3.2.2 大学闘争をどう受けとめるか――全共闘の問題提起に応う(要約) | 竹内芳郎の思想

3.2.2 大学闘争をどう受けとめるか――全共闘の問題提起に応う(要約)

まえがき

 【本稿の執筆の経緯】
 「いま進行しつつある学園闘争、とりわけ日大闘争と東大闘争について、昨年終りごろからぼくは色々の方面の編集者・読者から発言を求められていながら、いままで故意に沈黙を守りつづけてきた。はじめは、事情のよくわからぬ問題に当事者でもない者があれこれ論ずることの無責任さを懼れたからであり、また最近では、世のジャーナリスト評論家たちがこの痛切な問題をまるで他人事のようにいとも颯爽と論ずるその態度に、なにかしら強い反撥を覚え、この問題はむしろ、論評の対象にするよりも先におのれ自身の言論と行動との全態度のうちに黙って生かしてゆくべきものではないか、とこう考えていたからである。こうした事情は、本質的には今でもさして変ったとは思わぬけれども、しかし、今にいたるも読者の要望に一切応答しないことは、結果的にかえって無責任となることを懼れて、敢て筆を執ったまでである。」

 【両大学闘争において理は全共闘にある】
 まず最初に断言しておくが、両大学闘争とも、理はあくまで全共闘の学生たちの方にあって、断じて大学当局の方にはない。そのように言うのは、なにも当節流行の文明論的見地からでもなければ、ぼく自身の思想的立場からだけでもなく、そのようなことよりもはるか手前の地点、つまり闘争の発端をつくった元兇をみずからの手で引責辞職に追い込むという初歩的な仕事も果さぬくせに、責任追求してやまぬ学生たちを機動隊の暴力によって打擲し傷つけた、その許しがたい犯罪行為のゆえである。おのれの<制度化された暴力>の罪を完全にあがない切らぬうちに学生たちを<暴力>の名のもとに弾劾し、これをまたもや機動隊の<制度化された暴力>でもって粉砕する――これが教師にあるまじき犯罪行為でなくて何であるというのか。この犯罪行為は、両大学の教師たち全員の心のなかに、二度とは消えぬ傷痕として残るべきものであって、こんな単純自明な理さえももはやわからなくなっているとするならば、そんな大学など、この地上から永遠に抹殺されて然るべきである。

 【東大教官たちへの弾劾文にたいする態度】
 以上の単純素朴な理を前提として論を進めると、それにもかかわらずぼくは、『朝日ジャーナル』その他に発表された例の東大教官たちへの弾劾文には、どうしても署名する気になれなかった。ひたすら全共闘の学生たちの闘いに負ぶさったその没主体的な、上ずった発想に、到底ついてゆけなかったからである。この抗議文の発表の経緯をぼく自身に関わるかぎりで報告しておくと、まず、去る一月二十日の夜おそく、日ごろ親しくしているE氏から電話があり、文書草案への署名を求められた。しかしそのときは、その草案があまりにも説得力を欠いていたことから、次の日にゆっくり話すことを約束して電話を切った。翌日、時間をかけてぼくの意を伝えたところ、E氏もその夜の世話人会でぼくの見解を議論することを約してくれたのであったが、その結果、いまさら全文をあらためるわけにゆかぬから、「いうまでもなくこれらの言葉はその一つ一つがそれぞれの形においてわれわれにはね返りうるものではあるが、これを署名各人の問題として受けとめながら、われわれは主張する」という一文を草案に付加するが如何、と問い合わせてきた。ぼくとしてはE氏の行為と努力は多とするが、全文こそこの一文の発想で書き改めるべきであって、時間さえ許せばぼく自身が全文書き直してもよい、と答えたのだが、結局そのような時間はなく、ぼくは署名を保留することとなったのであった。

