飯舘村で「いいたてまでいな復興計画」が発表になったそうです。相変わらずの内容のようです。戻れない人のためにも川俣や福島に公営住宅を建設するということらしい。仮設住宅よりはマシになりそうだが、根本的な解決にはほど遠く、帰る人のためには線量の低い村内の土地に公営住宅を用意するそうだ。


果たして飯舘村の暮らし、生活を村長はじめこの計画を作った人は知っているのだろうか?公営住宅は選択肢の一つとしては有効だろうが、それだけで支援をしていますとのイメージを植え付けようとしてもかなり無理があります。


村に帰りたい人は広い土地に気兼ねなく生活できる飯舘村を求めており、それなくしては戻る意味をもたない人が多いのではないだろうか。飯舘村という名前の付いた土地なら何でも良いという訳にはいかないと思います。それで済むなら、福島市内に飯舘村という地名を付ければいいことになってしまいます。


村に戻れない人達は放射線量を気にしているのであって、これまた川俣辺りでお茶を濁されることに賛同する人は限られてくるでしょう。家も生活も奪われた人達は行くところがなくて仮設にいます。そして今度は公営住宅という名の避難生活を無限に続けることを強要されることになるのです。


一刻も早く、土地財産の賠償を東電にさせることこそが村や国の使命であり、除染も住宅建設もその後どれほどのニーズがあるかを確かめて実行すべきでしょう。公営住宅に入れば、東電は精神的賠償をしなくなる可能性が高いです。公営住宅ごときでは、飯舘村の暮らしをしていた人にとっては大きなストレスです。その辺りのことも東電や経産省、文科省ときちんと話を付ける必要があります。


どう考えても村のやっていることは、東電を擁護して、問題を小さく済ます片棒を担いでいるようにしか思えません。村の人達は、人が良いです。簡単に騙されてしまいます。詐欺師の固まりのような東電と官庁を相手に村人はとても素手では戦えません。本来その防御柵となるはずの村役場は東電のための第一砦となってしまっています。このまま、なし崩しにされるのでしょうか。


まず、真っ先に、賠償問題と生活補償に取り組むべきです。


そして、今の仮設生活から避難させるために公営住宅を位置づけるべきであり、あくまで避難生活であることをはっきりさせるべきです。あたかも新しいコミュニティーを村内の線量の低い土地に創り上げたような計画は住民に何の利益ももたらしません。何一つ解決しないまま収束宣言の口実を与えるようなものです。それでは全くフクイチといっしょです。