3.2.3.1 Ⅲ 言語の社会性と<疎外>の問題 | 竹内芳郎の思想

3.2.3.1 Ⅲ 言語の社会性と<疎外>の問題

 ① 言語の社会的伝達性の位置づけ

 【社会的伝達性による言語の定義づけの意味】
 「言語は社会的伝達の道具である」という定義づけは、悪名高い<スターリン論文>いらい評判がわるい。しかし、むしろそこに革命的な意義を認めるムーナンの言が正しいとすれば、この定義によって得られた科学的諸成果を無視する単純な否定論は、反動的見解以上の何ものでもないということになろう。それどころか、この言語観と真向から対立するとされる時枝国語学でさえも、『国語学原論』の続編では、社会的伝達性に言語の本質をみる見方を明確にうち出しているのだ。してみれば、この定義づけを否定するにしろ擁護するにしろ、私たちはもうすこし問題を精密化しなければなるまい。

 【言語の社会性についてのマルチネの見方】
 まず、近代言語学の基本的な考え方を見ておこう。マルチネはつぎのように述べている――言語という道具の本質的機能は伝達に、相互了解を確保するところにあるのであって、その他の機能、たとえば、思考の支えとしての機能、自己表現の機能、美学的機能なども忘れてはならぬとしても、やはり伝達機能こそが言語の中心的機能なのだ、と。

 【H・ルフェーヴルの反論】
 そうした考え方にたいして、H・ルフェーヴルは、人間の最良の伝達交流は音楽とか映像とか都市とか風景とかの非言語的記号学領域でこそおこなわれているもので、言語活動に固有の機能は、むしろ各種の伝達媒体のあいだの間隙を埋めるところにあるのだから、伝達機能を言語活動の根本機能とすることには若干の保留をつけねばならぬ、と言う。こうした彼の理論は、言語を言語外の社会的実践から把えようとするあまり、社会的伝達における言語の特権的地位を軽視しすぎているように思われる。たとえ音楽や映像がコトバで伝達し得ぬものを伝達できるとしても、コトバの伝達性は、そうした部分的かつ一方通行的な伝達より以上のもの、むしろ、あらゆる伝達媒体が伝達媒体として機能し得るための根柢的な条件をつくるものであって、やはり「言語に比べれば、他の一切の象徴体系は、単に附帯的または派生的な伝達媒体にすぎぬ」(ヤコブソン)と言うべきだろう。こうした社会的伝達におけるコトバの特権的位置は、コトバの<表示性>=内面性の把握を介してこそ、はじめてあきらかになるのであり、この言語の全面的な無契的表示性を押さえることなくコトバの伝達性を考えるならば、コトバを伝達のための単なる外的な<道具>であるかのような定義におちいり、その真の社会性を見落とすことになってしまうのだ。

 【ランガーの反論】
 逆に、ランガーの反論においては、伝達性と表示性とがあたかも対立するかのように把えられてしまっている。すなわち、彼女によれば、言語の最初の用法は対象を命名・表象すること、つまり経験のシンボル化であって、相互伝達のための実用的使用法などはそれよりも後の段階で発生した第二義的なものでしかない。逆説的だが、類人猿の発声が何一つ意味を獲得しないのは、そのあらゆる発声がすべてサイン作用をもつためであり、これに反して人間のコトバは、自然的な通信を伝えるためのものではないからこそ、規約的な意味を獲得できるのだ。したがって、言語の起源は声の遊戯化としての歌であり、その最初の用法は祭式における魔術的用法だ、というわけだ。彼女が言語の表示性を明確に刻印したことは正しいであろうし、言語の起源を歌や祭式に求めたことも、即断は避けるべきだが、すくなくとも言語が<聖>なるものに結びついているとは言えそうだ(ロニー)。にもかかわらず、コトバの社会的伝達性を副次的なものと考える彼女の議論には、いろいろと混乱がある。第一に、社会的伝達性ということを、どうして<俗>世界の日常的実用だけに限定せねばならぬのか。デュルケム流に言うならば、そもそもコトバが個人の恣意を超えた社会的規範力をそなえていればこそ、それは聖なる性格を帯び、魔術的用法を根元とし得るのではないか。第二に、言語の命名性=表示性とは、言語の認識論的性格であって、実用性などという言語使用上の区分とは直接的な関係をもたない。総じてコトバの本質の問題とコトバの起源の問題とを直結することは、論理的なものと歴史的なものとを混同することにほかならない。第三に、彼女は言語の<明示性>にたいする<含意性>の根源性=優位性を帰結させたいようだが、これも同様の混乱を示している。言語の命名性=表示性とは、両機能のいずれかの優位性を帰結するようなものではなく、両機能をともに間接化し非現実化して、とくに人間言語に固有の機能とするものなのだ。