 【日大闘争と東大闘争】
 この論文において、ぼくは日大・東大両大学闘争に共通する問題を論じようとして出発したのであるが、いつのまにか東大闘争の方ばかりに関心のゆくのを抑えられないでいる。東大闘争が東大生たちの特権内闘争に陥りがちであるのにたいして、日大当局の悪辣さは他に類を見ず、これに反比例するように日大生たちの逞しさと高貴さは多くの心ある人々の胸を打っているのであるが、ぼく個人としては、東大は自分の<母校>(何と恥ずべき母校であることか!)であり、多少は学内の事情にも通じているので、ここでは東大闘争の方に力点を置いて考えてゆきたいと思う。


Ⅰ 大学闘争を論ずる際の基本的な視点――自己の存在仕方を問う

 【大学闘争は<浄化的反省>の糧とされねばならぬ】
 以上を前提に、もういちどこの問題を論ずるぼくの視点を要約しておけば、それは、「大学闘争の問題を客観的分析の対象とするよりも先に、まず何よりも自己自身についての<浄化的反省>の糧とすること」だと言えるだろう。この大学闘争の客観的な文明論的意義を十分に理解しているはずの、それどころかそれをおのれの研究対象としている社会科学者をも含む東大の教師たちが、この大学闘争の問題に何ら思想的に有効に対処し得なかったのは、この闘争がまさしく自己自身の足許でおこった、ということ以外に理由をもとめることはむずかしいだろう。大学闘争が何よりもまず浄化的反省を通じて把えられねばならぬと称した所以はここにあり、実際、何人にとっても、これは他人事ではないのだ。評論家諸士がこの問題を論じたければ、まずもって自己と商業ジャーナリズムとの関係についての自己規律を、おのれの内部に確立してかからなければならないのであって、それが怠られているかぎり、どんなに紙上で学生たちに声援を送ろうとも、真の連帯からはほど遠いと言うほかはないのである。

 【全共闘の最も根柢的な問題提起】
 全共闘の学生たちがぼくらにつきつけた最も根柢的な問題提起とは、知識の拠って立つ基盤としての存在の問題であり、知識人の存在仕方の問題であった。外にむかって上半身で進歩的なことを言いながら、内では足許で封建的な研究室を支配する、そんな日本知識人(たとえばアカデミズム内<実存主義者>)たちには、こうした真に実存的な問いかけはとうてい答え得ないのだ。また、そこで発せられた「何のために科学するのか」「個別科学は社会全体とどのような連関をもつのか」という問いには、あきらかにマルクス主義のイデオロギー論や社会分析が強力にはたらいていたが、それはおのれ自身の内なる実存的疎外感から出発したものであるがゆえに、外なる国際情勢や経済の分析などにのみ精進している<講壇マルクス主義者>諸士にはとうてい答え得ないのだ。まことに東大教師たちの悲劇は、問題の核心がまさに科学者としてのおのれの存在仕方の自己変革にあったことを自覚せず、ただ力に押されての権限譲歩や機構変革でもってお茶を濁せると妄信したところにあったのである。


Ⅱ 個人の生き方の問題と制度としての大学の在り方の問題

 【著者の<実存>】
 以上のように語った以上、全共闘の問題提起に応え、さらにそれを批判するためには、まずもってぼく自身の<実存>を晒しておかねばなるまい。ぼくは戦争末期にまず東大法学部に入学したが、そのどうしようもない雰囲気と法律学への根本的な疑問から一年で退学し、戦後あらためて東大文学部哲学科に再入学した。そこでもまもなく失望し、東大新聞への投書などをおこなったが、それもあっさり没にされた。第一次全学連の高揚した波のなかで、ぼくも民学同の組織に属していたが、ぼくは政治闘争を次第に文化闘争に転轍させる方向に動いていた。しかし、大学研究室にはそんなものを受けつける気風は一切なく、十幾人かの同志とともに研究会を研究室内にもったものの、この文化闘争はまもなく枯れしぼみ、以後いくつかの事件を経て、ぼく自身はアカデミズム哲学とは一切縁を切り、今にいたるまで一貫して在野の一哲学徒として終始してきた。ぼくがいま大学教師として職をもつのは一語学教師としてであり、自分の本質的な仕事とは何の関係ももっていない。

