本日、東京新聞に環境省が飯舘村の除染事業計画を発表したとの記事が小さく掲載されました。村民にとっては「耳にたこ」の実現不可能な、意味不明な、ばら撒き優先の事業計画です。2か月前から相変わらずの主張を続けている計画ですが、ここへきてプレスリリースする意図は何なのか、いよいよ飯舘村の3区分分離作戦を決行し、一気に賠償レベルを軽減して、原子力災害を無かったことにする政策を発動しようということでしょうか。非常に嫌な予感をさせる記事です。

東京新聞のこちら特報部ではドイツにおける原子力政策についての特集が載っていました。日本との切り口の違いが鮮明であり、3流政治をしみじみと実感できる記事でした。今回の原子力政策にあたっては社会学者、宗教家、政治家などで倫理委員会を設置して議論をしたようです。日本の政治家は日の丸、君が代は大好きなくせに倫理観に関してはグランドゼロの状況です。今回の事故の検証に関しても、再稼働の議論に関しても原子力の専門家と言われる人の意見ばかりを聞いています。これは合理的に見えて実はとんでもないことをしているということのようです。

ドイツの倫理委では原子力の専門家は一人も入っていません。そのこころは原子力は電気を作る手段の一つにすぎないという当たり前の大前提に立っているということです。つまり電力を作る手段として本当に必要か、安全か、他の手段はないかといったことを理詰めで考えることに原子力の知識も、経済問題も、ましてやムラの問題も本来関わりない事なのです。そこに気付く事が出来る知能を日本人が持ち合わせていないということが良く分かりました。

全く危険性も、人体への影響も不明な技術を経済やムラの問題で解決することは不可能なのです。ましてや何もわかっていない技術の専門家にその将来を託すことなどあり得ない話です。ここはドイツを見習って電力そのものについて考えるところから始めるべきです。言い換えれば国民の幸福について考える事から始めなければいつまでたっても霞が関(ムラ)による霞が関(ムラ)のためのムラ政策しか出てこないでしょう。調査や統計を駆使して言い訳を並べるだけの技術者や官僚たちは役には立ちません。過去のしきたりにこだわるこういった組織は百害あって一利なしです。新しい発想、アイデアが無ければ原発被害者は救われず、今後の安全もひいては国民の幸福も手には入らないでしょう。