祖霊ブガとパーカニョー(カレン)人 | 社会の窓

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パーカニョー(カレン)人には、「祖霊ブガ」の存在がある。祖霊という枕詞は、研究者の飯島茂氏が読者にわかりやすいように著書のなかであらわした言葉なのだけど。パーカニョー人の人々はただ単に「ブガ」とよぶ。「ブガ」ってなあに?と詳しく聞くと。わたしたちパーカニョー人の祖先、始まり、最初の人間、家や集落を守る精霊。などという答えがかえってくるので。漢字で「祖霊」と枕詞をあてるのはなるほどぴったりだとおもう。

「ブガ」は人間の始まりであるらしい。どういう始まりかというと。動物と人間は共通する部分もあるけど明らかに違う。その違いを明らかにしたのが「ブガ」である。私は人間である、人間は他の動物とは違う、人間とは何か?人間はなぜ人間であるのか?その意識そのもののことがブガであるらしい。

だから知性を備えて、私は人間であるという意識を持ち、人間とはこうあるべきだと自覚することが、「ブガ」を知ることである、宗教として「祖霊ブガ」を祀る行為になる。

ブガは遠い昔、人間の始まりとなった過去の存在ばかりでなく。今現在でも、パーカニョー人の住む家や集落をまもる守護精霊の役割もになっていきづいている。

 

森と水の文明のパーカニョー人

パーカニョー人の多くが、山岳地帯の森林の奥に20~50世帯の小規模の集落を点在しているので。自然と共に暮らす人々と認識されがちで多くの研究者もポール・ルイスなども森とのハーモニー(調和の人)と記しているので、そういうイメージなのだけど。パーカニョー人自身は、自然界の森と人間の暮らす集落をはっきり区別しており。パーカニョー人の意識では、パーカニョー人は森の自然世界から出て人間世界を構築する文明人である。祖霊ブガは人間世界の守護精霊の代表で、「ブガ」の力が弱まると森の様々な霊「ダムハ」の力のほうが勝り、人間の理屈やシステムが通用しない人間にとって不利な状況がうまれるとされる。森の精霊「ダムハ」を悪霊と訳する例もあるけれど。必ずしも善と悪の二元論ではなく、ブガによって人間のあるべき生活、人間のために作られた秩序とはちがう力関係がうまれて人間にとって必ずしも安全で利益のある状況ではなくなる。ということらしい。人間が集落を離れて森に狩猟などに出かけた場合には、森の掟自然界のルールのほうが優先されて、それは大変に注意をようし慎重に振舞わなければならない、村で暮らすよりも森にいる環境ではリラックスできないし厳しく用心しなければならない。

パーカニョー人は森の中の集落にくらしているが。彼らの意識では、未開社会の自然と共に暮らす人間ではなく、人間としての知恵をもった文明の人である。その文明はやはり森と水の文明の人である。パーカニョー人は灌漑の技術も知っているし、詩や芸術の伝承もしている。森や水の資源を有効利用して生きている。パーカニョー人の自称であるパーカニョーという言葉には、パーカニョーという言葉は直訳が難しい哲学的な用語なのだが。そこには「知恵」という意味もあるらしい。ほか「力強さ」や、パーカニョー人の詩人に学んだタイ人の詩人でミュージシャンのスウィチャノン氏は「足りるを知る人」という言葉をあてている。パーカニョー人とは、知恵があって力強く足りるを知る人。のような理想の人格をさす。足りるを知るのがなぜよいのかというと、これは自制心というか自律心のようなもので、欲しいままに手に入れられるものを貪りあつめるのではなく、ちゃんと自制できれば争いも欠乏も起きないということで、そこが動物と人間の違い、文明人パーカニョー人とそうではない原始人、未開人との違い。ということになる。欲にかられて資源や領土を争って戦争や競争をする人々は、文明人パーカニョーではなく未開人なのであある。そこのところは、パーカニョー人の思想を理解するために重要なキーになる。

パーカニョー人が森で循環型の焼畑をおこない谷間で水田を開くのかというと。それが亜熱帯モンスーン気候のこの地域で持続可能で最も適しているからである。パーカニョー人の理論では、たくさん持っているというのが豊かなことではなく、後先考えずに収奪しつくせば一時的にはそりゃーたくさん所有することはできるだろうし有限とわかりきっている地下資源を採掘して利用しつくす方法は狩猟採集の原始人のやることであって、知恵のある文明人のやることではない。らしい。

これは、証拠があるわけではなく僕個人の憶測なのだけど。パーカニョー人という共通意識を共有した社会集団の人々は、過去に環境破壊によって重大な損害をこうむった経験のある社会集団の人々の末裔ではないかとも想像する。そうでなければ、なかなかあのような何重にも環境負荷に配慮した持続可能な秩序を考え出すことはないのではないかとおもえる。そういった痕跡の証拠は物証として残っていないのだけれども、それは彼らが文字で歴史を記したりしなかったことや。残りやすい金属や石で建造物をつくる文明ではなく残りにくい木や土、水に拠った文明だったのではないかなあ。と思うのである。

 

福山克也