 【著者からみた全共闘運動】
 このような経験を閲してきた者にとって、現在の全共闘の諸君の壮大な文化闘争には、つよい共感を惹きおこさぬはずはないし、いま学生だったら自分もおなじ行動に出た可能性は十分に想定できる。にもかかわらず他方で、大学卒業後一切のアカデミズムから縁を絶ち、軽蔑しか感じないできた者としては、かつてのぼくのように、また現在の全共闘のように、学問する者の存在そのものに触れるような根柢的な問いかけを制度としての大学自体にさし向けるのは見当ちがいなのではないか、とも感じられるのである。つまり、個々人の生き方のレヴェルでの問題と、制度の在り方のレヴェルでの問題とが、ここでは奇妙に混線してきているように思われるわけである。

 【医学系・理工科系学生の問題】
 ところが、このような考え方にたいしてつよい反省を促すきっかけとなったのが、いまから五年ほどまえ、数千人の医学生諸君を前にして「人間の全体性について」という講演をおこなったときである。つまり、以上のような考え方は、生涯の職業的営為を制度としての大学によってほぼ完全に規制されている医学徒や理工系の科学者たちにはまったく妥当しないのだ。そこで、この講演ではとくに、イデオロギーと科学との相互規定から出発して、政治的実践と職業的実践または科学的実践、社会革命と科学(文化)革命とを一つに結ぶ統一的ヴィジョンをうち出す必要に迫られたのであり、そのときから制度としての大学自体をも真剣に検討すべきだと自覚するようになったのであった。


Ⅲ 大学革命の性格と形態

 【全共闘の問題提起の特質】
 では、大学革命とはどのような性格と形態をもつべきものであるのか。まず注目すべきは、医学や理工科学の若い学徒たちは、おのれの科学的実践を全うするためにはアカデミズム内にとどまらざるを得ず、しかもそうすることで<人間の全体性>を見失ってゆかざるを得ないという事実であり、そのことが社会科学者の単なる<科学的>知識としてではなく、具体的生活経験の場で感受される<実存的>感性の質の問題として噴出してきたところに、理科系学生によって口火を切られた東大闘争の真面目があったということであろう。これに反して、多少とも個人的な逃げ道が用意できる哲学や社会科学系の学生たちは、この闘争の意義をなかなか摑めないでいたのだ。しかし、現代の資本主義社会も社会主義社会も身動きならぬ<管理社会>となってしまっている以上、理科系学生が先鞭をつけたこの闘争は、先駆的なものであっても孤立したものではあり得ない。むしろ、かつてぼくなどの辿った個人的解決法の方こそが現代ではまったくのナンセンスとなっているのだ。

 【職業そのもののなかでの疎外の克服】
 このように見てくるとき、この大学革命にもっとも特徴的なことは、闘士たちが研究者たることをやめていわゆる職業革命家になってしまうや、そのとたんにこの革命はその全意義を失ってしまう、という点にこそある。いま克服を要請されているものは、職業そのもののさなかでの、職業そのものによる疎外なのであって、けっして職業からの、社会の総体からの疎外などではないからである。これこそが、現代革命が必然的に<文化革命>とならざるを得ぬ第一の契機であり、この契機に着目するとき、革命はどうあっても改良(制度的改革)の契機をうちに孕まざるを得ないのだ。