 【社会的伝達性と表示性との結合】
 要するに、言語が社会的伝達性を本質とすることには疑いの余地はないのであって、近代言語学の定義の仕方に重大な欠陥があったために、以上のような誤解も生じてきたのだ。では、言語の社会的伝達性と表示性とを結びつけて把握すると、どういうことになるのか。第一に、コトバはコトバとは別のところですでにできあがっている思考を他者にまで運搬するための外的な道具ではなく、私たちの思考を形成するその現場で私たちの思考を社会化するものとしてあらわれる。つまり、私たちがコトバを道具として使うよりもさきに、私たち自身すでにコトバのなかに住み込んでいる、ということになる(『ドイツ・イデオロギー』)。第二に、表示性は明示性と含意性というコトバの二大機能をともに含み込んだより根柢的な作用であるから、その表示性と結びついている社会的伝達性もまた、両機能の双方に結びつくものとなる。つまり、私たちがコトバによって伝達するものは、対象指示性だけではなく自己表出性もだ、ということになるのである。


 ② 国語系(ラング)と発話行為(パロル)

 【含意性の社会的伝達性の理論化のために】
 言語の社会的伝達性を、明示性(対象指示性)に限定して、含意性(自己表出性)と対立させて考えるのは、ランガーだけではなく、ハヤカワなどにも認められるところだが、オグデン=リチャーズは社会的伝達性にコトバの<喚情的用法>=含意性も含めて考えていたし、リチャーズはさらに問題を先鋭化して、もっとも深い伝達には散文よりも詩の方が適している、なぜなら、<態度>=含意性までも含んだ伝達は、<指示>=明示性の伝達よりも深いからだ、と語っている。しかし、これらの言説を言語の総体構造そのものにまで内面化するためには、前章で検討したオグデン=リチャーズやソシュールの意味作用連関の図式ではまったく不十分であろう。そこには、コトバの明示性は表現されていても、含意性の方はぜんぜん表現されていなかったからだ。そして、含意性を含み込んだかたちで言語活動の構造図を描き出そうとすれば、どうしても<言語場>をその図式のなかにひき込んで来なくてはならない。ソシュールのように、言語の社会性の把握を<国語系(ラング)>の社会性の水準にとどめて、話者が具体的な<発話行為(パロル)>をもって創り出す社会性を捨象しているかぎり、言語の表示性と社会的伝達性との内的連関を把えることに失敗するのは必然的なのである。

 【時枝誠記の批判】
 この点で、近代言語学における言語の社会的伝達性の考え方を批判したのが、時枝誠記だったのであり、ここに言語の社会性をえぐるソシュールと時枝との対立点の核があった。彼によれば、従来の言語学は、言語が伝達の道具たることを説いても、伝達の事実そのものを学問的にあきらかにする努力を怠ってきた。はじめから社会的に平均化された国語系の存在を前提としていたからで、それにたいして彼の<言語過程説>は、言語が社会を構成する能動的機能の面を見ようとする。言語の真の社会性は、言語が社会関係を構成する機能そのものにあるので、けっして国語系のなかに受動的に反映されている社会性にあるのではないのだ、と。こうして、ソシュールではすっかり等閑視されていた<言語場>の思想が重視されるようになるわけだ。

 【時枝言語学の特徴と問題点】
 ところで、時枝にあって特徴的なことは、言語を成立させる条件を示した構図が、ほぼそのまま言語内部の意味連関構造を表すのにもちいられていることであり、このように<言語場>の構造がそのまま<言語>の構造に変換され得るというところに、言語場からの言語の自立性の微弱な日本語の特性と、時枝自身の言語観とが、よく示されている。そして、それはやはり一面的なのであって、そもそも、言語の構造と言うからには、生まれては消えてゆくそのときどきの<発話行為>からいちおう区別し得る社会習慣形式、ソシュールの<国語系>が想定されねばならぬにもかかわらず、そして、実は彼が一個の言語学者としておこなっていることは国語系の分析以外の何ものでもないにもかかわらず、彼の<言語過程説>はそれをあたまから否定してしまっているのだ。もちろん、彼の言語学においては、<辞>という主体的なものの表出部分、つまり<含意性>とつよく結びつく部分が、同時に社会的機能を営む部分だとする発想など、ソシュールには見られぬ貴重なものもみとめられるのであるが、それを真に生かすためにも、彼の言語学の対象としての「言語」とはソシュールの国語系以外の何ものでもないことを自覚化し、そして、国語系の<含意性>部分を軸にして国語系の内部に言語場の社会性が滲透してゆくように、あらたに言語活動の全体構造を構造化する道を探求しなくてはならないのだ。

