戦時中の強制徴用 労務者慰安婦兵役 | 社会の窓

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思いついたこと、よく分からなくてトモダチに聞きたいこと、日々の近況など書き留めておいています。

戦争中の強制徴用のことは、ぼくが田舎で農業や植物織物のことなど話を聞いているときに、世間話昔話としてききました。ビルマでもマレーでも話の内容が共通する部分があるのと、かれらがぼくにわざわざウソをつく必要も感じられないので、いくつかの強制徴用はあっていたのだろうなとおもいます。最も多いのが空港や道路の整備、荷物運び賦役、通訳をやった人もいたようです。慰安婦というか、さいしょからわかっていくひともいれば、洗濯とかまかないとか雑役の仕事に徴用されて、慰安されてしまった人もいるようです。現地でも雇用や募集もあり、それでもまかなえないと強制徴用もあったようです。お給料をはらうことになっていてもピンハネしたりワルイコトする人もいたようで、一方病気を治してもらったとか、いろいろあるようで、そのあたりのはなしが、みんな都合の良いところだけ引っ張ってきてごちゃまぜになっているところはあります。
ただし、ビルマもマレーも戦争当時英領で、英語を話すひとは英語の情報に触れていた可能性はあります、英文の資料はそのおおくが交戦国の英米側で作成されたものがおおくあるでしょう

慰安婦問題だったら、インドネシアでのオランダ人捕虜の慰安婦徴用の事件が現地では有名ですが、日本ではほとんど報道もないし、資料もほとんどみません。日本語だとたしか木犀社という出版社だったと思いますが、本がだされておりそれはオランダ人慰安婦の手記だったので、慰安婦側からの主張です。あとタイでですが、当時日本領事館の領事をしていたという人のコラムが現地の新聞に掲載があって、当時を振り返って、タイの地方都市で日本軍慰安所の準備をした話があって、彼自身が採用する慰安婦さんの面接をして健康診断などたちあった。という記述をしていたとおもいます。かれはコラムの中で慰安婦に朝鮮人はいなかったとたしかかいていました。彼の説を要約すれば、慰安所は当時あった、日本領事館が建物をさがし慰安婦の募集採用の面接もおこなっていた、朝鮮人はいなかった。ということでしょうか。これは日本政府の立場からの資料です。この記事いつどこの新聞だったか記憶が定かでなく,数年前2006年か2007年ごろかタイで現地の新聞です。