 【全社会の革命としての大学革命】
 こうして大学闘争を<文化革命>と規定するとき、それは徹底的に全体的なものでなければならぬという点を、その第二の契機として強調しておくべきである。それは、第一の契機たる<改良>的側面と対立するかに見えるが、文化とは具体的生活経験の全体的な場で生きられた社会的諸設備の総体のことである以上、文化革命としての大学革命は、全社会のなかの一部としての大学の革命ではあり得ないのである。それは、革命への或る独特な接近仕方のことを言うのであり、革命に無限進行する或る反省的次元をあたえてゆく何ものか、革命そのものを不断に革命してゆく何ものか、なのである。まことに文化革命とは、全体革命つまり永続革命としてしかあり得ないのであり、それが全体革命である以上、そのなかには当然に自己自身をも包摂せねばならぬのだから、ここで自己とは革命の主体であると同時に革命の対象ともなる。したがって、<第三世界>がぼくらの心の深部にあたえた衝迫を抜きにしては、現代社会における文化革命の意義は掬すべくもないのであって、<加害者>としての自己意識こそが革命の発条となっているかぎり、この革命は日常的諸要求の漸次的集積とはまるで異なって、逆に自己の<日常性>と完全に訣別して、その自己否定を介して真に全体的な自己を一挙にとり戻そうとする、全体革命のかたちをとらざるを得ないのは当然のことなのだ。


Ⅳ 改革と変革との矛盾をいかに止揚するか

 【大学革命における改革と変革の二重の契機】
 こうして大学革命は、社会的な職業の場を固執した機構改革と、具体的生活経験の場で生きられる社会的総体のトータルな変革との、たがいに相矛盾する二重の契機をうちに具えねばならぬのであるが、ではこの矛盾はいかにして理論的・実践的に止揚され得るのだろうか。ぼくが知るかぎり、回答はどの闘士の口からもあたえられていないようにみえるが、この矛盾の自覚化こそが今後の闘争のキー・ポイントであるはずであって、それを欠くとき、闘争はこの矛盾によって崩壊してゆくだろう。

 【イマジネールなものとしての<全体>の認識】
 この問題を解く最初の鍵は、<全体>とは本質的に、必然に非現実的なもの、イマジネールなものだということの、明確な認識のなかにある。全共闘の諸君が全体革命の理念を大胆に呈示したとき、彼らは民青のような体制内野党的発想を根柢からのり超えたのはあきらかであるが、全体とは非現実的なものであるかぎり、全体革命とは、現実の地平にある機構改革にあたかもその辺暈のようにたえず随伴し、随伴することによってそれをたえず方向づけ革新しつづけるものとしてはじめて意義をもち得るものだということ、それゆえに、それがおのれの非現実性を忘却してそれ自身一つの現実となりかわるとき、それはたちまちにして無意味なものに転化するのだということ、を明晰に認識しているのでなければならない。「想像力が権力を奪う」のは、ただ敗北を通じてでしかないのであって、ここのところに踏み外しがあると、ゲバ棒は偉大な<象徴>から貧弱な<武器>に、果敢な闘争は偉大な<範例>から幼稚な<市街戦>となってしまうのだ。恥ずべき<内ゲバ>や<……コミューン>などといった空疎な言葉も、この種の錯乱を指示しているのであって、それを克服しつ、全体革命の理念を手放すことなくしかも個々の機構改革をかちとってゆくこと、永遠の<拒否>を発しつつしかもなおそれに裏づけられ滲透された<参加>をかちとってゆくこと、ここに大学闘争の将来の成否を決する鍵があるのだ。

 【<政治を否認するための政治>のゆくえ】
 そのような改革と変革の矛盾の止揚は困難なものにはちがいないが、旧革命運動の政治主義の醜悪さを見てきた現代において、<政治を否認するための政治>がつよく要請されていることもたしかだろう。しかし、ノンセクトの諸君が一切の政治的効果を度外視し、主観的意図の純潔さにのみ固執して<結果責任>をまったく負おうとしないとき、あるいは、あまりにも<政治的>な民青諸君の醜悪さを道義的に非難するとき、<政治を否認するための政治>もまた一つの政治であり、この政治にもこの政治なりの工夫が要請されていることについて、配慮を欠いているのではなかろうか。そしてそのことは、さらに重大な結果として、主体そのもの、<実存>そのものの自己頽廃を招くことにもなるように思われるのである。