 【ソシュールにおける<語る主体>の意味】
 実は、時枝の誤解にもかかわらず、ソシュールははじめから国語系だけを問題にしたのではなく、ただ言語学を科学として成立させるための科学的抽象として、総体としての言語活動(ランガージュ)から国語系(ラング)を摘出したのであった。だから、ソシュールにとって国語系とは<語る主体>のなかでしか存在しないものであって、その後のソシュール派の人々の完全な無視にもかかわらず、その主体的立場はきわめて重要な役割を演じているのだ(彼の<共時言語学>もその立場をとることではじめて可能となった)。尤も、だからといってメルロ=ポンティのように、ソシュールの国語系の言語学を<発話行為(パロル)の言語学>へと再解釈できるかのように考えるのは、やはり無理であって、彼は国語系の言語学を確立するにさいして、一旦切り落とした発話行為を、ふたたび理論のなかにくみ入れてくる努力を怠ったのである。かくして、ソシュールは、国語系に受動的に反映された社会性=<構成された社会性>しか問題にせず、個々の発話行為がつくりだす能動的な社会性=<構成する社会性>を切り捨てたまま放置してしまったのだ。それにたいして、逆に時枝は、<構成する社会性>はみごとに把えたものの、<構成された社会性>の方をすっかり無視してしまったわけだ。ほんとうは、両者ともに、<構成する社会性>と<構成された社会性>との契合をこそ問題にすべきだったのである(メルロ=ポンティ)。

 【ヤコブソンによる言語活動の図式化】
 そのような、ソシュール的なものと時枝的なものとを綜合した言語活動の全体構造をあらわす図式としては、ヤコブソンが提示した図表がもっともすぐれたものであろう。そこで彼は、<送り手>-<メッセージ>-<受け手>の三つの項に加えて、<脈絡>、<コード>、<接触>を配置し、合計六つの言語伝達の因子によって、言語活動の全体を描き出している。ここでの<メッセージ>と<コード>とは、それぞれソシュールの発話行為と国語系をより正確化したものであり、<脈絡>とは広義の指示物、<接触>とは送り手と受け手との伝達交流を保証する心身のコネクションをさす。ヤコブソンはさらに、この構図に合わせて、言語の機能上から見たもう一つの構図を用意し、<喚情的>-<詩的>-<作動的>の三項に、<指示的>、<メタ言語的>、<交際的>を加えて、六つの言語の機能を提示している。この二つの構図から、コトバの機能があげて<メッセージ>それ自体に集中化されたときコトバの<詩的>機能が発揮され、逆に<コード>に集中化されたとき理論言語としての<メタ言語>的機能が発揮される、という言語の階層構造も理解されるであろう。ところで、後者の構図において特徴的なのは、言語の表示機能と伝達機能とが抜け落ちているということだ。しかし、これは彼がこれらの機能を見落としたからではないだろう。むしろ、まったく逆に、この二つの機能はマルチネやムーナンがそうしたように他の諸機能と並列できるようなものではなく、一体となって図示された六つの機能を根柢的に可能としているものだ、と考えていたからなのだ。

 【ヤコブソンとイエルムスレウ】
 ヤコブソンによるこの独創的なソシュールの継承を私は高く評価するものであるが、おなじくソシュール派にぞくするコペンハーゲン学派の雄イエルムスレウなどは、ヤコブソンとは異る方向性を示していて、言語研究から話し手と聴き手の存在は必要ないと主張している。私としては、そのような直線的なソシュール徹底化よりも、ヤコブソンの屈折の方をこそ選びたいと考える。なぜなら、たとえ言語そのものの構造のなかに話し手や聴き手を住まわせる必要はないとしても、言語の構造がそのときどきの発話においてどんな様相を呈するか、<表現>と<内容>とがそのときどきでどんな関係をとり結ぶかを決定するものは、やはり言語外に居る話し手と聴き手との現実的な人間関係だからだ。このことへの配慮は、<日常言語>の分析に決定的に重要であるだけでなく、<第二次言語>の考察にあっても間接的には必要なのであって、それどころか、そもそも第二次言語が第一次言語からどのように自己を自立させてくるかをあきらかにするためにも、不可欠のことなのだ。

