ハトの冤罪と椋鳩十先生の風評被害のおわび | 社会の窓

社会の窓

ブログの説明を入力します。
思いついたこと、よく分からなくてトモダチに聞きたいこと、日々の近況など書き留めておいています。

ハトの冤罪と椋鳩十先生の風評被害のおわび

 ひまわりの種をまいたら、ハトとムクドリが種を食べてしまった。と友人に被害を訴えた。坊主にくければ袈裟までとのたとえどおり。本棚で椋鳩十の著作の童話ねしょんぺんものがたりを見つけて本に八つ当たりをして溜飲をくだした。

しかしその後とんでもない現場を目撃してしまった。撒きなおしたひまわりの種の新芽にたくさんのナメクジが這って新芽を食っている。そう、ひまわりを食った真犯人は、ナメクジであった。

 つまりハトは冤罪であった。焚書坑儒にも等しい言論弾圧を受けた椋鳩十氏は、まったくの風評被害でそれも冤罪によるものであった。そのため椋鳩十氏の著作は復権され、本棚では児童書のコーナーでは椋鳩十特集がくまれ、著作は背表紙ではなく表表紙を開いて、ニッポン文学史最高の名作を讃えて特別展示がなされている。

 ハトのつがいのほうは、その後姿を見なくなった。おそらくブログに書いたりしたので、佐賀にはひまわりの種をたらふく食ってよく肥えたハトがいると知った誰かが、空気銃でまずメスを撃ってそばを離れないオスまで撃って、炭火で焼いて食ってしまったのかもしれない。それとも目つきの悪いノラネコがうろついているので、花壇に鳥が集まることを知った猫がハトを捕らえてしまったのかもしれない。せっかく育った苗の数本が折れていたのでその可能性が一番高い。

 しかし、ハトは現場にいたのは確かだったのだ、最初は確かに現行犯であった。しかし被害のすべてではなかったので、余罪の追及のときに見込み捜査のいきすぎがあったものとおもわれる。そういうことはしばしばあるものだ。