭、バビロンのサセ祭など)、これらはすべて、支配の体系が<相互性>に根ざすかぎりかならず必要な心理的・象徴的代償行為なのだといえよう。近代の議会制民主主義において、数年に一度だけ人民が擬制的・幻想的に<主権者>となる<投票日>なども、おおむねそうしたセレモニーのひとつなのであろう。

 【共同体原理と伝統的支配】
 ところで、共同体帰嚮の支配体系では、たとえ変質させられているとしても共同体原理が保持されているから、共同体の永続化と共同体の象徴である帝王の存在の永続化こそが至上の価値となるのであって、このような精神風土のもとで、ウェーバーのいわゆる<伝統的支配>が主要な支配形態となるだろう。<伝統>こそ帝王と人民との双方の<合意>の場であって、伝統から大きく外れてしまわぬかぎりは、帝王はどんな横暴な支配も可能であるかわりに、逆に伝統に大きく背けば、帝王のどんな英断も不慮の危険を招きよせかねないのだ。ウェーバーによれば、古代専制国家における人民への抑圧は、彼らが共同体の成員であったかぎり、カルタゴやローマの奴隷などよりもはるかにましであったらしいが、その一方で、古典古代の奴隷はすくなくとも精神的に自立していることも可能だった(奴隷出身の哲学者たち)のにたいして、古代専制国家の人民は精神的にも完全に隷従しなければ生きられなかったということを、けっして忘れるべきではないだろう。


 二 人格帰依による支配の体系

 【人格帰依の支配体系と共同体帰嚮の支配体系との違い】
 共同体帰嚮の支配体系についても、人民が帝王の人格に帰依しているかぎりでは、<人格的依存の関係>がそこでも支配していたといえなくはないが、しかし、帝王とは要するに共同体の象徴でしかなかったそのかぎりでは、その人格帰依はやはり共同体帰嚮を媒介としたものにすぎず、それに抱懐されてしまう底のものであった。これに反して、封建的な主従関係は、そのような共同体帰嚮の媒介などをいささかも必要とせず、もっと直接的に、個別的人間関係において、人格的帰依をその支配の原理とするものである。むしろ、封建的な支配体系のもとでは、国家または国王への忠誠さえも、領主と家臣とのあいだの個人的な人格的保護-従属関係の無限の網の目の総括でしかなく、前者は後者にけっきょくは抱懐されてしまうのである。

 【人格帰依による支配体系の形成過程】
 では、こうした封建的な人格帰依の支配体系の根幹をなすhommageとは、どのようなものであったか? それは、単純化していえば、ほぼつぎのようになるだろう――或る一定の歴史的条件のもとで、或る人物が他のより有力な人物のもとに人格的に<托身する>ことを誓うことによって、後者から強力な保護を受けとることを希望し、後者もまた、この希望を受諾することによって、みずからをさらに有力とする。この<合意>も、はじめは純粋な力関係にすぎなかったであろうが、やがて<忠誠>と<恩顧>の義務としてイデオロギー化され、ひとつの幻想過程として倫理関係にまで転化されるのだ、と。ここでは、経済的従属関係もまた、人格的依存関係に媒介され、そのなかに包摂されているという点に注意しなくてはならない。それが時代を下るとともに、人格的契機よりも物権的契機の方が優勢となるにつれて、封建的原理がその重心を人格支配から領域支配へと移すとき、その果てに、やがて近代国家がほのみえてくるのである。

 【深層にひそむ<相互性>――人格帰依による支配体系の特質①】
 このような人格帰依の支配体系において注目すべき点は、第一に、この保護-従属関係は、表層においてはむろん不平等関係であるが、深層においてはやはり<相互性>の関係であること。つまり、これは忠誠と恩顧、戦功と論功行賞との一種の双務関係であるのだ。またここでも、伝統的な<慣習>が主従の合意の場を形成しており、慣習を横暴に破った主君にたいしては、臣下は主君に反抗する義務ありとされるのである。

 【氏族の弱体化と個人の自立――人格帰依による支配体系の特質②】
 第二に、この関係はマルクスのいわゆる<人格的依存関係>のひとつではあるが、ここでは個々人はもはや共同体への埋没から脱却して、共同体全体への忠誠ではなくて、主君との個人的な保護-服従契約にもとづいて支配関係を成立させていること。尤も、個人的な契約といっても、この時代ではまだ親族集団の重要性は依然として衰えていないが、もともとこの封建的君臣関係は、氏族やリニイジの共同体では身の安全が保てないところに成立してきたものであるから、そこでの家父長的紐帯とはあくまで君臣関係を基盤とする二次的なものでしかないのである。こうした個人原理の登場は、後の近代市民社会の形成に意味をもったとおもわれ、そのかぎりで、「中世なくして近代なし」とのテーゼも、或る程度の真理性をもっているといえる。要するに、この封建的主従関係は、テニエスのいわゆる<了解>と<契約>、<本質意志>と<選択意志>との中間状態に位する関係行為だということができるであろう。