 【中井正一における第一次言語からの第二次言語の形成】
 こうした第一次言語からの第二次言語の成立過程にあらわれる弁証法的運動を繊細に考察したものに、中井正一の「意味の拡延方向ならびにその悲劇性」なる論文がある。彼によれば、コトバには自己へと向う<内なるコトバ>と他者へと向う<外なるコトバ>、確信と主張との二つの方向性があり、前者が<意味の充足作用>、後者が<意味の拡延方向>である。ところがその双方に相似た深い挫折と疎隔があって、すなわち前者には、内なるコトバとしての確信の底に黙せる自我(非反省的コギトー)が涯なき無関心性をもって眺めているのではないか、そして後者には、外なるコトバとしての主張の彼方に黙せる他者が永遠の否定者として立っているのではないか、という疑惑が惹起されるのだ。かくしてコトバは、この二つの疎隔領域の中間をさまようほかはない。おそらく、第一次言語のうえにやがて第二次言語が階層化されてゆく根拠もここにあり、つまり第二次言語なるものは、第一次言語の位相で体験されたコトバの痛切な挫折に動機づけられて成立するものなのである。たとえば、文学空間は、黙せる他者との疎隔性を充足性方向へと還元するものであり、そこに創作のカタルシスがあるのであるが、そのとき、ここに新しい疎隔性が、黙せる自己との疎隔性が生じ、それが創作の苦悩を生み出すであろう。そして、この創造の苦悩を克服して、芸術的充足性からふたたび芸術的拡延性へと転ずるとき、さき拡延層よりもさらに深い階層における意味の拡延作用となるのであり、かくして、意味の充足と拡延の階層性は無限の階梯を昇りゆく、というわけだ。

 【プラーグ学派と構造主義】
 こうした言語の階層化に伴う話者と聴者との全社会的伝達性の階層化のダイナミックスを総体的に描き出すためには、どうしても前述したヤコブソンの図式にまで進まねばならないだろう。イエルムスレウらのコペンハーゲン学派とは異って、彼らプラーグ学派には、ヤコブソンだけでなくトルベツコイの音韻論などにも、具体を見殺しにせぬ興味ぶかい屈折がみとめられるのであり、それは言語論にとって貴重な契機であるとおもわれる。その点から考えれば、現代の構造主義が、その思想的核の一つをプラーグ学派に仰ぎながら、こうした方向を完全に遮断してしまっているかにみえるのは、私には納得がゆかないところだが、その問題は、後に終章で<文化革命>的見地からもういちど取りあげることにしよう。


 ③ 言語における<疎外>の問題

 【言語における<疎外>考察のための三つの論点】
 ここであらためて、中井が示唆したコトバの自己への疎隔と他者への疎隔――要するに言語における<疎外>の問題を考察しよう。この問題を考察するにあたっては、踏まえておくべき前提条件として、つぎの三つの論点が浮かびあがってくるようにおもわれる。第一に、言語の社会的伝達性は表示性に媒介されることをつうじて個々人の思考の内奥にまで侵入しているのだから、言語における疎外現象とは、外的な反逆ではなく魂の深部を犯すものであること。第二に、言語の社会性を解明するためには、発話行為をつうじての<構成する社会性>と国語系をつうじての<構成された社会性>とを、ともに視野に入れる必要があること。第三に、疎外からの脱出に動機づけられて言語の階層化が成立してくるのであるが、第二次言語の次元においても、第Ⅰ章で述べたように<両義化>されつつも、作者と読者との新たな形態をとった言語の社会性が現出してくること。

 【言語の社会的既成性への囚われをいかに克服するか】
 コトバの社会性には、奇妙な逆説的性格が附着しており、つまり、私たちはコトバ化=社会化することによって安堵感を得たり、無意識的抑圧からの自己解放をなし得たりする一方で、そのコトバの社会的既成性のゆえに、自分のコトバにはげしい異和感や欺瞞性を感じることさえある、ということだ。しかも、そのようなコトバを解体しようとしても、コトバの社会性は、その表示性と深く結びつきながら私たちの思考を内的に規定してしまっているのだから、そうした思考そのものをも、また解体の手段となるあらたなコトバそのものをも、規定してしまっているのだ。これ以上に完璧な<疎外>現象が他にあるだろうか。言語の解体と創造にあたって、私たちにはどのような武器が残されているのだろうか。