Ⅴ <実存>の自己頽廃を拒否するために

 【<実存>が自己頽廃を宿すとき】
 ぼくはいままで、全共闘とくにノンセクトの行動を<実存的>と評してきたし、彼ら自身もまた、みずからをそのように規定しているかにみえるが、しかし、実存とは言うまでもなく曖昧な言葉であって、一方では人間の存在仕方の根本的な自己変革を衝迫すると同時に、他方では自己客観化の能力のまったき欠如をも意味するものだ。たしかに、彼らの精神の純潔さは青春の特権であり、ぼくらの世代にもたしかに存在していた。そして、そこに見出される<死の論理>は、ぼくも若い日々にずいぶん身近に親しんだものであるし、今もなお心の底にくすぶりつづけているものであるから、ぼくとしては到底否定し去れるものではないが、しかし、それがほんとうに有意味なのは、生が真に生たるためには生はかならずおのれのうちに死を包摂せねばならぬ、そのかぎりにおいて、またそのかぎりにおいてのみであろう。<自己否定>や<日常性からの訣別>を文字どおりに実行するとすれば、言うまでもなく自殺するよりほかはないにもかかわらず、自殺しないでこのスローガンを掲げ得るのは、やはり何ほどかの<自己肯定>と<日常性>を残しているからである。生きるとはそういうことであり、その意味でこの生はいつも曖昧な部分を残しているのであって、この曖昧な部分に一切目を覆ってものを言えば、それは自己自身については甘ったれた自己欺瞞となり、他者にむかえば憎むべき犯罪行為となる。<実存>が、それ自身のうちに度しがたい自己頽廃を宿しはじめるのは実にこのときであり、これこそが、自己客観化の能力のまったき欠如のもたらした当然の報いなのである。

 【自己頽廃に蝕まれる闘争】
 不幸にして、現在おこなわれている闘争のかなりの部分に、この種の頽廃が宿りつつあるようだ。自己否定や日常性からの訣別を掲げながら、これを他者にのみきびしく突きつけ、自分自身にたいしてはいたって甘い、むしろ、自分自身については徹底させ得ぬその苛立ちを、他者にたいしてサディスティックに向けてゆこうとする、そんな頽廃が。この路線をこのまま邁進してゆけば、やがてはファシズムにゆきつく可能性さえあり、事実、極左と極右とは紙一重を距てるだけなのであって、そしてことファシズムということになれば、いま散々に軽蔑され嘲笑されている東大の<進歩的>教授たちの方が、学生たち以上に生死を賭して戦うことさえあり得なくはないのだ。たとえば、日大生の獄中記録を読んでみて、それが戦前に特高警察によって捕えられた思想犯の処遇といかに雲泥の差があるかにぼくは注目せざるを得なかったが、こうしたことは、いまの学生諸君にどの程度理解されているものだろうか。あるいは、もしこれが帝国憲法下であったなら、闘争自体がどのようになっていただろうか、もしも彼らの攻撃してやまぬ<大学の自治>が欺瞞的なかたちであれ確立していなかったならば、彼らは果して「闘争三百日」を誇ることができたであろうか。

 【<自己否定>と在日朝鮮人問題】
 また、<自己否定>を本気で考えてゆくのならば、いま進行中の金嬉老裁判にたいしても、いくらかは関心を向けてほしいものだとぼくは思う。なぜなら、われわれ日本人のすべてがいまだにその血債を支払っていない在日朝鮮人の存在こそが、まさにぼくらすべての心の奥深くに突き刺った、もっとも身近な<第三世界>そのものにほかならぬからである。しかも、このことを深く凝視するとき、<第三世界>の闘争スタイルにぼくらの方でそのままあやかることも一種の自己甘やかしの形態でしかないことも、やがて了解されてくるだろう。<第三世界>としての在日朝鮮人が告発しているのはぼくら日本人すべてなのであり、ここでぼくらは、日本人であることそのことだけですでに有罪なのであって、したがって、国家権力との闘争において在日朝鮮人と連帯することは、<自己否定>を深化させる過程における、一つの不可欠な契機なのだ。

