【裁判員3例目 結審(3)】「弱虫で泣き虫でした」 被告の祖母が証言台へ | 親子交流(面会交流)支援団体の代表であり、お坊さんでもあり、母でもある私の日々徒然日記

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一般社団法人びじっと・離婚と子ども問題支援センターの代表理事であり、大法寺副住職でもあり。そんな自分の日々徒然日記。

《被告(22)が強盗強姦事件の被害者にあてた手紙を読み上げた弁護人は、次に被告が親戚(しんせき)と交わしていたという手紙を紹介した。情状面に訴えかけていきたいようだ。被告はまず平成20年4月15日に親戚の1人に謝罪の手紙を出し、5月22日には返事をもらったという》

 弁護人「親代わりだった別の親戚にも5月17日ごろに手紙を送り、(親戚は)5月27日に返事を書いてくれています。『親戚全員が社会復帰を希望しています。もう一度力を与えます。これが最後です』」

 《弁護人は続けて、最初に手紙を出した親戚が公判向けに書いた陳述書を朗読していく》

 「伯父(被告の母親の兄)は、女性に手をあげるなといっていました。伯父の戒めを守らなかったのは残念です」

 《被告は、2日の被告人質問で『親戚から女性に手をあげてはいけないと言われていたので、暴力ではなく強姦した』などと話していた。親戚の言葉の真意は、被告に届いていなかったようだ》

 「私も礼儀正しく穏やかな印象を持っていました。最近の若者のようにおちゃらけた印象はなく、大人びていました。飲み屋でも女性と楽しく話し、歌も歌っていました。悪く言う人は誰もいない。重大な犯罪を起こしたと聞いたときは信じられませんでした。多額の借金も知りませんでした」 「悩みや不安を話したことはないです。もっと本気で話してくれればよかったと思います。あの若さで祖母の面倒を見なければいけないことも負担になっていたかもしれません。立ち直ってほしいです。きちんと反省して、将来に前向きな気持ちを持ってくれれば支えていきたいと思います」

 《被告は逮捕された直後の平成20年3月末に、同居していた祖母に手紙を出している。弁護人は次にその手紙を紹介し、被告自身が反省の姿勢を示していることをアピールする。向かって左から3番目の男性裁判員1番は額に手を当てて考え込むような表情だ》

 弁護人「私が逮捕されて、おばあちゃんはショックだと思う。許されることではない。自分がやったことなので刑に服したい。身体には本当に気をつけて、健康だけを祈っています」

 《ここで、裁判長から、弁護側の情状証人として被告の祖母が呼ばれた。傍聴席の2列目に座っていた祖母は裁判所職員に身体を支えられながら法廷に進み、証言台の前に立った》

 裁判長「○○さん(法廷では実名)ですね」

 《祖母はうなずいて、被告が座っている方にちらっと目を向ける。その後、裁判長に促されて宣誓文を読み上げた。女性裁判員5番は、祖母の弱々しい声を聞いて悲しそうな表情を浮かべた》

 弁護人「○○さんと被告は祖母とお孫さんの関係ですね」

 祖母「はい」

 弁護人「被告は○○さんの長女のお子さんですね」

 祖母「はいそうです」

 弁護人「被告のお父さんですが、何という名前ですか」

 祖母「△△(法廷では実名)です」

 弁護人「被告が生まれたのは、結婚してからどれぐらいですか」

 祖母「5カ月か6カ月ぐらいですね」

 弁護人「△△は出産に立ち会っていますか」

 祖母「立ち会っていません」

 弁護人「借金から逃げ回っていたからですか」

 祖母「はい、そうです」

 弁護人「被告が生まれてから△△は会っていますか」

 祖母「一度もないです。顔を見たことないです」

 弁護人「△△は生きていますか」

 祖母「亡くなっています。被告が中1のころだと思います」

 《弁護人は、被告の生い立ちが恵まれていなかったことを訴えようとしているようだ。被告は、ややうつむき加減で視線を祖母の方に向けることはない》

 弁護人「被告の母親は離婚してからどこで暮らしていましたか」

 祖母「うちで一緒に生活していました」

 弁護人「3人で暮らしていたんですね」

 祖母「はい、そうです」

 弁護人「○○さんも離婚していますね。夫の暴力が原因ですか」

 祖母「はい」

 弁護人「幼いころの被告どんな子でしたか」

 祖母「弱虫で泣き虫でした」

 弁護人「母親は被告をかわいがっていましたか」

 祖母「かわいがっていました。いつでも一緒でした」

 弁護人「母親はいつ亡くなっていますか」

 祖母「被告が小1の3学期ですかね」

 弁護人「母親の葬式のとき、被告は涙を流していましたか」

 祖母「座ったまま動けませんでした。終わった後に『僕は我慢していたのに、おばあちゃんは泣いてばかりいる』と言われました」

 《弁護人は、生育環境が厳しかったことをどんどん強調していく》

 弁護人「育てたのは、○○さん?」

 祖母「はい」

 弁護人「父親代わりになる人は?」

 祖母「伯父です」

 弁護人「被告はなついていましたか」

 祖母「はい」

 弁護人「伯父は生きていますか」

 祖母「昨年2月に亡くなっています」

 弁護人「被告はどんな様子でしたか」

 祖母「泣いていましたね」

 弁護人「被告が手を患わせることはありましたか」

 祖母「こんな子なら2人でも育てたいと思いました。明るい子でした」

 弁護人「両親がいないことを被告がさみしいと言ったことはありますか」

 祖母「『どうして僕にはお父さん、お母さんがいないの。さみしい』と言ったことはありました。1度か2度」

《さらに、周囲からは“いい子”に見えたという点を質問していく》

 弁護人「被告が非行を行ったことはありますか」

 祖母「小1から高校まで先生に注意されたこともありません」

 弁護人「小学校では何か賞をもらいましたか」

 祖母「思いやり賞です。2年に1回ぐらいもらっていました。本人に聞いたんだけど、女の子が沼にボールを落として泣いているところを拾ってあげたからじゃないかと話していました」

 弁護人「親戚や近所の評判はどうですか」

 祖母「みんなおとなしく病気ばかりしているから、女の子のように扱ってきました」

 弁護人「被告は多額の借金を背負っていましたが、知っていましたか」

 祖母「全然知りませんでした」

 《高齢の祖母にとって、被告の情状証人とはいえ、法廷に立つことは負担なようだ。弁護人の問いかけに、消え入りそうな声での返答が続いている。男性裁判員1番は口を半開きにして、祖母に同情の目を向けていた》

産経新聞 2009.9.3 12:27
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