 【言語の改変不能性と可変性】
 この問題に関して、ソシュールは、コトバの人為的改変の不可能性と可変性とを同時に説いている。まず、コトバはあらゆる社会制度のなかで人為的な改変がもっとも困難なものであり、その理由は、第一に、コトバの<恣意性>のゆえであり、すなわち、その在り方について合理的根拠がそもそも存在しないからであり、第二に、コトバの記号数があまりに多すぎるからであり、第三に、コトバが複雑で強固な体系性をつくってしまっているからであり、第四に、コトバが大衆に四六時中もちいられているために大きな集列的惰性の力が生じているからであり、第五に、コトバは時間のなかにあっていつも伝統との腐れ縁をもっているからである。しかし逆に、コトバは、人為的には改変し得ぬとしても、時間の経過によってひとりでに変容し得るものであり、事実、どんな国語にしても何世紀もまえとおなじ状態にとどまっているものは一つもないのだ。では、その変化の原因は何かと言えば、ソシュールも決定的な解答は見いだせなかったのであるが、それはソシュールの非力のせいではなく、コトバには構造的普遍法則は存在しても、そこに歴史的普遍法則をみとめることは困難だからであろう(ヤコブソン)。

 【発話行為の言語学へ】
 しかし、コトバではどんな変化も惰性化されてしかあらわれないとしても、その惰性化された変化すら個々人の発話行為をつうじて産み出されるのであってみれば、その視点を国語系から発話行為に転じるならば、あたらしい理論的な可能性が得られるのではないか。たとえばチョムスキーのように、言語創造の原点としての発話行為のメカニズムを洗い出してみようとすべきなのではないか。実は、現代の構造主義者とは違って、最晩年のソシュールは、そうした諸個人の言語能力の研究をめざしていたようにもみえるのであり、総体としては言語の既成性のもつ惰性力が強調されていたとしても、「既成語との<類推>こそが言語創造の原理だ」と指摘するなど、発話行為をまったく無視していたわけではないのである。けれども、ソシュールがここでもあまりに単語にのみ目を奪われて論を成しているその偏向は覆うべくもなく、これではほんとうに言語創造の場に立ち会ったことにはならぬだろう。言語創造の場が発話行為であり、発話行為の具体的単位は単語ではなく文または発話そのものであってみれば、チョムスキーがおこなっているように、後者をこそ考察の対象としなければならないはずなのだ。

 【H・ルフェーヴルの発話行為論】
 そのようにして、現代における言語の疎外現象の打開の原点を発話行為の復権のうちに求めた言語論者の一人がH・ルフェーヴルだった。彼によれば、構造言語学が言語記号の分析によって古典言語学から一歩前進したことはたしかであるが、しかし、こんどは彼らは記号を物神化してしまい、逆に<単語>が言語の活きた姿を隠すようになった。そこで私たちは、コトバにおける創造がおこなわれる場としての発話行為と<文>の復権をめざさなければならぬ。発話行為は、純一にして連続したものとして、<言説(ディスクール)>の不連続性とするどく対立するものであるが、商品化されたコトバとしての<言説>の支配とは、現代の管理社会における人間工学の操作技術と照応しており、操作主義、機能主義、構造主義などは、この<言説>の物神化イデオロギーなのだ。<言説>の支配によって、商品による人間疎外は完成するのであり、そうした状況下であればこそ、発話行為の復権が企てられねばならぬのだ。


 【ルソー言語論の特質】
 ところで、以上のようにルフェーヴルが示唆した思想の源泉を尋ねれば、ルソーの音楽論を含む言語論にゆきつくほかはないように思われる。ルソーによれば、人間が他者と意思伝達を行なう手段としては、<身振り言語>と<音声言語>との二つがあり、前者は飢餓などの物質的欲求から発したもの、後者は愛憎や怒りなどの精神的欲求から発したものだ。したがって、人類の最初のコトバは、詩人のコトバ、パトスのコトバであった。ところが、今日の文明語の母胎となった北方言語にあっては、人類言語の起源が錯倒してあらわれ、情念ではなく物質的欲求がコトバの起源となり、パトスのコトバでなくロゴスのコトバが支配するようになる。とりわけ、身振り言語とおなじ物質的欲求に根ざしていた<書く(描く)>技術が、コトバ(音声言語)と結びついて<文書態(エクリチュール)>を確立すると、コトバの変質化にますます拍車がかかったのであり、理性には訴えても心情には訴えない冷えひからびたコトバが支配的となる。こうして衰退してゆくコトバに最後のとどめを刺したのは、金と権力で人民を抑圧する近代統治体制であり、そこでは、古代の雄弁のように自由にふさわしいコトバは失われ、ドレイのコトバが支配する。<文書態>にひきずられ、音声の力を失って、いたずらに分節化した近代のフランス語は、まさにドレイのコトバにほかならない。