 【大衆におのれの声を伝達するために】
 かくして、その自己否定も日常性からの訣別も、まだまだよほどの自己鍛錬が必要なのであって、とりわけ日常性の世界で生きている大衆におのれの声を届かせ、彼らをほんとうに起ち上がらせるためには、日常性から一旦は訣別したあとで、もういちど日常性に戻ってくる、いわば還路を創造せねばならぬだろう。自己否定を徹底させたそのあげくの果てに、否定しても否定してもなお残るおのれの内なる生の曖昧さをそこに見いだし、けっして自己欺瞞することなくそれを凝視し、それを凝視したその眼でもって今度は他者の生を見、他者に自己否定を迫ってゆくとき、すなわち、往路が還路をみずから拓き、日常性からの訣別が同時に日常性の復権をみずからに要請するとき、そのときにのみ、日常性に生きるほかない大衆に、おのれの声を確実に伝達することができるようになるだろう。またそのときにのみ、自己自身も、大学を離れたとたんに転向してそれこそ無気力な日常性に埋没してしまうこともなくなるだろう。たしかに、学生たちには教師たちを嘲罵するだけの権利はあったのであるが、いま教師たちの少なからぬ部分がこの嘲罵のなかで深く傷ついているはずであり、なかにはために職を辞する者もあったし、やがては死にまで追い込まれる者も出てくるかもしれない。ここでもしも、学生たちが卒業後の実生活のなかでその闘う姿勢をほんの少しでも崩すようなことがあったならば、彼らはおのれの嘲罵した教師たちにたいして、どうして贖罪したらよいか、わからなくなってしまうだろう。このことは、今からおのれの思想と行動のなかに、十分にとり込んでおく必要がある。


Ⅵ 科学と学問における敵対者の包摂

 【自己の敵対者の包摂】
 以上のように、<実存>は自己客観化の欠如というマイナス方向へと流れてゆくとき、その<自己否定>の精神は、他者にのみきびしく向けられる、はなはだ虫のよいスローガンにすぎなくなるのであって、このような実存の自己頽廃を拒否するためには、他者を、自己の敵対者を、実は自己自身のなかにこそ抱かねばならぬ。まず、ここでは、この問題を科学論・学問論のレヴェルで論じることとしよう。

 【学問における<対決>と<自己変革>】
 たしかに、従来の大学講座制における学問の私物化や主任教授の独裁的支配、教える者から学ぶ者への一方通行などを拒否して、全共闘の諸君が学ぶ者の自主的権利をつよくうち出したことは、どれだけ評価しても評価しすぎることはない。しかし、だからといって、それが学ぶ者から教える者への一方通行にとって替られるだけでは問題は解決しないだろう。教育とは教師と学生との共同行為であり、この共同行為に本質的なものは<対決>なのであって、もしも<自主講座>なるものも学生の自己正当化のために開かれるのなら、それは旧講座と寸分ちがわず、かならず頽廃する。ブレヒトが<異化効果>と名づけたものにこそ教育の真髄があるのであって、この教師と学生との存在を賭けての<対決>の場で、自己変革を迫られているのは単に教師の側だけではなく、学生の側もまた自己変革を迫られているのである。

