需給ギャップについて。
これだけ金融緩和を推進しても、デフレの世界からインフレの世界(これは現在の政府が頑張って進めていることではあるが、、)へと移行はしない。
これは資金の供給がどうのというよりは、日本の社会が構造的な「需給ギャップ」にはまり込んでしまっているからだろう。
よくよく冷静に考えれば誰でも容易に理解できることだろう。
需給ギャップ、これは文字通り、需要に対して供給が過大である。逆を言えば、現在の供給能力に対して需要が不足しているということだ。
戦後の焼け野原の時代は、モノが不足していたから、需要は旺盛であり、それに対してきちんと供給を行えば、それで良かった。
三種の神器がどうのという時代の話だ。それからサービス業の分野でも、旺盛な需要に対して、絶え間ざる供給力の増大ははかられていた。
そしてバブルの時代。このころから受給ギャップは生じていたのだろうが、何とか付加価値とかブランド性とかごまかしながら、人々はこれを意識することがなかったのだろう。
そして21世紀。若者から高齢者まで、もはや特別に「欲しいモノ」など無くなっているのだ。そりゃあ、タダでくれるのならば良いが、わざわざお金を支払ってまで、ましてや借金をしてまで欲しいモノなどありはしないのだ。
これは現実的な製品という範疇だけではく、サービスの分野においても同様だ。確かに頭の悪い連中は、現在でもブランド製品や高級車を欲しがるのかもしれないが、多くの国民はモノには飽きている。
これは産業の効率化とか細かい技術革新(世界を変えるようなイノベーションでも誕生すれば別だが)とかでは補えない、むしろ効率化が浸透すればするほど、ますます供給サイドの圧力は強まり、現在の需給ギャップは拡大するだろう。
100円ショップの普及やユニクロなどを想定すれば、よくわかるというものだ。
それに対して、政治を含めた社会は、どうすれば良いのだろうか?
需給のギャップを縮小するためには、2つしかない。
つまりは供給サイドを減らすか、需要サイドを増やすかだ。
現在の日本の社会は、需要サイドの拡大しか目に入らない。
これから少子高齢化社会が到来して、人口減少に見舞われるというのに、あいも変わらず需要の拡大ばかりを考えている。これではダメだ。本当に現在の時点で必要なことは、需要の拡大ではなく、供給サイドの縮小なのだろう。
これが滞っているから、言葉を変えれば供給サイド(これは企業などの生産者)の自然淘汰を進めていかないから、いつまでたっても需給ギャップは埋まらないのだ。
この生産者の自然淘汰、これは痛みを伴う事象なので、国民にも政治家にも大変に人気がない。
まさに袋小路である。
現在の日本の供給サイドの自然淘汰がどうしても嫌ならば、さらに競争力を磨いて世界の需要にぶつけるしかない。しかしこれも困難な話であるのはわかるだろう。
考え方の転換が求められる時に差し掛かっているのだ。