 三 法治による支配の体系

 【法治による支配体系の物象性・非人格性】
 マルクスは近代市民社会を特徴づけて、<物象的依存のうえに築かれた人格的独立>の世界としたが、ここでの支配体系の特徴は、一方では、<自由・平等>な諸人格のあいだの<同意>と<契約>にもとづく法体系としてあらわれると同時に、他方では、それがいちじるしく物象化され非人格化される、という点にある。このような支配体系の成立の基盤となっているのは、近代市民社会の人間関係を根本的に規定している<等価交換>であるから、ここではまず、そこから出発することとしよう。

 【法治による支配体系と<等価交換>】
 <交換>そのものは人類の社会生活とともに古いものであるが、それははじめはけっして純経済的なものではなくて全人格的で情意的なもの、売買ではなくて贈与のかたちをとるものであった。また、経済的な意味での交換つまり商品交換も、はじめは個人間にではなくて共同体間に成立し、とくに古代専制国家群では、帝王の独占掌握するところとなっていた。このようなかたちでの共同体間交換は、とても等価交換といえるものではなかったが、にもかかわらず、そのころですら商品交換は、共同体のなかから個人を個人として析出する傾向があり、かつ、共同体の狭隘な限界を超える普遍的価値を創造する力があったようで、事実、それを地盤として世界宗教もギリシャ哲学も形成され得たのであった。まことに共同体を超える人間の<個別化>と価値の<普遍化>という、一見相矛盾する二重の作業こそ、商品交換に固有の作業であって、この作業は、近代市民社会におけるように、商品交換が全社会を貫徹して<等価交換>の原理と<価値法則>を樹立するようになると、やがて社会生活の全幅を覆うにいたるのである。ところが、このように人間の個別化に媒介されてあらわれる価値の普遍性とは、所詮は<抽象的普遍性>でしかないのであって、ここのところを思想的に明確に定着したものが、いうまでもなく『資本論』中の有名な<商品の物神性>論であった。そこで描かれた商品交換の全幅的支配の実相のうえに、近代市民社会の<法治による支配体系>も築かれているのである。

 【ブルジョア的法体系の深層における<物象的依存>と<不等価交換>】
 このように<価値法則>が貫徹して<主客顛倒>の物象化された世界が現出してくるのは、商品交換がもともとは人間的主体そのものである労働力すらも包摂してしまい、ここに<労働力商品化>という現象が生じてくるからにほかならないが、こうして労働力が商品化してくると、労働過程がそのまま価値増殖過程となった結果、はじめには<等価交換>であったものがひとつの<不等価交換>として現出してくる。こうなると、表層における等価交換は、深層における不等価交換=搾取を隠蔽するための欺瞞的ヴェールでしかなくなるわけで、すると同時に、共同体への埋没や有力者への依存から解放されてはじめて獲得された近代における自由・平等な<人格的独立>もまた、商品生産と価値法則との<物象的依存>を覆う単なる表層の仮象でしかなくなるだろう。そして、この仮象を支配しているものが、すなわちブルジョア的法体系なのである。

 【近代的<法治>における<相互性>の顕在化とその欺瞞性】
 たしかに近代的意味での法治的支配のもとでは、法を制定したものは支配者ではなくて被支配者たる人民自身であり、支配者は人民の制定したこの法によってしか人民を支配することはできず、また、この法をまえにしては、いかなる人物の恣意も、いかなる身分の特権も通用せず、「万人が平等」ということになったのであり、まことにホマンズが言うように、近代民主主義とは基本的社会行動としての<相互性>原則を複雑化した支配の制度のなかに顕在化させようとするものだといえよう。かつてマルクスが<労働>カテゴリーについて語ったことが、まさに<民主制>にもいえるのであって、だからこそ、「民主制はあらゆる国家制度の解かれた謎」だったのである。しかし、それにもかかわらず、近代市民社会のこの<民主主義>も<法治的支配>も、これまたひとつのあらたな欺瞞の体系でしかないことは、やはり否定すべくもあるまい。ここで法治の基底をなす<人権>の中核とは<私的所有>であり、法が保全するものはなによりもこの<私的所有>であって、ここでの<公>とは<私>の総和以上のものではあり得ず、また、法のまえでの市民の平等とは、すなわち私有財産の平等ということ、経済的不平等のままで法的に平等だということ、<搾取>の権利における平等だということにほかならないのである。それは、「けっきょくは不平等と不自由であることがわかってくるような平等と自由との実現」(マルクス)であり、このようにして、近代市民社会における階級的支配が貫徹されているわけだ。

