まえの文章で
なかなかなくならないいじめの問題を、 日本の伝統文化と書き記したのは 誤りでした。
まず 伝統文化の継承のため、地道な努力をしている方々は、この文章を見て不快に感じられるだろうし。これはまずふかくおわびしなければならない。
文化という言葉を使うと、文化とはなにかという定義の本質論を問われたときに。いじめの現象を文化と説明する理論付けは明確ではない。
伝統というものを、過去の現象とだけ捉えずに、未来へ向けて継承していくべきものと考えたとき。僕はいじめの因習を未来に継続したいわけではないのだから。伝統という言葉を過去のものと矮小化限定的して、もっとも重要な未来への継承という部分を欠落させていたのは、大きな誤りです。
とくに若い人たち、子供たちをとりまく問題のときは、未来をどうするかということをかんがえておかねばなあ。そういうことを自分がかいたものを改めて眺めて感じました。
福山克也 2012、7