 【科学とイデオロギーとの分断の克服】
 同様のことは、科学とイデオロギーとの関係についても言い得るのであって、全共闘の諸君が科学する者の実存の問題を容赦なくつきつけることによって、科学とイデオロギーとの分断のもつ欺瞞性を破砕したことの意義は、どれほど評価しても評価しすぎることはない。しかしながら、それは科学をすっかりイデオロギーのなかに吸収してしまうことを意味するものではないのであって、科学はつねに、全体としての具体的生活経験からの抽象であり、しかもこの抽象は、認識の精密化のための不可欠の作業なのだ。科学は或る事を徹底的に問いつめるために、どうしても残余のことをカッコに入れ、<判断停止>の状態に置かねばならぬのであって、科学者の<不偏不党性>や<政治的中立>の欺瞞性を否定するからといって、科学自体が本質的に保持せざるを得ぬこの<中和性変様>の作業まで廃棄するならば、科学そのものを廃棄するだけにおわるだろう。闘士のための<自主講座>といえども、科学のこうした媒介作業を、自己の敵対者の包摂という意味において、かならずみずから設立せねばならぬのである。


Ⅶ 組織と運動における敵対者の包摂

 【全共闘の組織論】
 最後に、組織論・運動論のレヴェルで、自己頽廃の拒否と敵対者の包摂の問題を追求してゆこう。まず、全共闘運動への参加者が掲げている組織原則とはどのようなものであるかを見ると、①個人の主体的決意のみによって参加する、②指導部はつくらず、問題はすべて全員討議にかける、③そこでは何人も他人の意志を代表せず、そこでの決定は何人をも拘束しない、④組織維持などを自己目的化せず、組織というよりもむしろ運動そのものとして、闘争への参加の仕方も各人の自由に委ねられる、⑤組織は上から作られるものではなく、大衆とのあいだに囲いをつくらぬという原則のもとで、闘いの渦中から生まれるものである、等々とされている。

 【<代意主義>の克服と<直接民主主義>の原理】
 このような独創的な組織論によって、彼らはブルジョア民主制とスターリニズム前衛党制との同時超克を果したと言っても過言ではない。なぜなら、両者は一見まったく相反するようにみえながら、<代意主義>という点では実は同根なのであり、彼らはこの代意主義を<直接民主主義>の原理でもって完全に超えることができたようにみえるのだから。代議制と多数決原理にもとづく受動的な旧自治会などに基盤を置かず、むしろ闘う個々人の能動的な意志に基盤を置く彼らの<直接民主主義>の原理は、複雑に分節化した現代市民社会の客観的構造そのものが要請してきた結果なのであって、そうでなければ、日本やフランスにかぎらず全世界の高度産業社会で、どうしてこうも相似た形態における革命闘争が一斉に噴出するはずがあろうか。

 【集団のダイナミックスを自覚しているか――全共闘の運動論の問題点①】
 彼らの<直接民主主義>の重大な意義を十分に認めたうえでなお、今後の運動の発展のために、二つほど問題点を摘出しておきたい。第一点は、この運動論では、徹頭徹尾、大衆の<自然発生性>に依拠することになるが、そのような自然発生性でもって果して政治権力の奪取にまで到りつくことができるだろうか、という問題である。フランスの<五月革命>ですら、この問題の解決を迫られたまさにその瞬間に、おのれの無能力さを暴露してしまったのであって、いまのところ運動者の方から何の説得的な回答も呈示されていない。たしかに、直接民主主義は<原点>なのであるが、しかし、それはあくまで原点でしかなく、状況の転変に対応してそのつど自己を転形してゆかねばならない。考えてみると、過去のどんな革命でも、それが真正なものであるかぎり、最初は多少とも<直接民主主義的>だったのであって、しかし状況の転変に応じて、その<融合集団>が否応なく<制約集団>とか<組織集団>とか<制度集団>とかにみずからを転形してゆくのだ(サルトル)。これは必然的なことであって、この集団のダイナミックスに無自覚であるとき、かえってはなはだしい自己欺瞞におちいるであろう。逆説的だが、このような集団のダイナミックスをあたまから否定するのではなく、むしろその必然性を徹底的に自覚していることの方が、かえっていつも直接民主主義の原点へとたち帰って自己の現状を評価点検するフィードバック装置をみずからのうちに設立し得るのであり、そして、そのことを可能にするためにも、一切の甘えと自己陶酔を排したきびしい<自己客観化>の精神が要求されるのである。