 【ルソー言語論の自己矛盾】
 このような言語論は、一篇の言語論というにとどまらず、ルソーの生涯にわたる多彩な言語的実践の自己検証の意味さえもつものであったように思われ、言語的実践においてその原点に戻れ、というこの叫びの原本性と爆発力は、誰の目にもあきらかであろう。にもかかわらず、彼の議論には根本的な錯誤があって、というのは、それは人間のコトバについて語ろうとするものでありながら、言語の理想状態を動物的な叫喚や<沈黙>に求めて行ってしまっているからだ。デリダはその<文書態(エクリチュール)>主義の立場からルソー言語論の自己矛盾を批判したが、ルソーの自己矛盾の核心は、彼が言語の代替性=表示性から目をそむけたところに根ざしていると言えるだろう。たしかに、ルソー的な<直接言語>主義は、コトバの背後にある<沈黙>を有化=実体化してしまったところに決定的な誤りがあり、この言語論のなかでルソーは、彼の思想の美質であるパトスとロゴスとの絶妙な弁証法を浮かびあがらせることに失敗しているのである。発話行為でなく国語系に没頭したソシュールの方がよく感得していた、言語創造の場で働くコトバの社会的既成性の重圧を、自覚的にひき受ける覚悟のない言語観は、どんなに革命的意図に貫かれていても、真にコトバの創造を基礎づけることはできないのであり、この点で、ルソーの言語論は自己検証としても大きな欠陥を残しているように思われる。では、言語の社会的既成性の重圧を自覚するにはどうしたらよいのか。実は、特異な文化的位置のゆえに、革命的意図の有無にかかわらず、それを深く感得せざるを得ない人々が存在しているのであり、彼らの実践こそがそれを教えてくれるだろう。ここで私が身近かな例証として挙げたいのは、日本語でしか作家活動をおこない得ぬ在日朝鮮人作家たちの場合である。彼らにあっては、国語の既成性に発話の直接的な自己表出性を対置させただけではどうにもならず、むしろ一旦は己れを徹底的に他者化し、敵の国語をそのまま受容しつつそれの逆用をもって敵の国語自体を破壊するという、詐術に充ちた迂路を経なければ、自己発見すらもできないのである。


 ④ 在日朝鮮人と日本語

 【天皇制的<同化主義>の犯罪性】
 日本帝国主義の悪辣さは、朝鮮を掠奪し、朝鮮人を何十万となく虐殺しただけでは飽きたりず、さらに朝鮮文化を根こそぎ絶滅し、その基礎としての朝鮮語を地上から抹殺してしまおうと企図したところにあった。その結果、いまなお六〇万にものぼるといわれる在日朝鮮人の八〇パーセントを占める二世、三世の人たちは、<表示性>をつうじて彼らの内奥の思考形成にはたらく<内語>としては、憎むべき抑圧者のコトバたる日本語しかあたえられぬこととなった。これ以上に言語における<疎外>の痛苦が鮮烈な相貌をしめしている例はかんがえられず、またそれだけに、在日朝鮮人作家のコトバとの悲惨な格闘は、そのまま普遍人類的意義を獲得し、私たち日本人をふくめての万人の模範たり得る条件をそなえているように思われる。

