お父さんとお母さんが離婚をしたのは何故なのか知りたいなら、あなたの自分のその目で確かめてごらんなさい。
お父さんからの話しを聞いても、お母さんからの話しを聞いても、どちらも間違いではなく、正しくもないのです。
何故ならば、お父さんとお母さんは、一人一人違う人間ですから、同じものを見ているのに考え方も、感じ方も、捉え方も違うからです。
そして、あなたも同じです。あなたも1人の人間です。
お父さんでもなく、お母さんでもありません。あなたは、あなたです。
だから、あなたが、あなた自身で感じたことが、お父さんとお母さんの離婚の理由です。
もしも、お父さん、お母さんを嫌だなと想ったならば。自分自身に問うてごらんなさい。
自分は、それほど素晴らしい完璧な人間ですか?と。
お父さんもお母さんも同じです。完璧な人間など、おりません。
ただ、確かなことだけはあります。
それは、お父さんもお母さんも、あなたを愛しているということです。
生まれてきてくれて本当にありがとう。
最高の喜びを与えてくれたあなたに、お父さんもお母さんも心から感謝しています。
愛するあなたを抱きしめます。
たとえ、いま、あなたの傍にいられないとしても、あなたを心の中で抱きしめています。
忘れないでください。
お父さんもお母さんも、あなたのお父さんとお母さんであるということを。
あなたの命に連なるのだということを。
怨憎会苦。
子どもとは会いたいが、相手とは会いたくない。幼い子どもに連れ添って相手が来る。それだけで、落ち込んだり、動悸、息切れなどが起こってしまう。
あるいは、同席する相手から、罵声をあびせられる。暴力をふるわれる。または、存在を完全無視される。沈黙。
または、売り言葉に買い言葉となって互いに罵りあうこともある。
これらすべてが、子どもの見ている前で行われてしまう。
子どもは両親の顔色を伺い、小さな身体をさらに縮こませうなだれる。あるいは狂ったように泣き叫ぶ。自傷行為を行う。
子どもと会いたいが、会えなくなる。面接交渉ができなくなる。
だから私たちは面接交渉の仲介支援を行います。父母と子ども。各々の人間の尊厳を守ります。
もしも、どうしても相手の事を子どもの親として認めることができずに、会わせたくないと思ってしまう場合、鬼子母神のお話を思い出してください。
鬼子母神は般闍迦(Pancika パーンチカ)とゆう神様の妻であるとても美しい女神で、500人ものたくさんの子どもがいました。
鬼子母神はこの愛する子供たちを育てるため人間の子供をさらってなんとこれを食べていたのです、人間たちは子供たちをさらわれることを恐れ苦しみ、お釈迦様に相談しました。
お釈迦様は一計を案じ、鬼子母神がもっとも可愛がっていた一番下の子供の姿を神通力によって隠してしまいました。
鬼子母神は嘆きそして悲しみ、必死になって世界中を気も狂わんばかりに探し回りましたが、勿論見つかるはずもなく、途方に暮れついにお釈迦様の元に行き、自分の子供が居なくなり見つからないことを話し、助けを求めました。
お釈迦様は鬼子母神に
「500人の子供の内、たった1人居なくなっただけで、おまえはこのように嘆き悲しみ私に助けを求めている。たった数人しかいない子供をおまえにさらわれた人間の親の悲しみはどれほどであっただろう。その気持ちがおまえにも今わかるのではないか?」
とはなし、
「命の大切さと、子供が可愛いことには人間と鬼神の間にも変わりはない」
とおしえられ、子供を鬼子母神の元に返しました。
鬼子母神はお釈迦様の教えを受け、改心し以後は全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓いました。これ以降、鬼子母神は鬼ではなく仏教と子供の守り神となりました。
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日蓮宗では、鬼子母神の『鬼』の字の正規な書には頭にツノをつけません。伝承にあるように鬼子母神は、まさに鬼でしたが、しかし、釈迦の教えを受け、改心して鬼ではなくなりました。
そのことをあらわすため、"鬼"の字の一画めの点すなわち「ツノ」を取った字を使うのです。
自分たち夫婦の対立よりも大事なのは子どもたちの心の安定ではないでしょうか。親御さんが自らその事に気がつけた瞬間に『ツノ』が剥がれ落ち、仏となるのだと思います。
子を想う親心。その親心が、対立で生えてしまった父母の《ツノ》を削ぎ落とすのです。
我が子の将来のために、ツノを削ぎ落として話し合われたい父母の方は、いつでもお電話ください。
そして、相手と過去は変えられないという現実をどうやって乗り越えていけばいいのか。自分が心地よく未来を生きていくためには、ご自身がほんの少し努力することがポイントです。自分の幸せのための努力は苦になりませんものネ。その心の持ちようのご相談も歓迎いたします(^人^)
お互いがお互いを敬いあい、いのちの尊さに気づけたときから、
DVもない、児童虐待もない、
子どもたちが両親からの愛情を受けて心豊かに生きていけるようになる社会となることを心から祈ります。