 【<範例的行動>の意義を自覚しているか――全共闘の運動論の問題点②】
 第二点は、大衆との関係の問題である。フランスの<五月革命>いらい、最近の大学闘争では、大衆のあとからついてきて大衆の立ち上がりを妨害することしかせぬ旧来の<指導的前衛>の神話はすっかり地に墜ち、かわって<活動する少数者>の<範例的行動>によって多数者をひきつけ起ち上らせる、という独創的な運動論が樹立されてきた。これは、レーニンなどによってきびしく批判された極左冒険主義とは本質的に異なるものであり、というのは、<範例的>とは現実的な行動ではなくあくまで非現実的行動、イマジネールな行動にすぎないからだ。そして、このような行動様式のもっとも貴重な点は、旧左翼が味方にひきつけようとした大衆が<実践的惰性態>としての大衆であるのに反して、この範例的行動がひきつけようとするものはまさに能動態としての大衆である、というところにある。大衆から孤立したり憎まれたりすることを怖れぬというのは、アン・ジッヒなままの大衆にはけっして追随せず、大衆を実践的惰性態から能動態へと転化させるに必要な契機としての、いわば<異化効果>をねらってのことにほかならないのであり、旧左翼の行動様式がもうひとつの<管理社会>を現出せしめるだけだった、その通路を運動論の端緒から切断したところに、活動的少数者による範例的行動の劃期的な歴史的意義があるのだ。

 【自己の行動の範例性=演技性に徹せよ】
 このような範例的行動の意義を、闘争者自身はどこまで自覚化しているか。わが国の大学闘争はほとんど労働者大衆の方へは開かれておらず、それは<異化効果>がそれとして十分に機能していないからであろう。それを可能にするためには、まずもって自己自身にたいしてこそ、その異化の作用をつきつけねばならないのであり、十分に自己を客観化する能力を身につけ、自己の行動の範例性=非現実性=演技性の自覚に徹しなければならないのだ。そうすれば、みずからの道義性と論理性との高さのみが、万人の眼前に煌々と輝き出ることであろう。また、そうしてのみ、旧<多数決>原理の単なる裏返しにすぎぬ<少数者横暴>の原理――これだけとれば右翼軍人のクーデタの論理と同じだ――に安易に身を委せることなく、もっと大衆のなかに入って、<対決>を通じての自己と大衆との同時変革を実現し、いつかはかならず実を結ばせねばならぬ<学労提携>のために、門戸を大きく開くこととなるであろう。


あとがき

 【結語】
 「ほぼ以上のところが、現在の時点でぼくの発言し得る精一杯のところである。何と言ってもいま渦中にいないため、目のゆき届かぬ点がずいぶん多かったことと思う。それらの点については、いま闘っている人たち、当事者の人たちからの忌憚のない批判を仰ぐこととして、ここでひとまず筆を擱くこととする。いま学生の身である者も教師の身である者も、いやしくも心ある者ならそれぞれ、内心では烈しい苦悩に苛まれていることと思う。そしてもしも現在、真にオータンティックな<連帯>があり得るとするならば、それはひょっとすると、敵対者たちがともに抱くこの苦悩を通じての不可視の連帯だけかもしれない。この苦悩にまで十分に筆を届かせることのできなかったおのれの無能さを恥じつつも、ぼくがこの大学闘争の問題を論ずるにさいして、文明論的俯瞰や<客観的>分析のきれいごとだけでは終らせず、どこまでも自己の浄化的反省の貫徹をめざそうと努力したことだけは信じていただきたい。おのが思想をはげしく現実に叩きつけ、また現実からはげしく叩きつけられながら、すこしずつ自己を錬えあげてゆくよりほかあるまい。もはや退路はないと覚悟している。」