 【高史明の言語体験】
 高史明の「失われた私の朝鮮を求めて――私にとっての日本語」は、彼の言語体験を次のようにつたえている。日本で生まれた氏は、三歳ではやくも母を喪くし、父と兄との三人暮らしだったが、在日朝鮮人一世であった父はけっして日本語をつかおうとせず、一方、氏たち兄弟は「日本語とともに成長し」、「はじめから朝鮮語がないのだ」った。当然、親子のあいだには、ほとんど<沈黙>が支配していたが、そこに、絶望からの父の自殺未遂が起こる。そのとき、氏たち兄弟は日本語で叫び、哀願したが、父はそれに朝鮮語で答えていたという。そこから氏は、さらに深刻な反省を強いられる。父の自殺の因となった絶望が、日本語への憎しみ、とりわけわが子の使う日本語への憎しみに根ざしているのに、その父を自殺から救うのにまたしても父に日本語を差しむけたことは、氏の願いを正確にひびかせただろうか、むしろ、父の耳には逆の響きを伝えたのでなかっただろうか、と。このような哀切きわまる言語体験が人を作家たらしめなかったとしたならば、その方がむしろ不思議だろう。氏は、日本語以外のコトバを知らないにもかかわらず、日本語は氏自身のコトバになっていないことを意識する。しかしまた、氏が朝鮮語を学んでも、すべて自身のなかの日本語を通過しないかぎり自分のなかに入ってくることはないのだ。「私は嘘つきだ。なぜなら、私は朝鮮人であるにもかかわらず日本語で考えているからである。……おそらく私の手探りの歩みが文学に引きよせられていったのも、私のこの状況のせいであろう。現実の世界では虚偽を刻印されるほかない私のコトバだが、虚偽の世界では真実が獲得できるのだ。文学だけが、私が自己を偽ることなく生きることのできる世界である……」。

 【第二次言語による言語の破壊】
 ここには、ジュネの文学への転生(サルトル『聖ジュネ』)の過程を想起させずには措かぬものがあるが、ここでとくに注目すべきは、氏にあって、第一言語で用いているかぎりでは徹底した他者化=疎外しかもたらさなかった日本語が、第二次言語として受容したときには虚偽のなかでの虚偽のコトバとして、かえって生と真実とを保証してくれるという、この奇妙な逆説であろう。なぜ、そこに突破口が見いだされるのか。それは、そもそも文学言語というものが、第一次言語の否定のうえにはじめて成立するものである以上、シュルレアリストたちが主張したほどにはつねに明確だとは言えぬまでも、<言語による言語の破壊>の要素を何ほどかはかならず含むはずのものだからであろう。こうして氏は、己れの朝鮮人性にゆきつくことを放棄したのではなく、直接的にはもはやゆきつけないことを痛切に自覚したればこそ、あえてこの詐術に充ちた迂路を通るべく決意したのである。

 【第二次言語による言語破壊の企ては成功するか】
 だが、第二次言語の位相に転移したとはいえ、やはり日本語を行使していることに変わりがない以上、この道は成功し得るのだろうか。高史明のみならず、別の在日朝鮮人作家・金石範も、日本語を用いることによる思考や感覚の日本化は避けがたいものとして、これに否定的な見解を示している。しかし、第一次言語の位相ではかならず袋小路へみちびくであろうこの危機も、文学言語の位相でなら、脱出の可能性を残さぬわけではない。それは、己れの母国語を収奪した敵のコトバを敵のコトバ自体によって破壊するひとつの壮麗な復讐行為、李珍宇や金嬉老の行為にも相通ずるような<犯罪行為>として、日本語による日本語の破壊の道に徹することだ。そして、このような犯罪行為のためには、従来の在日朝鮮人作家が頼ってきた<小説言語>――それだけとり出せば第一次言語との区別がまぎらわしくなる<小説言語>――ではなく、第一次言語との断絶を増せば増すほどいよいよ妖光をはなつ詩的言語こそが、より適しているように思われる。事実、そのみごとな成功例として、アフリカ黒人詩人たちが存在しているのであり、彼らはそれ自体がすでに<差別語>を形成している抑圧者の国語系のなかに「潔白の黒さ」といった詐術的な統合素を挿入し、そのような抑圧者の国語の詩語化をつうじて、この国語が秘めている抑圧的価値観を、根柢から掘り崩して行ったのだ。同様にして、日本語がその国語系のなかに包蔵している朝鮮人(や中国人や<部落民>)への差別語を顕在化し、それを逆手にとって詩語化し、日本語のなかに一つの眩暈と恐怖とを定着することは、在日朝鮮人作家がその悲惨を栄光に転じつつ果し得る第一の任務ではないかと思われる。