 【近代市民社会における議会制民主主義と官僚制度の本質】
 ところで、このような支配体系を可能にする政治的装置としては、一方では間接選挙による議会制民主主義が、他方では社会の<公>的機能を独占した<官僚>の統治が存在する。この二つの政治的装置について、まずはその<理念型>を考察すれば、ここでの議会制民主主義においては、<法>とは市民の意志の対象化されたものではあるが、その市民の意志とは、私的所有によって疎外され惰性化され物象化させられた意志であり、けっきょくは私的所有においてもっとも有力な市民たち(企業家たち)の私的意志となる(マルクスがあきらかにしたように、近代市民は<搾取>をそれとして意識することなく私的所有の物象化世界の網の目にとらえられてしまっており、そうして人びとが私的所有と搾取のメカニズムから外に出ることができなくなっているかぎりにおいて、<選挙>では企業家も労働者もおなじ一票をもつがゆえに階級的支配などあり得ない、といった<常識>は欺瞞的なものにすぎない)。それゆえ、選挙によっては、権力の横暴や搾取の程度を緩和することなら或る程度できるものの、生産様式そのものを変革して搾取を廃絶することなど不可能なのであって、実際、生産様式が変革を迫られるほどの危機におちいった場合には、議会制度そのものがとっくに機能停止に追いやられてしまっているのである。しかし、事態は議会制民主主義の欺瞞性にとどまらない。この近代社会では、私的所有の物象化世界に呪縛された市民はそれぞれの私的利益追求に忙殺されているから、立法について<代議士>にみずからの意志を代意せしめるだけではなく、行政や司法についても、終身<公務>を専業とする<官僚>にみずからの意志を代行せしめるほかはなくなる。すると、やがて官僚たちは、業務上の秘密の名のもとに、市民社会からは隔離された特権的な閉鎖世界をつくるようになり、それをこんどは<公共の福祉>の名のもとに個々の市民たちにさしむけてくるようになる。しかもここ近代市民社会では、<公>は市民すべての<私>の総和にその支配の根拠をもつと主張することができるだけに、まことに逆説的なことに、民主政治こそかえって<絶対統治>となるのであって、このような弁証法的逆転を可能にしたものこそ、法における人民の意志の物象化過程にほかならないのである。人格帰依の支配体系にあっては、表層では不平等関係が、深層では平等関係が支配しているのであるが、近代市民社会では、逆に、表層では独立した人格の相互性の平等関係が、深層では生産手段の所有をめぐる搾取の不平等関係が支配するようになるわけだ。

 【近代史における支配体系の変遷】
 つぎに、以上の考察をもうすこし歴史過程に密着して展開し、わたしたちの現に住まうこの現代社会の支配体系の現況をあきらかにするようつとめよう。周知のように、初期の近代市民社会では、選挙権は、<財産と教養>をもつブルジョアだけにしかあたえられておらず、この財産所有者=<市民>たちの公開の場での能動的な<公共の議論>と、それをつうじて形成される<公論>によって、下からつよく支持されつづけることができた(ハーベルマス)。なるほど、ここでのプロレタリアは積極的市民たる資格を奪われているわけだから、もし彼らがその生存を脅かされたなら、端的に<革命的暴力>でもってこれに応答するよりほかはなかったわけで、この初期近代市民社会にあっては、「近代国家権力とは、全ブルジョア階級の共同事務を処理する委員会にすぎない」(『共産党宣言』)という言葉が文字どおりに妥当したであろう。では、現代ではどうなっているか? <財産と教養>の制約が突破されて<普通選挙>が施行され、プロレタリアもまた積極的市民となって投票に加わってくると、奇妙なことに、一方では、<公論>は市民たちの自発的な討論の場を去ってすっかり政党とマスコミによって独占され、一般市民は単にそれによって操作動員されるだけの受動的大衆と化し、他方では、いままで公論形成の場から除外されていたプロレタリアたちも、その階級的革命性をすっかり鈍磨させておなじ受動的大衆のなかにみずから合流してしまい、このようにして、プロレタリアをふくめての<大衆>による支配がそのまま大衆にたいする特権的ブルジョアジーによる支配となる、という逆説的現象がおこってきたのである。ハーベルマスのいわゆる<批判的公共性>から<操作的公共性>への公共性の構造転換であり、これこそ近代市民社会の支配形態としての議会制民主主義の、実にみごとな勝利の戦果だったといってよい。市民たちはプロレタリアをもふくめて、理性的に批判し論議する<公衆>としては解体させられて、みずから政治に参加することなく上からの政治的決定の正当化のためにのみ情動的に動員利用される受動的な<大衆>と化したわけで、こうして、議会制民主主義は階級闘争を抑止するのにもっとも有効な手段となったのである。では、これを突破するにはどうしたらよいか、また、これを突破するどのような機会が今日わたしたちにあたえられているのか――それが最後の結論部の課題となるだろう。