 【文学言語による<具体的普遍>への道】
 ところで、サルトルによれば、黒人詩人たちがフランス語で再発見すべく追いもとめていた失われた自己=<ネグリチュード>は、手段ではあっても目的ではなく、つまり、個別が具体的普遍にいたるための媒体としての特殊性だ、という。こうした普遍性への欲求は、高史明にも、金石範にも、あるいはさらに若い世代の李恢成にもみとめられるが、これも実は当然のことであって、そもそも第二次言語が第一次言語の否定のうえに成立してくるのは、それが第一次言語にはない普遍性を何らかのかたちで欲求しているからなのだ。何らの普遍性も要求しない文学作品、理論作品などはひとつの自己矛盾でしかなく、ただ、この普遍性は、文学や哲学の場合、まずは特殊性のなかに身を浸し、その特殊性を不可欠の媒体としてはじめて成立してくる<具体的普遍>でなければならず、言語の上部構造であると同時にまた言語総体の基底論理となるようなものでなければならないのである。つまり、言語場のなかに埋没している第一次言語から単にぬけ出るだけでなく、むしろ、言語場やサブ言語を総体として顕在化し、それに普遍的なコトバをあたえるようなものでなければならないのだ。だから、在日朝鮮人作家の作品は、それが文学言語として、<言語による言語の破壊>として創り出すその固有の<沈黙>をもってして、在日朝鮮人たちの第一次言語におけるあの<沈黙>――高史明の父親の沈黙――に、どこまでも呼応してゆくものでなければならないのであり、この二つの<沈黙>が呼吸を合わせたとき、ここに作品の普遍性は、彼らの特殊性を普遍化するものとして、逆に言えば、抑圧者としての日本民族の醜さを全人類的な普遍法廷のまえで裁き得るものとして、機能しはじめるのだ。

 【第二次言語における社会性=<両義化>の意義】
 既述したように、言語の社会性は、第二次言語にまでのぼることによって<両義化>される。作者-読者という新たな次元での社会関係では、第一次言語の場ではたらいていた抑圧-被抑圧の関係はもはや通用しなくなるのであり、それというのも、<読書>とは本質的に自由への自由の呼びかけとしてしか存立し得ないからだ(カントの<無関心性>やサルトルの<高邁の心>)。だとすれば、この両義化された関係こそ、在日朝鮮人がその復讐行為=<犯罪行為>を遂行する絶好の機会なのであって、しかも、この関係のすばらしさは、その<犯罪行為>がさしむけられた私たちにとってかえって無上の贈物となるところにあるのだ(金石範・李恢成・大江健三郎の座談会「日本語で書くことについて」)。そうして、日本語を破壊するために日本語で書かれた彼らの作品は、それだけ日本文学を富ませたことになるのであり、日本文学は、己れの胎内に一輪だけ咲いたこの妖しくも黒い己が罪の花を、どれだけ珍重してもしすぎるということはない。復讐がそのまま無上の贈物となるのは、この瞬間なのである。


 ⑤ 結論

 【国語系と発話行為の深層構造へ】
 最後に、これまでの本章の議論を整理しながら、終章のテーマとの橋渡しをしよう。第一に、言語の社会的既成性と闘うためには、単に国語系に発話行為を対置する<直接発話>主義では十分でなく、国語系と発話行為との、<構成された社会性>と<構成する社会性>との弁証法的屈折を利用するほかはないことが明らかとなった。そこで終章では、社会的既成性が形成する<沈黙>に声をあたえる方途を考えるために、構造主義とチョムスキーとの理論的営為の批判的検討をつうじて、国語系と発話行為の深層構造にまで問題を精密化してゆきたい。

 【詩的言語における<文書態>主義の意義】
 第二に、国語系と発話行為との弁証法的屈折から言語の階層化が要請され、社会的既成性との闘いは、第二次言語、とりわけ詩的言語の舞台に移された。こうした<言語による言語の破壊>としての詩的言語の極限形態を明示したものに、テル・ケル派の文学理論があるので、終章では、彼らの<文書態(エクリチュール)>主義が現代の言語革命の課題に応え得るものかを検討しよう。

 【言語の階層化と流動化を同時に実現するために】
 第三に、広義のメタ言語は、かならず言語における<普遍性>をめざすものだが、この普遍性は同時にサブ言語における<沈黙>に声をあたえるものでなければならず、つまり、メタ言語は言語の上部構造であると同時に、また言語総体の基底論理でもなければならなかった。そこから同時に要請される言語の階層化と流動化との実現は、現代文化の危機的状況のもとで、また日本語という特殊な言語状況のもとで、どんな具体的形姿をとるべきなのか、それを終章で示したい。